第13話 逃亡者グロリア


 やがてグロリアの脱走は城内に知れる事となり、ここ使用人の休憩室もこの話題で持ちきりだった。


「ねえねえ、聞きましたシオンさん!? あのグロリアさんが牢から脱走したんですって!!」


「……知ってるわ……一体何を考えてるのかしらあの子……これじゃみすみす自分が犯人だって言ってるよ言うなものじゃない……」


 ゴシップとスキャンダルが大好きなリサが仏頂面のシオンに話し掛ける。

 普段この二人はあまり会話を交わさない、ただリサはこの飛び切りの大ネタを誰かと話したくて仕方が無いのだ。

 ただそのネタの張本人が友人のグロリアなのだから多少不謹慎であるのだが。


「捕まったらグロリアはどうなっちゃうのかしら……」


「……より重い罰が与えられるでしょうね、ただこんなに城内が混乱していたら警備が手薄にならないのかしら、これでは別の賊が侵入して来ても対処できないでしょうに……」


「まあ、それは怖いですねわ……」


「そのための避難命令がさっき出ていたでしょう? さあ私達も皆さんが集まっている避難場所に行きましょう……」


「あっ、シオンさんは先に行ってて下さらない? 私、厨房の火を落としてから参りますわ、さっきお湯を沸かしていたもので……」


「そう、急いでね……」


 休憩室を出た二人は二手に分かれ、シオンは避難場所、リサは厨房の方へと向かった。




 夜も更けた城内、廊下の柱に背を付け先の通路の様子を窺うグロリア。

 視線の先には一人の衛兵が立っている。


(これじゃ私の方が暗殺者みたいじゃない……)


 衛兵が奥へ向かうと同時に彼女も廊下を進み、衛兵がこちらを振り向く前に次の柱の裏に隠れる……まるで『だるまさんが転んだ』をやっている様だがグロリアは真剣そのものだ。


(本物の剣も持ってるし今捕まったら今度こそ言い逃れは出来ないわ……私、本当にこんな事をして良かったのかな……)


 自称『通りすがりの美少女くのいち』の言うがままに牢獄を抜け出したまでは良かったが、今になって罪悪感が彼女の中で大きくなってきていた。


(シャル様の部屋まで行っても暗殺者が今夜来なかったら……ああ、やっぱり来るんじゃなかった……)


