第31話 観覧車のてっぺんで

 歩いていると人が集まっている場所があって、それをみつけた杏がエルに声をかける。

「あ!ねぇ犬のふれあいやってるよ!行ってみよう。」

 休みの日のイベントでたまたまやっていたらしい。今日が最終日と書いてある。

 ふれあいコーナーと書かれたその場所は何匹もの犬が遊べる広めのスペースに囲いがあって、その中に入って自由に触れるようだった。小型犬から大型犬まで様々な種類の犬がいた。

「あ〜!可愛い!」

 杏は本来ならこういうところへ来て可愛い!と、はしゃぐのは苦手だった。「可愛いと言ってる私って可愛い」と思ってるんじゃないか、なんて思われることが嫌だったからだ。

 もちろん犬と戯れる自分を見せることも抵抗があったし、だいたい可愛いと、はしゃぐこと自体が似合っていないことはよく分かっていた。

 でもエルにはそんな心配は不要だった。別に何もしなくても可愛いだの似合ってるだの言われていれば、犬を触るくらいどうってことなかった。

 そもそも犬(エル)が犬(本物)と戯れる姿が見たかった。

「ほらほら。可愛いよ。」

「本当。ふわっふわですね。」

 意外なのか、見た目通りなのか、エルは犬に人気だった。

 犬がしっぽをフリフリして嬉しそうによってくる。

「犬はよく分かるって言うわよね。心が優しい人が。」

 杏のサラッとした褒め言葉にエルが照れたような顔をする。

 たまに杏さんって破壊力莫大なこと言ったりするからなぁ。エルはドキドキしながら、犬と戯れる杏を見る。

 犬と遊んでいて嬉しそうにしている姿にこっちも嬉しいような…犬に負けてるような複雑な気持ちになる。

「ねぇ。膝にのせて抱っこしてみない?」

 ふれあいコーナーの中にはところどころに低い椅子が置いてあって、その椅子に座って抱っこしてくださいと入り口で説明があった。

 エルは杏を椅子に座って待っていてもらうと、杏の膝に犬をのせる。

 白いふわふわのポメラニアンで人懐っこい子だった。杏の手をペロペロとなめた。

「可愛いね〜。」

「…。」

 返事がないエルにどうしたのかと見ると不満げな顔をして、ぶつぶつと文句を言った。

「いいなぁ。僕も犬になりたいなぁ。そしたら杏さんにこんなに近づいても文句を言われないしさぁ。」

 ギョッとした周りの視線が痛い。怪しくなる雲行きに、膝にのせたポメラニアンをそっと降ろすとエルの手を引いて、ふれあいコーナーを逃げるようにあとにした。

「どうしてあんなこと言うのよ!周りの人が変な目で見てたわよ。」

「だって〜。」

 素直過ぎるというか、やっぱり感覚がおかしいのよ。

 そう思ってエルを見るとエルは少し離れたところを指さしていた。

「最後はあれに乗りません?」

 指さしていたのは観覧車だった。

「え…あれ?だってデートで観覧車って言ったら…。」

 てっぺんでキスって…。何度もされそうになりながらも、されないまま来てるけど。気にしないようにしても鼓動はどうしても早まってしまう。

「本当の時は観覧車なんてもってのほかです。男と密室なんて…。」

 また予行演習発言か…。そう思いつつエルは男と換算されないわけ?と苦笑した。

 チケットを買うとすぐに乗ることができた。まだ夕方になるくらいの時間帯ではカップルも乗る人が少なかった。きっと夜景がきれいな時間帯に乗るのだろう。そしてそのロマンチックな場面でこそ…。まぁ私たちには必要のない要素ってことよね。

 明るい時間帯でも遠くの景色が見えてきれいだった。

「ほら。エル!あの辺がアパートよ。すごい小さく見える。」

 はしゃぐ杏にエルは柔らかい笑顔を向けた。

「何よ。バカにしてるの?」

 そりゃ私らしくないけど、なんだか何か話してないと落ち着かないんだもの。

 ガタンと観覧車が揺れたと思ったら、エルが杏の方へ座る。

「ちょっと!片方に二人とも乗ったら傾いちゃうわ。」

「大丈夫ですよ。杏さん。こわいんですか?そんなところも可愛いです。」

 恥ずかしげもなくそう言ったエルが手を引いてぎゅっと抱き寄せた。また観覧車がガタンと揺れる。

 ちょっと!男と密室で抱き合うってどういうことよ!さっき自分で注意したことでしょ?と思いつつ、二人っきりのアパートのベッドにいて何もないんだから、今さらか…と苦笑した。

 エルの匂いがして胸がキュッと痛くなる。初めて抱き寄せられた時も感じた匂い。それに細身でもがっちりした腕。

 可愛いペット程度にしか思わなかったエルが男なんだと抱きしめられるたびに思い知らされる。今は可愛いペットなんて微塵も思えなくなってしまったけど。

 無言のまま抱きしめていたエルがボソボソっと口を開いた。その内容はショックなものだった。

「杏さんは僕がいなくなっても運命の人を見つけて幸せになってくださいね。」

 仕事だと、予行演習だと分かっていたけれど、心のどこかで他の何かをのぞんでいたのかもしれない。

 杏は決定的に突き付けられた最終通達にそのあとどうやってアパートに戻ったのかさえも覚えていなかった。

 気づいたらアパートのベッドの中だった。いつものように背中をくっつけているエルがボソボソと何かを言っている。

「杏さん。僕は杏さんの担当の天使で本当に幸せでした。本当です。だから…。」

 もういい。分かっている。これ以上、何も言わないで…。

 エルは何か言いたそうにして、言葉を飲み込む。そして明るい声で言った。

「僕は杏さんとデートができて幸せでした。こんなに幸せなことってないです。だから…必ず杏さんにも幸せになってもらえるように頑張ります。」

 私の幸せは…そう言いたくても言えずに杏は無理矢理に目をつぶった。

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