妻の教えたまいしもの

千里温男

第1話

 小学校6年になったら、義彦くんと同じクラスになってしまった。

彼は、いわゆるガキ大将で、いじめのようなこともしていた。

そのため、彼に寄り付く者はいなかった。

 その義彦くんから、待ち伏せされ、いきなり

「俺と付き合え」と言われた。

腕力ではとてもかなわないので、いやいや付き合うようになり、彼の家にも行くようになった。

 義彦くんには、瑞枝さんという6歳年上のお姉さんと、睦美さんという4歳年上のお姉さんがいた。

僕が瑞枝さんに初めて遭ったのは、義彦くんの家の土間で、お姉さんは土間から座敷に上がろうとしているところだった。

向こう側の窓からの光で、すらりと背の高い姿が美しい逆行のシルエットになって見えた。

横向きの胸が小学生の僕にもボーと見とれるほどすてきだった。

振り向いた瑞枝さんは僕に微笑んでちょっと頭をさげてくれた。

形のいい胸と優しい微笑が忘れられなくなってしまった。

 その日以来、義彦くんとはいやいや付き合いはじめたはずなのに、毎日のように彼の家に遊びに行くようになっった。

瑞枝さんは、僕を見ると、いつも微笑んでちょっと頭を下げてくれた。

その度に、僕は飼い主にしっぽを振る子犬のように嬉しくなるのであった。

 やがて、義彦くんと僕は別々の高校に通うようになった。

それでも、僕たちは付き合いを続けていた。

その頃には、彼は僕の一番親しい友になっていた。

相変わらず僕は瑞枝さんに憧れていて、用も無いのに頻繁に義彦くんの家に行っていた。

けれど、瑞枝さんに会えない日の方がずっと多かった。

 高校2年の1学期の終わりも近づいた日曜日、義彦くんの家に行くと、門は開いたけれど、玄関には戸締りがしてあって誰もいなかった。

仕方なく帰ろうとして庭の奥の方に目をやると、前後には壁の無いガレージの中に下着らしい洗濯物が干してあるのが見えた。

僕はふらふらとガレージの中に入って行った。

2本の物干し竿のそれぞれに女性の下着が何種類か干してあった。

右側の物干し竿に下がっているものの方が心持ちふっくらしているように感じた。

瑞枝さんの下着はこっちの方に違いないと思った。

ブラジャーも干してあって、いつも瑞枝さんのオッパイを包んでいるのはこれに違いないと想像した。

そう想像すると、空間も時間も消えて、そのブラジャーだけが後光がさして見えた。

僕は、すっかり判断力をなくして、ブラジャーを洗濯ばさみからはずした。

はずしてしまってから、はっと我に返った。

どうしよう、どうやって隠して持ち帰ろうかとひどく慌てた。

バッグは持っていなかったし、そうかといって、小さく丸めてズボンの尻ポケットに押し込むのは勿体ない気がした。

ふと気付くと、入り口の所に睦美さんが腕組みをして立っていた。

一瞬、どうしていいのかわからなくなってしまった、立ちすくんでしまった。

次の瞬間、僕は弾かれたようにガレージから飛び出した。

ブラジャーを睦美さんに投げつけるようにして返すと、彼女の横をすり抜けて後も見ずに走って逃げた。

町はずれの入海神社の森まで逃げて行った。

森の中の草に寝転んで、空を見上げた。

これからどうしよう、どこか遠くへ逃げようかなどと、とりとめのない考えを繰り返した。

にもかかわらず、白い雲が流れて行くのを眺めていると、さっきのブラジャーを思い出すのであった。

たそがれ時になって、やっと家に帰った。

その日から数日間は、あのことが町中の人たちにバレてしまうのは時間の問題に違いないとビクビクしていた。

 次の土曜日の夕方、睦美さんから電話がかかって来た。

「あした映画に付き合って」と命令口調で言う。

僕は断わらない方がいいと判断した。

映画のタイトルは『地平線』だったと思うけれど、秋吉久美子が出ていたことしか覚えていない。

上映中、睦美さんはあのことをもう瑞枝さんや義彦くんに喋ってしまっただろうか、ほかの人にも喋ってしまっただろうかと、そんなことだけが頭の中で暗く渦巻いていた。

 それからも睦美さんに付き合わされた。

大学生になっても社会人になっても、ずっと付き合わされた。

僕の態度はちょっとおどおどしていたかも知れないけれど、決して睦美さんがいやだっだわけではない。

むしろ、姉も妹のいない僕には、睦美さんとの付き合いは新鮮だった。

それに、睦美さんのすることを見ていて、いろいろなことを知った。

僕は下着を脱ぐ時、襟首を上に引っ張って脱ぐ。

でも睦美さんは、腕を交差させて下着の左右の裾を持ったまま、バンザイするようにして脱ぐ。

初めて見た時、そんな脱ぎ方もあるのかとびっくりした。

櫛は洗髪の時に髪の毛を梳けばきれいに洗えることも、女性の肌はシャワーをビーズの玉のようにはじくことも知った。

下着の中身が下着なんかよりもずっと素敵なことも知った。

ファーストキスの人も初体験の人も睦美さんだ。

次第次第に瑞枝さんを思い出すことが少なくなっていった。

そうして、睦美さんと僕は結婚した。

先日、近所で下着泥棒があったらしい。

「大倉さんちと加藤さんちで干してあった下着を盗まれたそうよ」

そう言いながら、妻はじっと僕を見る。

僕は心の中で、

『ばか、もう下着なんか盗むものか。僕は中身の方が好きなんだ』とつぶやいた

(おわり)

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