61 暴(あらび)討伐 前編

 朝。

 俺は遅刻した。

 銀行が開くまで待って、ATMで50万円を引き出したからだ。


「エレクトラ、俺とやまと起点マーカーレベルを教えてくれ」

「……柴田さんが382、和さんは597です」

「お前の神格ゴッドランクは昨日ので43だったよな」

「そうですね」


 エレクトラはまた成長していた。

 もう明らかに見た目は俺より年上だ。

 いまだ身長は俺のほうが高いものの、大人びた顔になって身体つきもグラマラスになった。いまの少女っぽいゴスロリ服が不釣り合いなくらい。


「昼休みに仕掛けるぞ」

「……それでいいんですね?」

「ああ」


 引き出した金とそれまでの分を合わせて150万円ちょっと。そこから土群つちむれ土妖どよう、ウヌキと戦ったときに使った分を差し引いて、いまのお供えパワーは140万弱。

 俺と和のレベル差は縮まっているし、エレクトラのランクも上がった。

 問題なく仕留められるはずだ。


「一つだけ、お願いがあるのですが」

「女神からお願いか」

「昨日のような復讐は、もうやめにしませんか?」

「……それはできない」


 和にも分かってもらえなかった。

 しかし、ただ魔鬼フラクを倒すだけではダメだ。ああいう人間どもを放置しておくわけにはいかないのだ。


「イジメがなくなれば、きっと和さんは自分なりに歩き方を見つけていくはずです。以前のようにはなりませんよ。彼女は変わったんです。それも柴田さんのおかげですよ」

「……」


 それを聞いて慰められながらも、心の底にわだかまりがあった。

 出会ってから俺と過ごすあいだに、和は変わったと思う。

 笑顔が増えて、好きなものに積極的になったこと。

 自分の考えを言うようになったこと。

 それは良いことに違いない。


 しかし本当に変わったのではなく、もともとの性格が表に出てきただけなんじゃないのか。またイジメを受けたりすれば、無口で人を拒絶するような日常に戻ってしまうんじゃないのか。


「──そうでないと、困る」

「えっ?」


 俺は自分のつぶやきに驚いていた。

 困る?

 困るってなんだ?


「……いま俺、おかしなこと言ったな」


 両手で顔をぬぐって、目を閉じる。


「柴田さん、疲れているんですよ」

「……」


 もう二度とかかわらないと誓ったのだから、和が一人でもうまくやっていけるようになるほうがいいに決まってる。普通の高校生らしい毎日を送るべきだ。

 眉村尊という兄さえいなければ、和は違う学校生活を送っていただろう。バニャを見れば分かるように、和には魅力がある。人を惹きつける力がある。いずれ誰もがそれに気づくに違いない。


