1-2 聖書はミステリー(2)

 彼女は意識を取り戻してから、しばらくして退院した。日常生活には特に支障はなかったが、後遺症の心配がないわけではない。その不安に加えて、事故直後の神秘体験が、彼女の関心を死後の世界に向けた。


 退院してすぐのこと、彼女はリビングの窓際に立った。大きな窓には家具店で購入した白いロールスクリーンがとりつけてある。彼女は紐を引き、下まで降ろし、スクリーンのすぐ前に顔を近づけた。視界は白一色になった。紐を引き、徐々に上げていくと、下から外の景色が現れる。


 事故直後、この逆の現象が起きた。下から景色が消えていき、白無地の世界が現れた。しばらくして、そこに走馬燈が表示された。脳が描き出した幻想なのか、あるいは、今この現実だと思っている世界のほうが幻想なのか。

 死を目前にしたことで、現実という幻想が破れ、それを描き出している真実の世界、プラトンのいうイデア、プログラムやデータの領域にアクセスできたのではないだろうか。


 宗教関連の書籍も読みあさった。人間は死ぬとどうなるかといった一般的なものから始まり、仏教、仏教に多大な影響を与えたウパニシャッド哲学。新約聖書に旧約聖書。そしてイスラム教のクルアーン(コーラン)。クルアーンは本来アラビア語で読むべきだが、アラビア語ができないので、英訳と和訳に頼った。


 あまたの思想のなかで彼女が注目したのは、グノーシス主義だった。地中海地方で大きな影響力をもったグノーシス思想は、霊肉二元論を説き、元を辿ればプラトンにまで遡る。それがキリスト教に取り込まれ、正当派から異端とみなされ、その書物は焚書の憂き目に遭うが、1945年に壺に隠されていた大量の関連文書がエジプトのナグ・ハマディで発見された。


 グノーシス派では、この物質からなる世界は悪で、それを作り出した創造主ヤハウェは無知で傲慢な神とされ、イエスはその秘密を授けるために地上に現れたとされる。たしかに聖書の神ヤハウェは、自らをねたむ神と表現し、横柄で傲慢に思える。その神を無抵抗主義のイエスが天の父と呼んだのはなぜだろう。


 ナグ・ハマディの発見から間もなく、死海の付近で死海文書が見つかった。分析の結果、紀元前二世紀から紀元一世紀頃のものとわかった。聖書の写本は古くなると廃棄される仕組みがあり、これはその手続きを経ておらず、最古の写本である。

 そこから浮かび上がるクムラン教団の存在は、イエスが師である洗礼者ヨハネを通じて、この謎の教団から影響を受けていることを示唆した。たしかに、三十歳まで大工をしていたイエスが、洗礼を受けた途端、宣教の旅に出るというのはおかしく思える。


 物理学者である彼女は霊についても、なんとか説明をつけようとしていた。 


 もともとこの宇宙を仮想現実だと想定しているハルミは、幽霊も生きている存在も、本体は別の次元に存在していて、生者は細胞から成り立つ肉体から五感が、死者は幻の体から視覚や聴覚などが送られてきて、3Dゲームのキャラクターのように、仮想空間での肉体や幽体を自分自身と思いこんでいると考えた。あの体験が、それを彼女に確信させた。


 ヒンズー教の聖典バガバッド・ギーター13章35節でも、

「肉体と肉体の所有者の違いを知る者は、肉体による束縛からの解放プロセスを理解でき、究極のゴールに到達するだろう」とある。

 しかし、いくら仮想空間といえど、そこで定められた物理法則の範囲内で説明をつけなければいけない。


 ある調査では、幽霊屋敷で異常な電磁場が計測されたことがある。幽霊が一種の電磁場だとすると、そこに電荷があるため、陽子や電子などの素粒子が存在しているはずである。当然、それらを拡散させずにひきとめる力が存在することになるが、肉体のない状態でそのような力が存在するとは考えられず、幽霊の存在は物理的に説明がつかなかった。

