ホワイト・レディ
朝比奈ヨウ
1章 姫トナッタ女子大生
Whity
散々な1日だ。大学に入学してからとんとん拍子に付き合って、それから2年以上共にした初めての彼氏に振られた。理由は『好きじゃ無くなった』。はい、これは黄銅の振られ方ですね。
好きじゃ無くなった、じゃなくて正確には『好きな人ができた』に決まってる。これは十中八九言える。最近彼は私と会ってくれなくなったからだ。だから気持ちが離れていってるのではないかって、薄々気づいていた。
その違和感を見て見ぬ振りをしていた状態で振られるというのは精神的にかなりのものが来た。
王子様みたいに優しくて、自慢の彼氏だった。とにもかくにも好きだった。だから『別れたくない』と縋りたかったけれど、そんな我儘は言えなかった。
というわけで、酒が飲みたいのである。とりあえず酒。なにがなんでも酒。ともかく酒。ウイスキーとテキーラを混ぜに混ぜて口の中にぶちこんで酔いつぶれたい気分だ。
トボトボとパンプスで歩く私は良さげな居酒屋を探す。と、目に付いたのは“Whity”と表記されている、お洒落なバーの看板。
…バーか。入ったことないけど今日はいいかもしれない。
気が向いた、と言うのだろうか。私は吸い寄せられるようにそのバーのドアを開く。すると直ぐに感じた薄暗くて大人な雰囲気に、まだ大学生の私には少し早いと感じてしまった。
おずおずと足を伸ばしてバーの店内に入っていく。そして格好つけてカウンターに恐る恐る座ってみた。そして顔を上げると、バーテンダーと目があう。
……なんだこのイケメン。
ちっさい顔にスラッとした長身。まずスタイルはモデル級だ。そして少し上がっている口角と高くて形の整った鼻。おまけに綺麗なアーチ状の眉毛の下にある、奥二重の切れ長でアーモンド型の目。黒色の全体的に重たい印象を与えるショートマッシュの髪型は今風でかなり似合っていた。
そんな彼は私を見て、にこりと柔らかく笑う。人懐こさを覚えるその甘い笑顔に私の心は一瞬で持っていかれる。
「いらっしゃいませ」
爽やかな青年のような声。お兄さんに見惚れていた私はびくりと肩を震わせた。
「は、え、と、」
め、メニューとかないのか…。どうしたらいいか分からない私はわたわたと周りを見渡す。と、お兄さんは楽しいそうに「はは」と笑った。
「お客様、バーは初めてですか?」
「そ、そうです…」
「そうですか。じゃあ僕のおすすめを作ってもよろしいですか?」
「は、はい!」
私が元気よく返事すると、彼は微笑みながら細長い指で後ろにある瓶を手に取る。うわあ、やっぱりバーテンダーって格好いい人多いのか。
なんてまた見惚れてしまう。彼はそんな私を見て、また柔らかな笑みを浮かべた。
「どうしてここへ?」
「…まあ、ちょっとありまして」
「ありますよね。お酒飲んで忘れたいこと」
こんなお兄さんでもそういうことあるのだろうか。少なくとも私みたいに振られたりすることはないだろう。
でもなんかよくよく考えてみると小さいことだなあ。振られたことぐらいでこんなくよくよしてさ。もっと不幸なことなんて沢山あるというのに。
―――「どうぞ」
私の前に置かれた小さなカクテルグラス。その中には白色の透き通った液体が注がれていた。
「これは…?」
「ホワイトレディというカクテルです。ジンにホワイトキュラソーとレモンジュースを混ぜたものです。結構きつめですが、今の気分には合うかもしれないです」
「へえ」
少しだけグラスに口を近づけてみる。するとアルコールの匂いが鼻腔を突いた。嗚呼、これだ。これが私の求めていたお酒だ。
一口、口に注いでみると喉を少し焼かれるような感覚。「く~」となりたいところだが、こんなお洒落なバーでそれをするのはやめた。まるで“慣れてますから”という風に装って私はホワイトレディをちびちびと飲む。
「どうですか?」
「…なんだか大人の味です」
「はは、そうですか」
そう笑いながらバーテンダーのお兄さんは腰を折ってカウンターに肘を付く。一気に縮まる顔の距離。本当に綺麗な顔だ。こんな顔にまじまじと見られるなんて慣れていない。
私は恥ずかしくて視線を逸らしながらお酒を飲む。なんだかもう酔っぱらったのかな、体が熱くなってきた。頭もふわふわする。
私はカクテルグラスに入っているホワイトレディを一気に飲み干す。そしてコトリ、とそのグラスをカウンターの上に置けば、私の視線は自分の指先へと向かった。
右手の小指にはまっている、シンプルなピンキーリング。シルバーがクロスされた形状の真ん中には小さなダイヤが埋め込まれているそれ。今となっては元彼の彼が、私の20歳の誕生日にくれたものだった。
「……わたしぃ、今日ふられたんです」
「え?」
「好きじゃなくなったって…!だから別れようって…、わたし、なにかしたのかな…」
なにもしてない、本当になにもしてない。昔からそうだ。なにかしたら迷惑じゃないかとか、我がまま言ったらそれも迷惑がられるんじゃないかとか考えて。結局は相手になにも与えられなかった。
だってずっと昔にそう言われて育てられてきたから。“黙って生きていきなさい。私の言うとおりにしなさい”って。思い出せば愛されても愛してもいない人生だったな。
