運命の人はいかがいたしますか?
嵩戸はゆ
第1話 今日は厄日
「別れよう。杏は俺がいなくても大丈夫だけど、結菜ちゃんは俺がいなくちゃダメなんだ。」
圭佑は当たり前のことを言うようにほざいた。久しぶりに会おうと呼び出されたカフェ。そこに着いて注文したコーヒーがきた数秒後の発言がこれだ。もちろん私は去っていく男に泣きすがるような女じゃない。
「そうね。分かったわ。別れましょう。私には圭佑よりも相応しい人がいるわ。」
自分から別れ話をしてきたくせに圭佑はぐうの音も出ない顔をしている。
がたいのいい体と甘いマスクで女うけする圭佑は身長こそ杏と変わらない。ただ杏が172センチと女性にしては大きいだけだ。
「杏といると俺のプライドとか自信とかがどんどん無くなっていくんだ…。やっぱり杏もそう思っていたんだな。」
男としてのプライドをへし折られ肩を落として立ち去っていった。
おいおい。カフェ代置いてってよ。そういうところがダメなんだよ。
心の中で舌打ちをしてお会計を済ませるとカフェを出る。
可愛いというよりクールビューティといわれる杏はその呼ばれ方に恥じない、すらっと長い脚で颯爽と歩く。白いブラウスにひざ丈のフレアスカートのモスグリーンがひらひらと揺れた。
せっかく運ばれてきたコーヒー。あれをぶっかけてやれば良かったかしら。いやいや。あれで正解よね。
きれいに巻かれたロングヘアーを風になびかせ、完全勝利をおめた気分でアパートに戻った。
アパートに戻るとすぐにインターホンが鳴る。誰だろう。こんな土曜の午前中に。やっぱり女性の一人暮らしなのだからカメラ付きのインターホンに変えるべきだろうか…そんなことを思いながら返事をする。
「はい。」
「あの~すみません。先ほど圭佑さんにお振られになった杏様ですか?」
アパートのドアの前で平然とデリカシーのない声が響いた。
心臓がドクンと波打ち、足が廊下に張り付きそうになるのを無理矢理に引きはがす。
ガチャッ。急いでドアを開けヒソヒソ声で反論した。
「ちょっと!大きな声でそんなこと、ここで言わないでよ!」
休みの日の朝にそんなことしたら誰に聞かれるか分かったもんじゃない!
にらみつけた先にいたのは大きくてひょろっとした男だった。モデルみたいと言われる杏の身長を優に超えていた。
珍しく見上げた顔は、身長が高いだけの頼りなさそうな男だった。杏を見下ろした顔に少しくせ毛の柔らかそうな髪がかかる。
人畜無害そうなやつ。見た目の第一印象からはかけ離れたさっきの言葉に、本当にこの男から発せられた言葉? といぶかる。
「確認しないといけない決まりでして。圭佑さんに…。」
もごもごもご…。またひどいことをぬかしそうな男の口をふさいで部屋の中に無理矢理引っぱりこむ。
「ちょっと!どういう嫌がらせ?もしかして圭佑の差し金?」
さっきやり込められたことにそんなに腹を立てたのかと勘ぐる。まさかそこまで…。
「いえいえ。圭佑さんはあのあと結菜さんとラブラブデートに向かわれました。」
「は?」
さっきからそうだけど、空気とか読まないわけ?
眉間にしわを寄せ今にも血管ブチ切れそうな杏をよそに、傷に思いっきり塩を塗り込むように男は続ける。
「久しぶりに会えるとウキウキして約束の三時間前から入念に肌のお手入れにオシャレに化粧もばっちりして行ったのに残念でしたね。」
余計なお世話の内容を、読み上げたような言い回し。ちっとも残念そうに聞こえないセリフにますます怒りがこみ上げた。
「なんなの?あんた。」
今にも回し蹴りを食らわせたい気持ちをなんとか抑えて杏は男をにらむ。
「あ、申し遅れました。わたくしは会わせ屋です。」
は?会わせ屋?別れさせ屋じゃなく?意味が分からない顔をしたことを感じ取ったのか男は付け加える。
「運命の人にです。」
ドン。男の背中を乱暴に押して玄関へ追いやる。ヤバイ。変な結婚相談所とかの勧誘だ。そういえばスーツ姿で手には資料の入った手提げ袋を持っている。きっと弱みにつけこんで契約させるつもりだ。どこで情報を得るのだろう怖い世の中だ。
「結構です。間に合ってますので。」
ぶっきらぼうに言ったその言葉とともに男を外に追い出そうとする。
男はドアから押し出されまいとジタバタと抵抗する。
「待ってください。何か勘違いされています。運命の人に出会うのを三十歳と決められたのは杏様ですよ。」
三十歳…。昨日、誰にも祝ってもらえずに一人寂しく、なりたくもない三十歳になった。その傷までえぐるのか。人畜無害と思って部屋に入れた自分の見る目のなさを呪った。
「いい加減なことを言わないで。自分で決めたって…。決めた覚えないし、決められるなら二十三歳とかにするわよ。」
なんでわざわざ三十路なんかに…。嘘をつくならもっとばれない嘘をついて欲しい。これだから男はダメなんだ。はぁと深いため息をつくともう一度男を押す。
「出て行って。」
相容れない様子を感じたのか、今度は反論することもなく男は出て行った。
何時間そうしていただろうか。杏は玄関で崩れるように座り込んで放心状態で玄関をみつめた。
今日はなんだと言うのだ厄日か?
何もする気も起きず玄関でうなだれるように横になった。
何も考えたくない。こんな時は寝るに限るわ。
激昂した頬にフローリングが冷たくて心地いい。
眠くなくても目を閉じて何も考えないように眠りについた。
体が痛くて目が覚めると「寒っ。」と身震いをする。いくら暖かい春の陽気になったとはいえ、何もかけずにフローリングで寝るには早過ぎたようだ。フローリングで寝るのにいい季節などないのだけれど。
嫌な気分でもお腹が空いた杏は「人間だもの。」とつぶやいて冷蔵庫を開ける。ガランとした冷蔵庫に連日の残業で何も入っていなかったことを思い出してガッカリした。
仕方ない。コンビニ行こうか。
だいたい似合っていない。そう思っていたフレアスカートを脱ぐとジーンズに履き替える。
財布を持ち、玄関の鏡でボサボサの髪を申し訳程度に整えた。遅い昼食を調達しに靴を履いた。
ガチャリ。ドアを開けるとそこにある人影におののく。
三角座りさながらのそれは自分よりも背が高いとは思えないほどに小さくなっていた人畜無害野郎だった。
「はぁ。何よ。まだなんか用があるの?」
大きなため息とともに迷惑だという態度を露わにする。
「あいにく私はあんたに用はないの。コンビニに行ってる間に帰ってちょうだい。」
寝てパワーを回復させた杏は男を見返すこともなくコンビニに向かった。
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