きっとあなたは偶然ではない

玖珂李奈

1.今思えば、この出会いは

1.出会う

 文明と情報が暴走した挙げ句、世界が崩壊した『あの戦争』から百年。

 その時兵器として撒き散らされた汚染物質から逃げるために、全人類が地下に潜って百年。


 かつて『日本』と呼ばれた国の地下都市、『東京』の片隅で、あたしは今、強盗に首を絞められ、平凡な短い人生に終わりを告げようとしている。




 あの時、路地裏に漂う濁った臭いに気をとられていたのが悪かったんだ。普段ならこの辺で知らない奴に声を掛けられても、立ち止まったりなんかしないのに。

  

「なあお嬢ちゃん。そのでかい肩掛けを提げてるってことは、身体整備師なんだろ?」


 馴染みのお客さんの家まで出張整備に行っていた帰り道、こいつはいきなり声を掛けてきた。

 薄汚れた貧相なおっさんだが、油断は禁物だ。ここ「S区」で、こんなふうに声を掛けられる理由なんか一つ。体内に埋め込んだ身体機能増進機械の整備の依頼でも、あたしがかわいいからでもない。


 あたしはおっさんを睨みつけながら、一歩後ろに下がって軸足に力を込めた。

 左肩に掛けていた鞄をさりげなく右肩に掛け替える。

 やっぱり、左腕だけじゃなくて脚にも機能増進機械を入れておけばよかった、と思う。だがもう遅い。 


 おっさんはあたしのことを上から下までじろじろと眺め回した挙げ句、にっこり笑った。


「ちゃんと働いているんだねえ。稼いでいるんだねえ。じゃあその稼ぎ、おじさんにくれないかな」

「やだよ」

「だよね」


 言うが早いか、おじさんはあたしの鞄めがけて突進してきた。あたしは体をひねって空いている左手でおじさんの攻撃をかわす。おじさんがバランスを崩した隙に、地面を蹴って全力で走り出した。

 だがあっという間もなく追いつかれ、襟首を掴まれて地面に叩きつけられる。


「お嬢ちゃん、のろいねえ。脚に機械入っていないだろ」


 ぬかるみに思い切り尻餅をつく。肩にかけた鞄の中の荷物が、がしゃんと大きな音を立てた。


「何すんのよ、鞄が汚れちゃうじゃない!」

「知るかよ。いいからその鞄寄越せ!」


 鞄に伸ばされた手を左腕で振り払う。中身は仕事道具だけで、別に金目のものは入っていない。けれどもこの鞄は、あたしにとって大切な大切な物なんだ。


 でも、本当は分かっている。こうなってしまった以上、ほぼ、状況は絶望的だ。

 あたしの体には左腕しか機械が入っていない。右腕も、脚も、生まれながらの筋肉だけで動いているんだから。


「やめてよ! 金目のものなんか入っていないよ!」

「じゃあなおさら大人しく渡しゃいいじゃないか。余計な手間かけやがって」


 力のない右肩から、あっさり鞄を奪われる。地面に叩きつけられ、首に手をかけられる。

 一つに束ねた、腰まである自慢の黒髪の間から、ぬかるみの嫌な感触が這い上がってきた。


「お嬢ちゃん、悪いな。おじさん、『会社』に仕事取り上げられちゃってね。こうしないと生きていけないんだよ」


 私の首にかかった手に力が込められる。


 ああ。これで終わりか。

 苦しいというのに、頭の中は不思議と冷静だった。


 十七年、か。

 あたしの人生、たいしたことなかったな。仕事だって始めてまだ二年とちょっとくらいだ。


 そうだ、婚約者の竹田さん。

 あたしの他に、もっといい人みつけてもらえるといいね。


「おとうさん……」


 お父さん、ごめん。こんなことになって。

 もうすぐ、そっちに行く……。

 