 それで、なにが困るんだ。

 本来あるべきところへ戻るだけじゃないか。和は和の場所へ。そして俺は俺の場所へ。


「今日はおうちで休養をとって、明日にしませんか?」

「学校休みだろ」

「あ、そうでした」

「週明けから期末テストだし、次の週は生徒会長選挙だ」


 生徒会長の鳴子なるこや華子がああいった態度に出た以上、先延ばしにして事態が好転するとは思えない。尊や西野ミリアだって信用できるわけがない。

 エレクトラまで言い出しているが、それでも俺はイジメに関わった人間を誰も許すつもりはない。どちらにせよ、それはあとのことだ。


「今日、終わらせる」

「……わかりました。やりましょう!」

「頼むぞ」

「任せてください!」


 数日ぶりにエレクトラの笑顔を見た。

 それも俺のせいだ。


「……これが終わったら、お前新しい衣装買って来いよ」

「なんですか、急に」

「いや、なんていうか……」

「ははぁん」

「なんだよ、その勝ち誇った顔」

「いえいえ。たしか、以前に約束しましたよね?」

「約束……?」

「私がナイスバデーになったら、なんでも言うこと聞いてやると」

「は? いつ?」

「柴田さんが露天商のお姉さんと話していて、和さんがヤキモチ焼いて先に行っちゃったときです」

「ああ、そういえば……」


 なんだか随分前の気がするな。


「そんなこと言ったな」

「思い出されました?」

「わかったわかった……。なんか考えとけ」

「ふっふふー。すでに決めているので、家に帰ったら発表いたしますよっ!」

「ろくでもないもんじゃないだろうな」


 俺は苦笑した。



☆★☆★



 昼休み、俺は1年校舎の個室トイレに座った。

 緊急時ならともかく、こちらから仕掛けるのにぶっ倒れる必要はない。現実世界こっちに戻ってくるたび、頭にコブができるし。


「和は教室にいるか?」

「……廊下です。食堂に向かうようですね」

「一人か」

「それが……」


 誰かといるのか。


「……まあいいや。エレクトラ、頼む」

「では、いきます。──拡張オーグメンテーション!!!」


 世界が明滅して、影に沈む。

 俺はトイレから出ると廊下を進んでいく。

 多くの生徒たちが昼食へ向かおうとする姿で停止しているなか、すぐ和を見つけた。


 和はいつものように控えめだが、優しい笑顔を向けている。

 その隣を歩く少年に。


「あいつ……」


 隠された和のスマホを、和が連れていかれた場所を教えてくれた。そして生徒会長選挙の推薦人にされた男子生徒だ。


「なんで……」

「柴田さん! いまはやるべきことをやりましょう」

「……そう、だな」


 和の足元に、黒い染みがあった。

 それは影よりもずっと色濃い。


「出てこいよ。魔鬼バケモノ


 声をかけると、応じるように染みが広がっていく。

 俺はそれを待たずに刀を抜いて、染みに突き立てた。


りぃいいいいいぃいいいいいいいいいいいいい


 染みが盛り上がって、そこから現れた口が叫び声をあげる。


現実世界リアルじゃ、変身するまで相手は待ってくれねえぞ!」


 俺はざくざくと何度も突き刺す。


あたぬきそをまりしこむいてちぬたきはえしもあれこまほかみのおおぉぉぉぉ


 大口を開けて俺に噛みつく。


「おっと」


 俺はそれをかわすと、窓を開けて飛び越えた。

 昼休みが始まったばかりのいまなら、グラウンドには誰もいない。

 和自身が喚んだわけではないから、ほかの生徒たちへの影響はわからないが、用心に越したことはない。


 刀についた奴の黒い血を払い、正眼に構える。

 魔鬼フラクは窓でつっかえながらも、トコロテンみたいににゅるにゅると出て、その形のまま俺にぶつかってきた。


 俺は腰を落とすとそれを真正面から迎え撃つ。

 刃先がなにか繊維質のものをぶつっと切った感触がした。


わをぉおおぉおおおおぉおおおおおちくぬきへえぇぇええええええええええ


 二つに分かれた蛇のようなものは、斬られた痛みからかのたうちまわり、互いに絡みついた。


 俺は小刀を引き抜き、二刀流になる。

 悠長に待つつもりはない。

 最初から全力でいく。


「おおぉぉぉおおお!」


 俺は大刀を斬り下ろし、小刀で逆袈裟。

 そのまま回転して大刀でさらに横薙ぎ、小刀もそのあとを追う。

 刀を打ち下ろすたび、黒い粘液が飛び、魔鬼フラクの身体が震える。


けなしわをちらしわをいみもすかねにいくほしあけのぬちもささのむほすほどに


 ダマの中心に大きな口が付き出て、叫んだ。


「っ!」


 俺が飛びのくのと同時に、魔鬼フラクの身体が爆ぜた。

 枝分かれした触手が四方八方から生えて、うねうねと宙でうごめく。

 さっきより固く集まったダマが脈動し、癒着し、膨れ上がっていく。

 やがてそれは肉の球体になり、その真ん中に開いた口がカチカチと歯を鳴らした。


いずくもいずくきたりけれそいみびいみなのこそわろすそみねいくまほかみの


 前見た時の倍ぐらいの大きさか。

 ようやく本戦だな。


「エレクトラ!」

「わかりました! ──ギビョウ! スイキョウ! 召応せよ!」


 黒い火炎が上がり、黒い毛皮の獣と、馬に乗った少女が姿を見せる。


「参上……!」

「えっへへへ、来たよー!」

「──柴田さん! 説明するまでもなく、ギビョウとスイキョウを喚ぶことでお供えパワーの消費が加速します。注意してください!」

「わかった! ──二人とも聞いてくれ! それぞれが連携しながら攻撃する。チャンスだと思ったら、ぶっこんでくれ! 残りは、その援護だ!」


 ギビョウもスイキョウも俺よりレベルは上だが、エレクトラが拡張オーグメンテーションした世界に召還されると補正がかかるらしい。俺のレベルとエレクトラのランクの影響だ。

 結果、それぞれで戦力は似たようなものになる。

 なら誰が主力とか決めないほうがいい。互いが互いを補完しながら、その都度、火力を出す。


「承知」

「りょーかい!」


 言うが早いかスイキョウが馬で駆けながら矢をつがえ、放った。

 矢は甲高い音を立てて魔鬼フラクの球体に突き刺さる。


おもひへたつちのみのほかえけれくちすべいくしみいくにくし


 触手がスイキョウを襲うが、馬は軽やかに跳ねてそれをかわす。


「まーだまだぁ~!」


 素早く矢継ぎをして、スイキョウが連射する。

 それが、たん、たたん、と小気味いいリズムで魔鬼フラクの身体に突き立っていく。


「御身事」


 反対側に回っていたギビョウが低い姿勢で突っ込むと、前足の爪で魔鬼フラクの肉を切り裂いた。

 魔鬼フラクは怒りに身をうち震わせながら触手を振り回すが、ギビョウには当たらない。


「よそ見すんなよ!」


 俺は小刀を投げつけ、間合いを詰める。


いきをけれいきをけれいきをけれえええぇええええ!


「そうそう、お前の敵は俺だ!」


 突き立った小刀が回転しながら手元に戻ってくるのを受け止め、大刀を上段から斬り下ろす。

 刃先が上唇から入り手ごたえを感じたが、途中でがちんと弾かれた。でかい歯のせいだ。


「くっ!」


 扇のように何本もの触手をそろえると、魔鬼フラクは俺をはたくように振り下ろす!

 体勢が崩れていたので、逃げるのがワンテンポ遅れる。

 だめだ食らう……!


「──柴田さん!」

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