そりゃそうだ途中から1人だったし。馬鹿みたいだ、なにを考えているんだろう。でもだからこそ、いつも1人で寝てた私の生活に、彼と2人で一緒に寝る日々ができたことが幸せでたまらなくて。
―――「さみしい」
初めて別の形で寂しさを埋めてくれる存在を私は無くしてしまった。
これからも私は、きっと1人。
「――――さま、お客様」
「……ん、」
遠くの方から爽やかな声が聞こえてくる。視界は真っ暗、なにも見えない世界。あれ…私夢を見ているのかな。そう考えたらまぶたが落ちている感覚がする。
うっすらと上がるまぶた。すると薄明りの世界が切り開かれた。そして目の前には先ほどまでいたバーのイケメンの店員さん。
「ああ、起きましたね」
「え?」
ぱちぱちと、何回も瞬きしても店員さんは私の視界からいなくなることはない。そして自分の体勢が机に突っ伏していることを今認識した。
「えっ!」
勢いよく体を起こす。と、そこは先ほどまでいたと思っていたはずのバーで。そして私の背中からははらりと黒色のカーディガンが床に落ちた。
まさか私寝てたの!?なんて目を見開けばバーテンダーのお兄さんは楽しそうに笑みを漏らした。
「よく寝ましたね」
「あ、は、はあ、すみません!!」
「全然大丈夫ですよ。でももう閉店になりましたので帰りましょう?」
「ふぁ!?閉店!?」
どれだけ寝てたんだ!なんて私が声を上げるとお兄さんはさらに楽しそうに笑う。確かに周りを見ると人っ子一人いなくて私が閉店まで寝ていたのがよく分かった。
私がわたわたしている間にお兄さんは床に落ちたカーディガンを拾ってバサリとそれを振ると、腕を通す。お兄さんのだったのか…!なんてことを!未だに立ちあがることのできない私を見下ろしてお兄さんは首を傾げる。
「帰りましょう?もう電車はないので車で送りますよ」
「終電ないんですか!?」
そう言いながら慌てて腕時計を見ると確かに時刻は1時過ぎを指していた。なんてことだ…こんなことになるなら起こしてくれてもよかったのに、とお兄さんを少し恨んでしまう始末。
お兄さんはそうしている間に歩きだそうとする。置いて行かれてはまずいので、私は急いで鞄を持って立ち上がった。
お兄さんに「乗って下さい」と言われた車は黒のBMWだった。え、お兄さんこんないい車に乗っているの?バーテンダーという職業はそんなに儲かるんですか?なんて思いながら私は助手席のドアを開く。内装は思っていたよりずっとシックで大人で、乗ることが恐れ多いほどだ。
革製のシートに腰を下ろす。お兄さんがエンジンをかけると、エアコンのところについている芳香剤からはムスクの匂いが一気に漂った。
「どこにお住まいですか?」
「あ、えと、神橋(かんばし)です」
「神橋?」
思わぬところで聞き返される。神橋ってマイナーかな?でもここから電車で二駅ぐらいだし、神橋っていう駅もあるぐらいだから知ってると思うんだけど。
「神橋って、治安悪くないですか?」
静かに車を発進させながらお兄さんはそう聞いて来る。確かに神橋は不良がうろつくところで有名だ。だけど私みたいな地味な女は特に絡まれることはない。
「確かに悪いですけど、私には関係ない世界なので大丈夫ですよ。見て見ぬふりです」
「…ならいいですけど」
なんだか不満そうな声音。私はちらりと隣を見ると、ただ無表情で前を見ている鼻の高い綺麗な横顔。女の私より肌が綺麗なんじゃないのか…?なんて凝視してしまう。
すると、――――キュ。車はいきなりブレーキをかけて止まった。
「…すみません、ここで降りてくれませんか?」
「え?」
車が止まったのは、神橋の駅の少し前。中途半端なところだった。
別にここで降ろされても15分歩けば家に辿り着くけれど、なんでだろう。そう思ったけれど深く掘るのはやめてくれ、という雰囲気を感じたので私は「は、はい」と戸惑い気味に返事をした。
そして車のドアを開いて出ようとする。と、いきなり腕を強く引かれる。
「絶対振り向かないでください。ぜったい」
振り向くな…?お兄さんの顔は真剣で。私は無言でそれに頷くことしか出来ない。するとお兄さんはいつもの営業スマイルとでもいうのだろうか、そんな柔らかな笑みを浮かべた。
ここで、お別れなのかな。でもまたバーに行けば…
「“ホワイトレディ”、飲ませてもらえますか?」
「っ、」
私の言葉にお兄さんは固まる。そして私を拒むように背中を押してきた。
「早く帰って」
冷たい言葉にびくりと体は震えてしまう。私が車から降りるとお兄さんの車は逃げるように去ってしまった。速いスピードで私から遠ざかる黒い車を見つめる。私、なにか危ないこと言ったのかな…。
そう思いながらそこから背中を向けて歩きだすと、お兄さんの言葉を思い出す。
“絶対振り向かないでください。ぜったい”
振り向いたらなにか起こるのだろうか。でもあの真剣な顔を見たら、そうせざるを得ない。私は肩に掛けているトートバッグをぎゅっと握って、家までの道を早足で歩いた。
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