第19話 ポルチーニ
たこ親父の爆雷でかなりダメージを食らった俺と藻原さんだったけど、帰社してすぐに報告しなければならないことがあるから、ぐだぐだしてる暇はなかった。
一つは、俺らがしでかしたヘマのフォローアップ。やっぱり、俺が藻原さんを連れていったのはまずかった。それは事情説明をしておかなければならない。責任は藻原さんにはないよ。配慮が足らなかった俺にある。課長がまだ空席になってる以上、部長に報告せざるをえない。しょうがない……。
もう一つ。最近攻勢をかけてきていた南光産業の新人さんの情報をオープンにしておこう。特に、羽田さんが情報を欲しがってたからね。
まずは海老原部長への報告を済まそうか。
◇ ◇ ◇
「むーん、予想外だ」
部長にものすごく怒られるかと思ったら、あっさり言われた。あそこは徐々にサポートから外そうと思ってるって。やっぱかあ。そりゃそうだよな。客だからなんでも無理難題が通せると思ってもらっちゃ困る。こっちだって商売だもん。製品への文句ならともかく、無差別に社員の人格攻撃された日には俺らには対処のしようがないよ。部長は、向こうからごちゃごちゃ言ってきたら俺が対応するからと言ってくれた。正直ほっとした。
そして、南光さんのやり手営業社員の話。課室に戻って報告したら、羽田さんがものすごーく複雑な表情をしていた。
「うーん。ノジマのたこ情報を知らなかったっていうのは、なあ」
「羽田さん。彼女、南光さんのところで浮いてるんじゃないでしょうか。あんたがそんなに仕事出来るっていうなら、どうぞ一人でやってみなさいよって」
「それっぽいね。あそこに新人を行かせるのは自殺行為だよ。魚地くんも!」
ぎろっ! 羽田さんに睨まれる。
「す、すみません」
「直接会わせるつもりはなかったんでしょ?」
「もちろんです。藻原さんには、外で待っててって言うつもりだったんですけど、今日は半経部長が直々にお出ましになってしまって」
ぼかあん、だったんだよね。
「あだだ」
「とりあえず、土下座ぶちかまして逃げたんで、なんとか」
訳が分からないって感じで、藻原さんが口を挟んだ。
「あの……魚地さんは何も悪くないのに」
「そこさ」
羽田さんが、藻原さんの鼻先ぎりぎりまで顔を突き出した。顔は、般若そのもの。
「あのね。謝るっていうのは営業の一番強力な切り札なの。どんなに場が荒れてても、取りあえず頭を下げることで一旦休戦に出来る。そこに正しい間違ってるってのは関係ない」
「え?」
「お客さんの頭に血が上っている時には、どんなに筋論かましてもダメ。相手の怒りに油を注ぐだけ。それより魚地くんがやったみたいに、白旗を掲げてさっさと一時撤退した方がいい」
そう言うと。羽田さんは藻原さんの足元でさっと土下座して、額を床に着けた。
「お客様、大変申し訳ございません」
うわ……。
「ねえ、藻原さん。この体勢で、私が怒ってるって思う?」
「い……え」
「そしてね。私の表情や言葉が、顔を伏せることで全部隠せるでしょ?」
「あっ!!!」
羽田さんを見下ろしていた藻原さんの目から、目玉が転げ落ちそうになった。
「目線が揃っている状態で相手の視線から目を逸らすと、無視している、そっぽを向いてると取られる。まともに視線を合わすと、睨んでいる、挑発的だと取られる。どっちにしてもプラス評価にならない」
「すご……い」
「ふふ」
ぱっと立ち上がった羽田さんは、ぱたぱたと膝の埃を払うと、ぐいっと藻原さんの肩を抱いた。
「そういうとこ、勉強して。商品知識やマナーだけじゃない。営業にはいろんなノウハウがあるから」
「はい!」
うん。羽田さんが藻原さんを見る目が、原点まで戻った。羽田さんさえ彼女をそう見てくれれば、周囲の視線も変わっていく。これで、俺の当初目標の半分くらいは達成出来たかな。
「ねえ、魚地くん」
「はい?」
「この岩瀬さんて人、どう?」
羽田さんからすかさずチェックが入った。ずっと気になっているんだろう。
「ちょっとしか会話を交わしてないんで、あくまでも印象だけですけど、相当気が強いですね。頭の回転は早そう。でも、みっちり策を立てるタイプじゃない感じ。突撃型かな」
「私とはちょっとタイプが違うか」
「ええ。あのやり方だと、南光さんではきっと浮くだろうなあと」
「……。あまり警戒し過ぎない方がいい?」
「いえ、それでも彼女の馬力でうちの持ち場を根こそぎ持って行かれるのは困ります」
「だね」
「それと」
「うん」
俺は、ぼけっと話を聞いてた河岸の耳を掴んで引きずり寄せた。
「いてててて。なんだよ」
「おまえ、俺にばっか面倒なとこに行かせてるよな?」
ぎっちり睨みつける。
「今朝もさっさと逃げやがって! 立場は俺と同じじゃんか!」
「うう」
