05 パッツン・ダイアンサス

 朝からひと騒動あったおかげで時間を浪費した俺は、朝食をかき込んで家を出た。

 いつもギリギリの電車通学なので、一本乗り遅れたら即アウトだ。始業ベル直前に登校し、終礼チャイムとともに下校するのが俺の最効率高校ライフである。

 ──けして、ぼっちだからではない!


「うぃー」


 隣駅で顔なじみが乗車してくる。

 ほらな、ぼっちじゃないし! レベル5だけど! ポストに負けてるけど!


「うーっす」

「昨日」


 ひょろっとしたメガネの男子高校生──男衾新おぶすまあらたは幼稚園からのつきあいであり、同じ高校に通う同級生で、オンラインゲームのパーティメンバーである。ジョブは脳筋ファイター。言うまでもなくアタッカーだ。


「あー、悪かった」

「急用ってなんだ」


 昨日、エレクトラが出てきてオンラインゲームを落ちた件だ。


「いやさ、あったまおかしい女がさ」


 ──ぶぶぶぶぶ!


 ポケットのスマホが怒りを伝えるように震えた。


「ほう、頭のおかしい」

「そうそう、女神とか言って金要求してきてさ」

「頭おかしい金銭目的の自称女神」

「ヤバイだろ?」

「コンプだな」


 ──ぶぶぶぶぶぶ!


「でもよ、そいつゴスロリで超美少女だったんだよ」


 ──ぶ……。


「中身はオッサンか」


 ──ぶぶぶぶぶぶ!


「いやいや、ガチで女神だったんだよ」

「それで自画撮りをクリックしたら金銭要求されたわけか」

「まあ、そんな感じだ」


 ついにバイブレーションではなく、着信音が鳴り出した。マナーモードにしとくべきだったわ。


「……もしもーし」

「柴田さん!」

「電車だから切るぞー」

「あなた失礼d」


 あいつ、通話は力を使うとか言いながら、使いまくりなんだが。いつかパケ死するんじゃないだろうか。


「いまの電話、その女神」

「女神ホットライン……オンゲのタイトルっぽいな」

「もしくはいかがわしいサイトだな」

「課金はほどほどにな」

「いやさ、マジでちょっと話があるんだが……」



☆★☆★



「女神。神。人ではないもの、か」


 男衾はつぶやく。

 平坦とした声。おかしな表現だが、この萌えない幼馴染の男を言い表すのには、一番的確だと思う。


「俺も話の途中で全部はわかってないんだが──」


 女神と自称するゴスロリ少女、エレクトラ。拡張の力。契約。起点マーカーレベルと神格ゴッドランク。その上げ方。

 いきなりぶっちゃけた。だってめんどくさいし。

 会話を盗み聞きしているはずのエレクトラは、バイブレーションで抗議することもなく不思議と沈黙していた。


「……ふむ」


 まあ、正直なところこんな話を真に受ける奴は稀有レアだ。秘密にするほど真実味はないし、相談するほど深刻さもない。俺の妄想ということで笑って終わりだ。もし俺が言われたら間違いなく信じない。


「不思議な話もあるもんだな」

「信じたっ!?」


 疑い深い俺とは正反対にあっさり信じてしまうのは男衾の性格なのか、俺との長い長い腐れ縁のせいなのか──長い付き合いと言いながら、こいつはよくわからん。

 俺のボケに乗ってさらにボケているという可能性もあるが。


「ふーむ」


 思案する男衾。

 こいつは冷静というか、マイペースというか。

 中学の頃の話だが、ある日校庭に犬が迷い込んできた。教師がそれを追い出そうとするのだが、犬はじゃれつくような遊ぶような絶妙の距離で逃げるので、うまくいかない。こういう非日常的なイベントは、テンション上がるよね!

