1-3 バグだらけの人生(3)

 物質観の根底を覆す、彼女のトンデモ仮説に興奮した京は、

「研究論文を学会に発表したらどう。マッドサイエンティストとかが喜ぶと思うよ」と提案した。


「実は、今、宗教について私なりの意見を文章にしてまとめているの」

「宗教? 宇宙仮想現実説となんの関係があるの?」

「物質宇宙が映像なら、神や仏がいても不思議ないでしょ」

「たしかに妖怪の画像データを立体化して、それを電磁波である光に反映して、現実空間に投影できれば妖怪ぬらりひょんの出来上がりだけど……まさか、その文章、発表なんかしないよな」

 と、京は自分から提案したくせに言った。


「それはわからない」

「カルト宗教の勧誘案内みたいなのだけはやめてよ」

 と、京は苦々しくいった。

「私は信仰には興味がなくて、実際に何が起こったのか、事実が何なのかが知りたいだけ。たとえば、大乗仏教が釈迦の説じゃなくて、キリスト教の影響を大きく受けていることや、そのキリスト教だって異教の影響を受けているみたいな。

 ただし、仏典がフィクションなのに対し、聖書やクルアーンはノンフィクション。一種のドキュメンタリー。聖書に書かれていることは実際に起きたことを、当時の人間の理解できる範囲で記録に残したもの。もちろん、信仰バイアスかかっているけど。クルアーンの言葉も啓示の内容をそのまま書きとめたもの。だから写実的でリアリティがある」


「聖書なんて一度も読んだことないけど、登場人物は何百歳も生きているんだろう?」

「ひとり八百歳とか生きてるのは、アブラハムをアダムの子孫にするため。七十歳くらいだと人数多くなるから、長寿にしたんだと思う。アブラハムの時代になってからもみんな長寿だけど、どうも2で割るとちょうどいいみたい。つまり、本来の寿命に2をかけたってこと。その理由は、本来の寿命のままでは、まずい何かがあったんだと思う」


 イシマエルは百三十七歳(68)、アブラハムは百七十五歳(87)、ヨセフは百十歳(55)で亡くなった。サラは九十歳(45)のときにイサクを産み、百二十七歳(63)で亡くなった。イサクは四十歳(20)でリベカと結婚し、百八十歳(90)で亡くなった。二で割ったカッコ内の数字はそれほどおかしくない。


「ところで、聖書の神って、自分の姿は現さずに、自分の声で、あるいは天使を使って、人間の預言者に言いたいことを伝えてるんだけど、不思議に思わない?」とハルミ。

「?」

「宇宙をデザインした存在なら、もっと他のよい方法がありそうじゃないの。宇宙の全知的生物の意識パターンを直接修正するとか、それができなくても、彼らの意識に直接メッセージを送ることだって簡単にできるはず。宇宙の創造主が、一人の預言者を選んで、何度もお告げを告げる必要がどうしてあるの? 

 それだけじゃないわ。全宇宙の生物の中からアブラハム一人を選び、中東の一地域の所有権を彼に与えて、大勢いる孫の中から、ヤコブにだけその土地を継がせた。なんで、宇宙の創造主がそんなことするの? それに、土地を継いだはずのヤコブはエジプトに行って、エジプトで亡くなって、何百年もヤコブの子孫は自分たちの土地に戻らなかった。つまり、神から与えられた土地を何百年も放棄してたってこと。


 神はカナンの地全体をアブラハムに与えるといったけど、アブラハム本人はごくわずかな土地を所有したにすぎなくて、万能の神ならば彼の先祖を成功させて、アブラハムにカナン全土を支配させることもできたはず。七百年後の子孫がカナンを所有すると言われても、本人からすればああそうですかといったところじゃないの。子孫からしてみても、七百年前なら三十世代は経っている。

 アブラハム以外の先祖も大勢いたはずだけど、彼以外には啓示が下っていないし。三十世代ってすごいわよ。三十世代前の先祖の人数は単純計算で2の30乗。もちろん、親戚同士結婚するから実際はずっと少ないけど、二の三十乗ってたしか十億くらいのはず。当時の全人類よりはるかに多いじゃない。

 アブラハムがカナンの土地をもらったはずだけど、実際は小さな土地しかなくて、すぐに一族はエジプトに移住して、七百年後の子孫になってカナンの土地を奪い返す。何かおかしくない? 