 幽霊に声や姿があるということは、光や音としての性質を持っていることになる。音は空気中を伝わる波。光の正体は、波と粒子双方の性質を持つ光子であるから、幽霊は物理的な特性を備えていることになる。


 科学的には定説とされていないが、実験の結果が観測をするという行為によって左右されることがあることから、量子力学の世界では、意識と量子には関係があるとする意思説というものがある。

 生物学的元素転換と呼ばれる、生物の内部で元素の種類が変化するという現象などは、観察例が報告されているが、科学的には疑われている。これも遡れば中世の錬金術が生み出した概念である。

 それほど意識の力は強いのかもしれない。重力などの力ではなく、意識が電子や光子などの量子をつなぎとめている。幽霊の正体は、肉体を持たない魂が操作する光と音。この宇宙自体が、魂の集合体や神が操作するヴァーチャル空間なら、意思が量子をコントロールしたっていいだろうという考えで、ハルミは妥協することにした。


 今日のスーパーコンピュータは、複数のプロセッサから構成され、計算の負荷を分散している。人間の無意識はそのひとつのプロセッサのようなもので、自分と自分に関連する事象をプログラムのルールに従い計算し、仮想現実世界に反映させる。肉体を失った人間の無意識も、計算を続け、存在しない肉体のイメージを仮想現実世界に投影させる。


 幽霊は、自分の体だと思っている姿や自分の声を無意識でイメージしている。そのイメージが光や音となって、現実世界に反映する。イメージの強さの違いで、もやのような薄いものだったり、はっきり人の姿をとったものまである。イメージの強さとは、描画システムに渡すデータ量の程度である。


 自分の姿だけではない。本来そこにありえないものまで、イメージを投影できる。幽霊の声を聴いたなどという心霊体験から、幽霊は映像だけではなく、音声も作り出すことができると考えられる。音は空気の振動だから、局所的な風を起こすこともできそうだ。幽霊屋敷でドアが独りでに開くのはそういう理由による。風の吹く範囲を狭くし、風力を強めれば、ドアをノックすることもできそうだ。


 本来それは幽霊だけのものではない。生きている存在も同じように自分の姿を無意識のうちにイメージしている。幽霊と違うのは、いろいろとルールがあって、そのルールの範囲内でしかイメージを投影できない。

 たとえて言うと、人間や他の生き物は粘土細工の表面に絵の具を塗った状態で、幽霊はそこから粘土を取り去った状態だ。イメージ投影といっても、画家がクレバスに絵を描くようなものではなく、三次元の計算をしなければならない。

 特に生きている存在は、細胞や各器官など自分の肉体に関する膨大な計算が必要となる。計算能力が同じなら、肉体に関する計算負荷のない幽霊のほうが余力があり、それがイメージ投影能力の差につながっている。


 ただし、生きている人間も特殊な修行を積めば、奇跡と呼べる能力を身につけることができる。幻術使いと呼ばれる存在がそうだ。

 日本にも安土桃山時代に果心居士と呼ばれる幻術使いがいた。信長、秀吉、家康の前で幻術を見せたと伝えられている。葉を魚に変え、亡くなった女性を出現させ、能がよく見えるように顔を長く伸ばし、姿を消すこともできたという。


 これら幻術は、マジックの一種と考えられているが、ハルミは、ホログラムのように光を操った結果だと考えた。生きている人間でさえ、修行を積めばこれだけのことができるのなら、幽霊が人の一生を超える年月、修行に明け暮れれば、とんでもないことができるに違いない。


 生物が進化したのもこうなりたいというイメージが反映したものだ。もちろん自分の姿ではなく、あるもの全てがイメージが形をとったものだ。そこにそれがあると、みんなで思っているからそこにある。


 この宇宙だって、実体はイメージ。あの巨大なゼリーの塊の中に出現した無数の球たちが集団で、そこにそれがあるとイメージしたものが宇宙。神が設計したルールのもと、光速でイメージを投影する。イメージの反映速度が光速。コンピュータゲームの世界でいうと、GPUの最高描画速度に相当する。だからこの宇宙では光速より速いものは存在しない。


