54 ティッシュ&シェルター
「オハヨーゴザイマース」
ネットカフェ『ソロプレイヤー』に入って挨拶をすると、カウンターのにいたバニャがジロリと俺を見る。
「……」
ただし無言。
「……なんだよ」
「べっつにぃ~」
感じわりぃな、おい。
今日は朝から一度も和と似合うことはなかった。
朝の電車には乗ってこなかったし、昼も俺一人で飯を食った。メッセージを送っても既読スルー。『ソロプレイヤー』にも来ていないらしい。
完全に避けられている。
「柴田さん、女子を敵に回さないほうが良いですよ~」
控室で着替えているとエレクトラが出しゃばってくる。
「敵ってなんだよ」
「ここは一つ、バニャさんに頼んで和さんの仲介をしてもらってはどうですか」
あの様子だとバニャは和から話を聞いたんだろう。
「仲介って。……俺が悪いみたいな言い方だな」
「どう見ても柴田さんが悪いのでは?」
「なんでだよ」
ロッカーを閉めてタイムカードを押す。
「今日の時点で和さんの
「暴走しないように」ということは、和の心を安定させるということだ。だけど和の言うような穏便な済ませ方はダメだ。やられっぱなしで泣き寝入るなんて、なにも解決しない。
だから今の俺じゃ、和に会ってもなにもできない。
「もたもたしてる間に、また邪魔が入るぞ」
「やけくそになって勝機のない戦いをするんですか?」
「だから考えてるんだろ」
和は生徒会長選挙立候補の取り消しをしただろうから、
あとは俺の
「タイガー。暇だからぁ~、ティッシュ配りな!」
バニャがでかいダンボールを俺に押し付ける。
「ちょお」
「……これぇ~、全部
俺の持ったダンボール箱の上にさらにもう一個を積み上げ、冷たい目でバニャが店の自動ドアを空ける。
「いや、これ1時間や2時間じゃ絶対無理だろ!」
「あたしぃ~1時間で一箱いけっけどぉ?」
「お前と比べるんじゃねえよ!」
「んー! んんーっ!」
アゴをクイクイとさせてバニャは俺を追い出した。
「……横暴すぎる」
俺は駅前でダンボール箱を下ろすと、ティッシュ配りを始める。
一箱で1000個入りのやつだから、2000個ある。
面倒だから2個づつ配ろう。
「あら~、もらっていい?」
「あ、どうぞ」
喜んで貰いに来るおばさま方には、多めに渡す。絶対、うちの店なんか来ないが知ったことか。
そうやって、やっと一箱消化。駅の時計を見ると2時間以上かかっている……。時間が遅くなってくると人も減ってくるし、帰宅を急ぐ人も多いので受け取ってくれない。さらにペースが落ちた。
「……配り終わるまでぇ、戻ってくんなつったよなぁ~?」
「無茶言うなよ!」
結局、シフトの5時間で2000個配りきれず。
200個ぐらいは残っている。
「じゃあ明日のノルマに上乗せな!」
「明日もやらせるつもりかよ!」
「あ~? なんかぁ? 不満でもぉ?」
バニャが俺の目の前に紙の封筒をチラチラさせる。
……俺の名前が書かれた給料袋だ。
「喜んで配らせていただきますっ!」
「オ~ツ~カ~レ~」
☆★☆★
俺は駅からの帰り道、給料袋を開ける。
金額は2万4000円。
今月はいろいろあったせいで思ったより少ないが、それでもありがたい。
「ふぅむ。良かったですねぇ、柴田さぁん……」
背後から鼻の下を伸ばして覗き込むエレクトラ。
暗がりと相まって怖いわ!
