2-3 そのとき御使いは自ら名を明かす(1)

 主はモーセの後継者を、モーセの従者ヌンの息子ヨシュアに決めた。主は、モーセにヨルダン川を渡らせなかった。主から水が出るように岩に命じろと言われたのに、岩を杖で打ってしまったことで、主は彼を約束の地に入れなかったらしいが、これは言いがかりで、それ以前から主はカナン入りを徹底的に遅らせるようにしていた。


 モーセのせいで主はおかしな名前を名乗ることになり、エジプトに向かう途中でも、モーセは主を激怒させた。ファラオとの会見に際して、モーセではなくアロンに杖を投げるように命じたのも、主がモーセのことを嫌っていたからだ。

 モーセが死ぬと、主はヨシュアにヨルダン川を渡り、カナンの地に入るよう告げた。イスラエル人たちは、先住民族と戦い、カナンの地を手にいれた。


 主は、お気に入りのヨシュアに、アブラハムやモーセの物語を語ったのだろう。それがモーセ五書のもととなった。もちろん、ヨシュアがモーセから直接聞いた内容も含まれている。

 アブラハムの物語から始めては格好がつかないので、後世の律法学者が、天地創造神話や洪水伝説などを物語の始めに付け加えた。ノアの箱舟の原型は、シュメール文明の粘土板に記されている。それに追加して、律法の一部である、肉は血抜きすることなどをノアが神と契約したことにしてしまった。


 ヨシュアが死ぬと、しばらくの間、イスラエルには啓示がおりなかった。これは新しい世代が主をないがしろにし、バアル崇拝をした事が理由とされているが、主本人が天使集団の中で発言権を失うか、お気に入りのヨシュアが死んでやる気をなくしていたのだろう。

 それで周りの諸族から侵略されるようになると、天使たちは士師と呼ばれる指導者に啓示を授け、イスラエルを救おうとした。一旦は救われたものの、堕落したイスラエルは士師の言うことを聞かず、また侵略された。


 この頃活躍したサムソンは、イサクやイエスのように主の御使いから、その誕生を預言されていた。彼の父が御使いに名を尋ねると、御使いは何故尋ねるのかと困ったような返事をし、その名を不思議、驚異とはぐらかした。


 この頃は主テラが健在で、御使いごときが名を名乗れる状況ではなかったようだ。成長したサムソンは怪力で獅子を裂き、ひとりで千人を撃ち殺した。創作でなければ、獅子や敵兵、あるいはサムソン自体が御使いの描いた幻だったのだろう。


 紀元前十一世紀に、彼らの中から王が現れることになるが、主は王の存在に賛成しなかった。権力に目がくらみ自分たちの言うことを聞かない俗物にすぎない、王による統治を嫌っていたのだろう。当時、イスラエルの指導者はサムエルだった。彼は絶えて久しかった啓示が下ったことが評判になって、指導者になっていた。


 民がどうしても王が欲しいといって言うことを聞かないとサムエルが主に言うと、主は仕方ないとあきらめたのか、サウルという若者をサムエルのところに送った。サムエルはサウルに油を注ぎ、サウルは王になった。しかし、主の懸念どおり、サウル王は逆らうこともあった。勝手にいけにえを捧げたり、戦利品を惜しんで、アマレク人への聖絶を行わなかったりした。


「また主はサウルをイスラエルの王としたことを悔いられた(サムエル15:35)」


 サウルの息子ヨナタンは、主に忠実で、ペリシテ人との戦いにたった二人で挑んだ。岩場の狭い隙間だったことも幸いして、二十名もの敵を倒した。それをきっかけに、控えていた味方も前に出た。


「こうしてサウルおよび共にいる民は皆、集まって戦いに出た。ペリシテびとはつるぎをもって同志打ちしたので、非常に大きな混乱となった(サムエル14:20)」


 天使が幻を描いて敵に同士討ちを起こさせることは、戦術の基本中の基本だ。後の時代、ユダ王ヨシャパテの治世。アンモン、モアブ、エドムの連合軍が攻めてきて、ユダ王国は絶体絶命に陥った。


「そして彼らが歌をうたい、さんびし始めた時、主は伏兵を設け、かのユダに攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山の人々に向かわせられたので、彼らは打ち敗られた。すなわちアンモンとモアブの人々は立ち上がって、セイル山の民に敵し、彼らを殺して全く滅ぼしたが、セイルの民を殺し尽すに及んで、彼らもおのおの互に助けて滅ぼしあった(代下20:22-23)」


 神がサウルの後継者に選んだのはダビデだった。ダビデは琴弾きとして、サウルに仕えていた。サウルはダビデに嫉妬し、彼を殺そうとしたので、ダビデは逃亡した。

 サムエルが死ぬと、サウルは霊媒師のところへ行き、死んだサムエルを呼び出させた。サムエルはその場に現れ、いかにもサムエルが話しそうなことを告げた。このサムエルは天使が化けたものだ。サムエルの言葉は、サウルがペリシテ人に破れるという内容だった。


 ペリシテ軍はイスラエルに勝ち、主に従い続けたサウルの息子ヨナタンも殺された。天使は少人数なので、脇役のヨナタン警護に人員を配置することができなかった。サウルは自殺し、その子供が王位についたが、部下に殺されて、ダビデが王となった。


「人は外の顔かたちを見、主は心を見る(サムエル16:7)」

 と、主はサムエルに語っているが、サウルは非常な長身で姿が美しく、ダビデも容姿に優れていた。容姿が王になるための決定要因ではなくても、主や天使の注目を浴びやすいのでやはり有利といえる。


