75 色水タレント
天王寺
彼女は遅刻を繰り返す男子生徒と口論になり、暴行事件を起こした。生徒会長の鳴子がこれを行き過ぎた風紀委員会の行動と非難。結果、風紀委員会は取り潰しとなった。──これが表向きの話。
俺の伝え聞いた話では、もう少し込み入っている。
男子生徒は遅刻だけでなく、他にも多くの校則違反をしていたらしい。昼休みに学校から出て飲食をしたり、合鍵を作って屋上を溜まり場にしたりと、素行不良の目立つ生徒だった。喫煙と飲酒の疑いもあった。
正義感の強い天王寺彩葉は男子生徒を幾度となく注意した。彼女は素行不良の証拠をつかむのではなく、男子生徒の更生を願った。が、その天王寺彩葉の行動は男子生徒をイラつかせる。
注意のたび、男子生徒は天王寺彩葉を挑発し、侮辱した。とくに彼女の身体的特徴について。
男子生徒の詳しい発言内容までは分からなかったが、本人にこうして会ったことですぐにわかった。──控えめに言って。とても豊かな胸をしている。
「どうも、柴田獅子虎です」
俺はなるべくそれを見ないよう視線を上げて、まじめな顔で天王寺彩葉にあいさつをした。エレクトラいわく、女性は自分の胸をチラ見している男の視線に気づいているらしいので、気を付けないとな。
「来ていただいてありがとうございます」
「君島君から誘われてお邪魔しました。お話というのは?」
君島というのは
「僕が生徒会長になったあかつきには、風紀委員会を復活させたいと考えています」
「そうですか」
天王寺綾葉はうなづいた。
……あれ、それだけ?
なんか乗り気じゃない?
「鳴子会長のやったことは、不当だと思います。それに現在の生徒会では、明らかに風紀委員会のやっていた仕事をカバーしきれていないと思うんですよ」
「とても理知的な判断だと思います。ぜひ頑張ってください」
天王寺綾葉は折り目正しく頭を下げる。それ以上、何を言うでもなかった。
「いや、あのですね……天王寺さんはどう思いますか?」
俺が少し動転して尋ねると、天王寺綾葉は言葉を選ぶように答えた。
「いま申し上げたように、理知的な判断だと思います。あなたが生徒会長に就任されれば、学校生活もより良くなるでしょう」
おいおい。
まるで他人事じゃないか。
それとも俺が良くない印象でも与えてしまったんだろうか。もしかして、無意識に胸を見てたのか? いや、そんなはずはない。なにせエレクトラには俺がおかしな行動をしないよう、いい印象を与えるように、横で見てもらっているわけだし。
「はぁ……炭水化物と油の組み合わせは、なぜこんなにも完璧なのでしょう」
エレクトラが幸せそうな顔で料理部の自家製ポテチをつまんでいる。こっち見ちゃいねえ。
おまえ、仕事しろよ!
「天王寺さんは──風紀委員会の復活に否定的なんですか?」
「否定などしていませんが」
至って真面目な顔で答える天王寺彩葉。
きっちり結んだポニーテールにしわ一つない制服は、清廉潔白そのものだ。もちろん、上履きのかかとは踏み跡なんてない。
「僕、なにかおかしなことを言いましたか?」
「いいえ。私こそ、なにかおかしなことを言いましたか?」
「おかしなことってわけではなくてですね……あまりにも他人事のように話されるので」
「ああ──」
ようやく合点がいったという顔をした後、天王寺彩葉は眉根にしわを寄せて、横で黙って成り行きを見守っていた
「君島、私はこういうのが好きではないと知っているだろう」
これまでとはうって変わって、冷たく相手を切るような話し方。
その豹変ぶりに、俺は驚いた。
もしかしてこちらが天王寺彩葉の本性か。
「騙したな」
「騙しちゃった」
君島先輩がてへぺろをする。
うわー、ひっでえ。
「お前……」
怒りが爆発するかと思って俺はビクビクしたが、天王寺彩葉は目を閉じるとため息をついた。
「柴田君、悪いけれど私はあなたに協力するつもりはない」
「なぜです? 風紀委員会を潰したのは、どう見ても鳴子会長のイチャモンですよ。元に戻したほうが──」
「否定はしない。けれど、私が協力するのは違う」
「いや、天王寺さんは当事者じゃないですか」
「ああ、たしかに」
天王寺彩葉はさらに厳しい顔つきをして、俺の目を見つめた。
「潰してしまった当事者だ」
そうか。
天王寺彩葉は自責の念にとらわれていたのだ。
真面目すぎて、暴行事件を起こしてしまった自分が許せない。そして生徒会の介入を許してしまったのが、ほかでもない風紀委員長だった自分なのだ。
「私に風紀委員会を語る資格はない」
自分を断罪するような、底寒い声。
真面目というか、潔癖というか、他人にも自分にも甘えを許さない人なのだろう。まあ、だからこそこっちに引き込みたいんだが。
「失礼します」
天王寺彩葉が頭を下げるのを見ながら、俺はどうしたものかと考えた。ここはいったん引いて、後日なにか手を考えるってのがよさそうだな……。
「天王寺はナルシストだからなあ」
そんなタイミングで、君島先輩が腕組みしてしみじみと言った。
いや、ちょっと何言ってんの、この人!?
いきなり爆弾落とすんじゃねえよ!
「……」
天王寺彩葉がゆらりと下げた頭を戻し、君島先輩をねめつける。言い漏らしたが、彼女は女子生徒にしては身長が高い。170センチ以上あるだろう。まあつまり胸がというより、全体的に発育がいいのだ。
「……誰がナルシストやと?」
さっきまでの上品な言葉遣いと物腰からは想像できない、三白眼に関西弁、傾いて覗き込むような顔。これ、完全にガン垂れてるよね?
