2-3 そのとき御使いは自ら名を明かす(2)

 主は、預言者アヒヤを通じて、北イスラエル王国初代王となる人物にこう告げた。

「見よ、わたしは国をソロモンの手から裂き離して、あなたに十部族を与えよう(列王記上11:31)」


 イスラエル王国は、四代目の王ソロモンが死ぬと、天使の介入により、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。両国は互いに争い、主から周辺国との戦闘指令はなくなった。サウルやダビデの頃までは、主は頻繁に指示をしてきたが、分裂後はほとんどなくなり、あっても悪政を批判する程度にすぎない。聖絶指令がサウル王の時以降なかったことからも、テラはいなくなっていたのだろう。


 列王記上13章では、分裂直後の北イスラエル王のもとに、主の命を帯びた神の人が訪れ、ダビデ家のヨシアにより人骨が王の上で焼かれると告げる。神の人は帰る途中、老預言者からパンを食べることを勧められたが、主から食べないよう命じられていたので、誘いを断った。


 しかし、老預言者も主の御使いからパンを食べさせるよう言われていたと嘘を吐き、神の人はパンを食べ、獅子に殺された。老預言者が悪いように思えるが、罰せられることもなく、老預言者を信じた神の人が死に、納得がいかない。


 筆者の推測。

 神の人の預言は、三百五十年後に南ユダの王ヨシヤが祭壇を訪れたこととされるが、本来は分裂直後の北イスラエルが、すぐに南ユダに蹂躙される運命だという預言だった。三百五十年後に、天使たちが列王記に合わせて、ヨシアを遣わしたにすぎない。


 その背景には、追放されたテラ派の抵抗があった。彼らは巻き返しを狙い、北イスラエルを滅ぼし南に吸収することを計画した。預言者を北イスラエル王のもとに遣わしたが、ミカエル派の老預言者達により殺害された。


 前九世紀。分裂後は活動を減らしていた天使たちが、立ち上がる時がきた。北イスラエルの王アハブがバアル神崇拝を行うようになったからだ。そこで登場したのが、モーセに匹敵する大預言者エリヤだ。


 バアル信仰はもともとカナン人の信じるものだったが、雷と矛を持つ豊穣の神を仰ぐバアル信仰は、神の姿を形にすることを禁じ、律法で凝り固めたユダヤ教よりも、素朴でわかりやすく、カナンの地にはいったイスラエル人の中にもそれに惹かれる者が少なくなかった。


 エリヤはアハブのバアル神信仰を諫め、命を狙われるが主の指示により生き延びた。四百人ものバアルの預言者たちと対決して勝利し、預言者たちを皆殺しにした。エリヤが諫めても、アハブ王はなかなか悪行をやめない。しかし、ついに主の脅しが功を奏し、アハブは断食して反省した。


 天使の指示で、エリヤの弟子エリシャも預言者となった。エリヤ一代では、この国に根付いた偶像崇拝を根絶するのは難しいのだろう。天使の読み通り、アハブ王が死んでもバアル信仰は続いた。

 アハブの息子アハズヤ王は、エリヤによって死を予告された。アハズヤは、エリヤのところに五十人もの軍隊を派遣した。天からの火で五十人隊は焼き尽くされた。アハズヤは後続部隊を送ったが、皆、天からの火で滅ぼされた。アハズヤはエリヤの言葉通り死んだ。


 エリヤは弟子のエリシャをヨルダン川に呼び、モーセのようにヨルダン川をまっぷたつに割ってみせた。火の馬に引かれた火の戦車が現れ、エリヤとエリシャの間を分けた。そしてエリヤはエリシャの目の前で天に昇っていった。


 エリヤの昇天は、五十人隊派遣のすぐ次の章である。軍隊がエリヤのところにむかい、次の章でエリヤが「火の戦車」の登場後に天に召された。きっとこのふたつは深い関係にあるに違いない。

 天からの火で軍隊が滅ぶだろうか。そんなことができるなら、出エジプトはもっと簡単に解決したはずである。天からの火らしきものが軍隊を襲い、軍隊は混乱した。だが、その火は熱くなかった。


 これはただの幻だと気づいた軍隊は、火など気にせず、エリヤを連行したか、その場で殺害した。そのときエリヤに付き添っていた天使は、エリヤの姿を見えなくするといった高度な技が使えず、みすみす大預言者を死なせてしまった。大預言者の無様な死を隠そうと、より能力の高い他の天使がエリヤに化け、弟子の前で昇天を演じてみせた。