 ダビデはエルサレムを都に定めた。あるとき、主はエルサレムを滅ぼそうとした。事の発端は、主がダビデにイスラエルの人口調査を命じたことにある。ダビデは命令に従い、イスラエル人を数えたが、何の落ち度もないのに主は怒り、疫病で七万人が死んだ。


 衛生状態が悪い時代だ。媒介となる動物を使ったのだろう。さらに御使いが出現し、剣でエルサレムを滅ぼそうとした。そのとき主は、御使いにやめるように命じた。このことは、サムエル記下の二十四章と歴代誌上の二十一章の双方に記されている。しかし、ダビデに人口調査を命じた存在が異なっている。


「主は再びイスラエルに向かって怒りを発し、ダビデを感動して彼らに逆らわせ、『行ってイスラエルとユダとを数えよ』と言われた(サム下24:1)」


「時にサタンが起ってイスラエルに敵し、ダビデを動かしてイスラエルを数えさせようとした(代上21:1)」


 同じ事象なのに主語が異なるが、主イコールサタンならば納得がいく。イスラエルの繁栄に手応えを感じた主テラは、人口調査を命じ、百万を越える兵士の数に満足した。それだけの兵力があれば、御使いの助けなどなくても、どんな強敵にも勝てるなどと誇ったりしたのだろう。

 これには御使いはおもしろくない。御使いは、主に反乱を起こし、主ご自慢の人口を削減し、首都エルサレムを滅ぼそうとした。  


「主の使が地と天の間に立って、手に抜いたつるぎをもち、エルサレムの上にさし伸べていた(代上21:16)」


 御使いは大巨人のごとく、エルサレムにそびえ立った。もし御使いがイスラエルを全滅させたら、主は拠り所を失うことになる。御使いの力を目の当たりにした主は、恐れおののいたに違いない。


「もうじゅうぶんだ。今あなたの手をとどめよ(代上21:15)」

 という主の命令(懇願)で御使いは踏みとどまり、エルサレムは救われた。


 歴代誌はサムエル記より後の時代に記された書で、ダビデの人口調査についてはサムエル記を参照したはずだが、主ではなくサタンの指示となり、しかも御使いの様子がより詳しく書かれている。筆者といわれるエズラは、その御使いから直接聞いたのかもしれない。


 御使いの反乱は、他にも聖書に影響を及ぼしている。サムエル記はダビデと同時代のサムエル、ナタン、ガドの三人が作者と言われている。サムエル記はダビデの人口調査で終了し、続きであるダビデの晩年以降は、バビロン捕囚時代のエレミヤが作者と言われる列王記に記されている。天使集団の下克上で、歴史の記録が中断したのだろう。


 イスラエル王国は、ダビデの子供のソロモン王のときに全盛期を迎えた。ソロモンは主の言葉に従い、エルサレム神殿を建設。諸国との貿易で莫大な富を築いた。しかし、ソロモンの栄華には条件があった。


「しかし、あなたがた、またはあなたがたの子孫がそむいてわたしに従わず、わたしがあなたがたの前に置いた戒めと定めとを守らず、他の神々に行って、それに仕え、それを拝むならば、わたしはイスラエルを、わたしが与えた地のおもてから断つであろう(列王記上9:6-7)」


 そこまで主に言われたにもかかわらず、ソロモンは主に背いた。外国の女たちを後宮に入れた影響で、異教の神々に仕えたのだ。主はソロモンをいさめた。

「このようにソロモンの心が転じて、イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた。すなわち主がかつて二度彼に現れ、この事について彼に、他の神々に従ってはならないと命じられたのに、彼は主の命じられたことを守らなかったからである(列王記上11:9-10)」


 ソロモンは、庶民だった父王ダビデが、主の取り立てで王位についたことを知っていたはずである。知恵者といわれる彼は、主に背くことがどんな結果をもたらすかわからなかったのか。


 これはソロモンに落ち度があるように、主がとりつくろったのだろう。クルアーン2章102節。ソロモンは不信心ではなく、サタンたちが不信心だった。サタンたちは人々に妖術を教えた。バビロンで妖術を学んだ二人の堕天使ハールートとマールートも、同じように妖術を教えた。


 イスラエルを率いエジプトを出た天使達は、カナンの地を征圧し、主に従えば栄える、背けば衰えるという原則を示しながら、イスラエルに栄華の極みをもたらした。目標を達成し、発展の限界を悟った彼らは、今後の方向性を話しあったはずである。ミカエル派は、絶頂を極めたイスラエルの今後について、思い切った没落を体験させ、主に従うことで再び栄えるという方針を主張。


 もし、本来の主であるテラがまだいたのなら、子孫の経済的繁栄を願うゆえに活動を始めた彼は必ず反対する。議論は平行線をたどり、すでに実権を握っていたミカエル派は、テラとその支持者を追放した。それがイスラムで、サタンと二人の堕天使として表現されているのだろう。


 イスラエルは他の国と異なり、神により、その最大版図があらかじめ決められている。いくら軍事力が強くても、約束の地を大きく越えた大国になることは許されていない。他国を属領には出来るかもしれないが、国家としてのイスラエル自体は、国土の広さに制約がかかっている。ソロモン王以上の繁栄は無理だということだ。


 一度頂点に上り詰めてしまえば、それを維持し続けても、民は主のありがたみを感じない。それならば、繁栄維持より、落ちるところまで落として、また主の栄光により、かつての繁栄を取り戻すほうが、民は主をあがめるに違いない。

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