第20話 ご褒美
まだ七時になるくらいに、どうかき集めてもやる仕事がなくなってしまった。仕事がなくては帰るしかなかった。
まぁ最近はエルも忙しそうにしているからアパートに帰ってもいないかもしれないし。エルがいたらいたで、なんとなく顔を合わせたくないし、いないはいないで…なぁ…。
そんな気持ちのまま足はコンビニに向かう。
コンビニで時間つぶすなんて家に帰りたくない居場所のないお父さんみたい。
ハハッと自分の行動を嘲笑した。居場所…。エルの隣が自分の居場所と思ってしまうのがこわかった。
「あれ?杏さん。」
不意に声をかけられてたじろいだ。でももう見つかっている。隠れようがない。
「すみません。あの…グラタン失敗しちゃって。」
エルが申し訳なさそうに口を開いた。
「え?なんのこと?」
全く別のことに心を費やしていた杏は拍子抜けする内容にピンとこなかった。
「お昼に食べてたグラタンが美味しそうだったので一緒に食べたくって。」
手に持っている袋の中身を杏に見せるとコンビニのグラタンが二つ入っていた。きっと今まで試行錯誤してグラタン作りを頑張ってくれたけど、どうにも無理でコンビニに走ったんだろう。
どうしてこの子はそういうことが出来ちゃうんだろう。
「私はお昼に食べたんだけどなぁ。」
私もエルと食べたいと思ってた。なんてこと口が裂けても言うものか。
「あぁそうですよね。ごめんなさい。気づかなくって。二回連続でグラタンはないですよね…。しかもレストランのあとにコンビニのって…。」
しょんぼりする図体のでかいペット兼 弟の背中をバシッとたたく。
「もういいわよ。いまどきのコンビニのって美味しいし。ほらアパートまで競争!」
え?という顔のエルを置き去りに走り出す。エルと一緒にいることに喜んでいることを悟られないように。
「やった〜勝ち。」
アパートに先についたのは、もちろんエルだ。パンプスと革靴では革靴の方が速いに決まっている。リーチだって悔しいけどエルの方がはるかに長い。
「靴ずれは大丈夫なんですか?競争なんていうから驚きました。」
なんて百点満点の答え。
「絆創膏してるから大丈夫。それにそれくらいじゃ負けるつもりなかったし。」
負け惜しみを言っても完敗していた。
「じゃ勝ったご褒美もらってもいいですか?」
アパートの階段を登りながらエルが無邪気に言った。
「何を言ってるのよ。そんなのやる前に言わなきゃフェアじゃないわ。それよりスーツって一着しか持ってないの?」
服をアパートに持ち込んだりしてはいない。鞄と紙袋もいつの間にかどこかに運んだようだ。エルの荷物は何もなかった。寝る時はいまだに杏の部屋着を小さいけれどなんとか着ていた。
何も自分の物を置いていかないところが、いつかいなくなることを考えているようで見たくない現実を見せつけられているようだった。
「え?だって天使だからそういうの必要なくないですか?」
だ、か、ら。都合が悪い事を天使で済ませないで欲しいわ。
先輩のところに通ってるみたいだし、そこで洗濯したのを借りたりしてるのよね。きっと。
そんなことを考えてドアを開けると素早くエルも一緒に入って後ろ手でドアのカギを閉めた。
「どうしたの?エ…ル。」
靴を脱ぐ間もなくエルが杏を抱きしめる。
「な…ちょっと…今はこうなる理由ないんじゃない?」
体を精一杯、突っぱねたところでかなわないのは、初日に分かっていることだけど、それでも抵抗する。
だって先輩から仕事だからと、くぎを刺されたんだから。なびいてたまるか。
「理由って。競争勝ったからご褒美。」
「ご褒美って…。」
「だって杏さんだってお昼に頭を撫でたじゃないですか。」
それがなんだっていうんだ。
「僕だってぎゅってして癒されてもいいじゃないですか。」
な、何を言っているんだ。この子は…。
「と、とにかくグラタンが大変なことになるわ。」
手に持ったままのコンビニの袋が右へ左へ暴れている。
むぅと不機嫌な声を出すと杏を離してソファのところまで向かう。その姿を見て安心してやっと靴を脱げた。顔を上げるとニコニコしたエルが自分の隣をトントンとして、ここに来てと言っているようだった。
犬だったら完全にしっぽ振ってる感じね。そう苦笑しつつ、待ち構えられているところに行くのはなぁと渋っていると「杏さん!」と痺れを切らした声がした。
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