07 アクシデンテ・ビブリオテッカ


 放課後の図書室はひっそりとしていた。

 隣の自習室にはそれなりに人がいるのだが、中間試験が終わったばかりなので図書室まで利用するほどではない。

 「政治・宗教」というプレートのある棚を覗いてみたが、政治関係が多い。そういうのもやはり古い学校の特色が出ているのだろうか。宗教系は仏教の説話集とか道徳関係のもの、宗教史や世界の宗教といった歴史資料集の延長みたいなものはあるのだが、「お供え物は何がいいか?」みたいな神道の作法というか、詳しい内容を書いているものが見つからない。聞こうにも放課後のせいか受付に人いねえし。


 町の図書館という手もあるんだが、エレクトラに誤魔化しづらいんだよなあ……。そもそもがネットで検索すりゃ一発なのだが、わざわざ図書室に来たのもそれが理由だ。ネットを使えばエレクトラに間違いなく勘付かれる。だけでなく、拝金主義のあいつに妨害を受けるかもしれない。


 今日一日エレクトラの反応を見るに、あいつ俺のスマホだけじゃなくて駅や町中だとか、校内の防犯カメラをハックして俺をふしがある。たぶん他の人のスマホのカメラだってハックしているだろう。でなけりゃ、ポケットにスマホ入れた状態で、余計なお世話だが俺のぼっちを嘆いたりできるわけがない。


 考えてみれば街中はカメラだらけだ。店舗や家の防犯カメラだけではなく、インターホンやドライブスルー、ATM、券売機、ドライブレコーダー、おまけに個々人の持つスマホ。エレクトラがそんなものすべてをハックできるなら……一人監視社会ディストピアなんだが。これ、サイコスリラーだと確実に被害妄想ってことで誰も相手してくれなくて追いつめられるパターンだわ……。


「これから図書室で自習するから、スマホの電源切るぞ」

「私だって空気ぐらい読めますよ! マナーモードでいいじゃないですか。おとなしくしておけばいいんでしょう?」

「いいや、今日一日でお前のことがよーくわかった」

「ふっふふー、たかだか人間風情が私のようなm──」


 そして今に至る。

 どうしたもんか。

 図書室には蔵書を検索できるPC端末もあるのだが、使うつもりはない。ネット接続もしていないスタンドアロンだが、相手はポンコツでも高次の存在とか自称する神だ。用心に越したことはない。


 あ。

 宗教じゃなくて「風習」とかどうだろうか。伝統、風習とか、風土史みたいなの。地方の祭りとかお神輿っていうんだから、神道関連だろ? 意外とヒントになるかもしれん! いいね! 俺冴えてるぜ!

 ナイスアイデアに嬉々として書棚を探す。

 自分の考えに浮かれ、本の背表紙に目を向けていたせいで油断していた。無人だと思っていたのもある。カニ歩きで横ざまに人とぶつかってしまった。


「うわっと」


 あっちも油断していたのか。

 俺はたたらを踏むだけで済んだが、相手は転がった。本がバサバサと音を立てて落ちる。やべえ、女子生徒だ。肩に当たった感触が軽すぎて怖い。


「あっ、だ、大丈夫?」


 ど、どうしたらいい。

 手をついて倒れているから頭とかはぶつけなかっただろうが、図書室の床は古めかしい板張りだ。痛くないわけがない。

 女子生徒は座り込んで無言でじっとしていた。うつむいていて顔は見えないが、たぶん痛みを耐えているのだろう。


 あわわわわわわ、これどうしたらいいの? 助け起こすべき? でも触るとかキモいよな? どこ触るかもわからないし! 肩? キモい! 腰? キモい! 腕? キモい! 手? やっぱりキモいよな! うわーん、どうしたらいいの。

 イケメンだったら助け起こしても喜ばれるし、お姫様抱っこで保健室でロマンスで恋始まっちゃうけど、俺はダメだろ。これ、どうしよう? まじで、どうするべき? 三択なら当てる自信あるのに。あ、バンドエイド? ないわ! ハンカチならある! 昨日洗濯してアイロンかけてきたからキレイだ。けど、やっぱ私物はキモいよな。柄とかも茶色でオシャレじゃないし。ポケットティッシュとかのほうがいいか?


「ケガ、とかしてないか、痛いところ、だぶじょぶか?」


 焦りすぎで支離滅裂だ……。しかも噛んでるし。なんか心の上のほうが空回りして滑りまくってるのはわかるんだが、心の底のほうも真っ白でどんよりしていて、わけがわからない。エレクトラに見られなくてほんとよかった。


「……大丈夫です」


 ようやく女子生徒は小さい声でそう答えたものの、動かないんだが! 動かないんだが! これどうしよう? 骨とか折れてるんじゃないか? やっぱオンブして保健室連れていくしかない? 骨折とかしたらギブスはめて松葉づえで登校なんて想像するだけで大変そうだ。当然電車通学だろうし、女の子のそんな痛々しい姿は見るだけで心が痛むだろうに、犯人が俺だとか耐えられない。


 これ毎日俺が送り迎えするべきなんだろうけど、でも俺がとかキモすぎるんだよ! 迷惑でしかない。親父に頼み込むとして、うちの車は……ダメだ。軽トラとかありえん。もう他の女子生徒に付き添い頼むしかないだろ、これ。でもそんな人いるわけない! ああ、こんなことならクラスの女子と話せるぐらいはできるようになっておけばよかった……!


