第40話 運命の人は…?

 昨日の夜はテレビのリモコンの電池を替えようとカバーを開けると「杏さん大好き」という紙が出てきた。久しぶりの愛情たっぷりの小さな紙に笑みがこぼれた。


 もう明日で三十一歳。あの日、エルが消えてしまった日。天使の救済処置で永遠に歳をとらないこともできると代わりのおじいちゃん天使も説明してくれたけど、あなたがいない世界で永遠の命があっても意味がない。そう思って断った。  浦島太郎ってそういう意味よね。今になって杏はその理由が分かる。

 エルと過ごしたのは一週間ちょっとだけだった。それでもそれは杏にとってかけがけのない一週間だった。


「おい。杏。いい加減。俺と食事行こうぜ。ずいぶんまえに食事に行くって話しただろ?」

 お昼休み。外に出かけようとする杏の後ろから同期の春人が呼ぶ。

 春人が運命の人だったらなぁって思うことがないわけじゃない。

 でも…ないない。別にエルに反対されたからじゃない。だって恋人っていうより戦友って感じ。残業続きで化粧もボロボロの顔だって見られてるし、春人が私のことを完全に仕事仲間の「男」として接しているのは分かってる。それが居心地がいいんだから。

「何?杏。」

 春人を見ていた視線に何かあるのかと質問される。食事の返事をする前に春人に追いつかれ並んで歩く。

「ううん。なんでもない。食事はそのうちね。ほら。美優ちゃんがランチ行こうって。」

 あとから来た美優をチラッと見て、それでも諦めきれない様子で詰め寄る。

「なんだよ。杏は?」

「私はやめとく。」

 微笑んで軽やかに去っていく杏の背中を残念そうに見送る。そんな二人の様子に呆れ顔の美優が春人の隣を歩く。

「いい加減、杏さんは諦めた方がいいんじゃないですか?それよりも近くにもっといい女がいるって気付きませんか?」

 美優がアピールするように少し背伸びをした。

「そんな女がいたらとっくに目移りしてるよ。」

 全く言っている意味に気付かない春人に、はぁ。とため息をついて質問する。

「どうして杏さんがいいんですか?仲のいい同期って感じじゃなかったですか?」

 だから見落としてた…。まさかそこに落とし穴があるなんて。

「そうだな…。確かにどっちかっていうと男同士って感じだった。気楽に話せるしいいやつって感じで。」

 楽しそうに声を弾ませて話す。本当にいい関係だったのだろう。

「だったら…。」

 美優がためらうように反論する。

「たまたま、すっげー可愛い顔をしてるとこを見ちゃってさ。どうしたんだって声をかけたら…。」

 フフッと優しく笑う春人の顔に美優はドキッとする。

「犬だってさ。飼ってた犬のこと思い出してたって。」

「犬…。あぁ。それなら前に外で杏さんと一緒にいた長身のイケメンくんのことですよ。」

「ええ!あれなの?犬だって…。それに弟じゃないのか?あいつ。」

「最近犬を預かったって言ってたらイケメンくんと一緒にいたからあれは同棲してるって感じですね。弟のわけないじゃないですか。」

 確かに外で会った時の二人の様子は親密そうだった。そいつが会うたびに自分に敵意むき出しなのも、ひしひしと感じていた。そして杏のそいつといる時の顔がまさに春人が見た可愛い顔と同じだった。

「でも俺が見たのはずいぶん前だぜ〜。あの時は犬だ。絶対。」

「でも今は犬じゃなくて男いますよ。それにお二人はとってもお似合いですし。」

「…。 どっちの味方だよ。」

「もちろん、杏さんに決まってます。」

 杏さんが春人さんを好きな素振りがあるんだったらすぐにでも諦める。だって絶対に敵わない。

 だけど…イケメンくんといる時の杏さんを見ちゃったら…。なんて言うのか…そう。あれこそが運命の相手。

 私もいつかそんな人と出会えるのかな。と、いうか…そうなれないかなぁ。

 春人をチラッと見て、当分無理そうだなぁと肩を落とした。

「だいたいちょっと可愛い顔を見たからって…。」

 呆れた顔をする美優に春人はムキになる。

「ギャップだよ!ギャップ!犬なんて、にらんだだけで鳴き止ませそうな杏がだぜ。」

 どこまですごいイメージなのだろう。男って本当に馬鹿…。でもそんなこの人に…自分こそ大馬鹿だ。

「ギャップなんて誰にでもありますって。」

 春人の思い込みをどうにかしたかった。そりゃ杏さんは確かに優しくてかっこよくて、いい人ですけど!

「なんだ。美優ちゃんにもあるのか?そうだな。美優ちゃんが料理上手だったら驚くかもな。」

 意地悪っぽく腕組みをして無理だと決めつけた風だ。

「そのくらい!結婚したいんですから料理はもちろんです。」

 料理が苦手と決めつけた感じが、まったく美優に興味なかったと痛いほどに分かる。

「へぇ。ただ結婚したいって言ってるだけじゃなかったんだな。それにしても結婚したいって言ってる割には浮いた話は聞かないな。毎日のように俺と昼してるようじゃ〜な。」

「結婚できれば誰でもいいわけじゃないんです。」

誰のせいでこうなってると思ってるんだか。

「へぇ〜。意外。」

「ほら。ギャップにクラッときたでしょ?」

「ハハッ。俺がクラッときても仕方ないだろ?…でもまぁ弁当作ってきてくれたらグラッときちゃうかもな。でも美優ちゃんの場合はお母さんに作ってもらって私が作りました!とか言いそうだからな〜。」

 いたずらっぽくそう言うと豪快に笑う。いつもこんな感じだ。私が言っていることはほとんど信じてくれないくせに、ちょっと杏さんの可愛い顔を見たからって急に好きになっちゃったりして。単純なのに極端なのよ。

 それに鈍い…。私がずっと好きですアピールしても、ちっとも気づかないんだから。

「そんなことしませんよ。なんなら今日仕事の後にうちに来ますか?目の前で見たら嘘じゃないって分かりますよね?」

「ま、まぁな。」

 自信がありそうな美優に圧倒されたようにたじろぐ。

「じゃ今日はクラッとさせちゃいますから!」

 ガッツポーズをとる美優が可愛い笑顔を見せた。

「ハハッ。よろしく頼むよ。じゃ傷心者同士、明るくいこうぜ。」

「傷心者…同士?」

「美優ちゃんも杏の連れのイケメンくんを狙ってたんだろ?そのくらい俺にも分かってるって。さぁ行こう行こう。」

 ど、どれだけ鈍いんだろう。まぁいっか。これも惚れた弱みよね。笑みを浮かべながら、待ってください!と春人に駆け寄っていった。

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