天王寺先輩。自分、怖いっす。めちゃ怖いっす。
「ナルシストじゃん」
ずばっと切り返す君島先輩。それは勇気じゃなくて、蛮勇だよ!
「……自分、ええ加減にせえよ。あたしがこういうのん嫌いやて知っとるくせに、ウソ吐いて連れてきさらして、なんや、その言いぐさ」
「自分は悪い子だとか、自分は失格だとか、露悪趣味の自己陶酔だよね」
「なんやと!」
「あー、やめましょう! 良くないですよ、そういうのは。ねっ? ねっ?」
これ以上怒らせるのはまずいって。
──天王寺彩葉は素行の悪い男子生徒を平手打ちした。3往復も。
居合わせた生徒によると、あっという間の出来事だったらしい。彼女が男子生徒の髪を掴むに及んでようやっと周囲が制止した。たぶん、顔面にでも膝蹴り叩き込むつもりだったんだろう……。おっかねえ。
俺は最近までこの学校のお上品さだけは、気に入っていた。鼻につくことはあるが、明らかな不良なんてものはいないし、いたって健全な生徒がほとんどだからだ。しかし、俺が知らないだけで、猛獣はあちこちにいたわけだ。
ともあれ。
6発もビンタを食らった男子生徒の頬は真っ赤に腫れ上がり、暴行の決定的な証拠になった。
「僕は天王寺さんの力を借りたいんですよ」
「お断りします。あなたは私の元風紀委員長という肩書を利用したいだけでしょう。鳴子のやったことと、何の違いがあるんですか?」
何の違いもないな。
天王寺彩葉がただの3年生なら用はない。
「そういうとこが、ナルシストなんだよなぁ」
またあ!
そんなビンタされたいの、君島先輩?
「自分が自分がばっかりで逃げるのかい、天王寺」
「……」
自制心を取り戻したのか、天王寺彩葉は黙って受け流す。
「君の言っていた責任って、そんなものじゃないだろ」
君島先輩のその言葉には、二人だけに分かる意味があるんだろうが、天王寺彩葉はなにも答えず家庭科室を出て行った。
天王寺彩葉が暴力を振るったのは確かだ。
しかし男子生徒のやったことは、彼女を怒らせるのに十分だった。
その日、男子生徒は注意してきた天王寺彩葉をいつものごとく挑発し、さらに性的な発言をした。執拗に。周りに聞こえるよう、大声で。
天王寺彩葉は侮辱に耐えた。これまで耐えてきた。
男子生徒の思惑が分かっていたからだ。それに彼女の「男子生徒を改心させる」という想いの前では、さほど重要なことでもなかった。
だが、男子生徒の悪意ある行動はそれだけで終わらなかった。
わざわざ隠し持っていた水鉄砲で、彼女の胸を撃ったのだ。赤いインク入りの水で。
生真面目な天王寺彩葉には、堪えただろう────それは彼女の信念を侮辱するものだからだ。
「制服」という自分が守っているものの象徴を汚され、天王寺彩葉の感情は決壊した。
「中学時代はもっと素直だったんだけどね」
君島先輩と同じく、天王寺彩葉は内部進学生だ。しかも3年生には大きな影響力がある。なにせ、中学時代に彼女は生徒会長だったからだ。そして次の代で華子が生徒会長になったわけだが。
俺は風紀委員会の復活という名目で天王寺彩葉を引き込み、華子の盤石たる支持層を揺さぶることを考えた。
うまく華子を引き込み、生徒会役員を内部進学生で固めた鳴子は、生徒会長に就任したあと、よりにもよってその内部進学生でもっとも人望のあった天王寺彩葉を攻撃し、風紀委員会を潰してしまった。ひどい裏切りだ。
華子の影響力を弱めるためだろうが、もしかしたら自分のあとを継ぐことになる華子への迷惑な置き土産だったのかもしれない。俺は、その鳴子の残した毒を使わせてもらおうと思ったのだ。
「ま、あのまま逃げてしまうやつじゃないよ」
君島先輩が肩をすくめて笑った。
「ぶん殴られても知りませんよ……」
天王寺彩葉と入れ替わりに、騒がしい一団が家庭科室に入ってきた。1年生の水川
「みなさん、注目願いまーすっ!」
水川たちが言った。さすがチアリーディング部。よく通る声だ。
きゃっきゃと1年生たちが黒板の前に並ぶ。
めいめいが、やたらでかい紙の巻物を抱えていた。
それを協力して、広げていく。
「明日から掲示する柴田先輩の選挙ポスターです!」
その言葉を聞いて、家庭科室にそろっている誰もが好奇の眼差しを向けた。
ポスターが開かれるにつれて、みんなの口から感嘆の声が漏れ出す。
────そこには、学ラン姿ではちまきを締める格好の俺がいた。
やたら凛々しい顔つきで、こちらを見つめている。そして荒々しい筆使いの文字で「柴田獅子虎が変える」と書いてあった。
ポスターは1枚だけではない。
さまざまな衣装でポーズを取る俺に合わせたデザインとタイポグラフィのポスターが開かれていき、そのたびに「おぉ」という歓声と拍手が起こった。
まるで自分じゃないような出来栄えだった。作品、と呼ぶべきしろものだ。
「素材がいいから」なんて言葉は、ウソなのかもしれない。腕がよけりゃ、どんな悪材料でも料理してしまえるのが才能だと思い知らされた。
言うまでもなく、それを撮ったのは
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