1-1 宇宙はコンピューターゲーム(4)
「栗生さん、栗生さん」
そう呼びかける声がする。
「栗生さん、気がつかれましたか?」
目を開いた。
女性看護師が自分の顔をのぞき込んでいる。病室はICUではないようだ。麻酔が効いている可能性があるが、体の痛みも特にはない。
「ここは?」
と、ハルミは病室とわかっているのに尋ねた。
「病院です。安心してください。すぐに、先生、呼びますから」
看護師がそう言っているのに、ハルミは「あー」と声を出してしまった。命が助かったという安堵も感じる暇もなく、重大な過失に気づき、パニックに陥ったのだ。
――しまった。自分の前世見るの忘れてた。わけのわからない生物の一生なんか見ている場合じゃなかった――
彼女は、悔しそうに目を閉じた。
「どうされました?」
看護師も異常に気づいた。
――どうしよう。もう一度見る方法はないのかしら――
「栗生さん。大丈夫ですか。しっかりしてください」
という看護師の声が小さくなっていく。
彼女の願いが天に届いたのか、地の底に引きずりこまれるようなめまいが起こり、また意識が遠のいた。
二度目の走馬燈が流れた。
続きからではない。生まれたときからのダイジェストだが、前回と内容が違う。赤ん坊がひとりでおもちゃで遊んでいる。
子供の頃いた町。祖母に手を引かれながら、おもちゃを買いに、商店街を歩いていく。小学生になった。テレビゲームをしている。前回は学業がメインだったが、今度は遊び中心で編集されているようだ。
勉強ができた彼女だが、学生時代、友人が少なかった。そのうえ、異性とはまるで縁がなかった。一度、メガネが壊れたときがあり、近眼のまま出校した。
廊下でクラスメートの男子二人が、彼女について会話をしている。
「あれ、誰?」
「海藤」
「意外と美人」
「付き合えば?」
「ばかいえ、あんなブス」
そう拒否したほうの男子は翌日、彼女に「コンタクトにすれば?」と勧めてきた。
「経済的じゃないから」とハルミは断った。
――そんなどうでもいいこと、走馬燈に入れないでよ。これが私の人生の重大事っていうの。たしかに人の半分くらいしか生きてないけど、その程度の人生だったってわけ?
ハルミは、いるかどうかわからない走馬燈の編集者に文句を言いたくなった。
大学のサークル活動。鉄道研究会。その名の通り、鉄道研究が主な活動だが、旅行もできて、気晴らしにはもってこいだ。
その頃、京とはさほどの仲でもなかった。あることがきっかけで親しくなる。彼女がサークルでとある駅にいたとき、そこに到着した列車から京が降りてきたのだ。単なる偶然と彼は言っていたが、確率的にほとんどありえず、彼女がそこに行くことを事前に調べたはずだ。
ちょうどそのシーン。じっくり味わいたいので、モードを通常時間再生に切り替える。
過去の二人が会話しているとき、現在の彼女はさきほど球を選択し犬や昆虫の走馬燈を見たことを思い出し、走馬燈の画面からでも、人物や生き物を選択できるのではと思い、映像を一時停止し、京にダブルタップしてみた。
予想通り彼の身体が明滅している。そこで走馬燈再生ボタンを押した。映像が動き出した。きっと彼の走馬燈のはずだが、彼女と一緒にいたシーンからなので、はっきりとした変化はすぐには起こらなかった。
二人の会話が終わると、京に切り替わっているのが判明した。出会いの真相をたしかめるべく、時間を少し前に遡る。
京が列車の座席で眠っているシーン。
彼は、はっと目を覚まし、驚いている。車窓の光景を見て、
「ここ、どこだよ?」と慌てている。
「もしかして会津線? しまった、浅草で飲み過ぎて、変な電車に乗っちゃったよ。次で降りる」
と、まだ少し酔った風情で独り言をつぶやいた。
――ありえない。どれだけ酔っぱらえば、会津まで行くことになるの――
彼が次の駅で降りると、大学の鉄道サークルのなかに、未来の妻の姿をとらえた。
「あれ、海藤」
出会いは彼の言うとおり、全くの偶然だった。
答えがわかったので、また自分を選択し、続きを見る。
リメイク版の走馬燈も、我がことなので、どんな映画より興味深いが、最後まで観てしまうと、そのままあの世に行くか、また病室に戻ってしまうようなので、彼女は結婚した時点で走馬燈を見るのをやめ、過去生一覧画面のボタンを押した。
彼女の左にいた白人女性の人生を見てみるのだ。しかし、表示されている十人より古い過去の姿が気になり、少し覗いて見ることにした。いつ頃から原始人になるのか興味があったが、その遙か手前で中国の皇帝のような厳かな人物を見つけ、選択してしまった。
