安眠を求める大学生2人の日常

タウタ

貸し借りの関係

「いっちゃん、お願い!」

 正座して顔の前で手を合わせる。拝むな。俺はまだ仏じゃない。

「明日のフィールドワーク、集合七時なんだよ。遅刻したら置いてかれるし、単位貰えないんだよ」

「じゃあ、寝るな」

「たくさん歩くのに寝ないとか無理ぃ」

 そんなことは知ってる。俺も恭平も寝ないと動けない。徹夜でレポートを仕上げることも、一晩中カラオケで騒ぐこともできない。知ってるから、怒ってるんだ。

 フィールドワークがあるのはずっと前からわかってたはずだ。だったら、なんでそれをもっと早く言わないんだよ。風呂入ってスウェット着て、惰性で見てるドラマのエンディングが流れてて、さあ寝るぞってときまでどうして黙ってた? 早く聞いてれば俺は明日の朝のバイトを入れなかった。

「おれのイチゴ食べていいからぁ」

 睡眠は一限目がある方を優先する。二人とも一限がある場合は正々堂々と勝負して決める。時間割以外の用事があるときは相談して決める。それがルール。大学に入ってから一年かけて二人で決めた。俺は決めたことを守らないのは嫌いだ。それが俺にとって不利益なのはもっと嫌いだ。

「見たいって言ってた映画奢るからぁ」

 恭平の頭はどんどん下がっていって、とうとう土下座になった。それでもまだ手を合わせている。横の刈上げが見えなくなって、上の方のパーマをかけた金髪がふわふわしている。きっとこいつは、俺が頷くまでこの格好のままだ。俺が自分の部屋に行ったらついてくる。ベッドには入ってこなくても、傍で拝み続ける。結局、俺は眠れない。

「一個貸しな」

 そう言うと、恭平は勢いよく頭を上げた。漫画だったらバックに点描トーンが飛んでそうだ。

「女神様!」

「誰が女神だ!」

「いっちゃん大好き!」

 抱きしめられる。鎖骨がぶつかって痛い。骨っぽい腕でぎゅうぎゅう締めつけられる。

「わかったわかった。わかったから寝るぞ」

「うん!」

 恭平は元気に自分の部屋へ走っていった。なんか音がするのは、ベッドの上から物を床へ下ろしてるんだろう。俺は自分の部屋から目覚ましを持ってきた。恭平のドアはいつでも全開で、トイレに行くたび部屋の中が見える。ルームシェアなんてドアを閉めなけりゃプライベートゼロなのに、なんで開けっ放しなんだろう。

床はベッドから追い出された漫画や服でいっぱいだ。それでもちゃんと通り道が確保されている。そんなことしないで片付ければいいのに、といつも思う。

 恭平は先に布団に入り、満面の笑みで自分の隣をばしばし叩く。正直うぜぇ。わがまま言ったんだからもっと殊勝にしてろ。

「何時に起きる?」

「えっとね、六時」

「ん、わかった」

 六時か。早いな。でも、それくらいか。恭平は支度に時間かかるからな。口でかいくせに飯食うのも遅いし。

目覚まし時計を六時に合わせる。電気を消して隣に入ると、すぐに背中から抱きつかれた。

「暑い」

「布団脱ぐ?」

 いや、そうじゃねぇだろ。どうしてこいつはこう……まあ、いいや。暑くても暑くなくても、どうせ俺は眠れない。

「おやすみ」

「うん、おやすみ」

 恭平は十分もしないうちに寝た。俺の頭に息がかかる。それも少し暑い。

俺も恭平も条件がそろえば寝つきはいい。

条件がそろえば。

 恭平は、人がいないと眠れない。同じ布団にもう一人入ってないとダメらしい。一人っ子だから、家を出るまで十八年間、ずっと両親と寝ていたことになる。おじさんの顔もおばさんの顔も知ってるが、三人並んで寝ているところを想像すると、何かの間違いなんじゃないかと思う。

 俺は、人がいると眠れない。同じ部屋にいると眠りが浅い。同じ布団はもうダメだ。だから、今はダメだ。子どもの頃は姉貴と同じ部屋で、そのうち姉貴が自分の部屋が欲しいと言ったから、俺は一人になった。そうしたら、驚くほどよく眠れた。姉貴がもっと早く自分の部屋を欲しがっていたら、俺はもっと早く安眠を手に入れていた。そうしたら、もっと成長ホルモンが出て背が伸びたかもしれない。くそっ。

 恭平がでかいのはきっと子どもの頃によく眠れたからだ。小学校で毎日泣きながら牛乳残してたくせに、百八十もあるなんておかしい。

 ルームシェアを言い出したのは恭平のおばさんだ。同じ大学に行くことがわかったときだった。いっちゃんはしっかりしてるから恭平のことよろしくね、なんて言って。母さんも乗っかった。恭ちゃんがいなかったら一也は引きこもりになっちゃうからよろしくね、なんて言って。俺は最初から一人暮らしがよかった。誰にも邪魔されずゆっくり眠りたかった。くそっ。

「んー……」

「なんだよ、起きてんのか?」

 腰にぐるぐる巻きついた長い腕を抓る。これくらいじゃ恭平は起きない。けど、抜け出すと起きるんだよな。抓ってもひっぱたいても起きないくせに、俺がいなくなると起きる。それから、迷子みたいに俺を呼び始める。昔からそうだった。

 こんなにくっついて暑くないのか? 息苦しくないのか? どうして寝てられるんだ? なんの魔法だ? 俺にもかけてくれ。俺だって寝たい。眠いんだ。でも、眠れないんだ。

 明日のバイト、レジ打ち間違えないようにしないきゃな。朝でよかった。昼の時間に入ったら眠気と忙しさで死ぬかもしれない。授業中に寝そうだ。どこかで昼寝できねぇかなあ。

「いっちゃん」

「んあ?」

「いっちゃん」

 寝言か。おい、やめろ。苦しい。暑い。

 最悪だ。こいつが帰ってくる前にイチゴ全部食ってやる。映画も一本と言わず二本奢らせてやる。

 恭平が早く一人寝に慣れてくれればいい。そうしたら、俺は一人でのびのびと眠れる。



「わあっ! あー、びっくりしたぁ」

 いっちゃんの目覚ましは何回聞いてもびっくりするぐらいうるさい。隣の部屋にもきっと聞こえてる。いっちゃんは目覚ましを止めるのがすごく速いけど、あれは多分、近所迷惑になるのを気にしてるんだ。今もおれがびっくりしている間に、いっちゃんが目覚ましを止めてくれた。

 いっちゃんの顔を覗き込む。半目になっててちょっと怖い。やっぱり全然眠れなかったんだ。それなのに朝までいっしょにいてくれて、いっちゃんはすごく優しい。

「いっちゃん、おれ、起きるね」

「ん」

「いっしょに寝てくれてありがとね」

「ん」

「フィールドワークがんばってくるから」

「ん」

「イチゴ食べていいからね」

「ん」

「映画いつ行くか決めといてね」

「ん」

 おれはもう部屋に戻ってこなくてもいいように、鞄や服を全部持った。いっちゃんは同じ部屋に人がいるだけで眠れないときがあるから。大変だなあ。いっちゃんが早く誰かといっしょでも眠れるようになってくれるといいなあ。そしたら、毎日いっしょに寝られる。

「いっちゃん、おやすみ」

 おれはいっちゃんの邪魔にならないようにそーっとドアを閉めて、そーっと居間で着替えてご飯を食べた。玄関のドアもそーっと閉める。

空がぴかぴかしてる。



「あー……やっと寝れる」



Fin.

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