 初期の宇宙は生物がまだ誕生していない。幻想としての宇宙に、大気や水などの条件が整った状態になって、生命は誕生する。球として表現されていた生命は、全体である巨塊ゼリーから分離独立したもの。命を持つ生物だ。あのどこまでも続くゼリーは神なのだ。


 バガバッド・ギーター四章三十五節。

「すべての生き物は至高なる神の一部であり、神の内に存在し、神が所有する」


 感覚と思考のある個々の魂は、独立後も宇宙の描画に協力する。宇宙を誕生させたのは神だが、神から分化した生物の個は、自分のあるべき姿と環境を思い描き、ルールの範囲内でそれは実現する。思考は現実化するというニューソートの根拠もここ。引き寄せの法則だってそう。当然、人間も、ルールの範囲内で、失敗を思い描くと失敗の可能性が高まり、成功を思い描くと成功の可能性が高まる。


 魂の本質は、コンピュータのプロセッサーに自意識と感覚を持たせたようなもの。魂が個で、神が全体。ということは、神とは無限に広がる巨大な脳のような存在なのか。


 無限の計算能力を持つ神とは異なり、個には計算能力の限界が存在する。コンピュータのCPUやGPUに性能差があるように、個である生物も微生物のような能力の低いものから、人間のような高性能なものまである。

 生物がコンピュータと違うのは、自ら進化していくことだ。進化とは環境適応のことだ。生物の進化には環境が必要だ。生物を進化させる環境とは宇宙のことだ。魂の進化には、仮想現実である宇宙が必要だ。だから神から魂が分離する前に、宇宙がシュミレートされ生成される。


 肉体の進化は同じ個体では進まない。子孫が誕生することでしか、進化できない。だから、生物の個体は老いて死ななければならない。しかし、死んだままで復活しなければ無意味だ。そのための輪廻転生がルールとして決められた。

 さらに、欲の深い魂に他の魂が破壊されないように、カルマの法則(自分のしたことは、やがて自分に返ってくるというルール)が設定された。こうして全体から別れた時点では、低性能だった個である魂は、高性能へと成長してゆく。


 個に分離され、さらに仮想現実空間環境へ適応し、計算能力が高まる。だから神は自分の一部を分離独立させた。計算能力、それはつまり計算のためのエネルギー。二進数計算のためのオン。分離した生命は、データのやりとりで神にそのエネルギーを供給していく。

 そして、これ以上成長できなくなると、崩壊し、神に全エネルギーを渡す。神は自らの維持向上のために、一部を独立させ、生命としたのだ。これは、自分の体を切り取って、家畜のように成長させ、成長した時点で食べてしまうのと同じではないか。神は自らの利得のために、宇宙と魂を創造していたのだ。なんと残酷で夢のない話なんだろう。


 ハルミは聖書の謎にもチャレンジした。これほど多くの人に読まれている書物はないが、いかなる天才も一貫した納得のいく解釈を導き出せていない。


 彼女を悩ませたのは神の変貌だ。神は六日で世界を創造し、人類の祖先アダムを造り、遠い子孫のノアに箱舟を作るよう指示し、そのまた子孫のアブラハムに全能の神だと名乗った。アブラハムの子供イサクにはアブラハムの神だと名乗り、アブラハムの孫ヤコブには、アブラハム、イサクの神だと名乗った。ヤコブの遠い子孫モーセにはアブラハム、イサク、ヤコブの神と名乗るも、モーセが名前を聞いたので、「私はある(エヘイェ)」という謎めいた答えを出した。

 次にモーセと会ったときには、「ヤハウェ」と名乗った。その後、十戒で神は唯一であり、その名を唱えてはいけないと知らしめた。それで今ではヤハウェのことを主と呼ぶ。

 宇宙の創造主なのに個人の神のようで、名前まであって、それが途中で変わっているのは何故?