「うう、じゃねえよ!」
冗談抜きに、俺も藻原さんや岩瀬さんみたいな苦々しい気持ちは味わいたくない。もうちょい気持ち良く仕事をしたい。それなら、仕事の不公平感は今のうちに少しでも解消しとかないとさ。下っ端は俺だけじゃないんだから。
「なあ、河岸」
「……ん?」
「おまえに頼みがある」
「は? 頼み?」
「俺は、ちょい余計なことを言っちゃった。向こうは、俺をもう敵側に置いちまってる」
「って、なんのことだ?」
「南光の営業さん。岩瀬さんさ」
「それが?」
「口説いて引っこ抜け」
どたあん! 河岸と羽田さんが揃ってぶっこけた。藻原さんも唖然としてる。
「外回っていれば、どこかで彼女と接点が出来るだろ。その時に、すかさずこっちへの転職を振ってみてくれんか?」
「可能かあ? そんなこと?」
「もったいないよ。彼女は絶対に南光で干されると思う」
「ふうん……」
河岸は腑に落ちないって顔だけど、羽田さんは納得してる。
「魚地くんらしいね。そうかあ」
「僕は使えるものは無駄なく使いたいんです。それが自分のことでも、そうでなくてもね」
「そだね。でもなんで河岸くんに?」
「今の僕じゃ、いっぱいいっぱいだからです。そういうとんがった気持ちは、相手にすぐ読まれちゃう。特に勘のいい女性にはね」
「ふふ。なるほどね」
「河岸くらいほわっとしてた方が、きっとアプローチしやすいでしょ」
「なんだよ。俺がぼけ倒してるみたいじゃん」
「違うのか?」
ぶうっとむくれた河岸が、さっと自分の席に戻った。
さて、飯食ったら後半戦に行こう。仕切り直しだ。藻原さんも、さっき羽田さんに言われたことをちゃんとメモしてる。うん。そうやって、地道に積んでくしかないんだよね。
◇ ◇ ◇
昨日回りきれなかったエリアを回って、最後に峯岸さんのところに寄って、ちょっとだけ話をして引き上げた。専務の話が出たらいやだなあと思ったんだけど、工場長の高山さんも仕事がかなり詰まっていたみたいで、俺らはほんとにタッチアンドゴーだった。ほっとする。
電車の中で、二人して手帳をチェックしながら総括。
「藻原さん、お疲れさま。どう?」
「ふう……なんとか」
「だいぶ慣れてきたじゃん」
「は……い」
「まあ、細かいところは少しずつ覚えて、慣れていくしかないよ。僕がお客さんとどういう話をしているのか、僕が君に説明しなくても分かるところまで商品のことを勉強して。僕は、そこまでは面倒見られない」
「うん……あ、はい」
あとは、言葉遣いやマナーのぽかをどこまで減らせるか、だな。こっちはまだまだサポを切れないね。それと……。一番肝心なところは、もうちょい後にするか。
◇ ◇ ◇
終業時間のチャイムが鳴った。午前中にたこ親父に面罵された藻原さんは早く帰らせた方がいいだろうと思って、帰宅を勧めた。
「しんどかったでしょ。今日は早く帰った方がいいよ。明日は出の日だし」
「う……はい。そうす……します」
「おつかれさまー」
「お先……です」
課室に残っていた先輩たちにぺこぺこと頭を下げた藻原さんは、少し不安げに何度か振り返りながら帰って行った。
「ふうう。とりあえず、序盤戦乗り切ったか」
「まあ、順調なんじゃない?」
最初、徹底的に藻原さんを敵視していた羽田さんだけど、藻原さんにちゃんとやる気があることを確認出来た時点で、負のバイアスがなくなった。そこからは、俺や河岸への態度と変わらない。是々非々。他の先輩たちも、まだ全面信頼までは行かないけど露骨な無視や敵視はしなくなると思う。でも、それはやっとスタートラインに立ったばかりってこと。最初にハンデがある分、ここから先は死に物狂いになる。藻原さんにそういう危機感があるかどうかだなあ。
「魚地くん。心配そうだね」
「ええ。まだ、全然なんですよねえ」
「タメ口?」
「いや、そっちはかなり努力してくれてるんで、まだ怖いのは確かですけどなんとかなるんじゃないかと」
「ふうん。じゃあ、あとは何?」
そうか。羽田さんもまだ気付いてないか。
「今日のノジマでの藻原さんのヘマ。原因は口の利き方じゃないんですよ。挨拶はちゃんと出来てたんです」
「えっ!?」
羽田さんにとっては、それは思い切り予想外だったらしい。
「てっきりそっち系のヘマだと思ってた」
「うん。言葉尻を捕まえられるだろうと覚悟してたんですけど、それ以前なんですよねえ」
それは、俺が説明しない方がいいだろう。羽田さんだけじゃない。この社の誰もが、同じところでずっと引っかかってるんだ。
◇ ◇ ◇
二時間後。俺は、社屋の入り口で星の見えない街の夜空を見上げていた。
今日出くわした南光産業の岩瀬さんは、これから干されるだろうな。男社会の中で、俺らと同等の扱いをして欲しいとがんばればがんばるほど逆効果になる。営業成績で女に負けるなんて絶対に我慢ならんていうクラシックなやつが、まだまだいるからね。