 エリシャは数々の奇跡を行った。もちろん、天使がそう幻を描いたのだ。北イスラエルの首都サマリアがアラム軍に囲まれたときは、

「これは主がスリヤびとの軍勢に戦車の音、馬の音、大軍の音を聞かせられたので(王下7:6)」

 というように、音を作り出し、軍隊を追い払った。


 アハズヤの次の王も、バアル信仰をやめなかった。エリシャは天使の指示に従い、現王朝を倒し、将軍イエフを王にして、北イスラエル王家のバアル信仰に終止符を打った。しかし、ヤハウェの象徴とされた金の子牛はそのまま残った。


 イザヤ書の作者とされるイザヤは、前八世紀のユダ王国の預言者だ。当時は大国アッシリアにより北イスラエルは滅び、南のユダも危機的状況にあったが、主の遣わした御使いにより窮地を免れる。イザヤは、イスラエルの将来についての予言を数多く残している。なかでもイエス出生とされるインマヌエル預言は有名だ。


「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる(イザヤ7:14)」


 名前はイエスでなく、インマヌエル(神と共にある)である。信仰バイアスさえあれば都合よくイエスと解釈できるが、事はそう単純なものではない。これは、アラムと北イスラエルの同盟を恐れるユダの王に、主がアッシリアを使って両国を滅ぼす予定であることを告げた際に出てきたもので、当時計画されていた預言者の名前と思われる。おそらく、その預言者は救世主的役割を果たす予定だったのだろうが、結果的に登場しなかった。


 北イスラエルは、紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされる。前701年には、アッシリアは南のユダも攻め、行く先々を破壊した。最後にエルサレムを包囲し、陥落は時間の問題かと思われたが、主はヒゼキア王の祈りに答え、ひとりの御使いを遣わし、アッシリアをうち破った。


「主の使が出て、アッスリヤびとの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆死体となっていた(イザヤ37:36)」


 その御使いは、出エジプトで幻の海を描き出しエジプト軍を滅ぼした存在に違いない。疫病を風で運んだのでなければ、闇夜に乗じて幻の敵兵を描き、同士討ちを誘ったのだろう。このエルサレム包囲は、聖書だけでなく、アッシリア側の記録にも残っている。ヒゼキア王をかごの鳥のように閉じこめたと記されているが、その後の記録がない。無惨に破れたから、残さなかったに違いない。


「そしてアリエルを攻めて戦う国々の群れ、すなわちアリエルとその城を攻めて戦い、これを悩ます者はみな夢のように、夜の幻のようになる(イザヤ29:7)」

 イザヤ書二十九章のアリエルはエルサレムのことだ。アッシリア軍は夜の幻を見た。敵国にエルサレムを攻めさせて、幻で混乱させて滅ぼす手法は、その後の計画でも採用されるが、このとき偶然思いついたものではなく、かなり以前から構想を練っていたようだ。


 ヨエル書は前830年頃書かれたとされる。

「わたしは万国の民を集めて、これをヨシャパテの谷に携えくだり、その所でわが民、わが嗣業であるイスラエルのために彼らをさばく(ヨエル3:2)」

 ヨシャパテの谷とは、エルサレムとオリーブ山の間を南北に延びるキドロンの谷だといわれる。そこに敵を集め、主は応援部隊を送り込む。


「多くの強い民が暗やみのようにもろもろの山をおおう(ヨエ2:2)」

「彼らは武器の中にとびこんでも、身をそこなわない(ヨエ2:8)」

「主はその軍勢の前で声をあげられる。その軍隊は非常に多いからである(ヨエ2:11)」


 幻の軍隊を描き、敵軍に向かわせ、相手方の指揮系統に混乱を引き起こす。


 紀元前六世紀には、新バビロニアが勃興し、エルサレムは陥落する。ユダの王族や学者などがバビロンに連行された。モーセの出エジプトは、イスラエルが自分たちの意志でエジプトに住み着いたことが原因だが、バビロン捕囚は強制連行である。強制連行だったが、比較的自由が与えられ、律法学者により、旧約聖書が編纂されたと言われる。


 エゼキエルはバビロン捕囚時代の預言者で、宇宙船のような生き物を見たと記している。また、彼はエルサレムまで空の旅をして、再建されたエルサレム神殿を見ることになる。この頃、天使の幻影投影力は凄まじいレベルに達していたことがわかる。


 預言者たちの活躍にもかかわらず、北イスラエルとユダの衰退は止まらなかった。紀元前八世紀後半に北イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、ユダ王国はアッシリアの属国となった。その後、ユダはエジプトの支配を受け、紀元前六世紀初頭には新バビロニアによってエルサレムが破壊され、支配階級はバビロンへ連行された。