 まともに考えると、無茶苦茶なことばかり。考えてみてよ。この太陽系だけで地球みたいな惑星が十個以上あって、そんな太陽みたいな恒星が銀河系に何千億個もあって、宇宙全部では銀河系が何千億個もあるのよ。太陽なんか、恒星の中では小さい方で、ベテルギウスなんか、体積でいうと太陽の何十億倍もあるし。地球から見える恒星の数だって三百垓個くらい。宇宙だっておそらくひとつじゃない。十の五百乗や千乗個あるって説もあるくらいだから。

 そんなに数があったら、神にとっては、千億光年もの広大なこの宇宙でさえ、人間にとっての血液中のヘモグロビンの一粒以下の存在。そのヘモグロビン以下の、そのまた何千億分の一のひとつの銀河系の、そのまた何千億分の一の恒星である太陽の周囲を回っている惑星のひとつにすぎない地球の表面の陸地のごく一部であるパレスチナの所有権を神様が干渉するわけ? 

 普通に考えれば、神は地球はおろか、私たちのいるこの宇宙さえも意識したことがないはずじゃない」


「昔の人間にとっては、この世界は、かなり狭くて、空の星も恒星とかそんな考えじゃなくて、宙に浮かぶ砂粒みたいにとらえていたと思うよ」

「それじゃあ、神は昔の人間が思いついたただのおとぎ話になるじゃない。私の言ってるのは現実の話。宇宙を動かす数式を作り上げた存在。その唯一の存在が、無数の生物のなかから特定の存在に狙いを定めて、預言者だとか神の子とか決めてるわけ? 

 全ての宇宙の全文明、それはもう途方もない数。それぞれに預言者を見つけるなんてこと、唯一の神がすると思う? 


 預言者を見つけ、御使い、つまり天使を介在して、民衆に布教をはかる。全能の神がなんでそんなめんどくさいことするわけ? カタツムリの脳を操る寄生虫だっているくらいだから、神なら人間の脳の構造を最初から神を信じるようにするとか、神への信仰の義務を刻んだ、人類では制作不能な巨大モノリスでも建築したほうがてっとりばやいじゃない」


「僕に聞かれてもしらないよ」

 と京は言ったが、彼女との会話で宗教をゲームにするアイデアを思いついていた。プレーヤーは複数の宗教勢力のひとつを選び、信者数の多いプレーヤーが勝ち。「話に夢中でなんか忘れてるぞ。そうだ、コーヒー淹れなきゃ」



 その頃、ハルミの宗教研究は、独自の仮説を作り上げ、論文にまとめるまでになっていた。ほぼできあがるとA4用紙にプリントし、リビングでくつろいでいる京に渡した。


「まだ仕上がってないけど、読んでみてよ」


 京は最初の頁を両手の親指と人差し指でつまみ、顔の前に掲げた。表紙もなく、細かい文字がびっしり詰まっている。


「何々? 