 俺を含め教室でみんなが窓に殺到して、それを囃し立てた。そんなとき、この男衾は後ろで一人だけ突っ立っていたのだ。犬のことで何やら考えていたらしいのだが、それはまあいい。ともかく男衾は教室の真ん中で一人棒立ちだった。

 と、窓が全開に開け放たれていたせいで風が舞い込んだ。その風は悪戯なことにクラス一の美少女である里中さんのスカートをひるがえしたのである。男衾いわく、優雅に「ふうわり」と。ブルーだったそうだ。

 慌ててスカートを押さえた里中さんは、後ろを振り返った。見てしまった男衾に気づくと、恥ずかしそうに目をそらし、それから少しだけはにかんで笑ったという。


 ねえ女子、パンツみられて笑うって、どういう心理なの!? 好きなの? 嬉しいの? 恥ずかしいけど嬉しいの? 教えて? ねえ男子、そんなことされたら、惚れちゃわない? 気になってそのあと何も手につかなくならない? 繰り返し脳内再生でリピートかけてブルーを思い出すよね? 俺ならその思い出一生ものだよ、絶対! 死ぬ間際に思い出して笑顔で逝けるよ! ていうか、まるで「駅前にコンビニできるんだってさー」「へー」みたいな軽いノリでそういう話を俺にするこいつの神経どうなってんの? ──まあ、そのあと別に何もなかったそうだけど。

 かと思えば、野球大会でボールをじっと見すぎてデッドボールを食らい、鼻血を出してぶっ倒れるという事件も起こしている。そりゃ野球部でもない連中が球を投げるわけだから、コントロールなんてあるわけがない。しかし顔面に食らうか、普通? メガネ真ん中でへし折れるほどのデッドボール。


 そんなわけで、もしかしたら俺が見落としていたことに気付いたのかもしれない。


「ポストはレベル6なのか」

「……そこ?」

「郵便物の力、侮れんな」


 男衾はぼーっとした顔で俺の肩をぽんと叩いて、サムズアップする。


「打倒ポスト」

「……レベルを上げて物理で殴れば勝てるかな」

「器物損壊ポリス沙汰で負ける」

「──ポストに嫉妬した男として話題にはなるかもな」


 俺達は学校前駅で降り、改札を通る。

 駅から出る大半が同じ高校の生徒だ。全校生徒3000人を超えるマンモス校だから無理もない。


「で、そのバケモノが見えるとかいう能力は便利なのか?」

「なわけないだろ。下手すりゃ、朝っぱらからこっそりパンツ手洗いするところだったわ」


 電車に乗ってるあいだもちらっとヤバいのが見えたが、黙っておこう。もうこれ以上エレクトラに「課金」したら今週のメシ代がなくなる……。


 通学路は駅前商店街を抜けて住宅街を少しかすめる。学校の正門に向かうには、そこから桜並木の坂を上っていかなければならない。絵面だととってもロマンティックだが、それも桜の咲くわずかな間の話であって、夏は汗だくで登らなければならないし、冬は風が強いわ寒いわで俺は好きではない。

 そろそろ桜の木から落ちてきた毛虫に生徒が悲鳴を上げる時期だ。

 男衾とけだるげに坂を上っていると、正門で人だかりができている。


「ああ、今朝もか」


 最近始まった現象だ。

 中心にいるのは数人の生徒。さらにその数人の中で主役なのが、院華子いんはなこという女である。

 同じ二年生だがP組である俺とは別格、特進科A組の生徒だ。入学試験で満点を取ったと噂され、入学式では新入生代表を務めた。


「おはようございます」


 院華子は取り巻きと一列に並び、朗らかに朝の挨拶をしている。

 黒髪ロングの前髪パッツンでお菊人形みたいだが、その清楚な外見と上品なふるまい、穏やかだが明るい話術で教師たちの覚えもめでたく、上級生にすら知れ渡った人気者だ。現生徒会長から指名され一年生で生徒会役員になった。

 日本史の資料集に出てくるぐらいには有名などこかの家柄で、茶道華道の習い事は当然ながら武道も身に着けた才色兼備の大和撫子、だそうで。

 大雑把に言うと、一般庶民の持つ名家とかエリートとかのイメージを団子に丸めて固めたような女だ。うちの高校は偏差値はそこそこだが、古くからある学校なので院華子のような「いいところのお嬢さん」というのは結構多い。親子どころか、親子孫と三代にわたって卒業生という生徒もいる。創立以来、「自由な校風」が伝統なので愛着を持つ人が多いのだろう。