「待て! これはお前にやるが、今晩は待て!」
「なんですか~? 和さんに嫌われたからと言って、急にやる気を無くしたとかいいませんよねぇ~?」
「そんなわけないだろ! せめて一晩! 今日はこれ抱きしめて寝るから!」
「私も鬼ではありませんから、そこまではしませんよ。……まあ、明日の朝には必ずお供えしていただきますが」
「……拝金の女神じゃなくて、お前は金食い虫だな」
エレクトラがプンプンと怒る。
「まさか虫! 神ですらないとは! 柴田さん、不敬ですよっ!」
これは俺が働いて貰ったものだ。
自由に使えたらと思わないでもないが、それよりありがたみを感じていた。すぐに燃やしたくない。
事件のせいで2週間休んでもこうして働かせてくれているし、来週の試験期間も考慮してくれている。
バニャが都合をつけてくれているとは言え、このことは店長やオーナーも知っているし、同じバイトの人たちも心でどう思っているかわからないが、少なくとも嫌な顔ひとつ見せなかった。
「そうだよなあ。金くれるんだから、ちゃんと働かないとな……」
来月の給料をもらっている頃、俺はどうなっているかわからないが、とにかく地道にやるしかない。地道にやりながらも一発を狙う。手を尽くして、チャンスを逃してはいけない。
帰宅しても家は暗かった。
母親が死んでからというもの俺は「ただいま」を言ったことはないし、親父が迎えてくれたこともない。どころかほとんど会話すらない。
俺は地下室に降りる。
重苦しい鉄の扉とコンクリートの扉を押し開けると、丸めた親父の背中が見えた。
「……」
親父は買い込んできたらしい保存食や医療品を棚に収めている。
俺は親父の横に立つと、それを手伝った。
昔はよくここでこうして何時間も親父といた。電気設備や空調、排水、浄化装置の点検に始まり、物資のチェックや使い方を調べる。そのあとは情報収集のために新聞雑誌を切り抜き、ネット記事を保存をする。時間があればさらにサバイバル術関連の本を読む。
いまも毎日毎日、親父はそれをくりかえしている。
「父さん、お願いがあるんだ」
「……」
「どうしても聞いて欲しい。これっきりだから」
「……なんだ」
はじめて親父が俺を見た。
頬は痩せこけて無精髭だらけ。
頭も白髪が多くて、とても40代には見えない。
「お金を貸して欲しい。必ず返すから。これからさきの小遣いの前払いでもいい」
「……なにがあった」
「遊ぶためじゃない。脅されてるわけでもない。でも、どうしても必要なんだ」
「理由を言え」
「……困ってる子がいて、助けたい」
「ダメだ」
「……頼むよ、父さん」
「他人には関わるなと言っただろう。助けたとしても、誰もお前など助けてくれないぞ」
「……わかってる。だからずっと関わってこなかったよ」
俺は親父の腕を掴んだ。
そして頭を下げた。
「二度と言わないから、一度だけ」
「……ダメだ」
俺は膝をついて、頭を床に当てた。
「お願いします」
「……お前は一人で生きていかなくてはいけない。誰かのためになにかをしてもけして報われない。そんなものは余計だ。他人など見捨てろ」
「父さんでも?」
「そうだ」
「……それが母さんだったとしても?」
「……」
「父さんは、母さんでも見捨てるの?」
そんなはずはない。
子供の目から見ても二人は仲のいい夫婦だったと思う。平凡で幸せな時があったと思う。消えそうな記憶の気配に過ぎないけど。
俺が小学校2年のとき、母は殺された。
犯人は仕事の同僚だったと聞いている。
長いあいだ病院の廊下で待っていた記憶がある。あとは親父の叫び声。人間とは思えない、錯乱した恐ろしいもの。喉から絞り出すような苦しみの塊。
思い出せることは断片的で、それ以前のことはほとんど抜け落ちている。それが事件のショックのせいだと知ったのは、数年前だ。
親父の笑顔が思い出せない。あの事件の前、どんな顔だったのか。
アルバムもすべて親父が燃やしてしまい、母親の顔も遺影の一枚しか残っていない。声も覚えていない。もう遠い人だ。
☆★☆★
親父から金を借りるのは無理だった。
他の方法を考えよう。
俺はぼんやりとベッドで天井を見つめていた。
今日は珍しく親父のうなされる声が聞こえない。
俺が母親のことを言ったせいで、親父も眠れないでいるのだろうか。
スマホが枕元で鳴った。
最近では珍しいエレクトラからのメッセージだ。
「私は柴田さんの味方ですからね?」
そんな文字と一緒に、がったがたの自作スタンプが送られてきた。
背景にグルグル巻きの太陽があったりして夏っぽいんだが、これまさかして夏バージョンなのか。
あいつまたこんなもの……。
「まあ、今日は許してやるよ」
俺はスマホを給料袋の上に置いて眠った。
☆★☆★
翌朝、俺が玄関で靴を履いていると親父がやってきた。
こんなこと、今までなかったので驚いた。
俺がどうしていいか分からないでいると、親父が俺に封筒を差し出す。
俺が受け取って中を見ると、銀行の通帳と印鑑が入っていた。
「……これ?」
「静子がお前のために貯めていたものだ」
「母さんが……」
俺は恐る恐るそれを出した。
通帳には「柴田獅子虎」と俺の名前が書いてある。
通帳を開くと、お金を振り込んだ記録が刻まれている。
ページをめくると、毎月毎月欠かさずそれが並んでいる。
俺が生まれた月から、母さんが死ぬその月まで。
俺のために。
俺の将来のために。
きっと明るい希望のために。
遺影以外の顔はわからないし、声も思い出せなかったのに。
涙が止まらなかった。
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