54 ティッシュ&シェルター

「オハヨーゴザイマース」


 ネットカフェ『ソロプレイヤー』に入って挨拶をすると、カウンターのにいたバニャがジロリと俺を見る。


「……」


 ただし無言。


「……なんだよ」

「べっつにぃ~」


 感じわりぃな、おい。


 今日は朝から一度も和と似合うことはなかった。

 朝の電車には乗ってこなかったし、昼も俺一人で飯を食った。メッセージを送っても既読スルー。『ソロプレイヤー』にも来ていないらしい。

 完全に避けられている。


「柴田さん、女子を敵に回さないほうが良いですよ~」


 控室で着替えているとエレクトラが出しゃばってくる。


「敵ってなんだよ」

「ここは一つ、バニャさんに頼んで和さんの仲介をしてもらってはどうですか」


 あの様子だとバニャは和から話を聞いたんだろう。


「仲介って。……俺が悪いみたいな言い方だな」

「どう見ても柴田さんが悪いのでは?」

「なんでだよ」


 ロッカーを閉めてタイムカードを押す。


「今日の時点で和さんの起点マーカーレベルは600を超えてしまっています。討伐は不可能です。なら、魔鬼フラクが暴走しないよう方針転換をするべきですよ」


 「暴走しないように」ということは、和の心を安定させるということだ。だけど和の言うような穏便な済ませ方はダメだ。やられっぱなしで泣き寝入るなんて、なにも解決しない。

 だから今の俺じゃ、和に会ってもなにもできない。


「もたもたしてる間に、また邪魔が入るぞ」

「やけくそになって勝機のない戦いをするんですか?」

「だから考えてるんだろ」


 和は生徒会長選挙立候補の取り消しをしただろうから、起点マーカーレベルはこれ以上上がらない。

 あとは俺の起点マーカーレベルを上げるか、お供えパワーをあげるしかない。来週には期末試験が始まる。それが終われば生徒会長選挙の本番だ。時間がない。


「タイガー。暇だからぁ~、ティッシュ配りな!」


 バニャがでかいダンボールを俺に押し付ける。


「ちょお」

「……これぇ~、全部かすまでぇ戻ってくんな!」


 俺の持ったダンボール箱の上にさらにもう一個を積み上げ、冷たい目でバニャが店の自動ドアを空ける。


「いや、これ1時間や2時間じゃ絶対無理だろ!」

「あたしぃ~1時間で一箱いけっけどぉ?」

「お前と比べるんじゃねえよ!」

「んー! んんーっ!」


 アゴをクイクイとさせてバニャは俺を追い出した。


「……横暴すぎる」


 俺は駅前でダンボール箱を下ろすと、ティッシュ配りを始める。

 一箱で1000個入りのやつだから、2000個ある。

 面倒だから2個づつ配ろう。


「あら~、もらっていい?」

「あ、どうぞ」


 喜んで貰いに来るおばさま方には、多めに渡す。絶対、うちの店なんか来ないが知ったことか。

 そうやって、やっと一箱消化。駅の時計を見ると2時間以上かかっている……。時間が遅くなってくると人も減ってくるし、帰宅を急ぐ人も多いので受け取ってくれない。さらにペースが落ちた。


「……配り終わるまでぇ、戻ってくんなつったよなぁ~?」

「無茶言うなよ!」


 結局、シフトの5時間で2000個配りきれず。

 200個ぐらいは残っている。


「じゃあ明日のノルマに上乗せな!」

「明日もやらせるつもりかよ!」

「あ~? なんかぁ? 不満でもぉ?」


 バニャが俺の目の前に紙の封筒をチラチラさせる。

 ……俺の名前が書かれた給料袋だ。


「喜んで配らせていただきますっ!」

「オ~ツ~カ~レ~」



☆★☆★



 俺は駅からの帰り道、給料袋を開ける。

 金額は2万4000円。

 今月はいろいろあったせいで思ったより少ないが、それでもありがたい。


「ふぅむ。良かったですねぇ、柴田さぁん……」


 背後から鼻の下を伸ばして覗き込むエレクトラ。

 暗がりと相まって怖いわ!


「待て! これはお前にやるが、今晩は待て!」

「なんですか~? 和さんに嫌われたからと言って、急にやる気を無くしたとかいいませんよねぇ~?」

「そんなわけないだろ! せめて一晩! 今日はこれ抱きしめて寝るから!」

「私も鬼ではありませんから、そこまではしませんよ。……まあ、明日の朝には必ずお供えしていただきますが」

「……拝金の女神じゃなくて、お前は金食い虫だな」


 エレクトラがプンプンと怒る。


「まさか虫! 神ですらないとは! 柴田さん、不敬ですよっ!」


 これは俺が働いて貰ったものだ。

 自由に使えたらと思わないでもないが、それよりありがたみを感じていた。すぐに燃やしたくない。

 事件のせいで2週間休んでもこうして働かせてくれているし、来週の試験期間も考慮してくれている。

 バニャが都合をつけてくれているとは言え、このことは店長やオーナーも知っているし、同じバイトの人たちも心でどう思っているかわからないが、少なくとも嫌な顔ひとつ見せなかった。