走馬燈が流れる。BGM欄を見ると、曲数は少なく、漢字ばかりだ。試しに適当に選曲してみた。ゆったりとした二胡の音色が映画のBGMのように流れ、エンペラーの人生が始まった。
ほんの二、三歳の子供が大勢の従者にかしづかれ、わがままし放題。人々の話す言葉は今の中国語である北京語のイントネーションと違うようだ。
子供の頃から贅沢三昧。青年になる頃には、父王の死去により、即位したようだ。
宴会の席。ものすごい数の料理が並んでいる。同じ味覚を味わうため、六番目のボタンを押して進行を通常速度に変え、映像上の人物に成りきる五番目のボタンを押す。
皇帝の味覚を彼女も味わった。味付けは濃く、日本で食べる中華料理と違う。
この皇帝がどの地方の人物か知るため、画面を縮小した。宮殿が映し出された。さらに縮小。海が出てきたので、上空から見ようと映像を動かし、それがうまくいかず、元の位置から大きくずれ、どの地方かわからなくなった。そのことはあきらめ、縮小を続け、地球全体が表示された。
――よし、このまま地球を出て、今度は宇宙旅行といきましょう――
地球はどんどん小さくなり、ほとんどわからなくなり、太陽系全体程度が画面に収まるまで縮小は進んだ。それから銀河系、無数の銀河系。そこで縮小を止めた。
適当に選んだどこかの星雲が中心に来るように位置を調整する。今度は拡大してみる。どこかの恒星付近で惑星を探してみる。拡大していく。さすがに文明はないようだ。
今、彼女は望遠鏡を使わずに、宇宙を自在に観測している。それから彼女は我を忘れ、自分が死んだことすら忘れ、かなりの時間、拡大縮小移動を駆使し、疑似宇宙旅行を楽しんだ。
望遠鏡で見た姿が本当の宇宙ではなかった。夜空の星は光の粒にすぎないが、接近するとそのスケールの大きさに圧倒される。どの天体も地球と同じように個性があり、それぞれが多様性に満ちた世界だった。
限りなく縮小を続ければ、宇宙を外から見た映像も見ることができる可能性があると思い、試してみた。画面が黒くなっただけで、そこが宇宙の中なのか、宇宙の外なのか判断できなかった。
一旦、位置を大きく移動させてしまったのだから、このまま拡大しても元の自分の走馬燈に戻ることはできない。銀河系を遠く離れてしまい、地球すら見つけだすことは不可能だ。拡大を続けると、宇宙空間が表示された。画面が真っ黒になるまで縮小し、その状態で移動したので、他の宇宙かもしれない。
それから彼女は時間を忘れ、宇宙観察に夢中になった。どんな天文学者もみたことのない宇宙の様々な景観を堪能した。
――宇宙がいくら広くて綺麗でも所詮は仮想現実。あのゼリーのようなところに球が浮いてた映像こそ、仮想現実ではない本物の世界。ただし、実際には物理的な姿はなくて、その働きをわかりやすいようにモデル化したものだと思える。
全体としては無限の計算能力を持つ神、球のひとつひとつが神から分離した生命。どちらも二進数の計算をしている。なぜ、生命が登場したかというと、生命が仮想現実に参加することで、活動が活発化し、光が作られるから。
球以外の部分は刺激がなくぼうっとしているだけだから、球より暗かった。光は二進数のオン。計算につかうエネルギー。生命が仮想現実に反応し、計算を活発化し、二進数のオンとなる光を生産し、限界まで成長すると、それを超新星爆発みたいに拡散する。それで全体が維持されている。
つまり、神も生命も本質は二進数のコンピュータ。それはそうと、このままずっとこの状態、永遠の宇宙観測なの?
状況を変えようと、彼女は声を出した。映像に変化はない。
――さすがにまずい。ゲームをやめられない状態。終わりのない無限地獄――
いいしれぬ不安と恐怖に駆られると、気が遠くなってきた。
気がつくとまた病室だった。しかし、何か変だ。なぜなら彼女はベッドの上の自分を見下ろしているからだ。幽体離脱?
京がいる。ほとんど無表情で、ベッド脇に立ち、彼女の顔を眺めている。彼女は彼の前、つまりベッドの上に移動したが、彼は気づかない。見えないようだ。幽霊にもいろいろあるようで、人に姿を見せることができるタイプのすごさを思い知った。
何故、京は無表情なのだろう。悲しくないのだろうか。ショックが大きすぎて、無反応になっているのだろう。
彼女は、ベッドから降りて、彼の右側に立った。
姿を見せるのは無理でも、声なら届くかも。声を出すには、空気を振動させて波を起こせばいい。たぶん、耳の近くで大声を出してようやく、気づいてくれる程度だろう。そう思ったが、彼女はその場から普通に彼に話しかけた。
「京……」
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