 アケメネス朝ペルシャによって新バビロニアは滅びた。ペルシャ王キュロス二世によって、バビロンのユダヤ人たちは帰還を認められた。イザヤ書によると、キュロスは主の牧者らしい。イザヤの活躍した時代は、キュロスはまだいなかった。イザヤ書の四十章以降は、第二イザヤと呼ばれるキュロス以降の時代の人物によって書かれたとされている。


 天使がキュロスに啓示を下した可能性は高い。キュロスは、新バビロニアのネブカドネザル同様勝ち続けた。主の僕ネブカドネザルの死後数年でペルシャは独立した。イスラエル人を解放したことで、キュロスはメシア(救世主)とされている。


 帰還は認められたものの、出エジプトのように全員が帰ったわけではなく、大半は住み慣れた場所に残っていた。帰還後もユダ王国の独立は認められなかった。その後も、マケドニア、そこから別れたシリアやエジプトの支配を受け、ローマの同盟国を経て属州になった。紀元七十年には、ローマに反乱を起こし、神殿は破壊され、イスラエルは滅びる。


 史実からわかることは、前八世紀半ばに一時的に盛り返したことをのぞけば、分裂後のイスラエルは、主の栄光が示されることなく衰退し続けたという現実だ。


 これはどういうことだろう。主はイスラエルを見限ったのか。


 イザヤ書十九章には、エジプトとアッシリアも主に仕えるようになると記されている。イスラエルの民族宗教から、オリエント全体の宗教に、拡大するということだ。ソロモン王でイスラエルの頂点を体験した天使たちは、その限界を悟り、異邦人への影響力拡大を志向するようになったのだろう。


「その日、イスラエルはエジプトとアッスリヤと共に三つ相並び、全地のうちで祝福をうけるものとなる(イザヤ19:24)」


 紀元前8世紀ヤロブアム二世の頃書かれたというアモス書には、

「イスラエルの子らよ、あなたがたはわたしにとってエチオピヤびとのようではないか(アモス9:7)」とある。このアモスの頃から、言葉ではっきり指示する啓示ではなく、幻を見せ、それを預言者に解かせるスタイルが始まった。


 紀元前6世紀。バビロン捕囚時代のエレミヤは、

「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る(エレミヤ31:31)」と主の言葉を記している。


 エレミヤは列王記、エレミヤ書、哀歌の作者だとされている。エレミヤ書を読めば、主は意図的にユダ王国を弱体化させているのがわかる。しかる後、また繁栄し、旧北イスラエルの領土を取り戻し、南北が合併することも約束している。


「わたしはエルサレムを荒塚とし、山犬の巣とする(エレ9:11)」

「見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る(エレ30:3)」

「その日には、ユダの家はイスラエルの家と一緒になり(エレ3:18)」


 急速に台頭する新バビロニア王国に、エジプトと組んで対抗しようとするユダ王国に、エレミヤは抵抗をやめるよう警告したが、王は聞き入れず、エルサレムは陥落した。すでに北イスラエルはなく、残るユダ王国もバビロニアに蹂躙され、ユダの新王はバビロニア王ネブカドネザルが決め、バビロンに連行された。


 ユダの没落は約束通り起こったが、

「七十年の間バビロンの王に仕える(エレ25:11)」という捕囚期間は十年以上短くなり、予定より早くキュロスは新バビロニアを滅ぼした。捕囚が終わっても、北の領土は回復せず、南北合併は実現しなかった。


「ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない(エゼ37:22)」

 と、主はエゼキエルにも言っている。エゼキエルは、エレミヤより少し後の時代の預言者だ。


 主は、エレミヤやエゼキエルとの約束を違えたのか。


 エレミヤは、敵であるはずの新バビロニア王ネブカドネザル二世を主の僕と呼び、ユダヤ人から批判を受けた。ネブカドネザルも、自分を訪ねてきたエレミヤを傷つけることはなかった。

 ネブカドネザルの父が建国した新バビロニアは、彼の活躍で強大化した。彼一人の力だったのだろうか。出エジプト、アッシリア撃退と軍事的な実績を積んだ天使たちなら、彼を覇者にすることも可能だろう。


 誰にでも化けることができ、姿を消し、壁をすり抜ける。これほどの諜報員はいない。主として、あるいは占い師や賢者に化けて、敵国情勢をふまえた的確なアドバイスを告げる。敵に偽情報を流し、混乱させる。戦場で幻を描き出したり、将軍や伝令に化けて偽の指示を出せるなど、天使は味方にすると心強い。

 クルアーン八章でも、アラーが敵軍を多勢や無勢に見せた場合のことが記されている。出エジプトで海を割ってエジプト軍を滅ぼして以来、天使たちは自分たちの軍事力に自信を持っていたに違いない。

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