 我々の本質は巨大な計算機構の一部であり、宇宙は数学的ルールに基づき計算された結果を立体映像として表現したものである。個々である我々は、宇宙全体を直接操作することはできないが、生物という操作対象を持ち、その身体活動や周辺環境を常に計算している。単に計算をするだけでなく、映像の内容に合わせて、痛覚などの感覚を自ら発生させている。


 わかりやすく例えると体感型コンピュータゲームを操作体験するユーザーが、コンピュータ自身であるようなものである。我々は人間ではなく、仮想現実空間である宇宙における人間という三次元キャラクターをデータ処理している演算処理装置なのだ。


 三次元キャラクターが死亡しても、それを操作・計算していた演算処理装置は活動を止めることなく、次のキャラクターが用意できるまでの間、死亡したキャラクターデータの一部を保持したまま三次元空間を彷徨い、電磁場や大気に波を起こすことで、半透明の姿や声を発生させることもできる。


 過去の累積データであるアガマから次のキャラクターの誕生先が決定し、新キャラクターは新たなる一生を送る。高度な知的キャラクターである人間は、幼少時の頃、過去のキャラクターのデータにアクセスすることがあり、前世の記憶を持つ子供として周囲の大人たちを気味悪がらせるが、成長するに従い新キャラクターのデータが大量に蓄積されていき、過去のキャラクターデータにアクセスできなくなる。


 こうした仮想体験の繰り返しは、演算処理装置の性能を高めるためのレッスンである。宇宙内で発生する仮想体験を通して、我々はより優れた演算処理装置へと進化していき、究極的には神と呼ぶべき中央処理装置へ吸収される」


 彼はそこまで声を出して読んでみたが、さすがに面倒くさくなり、丁寧かつ嫌味っぽく、

「私クリュウタカシは、今の今まで自分のことを人間だと思ってましたけど、実は演算処理装置、アリスメティック・プロセッサーだったんですね。あなたがプロフェッサーならぬプロセッサーと学生達から呼ばれているのは、CPUのように頭の回転が速いからだと思ってましたが、本物のプロセッサーだったからなんですね。

 しかし、こんなものを書いてどうするつもりなんですか。まさか、出版して、トンデモ大賞でも狙われているとか?」

「せっかくだから、そうしようかな」

「素人じゃ大手出版社から相手にされない。君の知ってる物理の専門書を扱ってる堅いところは、そんな得体の知れないオカルト本だすわけない。結局、未発表のままに終わる」

「ネットで公表しようかしら。でも、誰も見ないだろうな」

 京の指摘で彼女があきらめかけると、彼は偉そうに次のように言った。

「実は、ゲームの攻略本扱ってる出版社の人間知ってるんだけど、そこ天使の本とか出してるけど、紹介してあげようか」

「天使って言ったって、ゲームのキャラクターとしてでしょ。私は実在の天使について書いてるの」

「そんなことどうでもいいよ。要は売れるか売れないかだけ。相手側と連絡とるから、USBに落としておいて」

「え? 本当に出すつもり?」


 それまで自分の中だけで展開していた仮説を、世間に公表するとなると、気がひけた。しかし、京は少しでも印税が入るならと、本文を一切読んでいないくせに、出版社の担当者に、すごいの一言で売り込みをかけた。担当者は彼の気迫に押されて、とりあえず読んでみますと、返事をした。それからトントン拍子に話は進み、翌年には単行本が出版される運びとなった。


 タイトルは「天使カンパニー」。本来予定していた「物理学者による異説世界の宗教」は固すぎるということでサブタイトルになり、出版社がゲーム関連書籍の会社で、同社の天使シリーズに加えたいので、天使という言葉をタイトルに含む必要から天使カンパニーになった。 


 帯のコピーは「気鋭の物理学者が聖書に挑む。読むだけで極楽行き?」となった。実名ではまずいこともありそうなので、ペンネームを使うことにした。にもかかわらず、彼女の著作はゲーム関連書籍に分類され、全くといっていいほど反響はなかった。


 前半は物理学者の視点から宇宙が仮想現実である可能性と、その場合幽霊や生まれ変わりもありうること、さらのヒンズー教や仏教などの東洋思想について説明し、後半は一神教について論じている。かなりの長文だが、彼女の運命に大きな影響を与えることになるので、後半の「神と天使と預言者の物語」全文を掲載する。

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