第18話 刺されたくぎ
お昼。春人と美優の誘いを断りきれずにランチに出かけていた。今日もエルがお昼は用事が…と言うので、その言葉への反発心かもしれない。
お店に向かう道行く人の中にじっと杏を見ている人がいた。横断歩道の向こう側でじっとこちらを見ている。雑踏の中にいるはずなのに、その人は迷いもなく杏を見ているようだった。美優もそのことに気づいたみたいだ。
「杏さん。あの人ずっと杏さんのこと見ていませんか?」
信号を渡るとその男の方に行くことになる。なんとなく行きたくない気持ちになるけれど、春人が明るい声を出した。
「男の俺がいるんだから大丈夫。案外頼りになるだろ?」
ニッと白い歯をのぞかせた。
絡まれた時に助けたことを言っているんだろう。
確かに男の人がいるだけで違う。こういう時は背がいくら高くたって女ではどうにもならないのだ。不公平だな。
そんな思いを持ちながら信号が赤から青に変わったことを確認する。
顔を固くして男の方へ進む。横断歩道の前にいるのに渡らない男にだんだんと近づく。そのまま通り過ぎようとすると男が三人の前に立ちはだかった。
男は長身で、すらっと高い姿はエルといい勝負なのかもしれない。サラサラとした短い髪はエルとは違う意味で触り心地が良さそうだった。目は切れ長で整った顔立ちには威圧感がある。
美優は美優で、最近、長身のイケメンに会う確率が高過ぎないかな。と思って杏を見たが、そんなことを考える余裕のなさそうな杏に声をかけるのは控えた。
「何か用ですか?」
春人は言った通り一番に口を開いて対処してくれるつもりでいるようだった。
ありがたいわ。そう思っていても男は春人を無視して杏の前に立った。
「杏さん。あなたにお話ししたいことがあるんです。」
春人は無視されたことにいささか腹を立てたように杏とその男の間に割り込んで話し出す。
「ちょっと。あんたに用があっても、こっちにはないんだ。なぁ杏。」
杏も、えぇとうなずこうとする。するとその男から意外な言葉が漏れた。
「そうでしょうか?杏さん、いえ、杏様の気にしていらっしゃる奴のことで話があるのです。」
杏様と言われ急に「奴の」という「奴」が誰なのか頭に思い浮かんだ。
「何かあったんですか?エ…っとその、あの子に何かあったんですか?」
杏の変貌に状況をつかめない春人の隣で美優は、あぁきっとあの長身イケメンくんのことだわ。と察する。
「春人さん。杏さんのお知り合いだったようですし、私たちは別でランチに行きましょう。」
では。とお辞儀をして、なんでだよ。と文句を言う春人を連れて離れた。見えないところまで二人が行ったことを確認すると男は、さぁ行きましょうと杏をエスコートした。
着いたところは前にエルと一緒に行ったレストランだった。
ここ、知り合いによく会うところなのに大丈夫かな。
そんなことを思っていても連れてきた男は席についてしまった。
「あ、椅子お引きした方が良かったですか?あまりレディファースをし過ぎるのはお好みじゃないようでしたので。」
このレストランに着くまでの間にそこまで見抜いたのだろうか。いや。エルの知り合いみたいだから結婚相談所の人かもしれない。それなら私の細かい情報を知っていてもおかしくはない。
「いえ。お気遣いなく。カジュアルな場所ですし、そこまでしていただかなくて結構です。」
聡明な方ですね。と微笑んで言われても、気を許していいのか分からない笑顔だった。そんな杏のようすを気づいてか、雑談をすることもなく、ランチの注文だけ済ませると、さっそく本題を話し始めた。
「智哉は元気です。別に智哉に何かあったわけじゃない。」
ホッと安堵すると「じゃどうして?」と疑問が口を出た。
「智哉がお熱なお客様がどんなかと思いましてね。」
ふ〜んと品定めするように上から下まで眺めた男はフッと笑った。
感じ悪っ。お熱って嫌な言い方…。お客様って言ってるんだから私たちがどんな関係か分かっているはずなのに。
「本当はずっと付きっ切りじゃなくていいんです。」
「え?なんのこと?」
急に話が飛んで頭がついていかなかった。
「担当したお客様とその担当者のことです。智哉がどう説明したか知りませんが…。」
あぁそのことか。それなら私だって分かってる。四六時中一緒にって意味じゃないと思うと最初に告げたはずた。
「それは分かっています。そう彼に教えてあげたらいいじゃないですか。」
冷静にそう言ったところで店員の人がテーブルに来て会話が中断する。注文したグラタンを店員がテーブルに置いた。
男は冷めないうちにと杏に勧める。すぐに男のチキンソテーが運ばれてテーブルに食欲をそそる匂いを充満させた。もちろんグラタンも美味しそうだ。
そうだ今度はグラタンも作ってあげたいな。でも最近、夜もいないことが多いからな…。食事やっぱりエルと食べた方が楽しいや。
グラタンは美味しいはずなのに味気なくてエルのおにぎりの話を思い出して苦笑した。
一人で食べた方がよっぽど美味しいかも。 向かいに座る端正な顔立ちは美味しいものを食べているはずなのに、ぴくりとも動かなかった。
「では…智哉が仕事さえすればうちに住まわせても構わない。そういうことでよろしいですね。」
え…。驚いたのは違うことを考えていたところに、急に言われたからだけじゃない。そりゃ話の流れからそうなるけどさ…。
「では質問を変えます。杏様は智哉と過ごさなくても…というか会えなくても構わないですよね?」
え…この人、何言っちゃってるの?顔にその思いがそのまま出ていたのかもしれない。苦笑というか、あざ笑うようにこちらを見ている。
「困るんですよね。うちのものに仕事以外のことをさせるのは…。それに早急に運命の人を見つけていただかないと効率が悪くて。」
ちょっとうんざりしたような声色が含まれていたのは、わざとなのか本心なのか…。
仕事以外…そうか…そりゃそうだ。でも早く見つけてって、そっちが結婚相談所の社員としてはポンコツのエルを私に寄越したんじゃない。どうして私が責められなきゃいけないのよ。
だんだんイライラしてきた。そこへ別の声がした。
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