第33話 天使の本性

「このまま寝ちゃうとお肌に悪いですよ。」

 そう言うと何かヒヤッとするものが肌に触れた。あ、この匂い…シートのメイク落とし…どうしてこんなこと知って…。

 その後はいつも杏がつけている化粧水と保湿クリームを順番につける。

「良かった。疲れて帰ってきた時のために勉強しといて。」

 そうつぶやくと、おやすみなさい。と優しく頬にキスをした。

 赤くなる顔がばれないように、うぅん。と寝返りをうつ。その背中をエルは少し撫でて「さすがに勝手に着替えさせたら怒られちゃうかな。」とつぶやく声とともに部屋を出ていく音がした。

 キスされた頬にそっと触れると涙が出た。こんなに優しいエルは全てが私を誰か他の運命の人と出会わせるためのもの。この優しささえもやっぱり仕事。それが天使の仕事…。

 分かっていたつもりでもエルの優しさだけは本当のものだと心のどこかで思っていたのかもしれない。それなのに優しくするのも仕事のためだったのだ。

 ずいぶん経ってからまた部屋に戻ってきたエルは石鹸のいい匂いをさせていた。

「あ…。そっかどうしよう。杏さんこっち向きに真ん中で寝ちゃった。」

 そんなつぶやきが聞こえても何も動く気配のないエルに、杏はどうしようと困っていた。また寝返りうつなんて演技とてもじゃないけどできないし…。

「寝ちゃった杏さんが悪いんだもん。」

 と小さく聞こえると背中ではなく、正面の方へ入ってくる。えぇ…と思っているとすっぽり杏を抱きしめるように布団に収まった。

「うぅ…可愛い。」そんな言葉が頭の上から聞こえる。エルって思ったことそのまま声に出ちゃうのかしらと笑えてしまいそうなのをこらえる。

「あとどのくらい一緒にいられるのかな…。」

 そのつぶやきに杏はズキッとする。やっぱりいつかは…そりゃそうよね。そんなことを思っていると

「ずっと一緒にいたいなぁ。」

 とつぶいた声が聞こえた。その言葉に切なくなっていると、ぎゅっーと抱きしめられた。

 ちょ、ちょっとさすがに寝ててもこれは普通起きちゃうんじゃない?とエルにつっこみたい気持ちを抑えてじっとしていると頭の上からスースーと寝息が聞こえてきた。

 抱き枕さながらの状態でがっちり巻かれた腕からは抜け出すことは不可能のようだった。もう!知らない!と胸に顔をうずめた。

「ふふっふ。くすぐったいよぉ。杏さん。」

 寝ぼけながらそう言ったエルは寝返りをして反対側を向いた。杏はびっくりして起き上がる。

「ハハッ。おっかしい…。ハハッ。うぅ。」

 何故か後から後から涙が出てきた。エルが起きちゃうと思いながらも止めることができない涙は、とうとうしゃくりあげるほどになってしまった。

 異変に気づいたエルが飛び起きるように杏の前に座った。

「ど、どうしました?すみません。なんかいい夢見ちゃってて気付くの遅くなっちゃって…。」

 もごもご言うエルにおかしくて泣いているのに笑えてしまう。

「あれ。笑ってるんですか?杏さん?電気つけていいですか?」

 パチンと電気がつけられてエルの困った顔がよく見えた。

「もう。エルの馬鹿。」

「え?えー?」

 困惑するエルに馬鹿は私だと心の中で思う。こんなに純粋なエルが人を騙すなんてそんなことするはずない。仕事かもしれないけど、騙すなんてそんなこと…。

「ねぇ。いい夢ってどんな夢?」

「い、いや〜。」

「何?」

「夢だから怒らないで下さいよ。」

「だから何?」

「杏さんが…杏さんからぎゅっーて。」

 うわっエルの顔が真っ赤。夢を思い出したのか顔を赤くして恥ずかしそうに目をそらす。目を丸くした杏は「もう。」と言ってエルに抱きついた。

「え、えぇー!杏さん…。」

 いつも散々、抱き寄せたりしてるくせにエルは自分の腕をどうしていいのかジタバタしているようだった。

 胸にうずめた顔をエルを見上げるようにあげると、真っ赤なエルの顔がすぐ近くにあった。口に手をあてて困ったように言う。

「杏さん…。その…可愛い過ぎてやばいです。」

 可愛いのはエルよ。と言わんばかりに杏はまたぎゅっーとした。エルも迷っていた腕を杏の背中に回してぎゅっとする。

 少し抱きしめあった後、エルがもごもごと口を開く。

「あ、あの…。今日は一緒に寝るの…無理です。」

「え…どうして?」

「あの…。その…。すみません。ちょっと頭を冷やしてくるので寝てて下さい。」

 そう言うとそっと手を離して部屋を出ていくとガチャガチャと手元がおぼつかない感じの音がしてバタンとドアが閉まる音がした。

 寂しく感じて腕を抱きしめるとまたすぐにガチャガチャバタンと音がしてエルが部屋に入ってきた。

「僕、最低です。杏さん一人にして…。泣いていたのに。」

 また杏の前にストンと座ったエルにおかしくて笑う。

「もう大丈夫だから寝ましょう。」

「いいんですか?大丈夫ですか?」

 戸惑うエルをそのままに杏は先に布団に背中を向けて入った。エルも布団に入るといつもみたいに背中をくっつける。

「エル?」

「ん?なんですか?」

「ううん。なんでもない。おやすみ。」

「おやすみなさい。」

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