「あの、保健室いきますか? あ、でも放課後でやってないかも。あ、サッカー部とかならまだ練習してるし、救急箱とか──」

「大丈夫ですから……!」


 声は大きくないけど、きっぱりとした口調。

 ドキリとした。冷水をぶっかけられたような気分になった。


「……ごめん」


 俺は、ほんとしょうもないやつだ。

 何一つ満足にできない。他の人にできることが、俺はできない。いつも。上手にやりたくて、失敗したくなくて、何もできない。

 女子生徒はいまだ俺の方に顔すら向けない。

 明らかな拒絶だ。


「あ……えっと……じゃあ」


 女子生徒は痛みより、拒絶を優先している。彼女の希望がそうなら、俺がここで道徳心に駆られて立ち尽くしていても、迷惑なだけじゃないのか。不快なだけじゃないのか。

 拒絶されている俺がここにいても、より嫌悪されるだけじゃないのか。なら、立ち去ったほうがいいだろ。居るより居ないほうがマシなら、そうするべきじゃないのか。俺なんて、消えるべきだ。


「俺……2-Pの柴田、です。何かあったら……言ってください。じゃあ……」


 俺は重い気分で踵を返した。

 遠くで、救急車のサイレンの音が聞こえる。

 ここに来る……わけないよな。

 じゃあ、他のところに行くんだろう。こんな春の穏やかな夕方に、他の誰かが。そう考えただけで、俺の記憶に臭いが蘇る。薬品と人間の臭い。無機質でいて生々しい、あの場所。

 この女子生徒も


 ……ダメだ。

 すぐには動けないほどで、大丈夫なわけがない。

 この女子生徒も俺と関わりたくないだろうけど、せめて怪我がないかだけ確認するまでは我慢してもらおう。もし怪我をしていたら、相手に迷惑がかからない形で責任を取る。それ以外は考えても仕方ない。


 俺は数歩を引き返した。

 見ると女子生徒はまだ動けないようだ。

 俺は散らばった本を集め、女子生徒から少し間を置いて座った。なんとなく正座だ。


「保健室行こう」

「……」


 よく見たら女子生徒の肩が濡れている。飲み物でも持っていたのか。さらにやらかしていたんだな、俺……。


「これ、一応洗濯したばかりで使ってないから。ほんと悪い」


 俺はハンカチを出して控えめに女子生徒の服の水気を取る。


「……これは関係ないです」

「え? あ、そう……」


 ともかく保健室に連れて行かないと。保健室がダメなら、女子生徒には待っていてもらって職員室に誰か呼びに行こう。それでだめならタクシー呼んで……病院だ。


「俺のせいで迷惑だろうけど、頼む」

「……」

「保健室が嫌なら病院行こう。目立たないところでタクシー呼ぶから」

「……」


 女子生徒はいきなり立ち上がろうとする。

 俺は慌てて女子生徒の背中を支えた。


「……保健室、お願いします」

「あ、うん」


 とりあえず本を脇において、俺は女子生徒に付き添う。


「歩けそう?」

「はい」


 膝、擦り剥いてるな。

 はぁ……。


 保健室と図書室は校内で真反対にある。本グラウンドを突っ切るのが最短だが、部活動の真っ最中でさすがに目立ちすぎるし、余計な危険があるかもしれない。少し迂回して食堂を抜けて校舎に入るのがいいだろう。


「こっちから行こう」


 食堂に入るとまばらだが生徒が残って雑談していた。

 なんなの、お前ら。学校終わってもまだ友達と話し足りないの? さっさと帰れよ、もう!

 女子生徒も気まずいのか、うつむきがちに食堂の端を歩く。ほんと申し訳ない。

 話し声やらクスクス笑う声が聞こえる。

 決してぼっちゆえの俺の被害妄想ではない。俺ともなれば見なくてもこちらを笑っているのかどうか分かるのだ。

 人の怪我がそんな面白いのか。腹が立ったが、原因は俺だ。あの猿のバケモノでも見えれば、こいつらも大騒ぎで逃げ出すだろうに。

 ちらっと天井を見てもあのバケモノはいなかった。



☆★☆★



 さいわい保健室には保険医の先生がいた。

 診断の結果、捻挫だろうけど骨折している可能性があるので、病院に行ってレントゲンを撮るようにとのこと。なんだその「20代~30代、もしくは40代~50代の犯行」みたいなの!

 まあ、弁護というか後で調べてみると、手首の捻挫と骨折は見分けにくいらしい。


「病院行こう」

「いえ、痛みはだいぶマシになってきたので」

「……他人相手で気まずいだろうけど、本当のこと言ってください」


 もし夜になって悪化すると、救急病院しかない。きっと緊急性が低いから後回しにされるだろう。その間、じっと待つのは思いのほか辛いのだ。


「本当ですよ」


 女子生徒は初めて笑みを見せた。苦笑いだけど。

 さっきから敬語とため口がごちゃ混ぜなのは、初対面だというのと、相手の学年が分からないのと、女子だというのと、怪我をさせたというのと、間違いなく嫌われているという理由のミックスだ。距離感、全然わかんねえ! 教えて、誰か!


「少しここで休んで様子見していけば? 骨折してたら気のせいとかのレベルじゃなく腫れてくるから」


 保険医の先生が女子生徒の膝の消毒をしながらアドバイスをくれる。

 俺が女子生徒を見ると、うなずいてくれた。心なしか女子生徒もさっきよりリラックスしているように思える。俺はいうまでもない。

 ちゃんとした大人がいるってだけで、安心するもんだな。これが経験の差なんだろうなあ……。


「一応、今後のこともあるし」


 俺はスマホの出して、連絡先を交換した。


「下校時刻近いし、この子のカバンとってきてあげてくれる?」

「あ、そ、そうですね──カバンは図書室?」

「いえ、教室に」

「クラスとかは?」

「1-Dです」


 俺も図書室にカバン置きっぱなしだった。

 保健室を出かけてから、思いついた。


「念のため、名前、教えてくれませんか? いや、カバン間違ったらいけないし」

「あ、はい。……眉村です」


 んんん?

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