羽田さんがそうならないのは、羽田さんが上手に全体調整してるから。先輩たちが順調に契約を取れるようお膳立てして、決して自分だけの手柄にしない。先輩たちも、筋論者に見えるけど実は調整のうまい羽田さんをちゃっかり利用してる。紅一点でありながら先陣もしんがりもこなせる羽田さんは、自分のポジショニングがすごくうまいんだ。もちろん、羽田さんがそう出来るのはすごく苦労したからだと思う。うちだって細貝課長みたいに、ちゃらんぽらんなくせに手柄だけ欲しがる人はいるからね。
「干される、か」
乾燥ポルチーニみたいに、干されてもスープにいい味が出るようになるならいいさ。でも、そんなしわくちゃなんか要らないって捨てられちゃうのはなあ。
「よう、魚地くん」
背後から、柔らかい声が降ってきた。
「あ、蟹江さん、今上がりですか? お疲れ様ですー」
「どうだい? 彼女?」
ありゃりゃ。やっぱり気にしてるんだなあ。
「苦労してます」
「やっぱりか」
「いえ、僕がじゃないですよ。彼女が、です」
おやっという顔で、蟹江さんが僕の顔を覗き込んだ。
「どういう意味だい?」
「蟹江さんは、彼女のどこに立腹されたんですか?」
直に聞いてみた。蟹江さんが、しぶぅい顔をして首を振った。
「君も結構えげつないな」
「いえ、慎重な蟹江さんのことですから、彼女の悪癖については専務や人事からもう聞いてたはず。だから、備えておられたんじゃないかと」
「ははは。そう」
「その蟹江さんが彼女を見切るなら、理由は一つしかないと思ったんです」
「なんだい?」
「感情が読めない。何を考えているのかが分からない」
「おっ!」
驚いたように、蟹江さんが背を反らした。
「よく分かったね」
「やっぱり。そうなんですよね。嬉しい、悲しい、悔しい、怒ってる。そういう無意識に顔に出てしまうはずの感情が、ものすごく強いインパクトが加わった時にしか出てこない。それも不自然に」
「うん」
「真意が分かんないから、誰からも信用してもらえない」
「そうなんだよなあ」
寂しそうに、蟹江さんが息をふっと足元にこぼした。
「俺は一年もしないうちに評価なんか固めたくなかったし、見切りたくもなかった。もうちょい様子見しようと思ってたんだ」
「ええ」
「でも、中が割れそうだったんだよ」
「やっぱりかあ。総務は女子社員が多いからなー」
「そう。営業一課に持ってったのは、羽田さん以外女子がいないからだろさ」
なるほど。蟹江さんが彼女を庇えば、他の女子社員から総すかんを食らっちゃう。それじゃ仕事が回らなくなるってことか。だから総務から外すために、蟹江さんが怒ったという名目を作った。蟹江さんが悪役を買って出たんだ。俺は、藻原さんが蟹江さんの地雷を踏んでしまったのかなあと思ったんだけど、そうじゃないね。業務に支障をきたさないようにするための、苦渋の選択だったってことか。
俺が黙り込んでしまったことを、蟹江さんが気にした。
「そっちでもかい?」
「そうです。でも、今は僕がバッファになってるんですよ」
「スポークスマンか」
「いえ、今でも僕は彼女が何考えてるか分かんないです。スポークスマンは出来ないですね」
「ふむ」
「でも、外を回ってる間、特に今みたいに見習いのうちは、まだそれで間に合うんですよ。最初は不慣れで緊張してるってことで、全部エクスキューズ出来ますから」
「ああ、そうだな。だけど、限界があるだろ?」
「そうです。だから強権発動して、一週間という期限を切ってハードトレーニングしてるんです」
「大丈夫かい?」
蟹江さんは、心配そう。
「一週間でダメなら放り出すってことじゃないです。でも、そういう危機感がないと、彼女は自分を作り変えないから」
「ああ、そういうことか」
俺は、しゃがみ込んで頭を抱えてしまう。
「ううー。でもなあ。僕には荷が重いですよ」
「うん」
「僕も、彼女と同じトラウマを抱えてますから」
「え?」
蟹江さんには、俺のぼやきが意外だったんだろう。
「なぜだい? 君は部長に高く評価されてるよ。地味だけど物腰が柔らかくて、どんな仕事も嫌がらずにこつこつこなし、先輩たちとの協調性もある。エキセントリックな藻原さんとは全然違う」
思わず自虐ってしまった。
「ははは。みんなにそう思われてるってこと自体が」
はあっ。
「僕のトラウマなんですよ。小さい頃からのね」
(ポルチーニは、イタリアで好まれるヤマドリタケ及びその類縁キノコの総称。フレッシュなものも、乾燥したものも料理に用いられる)
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