 頭を抱えるも時すでに遅し、こうなった以上もう後戻りはできない。

 仮に今夜暗殺者が現れなかったとしたら逃亡を続けてでも犯人を挙げる以外にグロリアが無実を証明する方法はないのだ。

 衛兵がまた移動を開始したので柱から身を乗り出したその時……。


「……おや? そこに居るのはグロリアではないですか?」


「……ひっ……!?」


 不意に背後から声を掛けられ飛び上がる。

 恐る恐る振り向くとそこには彼女の武芸の師であるグラハムが立っていた。


「あのっ……!! そのっ……!! これは……!!」


「おや……? その腰の剣は……」


「………!!」


 両手を振り回し慌てふためくグロリアは何とか言い訳をしようとするがパニックを起こしてしまい上手く頭が回らない。

 そいうこうしている内にグラハムに腰に差したレイピアが見つかってしまったのだ。


「……はぁ……全くあの子ときたら……もう少し手段を選んでほしい所ですね……」


「えっ……?」


 グラハムがやれやれと首をすくめる。

 グロリアには何が何やらさっぱりだ。

 程なくして駆け足でこちらに迫って来る足音が聞こえる、一人の衛兵がこちらに向かって来ていた。

 グラハムはグロリアを柱の陰に隠すと、自身もそこを背中で隠す様に向き直る。


「これはグラハム殿、実は収監中の容疑者である赤服のメイドが脱走したようなのです、現在城内を捜索中ですが、お見掛けしませんでしたか?」


「はて……こちらでは見ていませんね……私も探してみますから見つけ次第お知らせしますよ」


「はっ!! ご迷惑をお掛けします!!」


 衛兵は深々とお辞儀をすると再び駆け足でこの場を去っていった。


「先……生……?」


 グロリアはグラハムの行動に疑問を持った。

 彼は衛兵の技術指導も請け負っており、その誠実さや忠誠心は国王は元より国の上層部の人間からも信頼されている。

 そんな彼が自分の弟子だからと言う理由で確定ではないにしろ暗殺未遂の脱走犯を庇うものなのだろうかと。


「……ここはいいから行きなさい……武運を祈っていますよ……」


 背中越しに声を掛けられる、それはとてもやさしい声だった。


「はい……ありがとうございます」


 釈然としないものの、グロリアは助けてくれたグラハムに礼を言い改めてシャルロット姫の部屋を目指した。




 既に明かりが落ちた室内、天蓋付きの豪奢なベッドで安らかな寝息を立てるシャルロット。

 窓が音もなく開けられるとするりと黒い影が室内に忍び込む。

 足音を立てずにベッドの傍らまで近ずくその人物は懐から短刀を取り出すとおもむろに鞘から引き抜き、そして頭上に大きく振りかぶる。

 そしてまさにシャルロットに振り下ろそうとしたその瞬間……。


「う~~~ん……」


 偶然寝返りを打ったシャルロットの足が暗殺者の腹にぶち当たった。

 実はシャルロットはとても寝相が悪いのだ。


「ぐっ……!!」


 よろめき思わずうめき声を上げてしまう暗殺者、するとその声でシャルロットが目を覚ましてしまった。


「はっ……!! あなた、何者!?」


「………」


 大声を上げ文字通りベッドから飛び起き暗殺者と対峙する、しかし月明りが刺し込んでいるだけの薄暗い部屋、無言の暗殺者は頭に黒いフードを被り口元に覆面をしているので正体が窺い知れない。

 シャルロットが起きたとはいえ状況は暗殺者側が有利なのは変わらない。

 暗殺者は短刀をシャルロット目がけなりふり構わず振りかざして来た。

 寝起きとは言え日々の鍛錬のお蔭で短刀をかわし続ける、しかし彼女は丸腰だ、このままでは埒が明かない。


(何とかアイツの隙を突いて部屋から逃げなきゃ……)


 シャルロットは部屋にある物を手あたり次第、暗殺者に投げつけ始めた。

 しかし暗殺者は難なくそれを避けたり叩き落したりしながら着実にこちらへ近づいて来る。


「このっ……!! あっ……!?」


 尚も抵抗しようと彼女がいま掴んだ物は蒼いジャケットを着た大き目な熊のぬいぐるみだった。

 これは幼い時からハインツの事を思いながら抱きしめて一緒に寝ていた思い出のぬいぐるみだ。

 これを投げつけるなんて……と一瞬の迷いがシャルロットの思考を鈍らせてしまった。

 彼女の動きが一瞬止まる、それを見逃すほど暗殺者は甘くなかった。

 その僅かな隙に一気に間合いを詰めて来たのだ。


「きゃああっ……!!」


 腕で顔を庇い身体を硬直させる、しかし暗殺者の刃はシャルロットに届く事は無かった。

 扉を蹴破って躍り込んで来たグロリアがレイピアで弾いていたのだ。

 

「………!!」


 突然の乱入者に戸惑いを見せる暗殺者。


「シャル様!! ご無事で!?」


「グロリア!? あなたがどうしてここに……!?」


「お話はあとで!! まずはお逃げくださいシャル様!!」


「駄目だよ!! それじゃグロリアが危険に……!!」


「これは私の身の潔白を証明するための戦いでもあるのです!! どうか私に名誉挽回のチャンスを……!!」


「グロリア……」


 余りに鬼気迫る感情をむき出しにするグロリアを目の当たりにし、シャルロットも彼女の言う事を聞き入れることにした。

 レイピアを構え暗殺者と対峙するグロリア、その隙にシャルロットは扉から部屋の脱出に成功する。


「………!!」


「おっと、そっちには行かせないよ!!」


 追いかけようとする暗殺者の前に立ちふさがるグロリア。

 騒ぎを聞きつけて衛兵たちがここへ集結しようとしている気配を察知し、暗殺者は窓からの逃亡を図った。

 この三階の部屋の窓から躊躇なく飛び降りたのだ。


「ああっ!! しまった!!」


 窓の縁に捕まりながら外を見下ろすグロリア。

 流石の彼女もこの高さを飛び降りる身体能力はまだ無かったのだ、どんどん暗殺者の姿が遠のいていく。


「くっ……!!」


 窓の縁を拳で叩いて悔しがるがこれ以上の追跡は不可能だ、この時点で賊の捕縛は諦めるしかなかった。


「シャル様!! お怪我はありませんか!?」


 事が済んで真っ先にシャルロットの元へ駆けつける。

 するとシャルロットはいきなりグロリアに飛び付き力いっぱい抱きしめて来たのだ。


「怖かった……!! 怖かったよグロリア……!! 助けに来てくれて嬉しかった……!!」


「シャル様……あっ……!!」


 震えながら泣きじゃくるシャルロット。

 グロリアもシャルロットを抱きしめ返す、だがここで彼女の胸にいつぞやの胸の痛みが蘇る。


(どうして今この胸の痛みがまた起るの!? このドキドキは一体!? シャル様が愛しくて堪らない……)


 好意を持った人に対して起こる胸の高鳴り……経験のないグロリアには分からなかった感情、これは紛れもなく『恋愛感情』であった。

 あの胸の痛みはハインツとシャルロットが仲良くしている時に起こっていた、リサはハインツがシャルロットに取られた事に対しての嫉妬と言っていたがそうではなかった。

 全く逆でシャルロットをハインツに取られた事に対しての嫉妬だったのだ。


 シャルロット暗殺の真犯人がいたと言う事実によりグロリアの冤罪は晴れる事だろう、しかし彼女にはまた新たな悩みが生まれてしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る