68.俺が守る

68.俺が守る






 森にいた。

 見覚えがある。故郷の街近くの山裾にある森だ。


 森の中に集落がかつてあった。

 エルフ族だけの集落だ。彼らは神明教徒ではなく、独自の信仰をもっておりダンジョンの存在を否定し、街から離れて暮らしていた。


 だが、彼らは別に街とは敵対していなかった。

 そもそも神明教徒でなければならないという街法もなかったのだから。

 彼らは閉鎖的という訳でもなく、先輩の冒険者と共に森の魔物や獣を狩った後で集落に寄ると、決まって歓迎された。


 まだ新米冒険者だった俺はその歓迎にまぶしいものを感じて、宴の度にスミに隠れるように飲み食いしていたが、それが逆に目についたのか、一人のエルフ族の女の子になつかれるようになった。先輩達が全員人族の中で、一人だけ犬人族というのが興味を引いたのかも知れない。

 といっても、俺は人付き合いが苦手であり、彼女を扱いあぐねていた。

 俺が彼女の対応に苦慮していると、決まって先輩達に笑われた。



 しかし、そんな日々は長く続かなかった。

 集落が襲われたのだ。

 センパイ達と共に駆けつけた時には、半数を超える人達が拉致されていた。残りもほぼ殺されていた。


 奴隷狩りの連中だった。

 多くの街では犯罪奴隷以外を認めていなかったが、抜け道なんていくらでもあるだろう。何より、公に労働奴隷を認めているがある。

 いくつかの街を束ね、神明教以外を邪教とするその国。どんな非道な手段で調達しようと他教の信徒なら問題なく奴隷として売れてしまう、ふざけた国だ。

 だが、集落は街の住人ではなく、街として抗議も出来ない。出来たとしても相手は宗教国家であると共に強大な軍事力を擁する国だ。

 集落の人々を取り戻す術はなかった。


 センパイ達が血まみれの男達を数名、建物から引きずりだしていた。

 どうやら、引き上げ時を間違えた馬鹿共らしい。

 出血量から死んでもおかしくなかったが、同情はしない。やった事がやった事だし、ここで生きながらえても、街の法で死刑になるだけだ。


 センパイが俺を呼び寄せた。

 タオルを何枚かと、水の入った桶を渡された。

 女性がいないから、せめてお前が清めてやれ、と。


 嫌な予感がしてさっき奴隷狩り達がいた建物にはいった。



 あの子がいた。



 生きてはいる。だが、目が死んでいた。

 衣服は引きちぎられ、肌には抵抗したのであろう、痣とすり傷。股間から男達の体液が血とともに流れ出していた。


 そよ風でも壊れるかのように、俺はゆっくりゆっくりと彼女に近づいた。

 すぐ隣に立っても無反応だった。

 俺は桶を置いて膝をつき、濡らしたタオルで彼女の身体を拭いていった。

 ふと、彼女は今気付いたように俺を見て、俺の名を呟いた。



 ヴィク……トール?






「姿を現せ」


 ヴィクトールはずっと視線を感じていた。

 恐らくこの森もそいつが作りだしたまやかしだろうと考えた。


 声に応えるようにそいつは姿を現した。

 女性だった。

 見た事のない服装だったが、一目で何者か分かる。


「断っておきますが、この光景はあなたの記憶です。ただの記憶。私が貴方の精神に侵入した為、自己防衛本能が働き彼我の区別がしやすいよう、私の存在以外は貴方の記憶で塗り潰したのでしょう」


 その言葉には一片の悪意も感じられなかったが、この女性は敵であるはずだ。

 なぜならば、その女性の二の腕には白地に赤十字の腕章があったからだ。


「俺達は魔法陣で〈赤い塔〉に転送されたはずだ。

 ここが俺の記憶だと? それが本当か嘘か分からんが俺に何をした、メディック・・・・・!」


 敵意を込めたはずの言葉はしかし、女性メディックの悩ましげな表情を引き出したのだった。



「はぁ。マサヨシ君。お仲間にまでその呼び名広めちゃったのね。向こう地球じゃ、誰も本名呼んでくれないのに。こっち異世界でまで……」


 悪意は感じず、はぐらかしているようにも見えず、本当に落ち込んでいるように見えた。

 油断してはいけないと思いつつも、ヴィクトールから戦意が霞んでいく。



 なんなんだ? こいつ。



「だったら、本名は何と言うんだ? そっちで呼んでやろう」


 一瞬、女性の顔は輝いたが、すぐに落ち込んだ。


「どうした?」

「すでに手遅れなのを忘れてました。私の本名はもうない・・です」

「ない?」


 ヴィクトールは首を傾げた。


 本名とはなくなるものなのか?