 お父さんの顔が頭に浮かんだ瞬間、首にかけられていた力がふっと一気に抜けた。途端に大量の澱んだ空気が肺の中に入ってきて、あたしはその場で涙目になってむせ込んだ。


「なんだてめえ!」


 目が霞んでよく見えない。だけどおっさんの背後に誰かがいるのは分かる。

 まるで影のような、男。


「邪魔する気か! こいつは俺の獲物だ」


 多分すべてを言い終わらないうちに、おっさんはその影に投げ飛ばされた。おっさんは壁にぶつかるが、すぐに体勢を立て直す。


「この野郎っ!」


 おっさんは猛烈な勢いで影に向かって殴りかかった。

 この拳のスピード、多分腕に違法改造の機械を埋めている。けれども影はその右ストレートを簡単にかわし、それと同時におっさんの腹に膝蹴りを食らわせた。


「げっ」


 おは小さな呻き声をあげてその場にうずくまった。膝蹴り一発だけで。そしてそのまま動かない。


 この影、どれだけ違法改造しているんだろう。

 一瞬の出来事だったし目が霞んでいたせいでよくは見えなかったけれど、影の体には、相当違法改造した機械が埋められているに違いない。このスピード、力、合法の機械で到底出せる機能じゃない。こんな奴相手じゃ、それこそもう太刀打ちできない。


 ぬかるみの上にへたりこみながら、あたしは完全に観念した。

 もう、抵抗するだけ無駄だ。

 影はあたしの前にかがみ込み、ひょっこりと首をかしげて顔を覗いた。


 なんだ、この仕草。まるでガキみたいだ。


 外見は年齢不詳だ。体だけじゃなく顔も相当いじっているのか、人形みたいな不自然に整った骨格に緑がかった茶色の瞳。

 なんだってこんなに身体中改造しているんだろう。

 まぁ、別にどうでもいいけど……。


「大丈夫? 立てる?」

「は?」


 彼はあたしの顔を覗き込みながら、まるでいたわるようなセリフを吐いた。つられてこちらも思わず変な返事を返してしまう。

 彼はあたしを見て、心底ほっとしたような間の抜けた笑顔を見せた。


「よかったぁ。ここから車の通る道って近いかな。そこまで送るよ」


 命を取る気はない、のだろうか。彼は大きな手であたしの手を取り引っ張り上げた。

 身体機械を使い過ぎたことによるオーバーヒートを起こしているのか、やけに熱い手をしている。


「こっちでいいの?」


 そしてどういうつもりなのか、あたしの鞄に目もくれずに、手をつないだ状態のままてくてくと歩きだした。


「ちょっ……!」


 何、どういうこと? まさかこいつ、あたしのこと助けてくれたの?

 え、何のために? 


 改めて彼のことを見る。

 人形みたいな顔で、背丈は普通より高め。着ている服は、襟の高いシャツと細身のパンツに革靴なのだが、どれも真っ黒。そして着崩れてよれよれだ。

 そういえば、こんな感じの格好している人、どこかで見たことある……。


「あ、あの通り、車走っている。もう大丈夫だね。じゃあ俺ここで。気をつけて」

「ええ!?」


 大通りが見えた途端、彼はあっさり手を離して、何も取らずににこにこと手を振った。

 なんなの一体。訳分かんない。


「えっ、と。た、助けてくれてありがとう」


 一応お礼を言うと、彼は首を横に振って笑顔で応じた。作り込んだ顔の割に随分と表情豊かだ。


 タクシーを拾うために大通りに向かおうとしたところ、突然背後で何かの倒れる音がした。何事かと振り返ると、さっきの男が道端で倒れている。

 近寄ると、浅くて短い呼吸を繰り返していた。意識は朦朧としているらしく、触ると結構な熱だ。

 オーバーヒートだろう。こんな状態でよく今まで動けたものだ。

 助けてくれたお礼に家で修理してやろうと思い、彼の右腕を引っ張った時、彼のシャツがめくれて腕があらわになった。


「……!」


 慌ててシャツを下ろし腕を隠す。

 冷たい汗が背中を伝う。


 誰も見ていないよね。監視カメラもないよね。


 心臓がばくばくと大きな音を立てる。苦しいくらいに。


 やばい。やばい。とんでもない奴拾っちゃった。

 どうする、捨てていく? でも。いやでもよりによって。

 間違いない。 

 あの腕の小さな記号。数字の羅列。あの刺青は。


「こいつ、『管理品』だ……」

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