 俺は家から近かったことと、公立受験に落ちた結果、この高校に入ることになったので、どっちかというと経営面で入った生徒その一だ。それは余談。


 その院華子が近頃、正門前で登校する生徒にあいさつするという活動を始めた。正確には一年生が入学した新年度からだ。

 生徒会役員らしい活動と言えばそうだが、当の院華子とあいさつをして、ついでにお近づきになりたい生徒が立ち止まるせいでこの渋滞が起こっている。


「すんませーん」

「すいまー」


 俺と男衾はそういうのにはあまり興味がないので、手刀を上下させながら人だかりを割って入っていく。

 ちらっと人の肩越しに見ると、院華子と握手してはしゃいでいる女子生徒が見える。まさにアイドルの握手会。

 こういうのって、人員整理と「剥がし」のスタッフでも入れたほうがいいんじゃねえの?

 そんなことを思っていると、院華子の視線が俺に向いているのに気づいた。さぞかし俺は迷惑そうな渋い顔をしていたことだろうが、にっこりと笑顔を向けてくる。


 ──うん、まあ悪い奴じゃないんだろう。


「チョロいな」

「チョ、チョロくねーし!」


 けっして美少女とちょっと目が合って微笑まれたからって、手の平クルクル返すような軽薄な男ではないぞ、俺は!


「あのなチョロいとは『ちょろまかす』から派生した言葉でチョロ舟っつー小回りの利く小舟すら負かすほど素早くごまかすって表現でそんなこと簡単だって意味になったわけで──なあっ?」

「……イマイチよくわからない語源だな」

「そうね」


 俺とは住む世界が違う。

 別にそれはそれでいいし、堅苦しいハイソな世界に憧れなんてないのだが、こんな身近にあるからと下手に触れでもしてみろ、大やけどする。だからお近づきに

 ああいう女はゾウと一緒。遠くで見るぶんにはいいが、近寄ったら踏み潰される。きっと人より秀でているということは、人より異常だってことだ。


「じゃーな」

「おう」


 昇降口で上履きに履き替え、男衾と分かれる。

 あいつ俺と同じくらいネトゲにインしてるのにA組なんだよなあ……。一年の頃は同じG組だったのに、どうしてこうなった!

 課題以外は家でやらず授業しか聞いていないらしいから、要領がいいんだろうか。それともネトゲで会話していると何かやりながらというのが多いから、マルチタスクが得意なのか。しかしなんでも限度ってものがある。戦闘中にDPSが出てないと思ったら、マンガ読んでたとかありえないだろ。──ちなみにDPSというのは、秒間で出すダメージの平均値のこと。転じて攻撃役アタッカーのことも指す。


「……っす」


 俺は誰にでもなくひっそりと朝の挨拶をして、2年P組の教室に入る。

 「友達なんて自然にできていくものだ! 自分から媚びへつらって仲間に入れてもらうのはおかしい! あー、でも何かきっかけがあればなー、きっかけがあればけっこう俺面白いのになー、誰か話しかけてくれたらフレンドリーに感じよく返せる準備できてるのになー」って思ってたら、意外とみんな一年からの知り合いだったり、気さくに音楽の話題とかで盛り上がって、いつの間にかグループができていてもう一か月も経っちゃってるし、どうすればいいですかっ!?

 今日もまたホームルーム始まるまで読書が捗るわ!

 くそっ、ネトゲなら……っ。


「そりゃこの状況では、『ネトゲならだれにも負けないのに!』とか現実逃避するしかないですよね』


 スマホにエレクトラからのメッセージが。


「くっ」


 俺はそんな非情すぎる追い打ちですら、誰かとスマホで連絡を取っているフリができるので少しホッとした。

 でも涙が出てくるのはなんでだろうね。

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