 神には残虐な一面がある。出エジプトでは、カナンに向かうイスラエルの民を追うエジプト軍は左右に割れた海に飲み込まれるが、神はエジプト軍が追うようにし向けていた。

 モーセをカナンの手前で死ぬまで足止めした神は、後継者ヨシュアをカナンに攻め込ませ、そこにもとから住んでいた住人を皆殺しにさせた。イスラエルに敵対する民族に対して家畜に至るまで皆殺し(聖絶)をするように命じ、その指令に逆らったサウル王は退けられた。

 サウル王以降は聖絶令は途絶え、イエスの時代になると、慈愛に満ちた天の父とされた。さらに、以前はヤコブの子孫イスラエルを選民とし、敵対する部族を容赦なく滅ぼしていったくせに、イスラエル人と異邦人の区別をやめた。


 ヤハウェはイスラム教のアラーでもあるが、預言者ムハンマドはアラーを異様に畏れた。神は、出エジプトからソロモン王の全盛期くらいまでは周辺諸族との戦いを単純に命じていただけなのに、バビロン捕囚の頃から高度な世界戦略を持つようになる。

 それが、ムハンマドの時代になると、多神教徒との戦いをただ鼓舞するだけに戻った。百三十七億年前に宇宙を創造した神が、たかだか数千年の間に性質まで変わるものなのか。


 まもなく夏休みというある日のこと。ハルミは自宅に着くと夕食をパンですませ、すぐにパソコンの前に向かった。聖書の冒頭である創世記の研究だ。創世記は天地創造から始まり、アダムとイブ、ノアの箱舟、バベルの塔など、古代の神話としか思えない内容が続く。彼女は、これらはやはり神話の域を出ないと判断していた。


 本題はその後だ。一神教はアブラハムの宗教ともいう。ノアの子孫で、今のイラクにあるユーフラテス川下流域のウルに住んでいたアブラハムは、カナンの地(今のパレスチナ)に向かうよう神から告げられる。


 エゼキエル書やヨハネ黙示録などの後世の預言者には、この世のものとは思えない神秘的な光景を目撃し、長々とした訳のわからない言葉を告げられた者が大勢いるが、このときアブラハムは神の声を聞いただけだ。内容もごく単純で、約束の地カナンに向かうことと、神がアブラハムを祝福するという二点のみだ。


 彼女は、この単純きわまりない話をどう解釈すべきか、キリスト教徒の個人ブログをいくつか参考にした。すると、アブラハムの啓示の場所がウルではなくハランという意見もあることがわかった。

 詳しく調べると、ハランのほうが正解のようだ。ウルからユーフラテス側沿いにおよそ千キロ北西に進むとハランで、ハランから南西に七百キロの位置にカナンがある。ハランで父親が亡くなったとあるので、高齢の父の体調が原因で、アブラハムは途中のハランでしばらく暮らしていたようだ。

 では、どうして啓示の場所がウルと誤解されているかというと、神自らアブラハムをウルから導いたと語っているからだ。


 ――啓示の場所はハラン。だけど、神が導いた場所はウル。どういうこと?


 彼女は聖書を手にとり、創世記に目を通した。長いので今日は前半部のみ。半分だけ読むと、また最初から読み直す。二回、三回。そして、四回目。視線がある行で止まった。そこはこれまで何度も目にしていたが、何気なく読み過ごしてきた箇所だった。


 数秒間、時が止まったように、彼女は息をとめ、瞬きすらしなかった。それから大きく息を吐いた。


「神はいた、本当に神はいたんだ……アインシュタインは間違っていた。聖書は単なる空想物語じゃなくて、本当のことだった。だから、何十億冊も発行されてたんだ。あ~大変。私、神の正体に気づいちゃった……」

 と、興奮のあまり独り言を口走った。


 聖書は二千以上の言語に翻訳され、総発行部数は六十億冊以上と推定されている。それだけ普及しているが、科学者には受け入れがたく、アインシュタインは単純で子供のような聖書の人格神ヤハウェに疑問を抱き、古代の迷信として片づけた。だが、唯一神ヤハウェは確かに実在したのだ。


「人類はこんな簡単なことに何千年も気づかなかった。気づいた人もいたかもしれないけど、口にすることすらできなかった。どうしよう。このこと発表していいのかな……」

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