第3話 ご迷惑をおかけします
いつ寝たのか思い出せないほどグチャグチャな気持ちを洗い流すように熱いシャワーを浴びた。着替えをしてカーテンを開けると穏やかな光が部屋に入った。
あ〜ぁ。晩ご飯食べないまま朝になっちゃった。人に振り回されるなんてらしくない。と気持ちが沈む。
「このまま家にいたらウジウジ虫になっちゃうわ。」
そうつぶやいて出かける準備を始めた。楽ちんな白いワイドパンツに藍色がきれいな春ニットを着る。鏡の前に立って全身を眺めてみた。ラフな格好でもクールに見える自分に可愛いとはほど遠いなと嘲笑する。
昨日のあの天使とか言ってた男はなんなのだろう…。でもまぁいいわ。さすがにもう諦めたでしょ。それに次に会ったところで、もう弱みなんて見せないし。
鞄を持ち靴を履いた。もう背など気にしなくていいと、ヒールの高いのを選んだ。
ガチャ。ドアを開けるとデジャビュかと頭をかく。またそこに座り込んだ男がいた。
「あ、杏さん…。」
へへッと力なく笑った体が、ぐらっと横に倒れかけた。急いで支えると体がものすごく熱い。
今は穏やかな光が降り注ぐドアの前も夜は冷えたはずだ。
「バカ!あんたもしかして一晩ここにいたの?昨日の最初の数時間でも寒かったでしょ?あのあともずっとここにいたわけ?本当バカ…。」
体を持ち上げようとしても、さすがに重い。部屋に入れようとしていることに拒否しているわけではなさそうだが、協力的というわけでもなさそうだ。
「ちょっと!少しは動こうとしてよ。こんなとこにいたら余計…。」
風邪を甘く見てはいけない。それは自分への教訓だ。
子どもの頃にまさに風邪を甘く見て、肺炎になりかけた。大事を取って入院してつらかったことを覚えている。だから余計にこのまま病人を放っておくことができなかった。
「ダメです。また杏さんに迷惑をかけます。僕はここで大丈夫です。」
は?ずっとここにいるつもりか。冗談じゃない。
「ここにいられたほうが迷惑よ。いいから早く部屋に入って。」
休みの朝とはいえ、アパートの人が通りかねない。いやいや、もうすでに夜の段階で座り込んだ智哉を見られていそうだ。
なんでこう面倒なことを次から次へと…。そう思いながら肩にもたれさせるように部屋に入れた。
「すみません…。迷惑をかけて。でも杏さんが運命の人を見つけるまで側にいなくちゃいけなくて…。」
成約がとれるまで帰ってくるな!とかいう厳しい会社なのかしら。そうは思っても二十四時間っていうのは異常だ。
「それは四六時中ってわけじゃないと思うわよ。だいたい家に帰らなくて大丈夫なの?」
なんとか部屋まで運ぶとベッドのところで肩から降ろす。どさっとベッドに倒れ込む智哉を心配そうにベッドの近くに座った。
「いけません。ここ杏さんのベッド…。杏さんが寝れません。」
熱でつらそうに途切れながら言う智哉は相当つらいようだ。いけないと言っていても一人で動けないようだった。
「気にするところがずれてるわ。いいから少し寝なさい。私は出かけようとしてたところだし。何か食べたいものある?まだ食べれないか…。」
考えている杏に智哉はおずおずと口を開いた。
「おにぎりを…。あぁすみません。わがまま言って。」
驚いた顔をした杏に怯えるように縮こまる。杏はフフッと笑うと智哉の頭を撫でた。
「おにぎり本当に好きなのね。分かったわ。買ってくる。その代わりちゃんと寝てなさいね。」
優しい顔でそう諭して杏は部屋を出た。ベッドに残された智哉は「殺人級の笑顔…。すっげー可愛いのになぁ。」とつぶやいて眠りについた。
杏はドアの外で柔らかい髪に触れた手を見つめていた。
髪に触れただけで優しい気持ちになるなんて…。こんな気持ちは初めてだった。
ビクビクしていたのに頭を撫でられると、撫でられることにすっかり身をゆだねた智哉の安心したような顔を思い出す。その顔に余計に癒される気がした。
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