「そうだよなあ。金くれるんだから、ちゃんと働かないとな……」


 来月の給料をもらっている頃、俺はどうなっているかわからないが、とにかく地道にやるしかない。地道にやりながらも一発を狙う。手を尽くして、チャンスを逃してはいけない。


 帰宅しても家は暗かった。

 母親が死んでからというもの俺は「ただいま」を言ったことはないし、親父が迎えてくれたこともない。どころかほとんど会話すらない。


 俺は地下室に降りる。

 重苦しい鉄の扉とコンクリートの扉を押し開けると、丸めた親父の背中が見えた。


「……」


 親父は買い込んできたらしい保存食や医療品を棚に収めている。

 俺は親父の横に立つと、それを手伝った。


 昔はよくここでこうして何時間も親父といた。電気設備や空調、排水、浄化装置の点検に始まり、物資のチェックや使い方を調べる。そのあとは情報収集のために新聞雑誌を切り抜き、ネット記事を保存をする。時間があればさらにサバイバル術関連の本を読む。

 いまも毎日毎日、親父はそれをくりかえしている。


「父さん、お願いがあるんだ」

「……」

「どうしても聞いて欲しい。これっきりだから」

「……なんだ」


 はじめて親父が俺を見た。

 頬は痩せこけて無精髭だらけ。

 頭も白髪が多くて、とても40代には見えない。


「お金を貸して欲しい。必ず返すから。これからさきの小遣いの前払いでもいい」

「……なにがあった」

「遊ぶためじゃない。脅されてるわけでもない。でも、どうしても必要なんだ」

「理由を言え」

「……困ってる子がいて、助けたい」

「ダメだ」

「……頼むよ、父さん」

「他人には関わるなと言っただろう。助けたとしても、誰もお前など助けてくれないぞ」

「……わかってる。だからずっと関わってこなかったよ」


 俺は親父の腕を掴んだ。

 そして頭を下げた。


「二度と言わないから、一度だけ」

「……ダメだ」


 俺は膝をついて、頭を床に当てた。


「お願いします」

「……お前は一人で生きていかなくてはいけない。誰かのためになにかをしてもけして報われない。そんなものは余計だ。他人など見捨てろ」

「父さんでも?」

「そうだ」

「……それが母さんだったとしても?」

「……」

「父さんは、母さんでも見捨てるの?」


 そんなはずはない。

 子供の目から見ても二人は仲のいい夫婦だったと思う。平凡で幸せな時があったと思う。消えそうな記憶の気配に過ぎないけど。


 俺が小学校2年のとき、母は殺された。

 犯人は仕事の同僚だったと聞いている。

 長いあいだ病院の廊下で待っていた記憶がある。あとは親父の叫び声。人間とは思えない、錯乱した恐ろしいもの。喉から絞り出すような苦しみの塊。


 思い出せることは断片的で、それ以前のことはほとんど抜け落ちている。それが事件のショックのせいだと知ったのは、数年前だ。


 親父の笑顔が思い出せない。あの事件の前、どんな顔だったのか。

 アルバムもすべて親父が燃やしてしまい、母親の顔も遺影の一枚しか残っていない。声も覚えていない。もう遠い人だ。



☆★☆★



 親父から金を借りるのは無理だった。

 他の方法を考えよう。


 俺はぼんやりとベッドで天井を見つめていた。

 今日は珍しく親父のうなされる声が聞こえない。

 俺が母親のことを言ったせいで、親父も眠れないでいるのだろうか。


 スマホが枕元で鳴った。

 最近では珍しいエレクトラからのメッセージだ。


「私は柴田さんの味方ですからね?」


 そんな文字と一緒に、がったがたの自作スタンプが送られてきた。

 背景にグルグル巻きの太陽があったりして夏っぽいんだが、これまさかして夏バージョンなのか。

 あいつまたこんなもの……。


「まあ、今日は許してやるよ」


 俺はスマホを給料袋の上に置いて眠った。



☆★☆★



 翌朝、俺が玄関で靴を履いていると親父がやってきた。

 こんなこと、今までなかったので驚いた。

 俺がどうしていいか分からないでいると、親父が俺に封筒を差し出す。

 俺が受け取って中を見ると、銀行の通帳と印鑑が入っていた。


「……これ?」

「静子がお前のために貯めていたものだ」

「母さんが……」


 俺は恐る恐るそれを出した。

 通帳には「柴田獅子虎」と俺の名前が書いてある。

 通帳を開くと、お金を振り込んだ記録が刻まれている。

 ページをめくると、毎月毎月欠かさずそれが並んでいる。

 俺が生まれた月から、母さんが死ぬその月まで。


 俺のために。

 俺の将来のために。

 きっと明るい希望のために。


 遺影以外の顔はわからないし、声も思い出せなかったのに。

 涙が止まらなかった。

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