「今、貴方の目の前にいる私は、マサヨシ君の言うメディックさんではありません」


 彼女の体が唐突に浮いた。大柄な体のヴィクトールの視線に合わせるように。


「私は悪魔。名をメディックさん・・・・・・・といいます」


 反射的に身構えるヴィクトールを手で制して続ける。


「エレディミーアームズであるメディックさんを乗っ取った悪魔グレムリンとは、また別の悪魔です」


 ヴィクトールは頭を抱えた。


「訳が分からない。いったいどうなっている。魔法陣で転送されてどうなったんだ!?」


「覚えてるはずですよ、貴方は生きていますから・・・・・・・・。まだ」

「何だと?」


 ヴィクトールは敵かもしれないメディックさんと名乗る存在を気にしながらも、己が記憶を探った。






 魔法陣に転送された瞬間、全身の血が引いていくような感覚が襲う。


 落下。

 転送された先には床が無かった。

 落ちる先が見えた時にはどうする事も出来なかった。

 規則的に並べられた無数の槍。それもヴィクトールの鎧をたやすく貫く、硬く鋭いシロモノ。

 魔法陣の転送先はデストラップ即死罠だったのだ。


 ヴィクトールは己の記憶からの衝撃に体が傾ぎかけたが、辛うじて踏みとどまった。


「他は! 他のみんなはどうした!? どうなった!?」


 エリカは飛行スキルを使える。それに全員は無理でも一人二人は抱える事も可能なはずだ。

 マサヨシもいる。スーちゃんやケンザンの能力を考えれば、皆を助ける事で出来るはずだ。

 なにより、彼女リズだ。

 故郷を離れ、アルマリスタで行動を共にしずっと守ってきた彼女は、いつの間にか守られるだけではなく、かけがえの無い相棒パートナーとなっていた。

 リズの空中跳躍スキル、エアステップなら長時間の滞空は無理としても、どこかにあるはずの脱出口まで持つはずだ。


「大丈夫。今、ここで死にかけているのは貴方一人。なぜなら、あそこに転送されたのは貴方一人だから。貴方は外れクジを引いてしまった」

「は?」

「貴方達が踏み込んだのは〈赤い塔〉最上階の一歩手前である79階への魔法陣。正確に言うならその魔法陣をコピーし本来の転送先ではなく、79階のランダムな位置に転送されるように魔改造されたもの」

「なんだって、そんな事を」

「罠という事は承知していたでしょう? それにここ・・だけは特別。他はランダムだけど、ここだけは誰かが送られてくるのは決定していたの」

「なぜ?」

「これはグレムリンの賭けだった。ここにマサヨシ君が落ちるのを期待してたのよ」

「俺ならともかくあいつは無理だぞ。あいつには――」

「スーちゃんがいても、飛行スキルを持つ魔物がいても無理。

 貴方が落ちたのは単なるデストラップ即死罠じゃない。スキル封じ、悪魔封じ、その他様々なものの能力をけずるギミックが山盛り。

 貴方を貫いている槍もその類」


 ヴィクトールはそこまで聞いて不自然なものを感じた。


「なぜ、全員をここに転送しなかった? 狙いはマサヨシだったのだろう?」

「答えは簡単。エリカがいたから。飛行スキルは封じられても、あの子の持つ『物質の相対位置固定』なら、全員を固定してしまえば、落下ダメージも床の槍も無意味と化すわ。

特定の誰かを指定する事も出来なかった。魔法陣の仕様の関係でね。なんとか、転送された全員のうちの一人をここに割り当てるのが限度だった」

「なら、同じような罠を複数作っておけば――」

「それも答えは簡単。あの罠は一つを作るのが限度だった。

 グレムリンは悪魔よ? 

 悪魔封じの呪いなんて、あいつにとっても毒そのものよ」

「……随分と詳しいんだな? 別の悪魔というワリには」


 ヴィクトールが警戒を込めて目を細めるが、メディックさんは困ったような笑みを浮かべて、目を背けた。


「グレムリンは80階の守護者の体を乗っ取り、さらにはその存在を喰らった。それは悪魔としての奴固有の能力。喰らったモノの能力を我が物とする力。

 他の三つのダンジョンに介入出来たのも、ダンジョンマスターであった守護者を食らい、ダンジョンの管理権限を手に入れたからよ。エレディミーアームズであるメディックさんを食らいその力を得たように。

もっとも、ダンジョンの管理権限を掌握するのに随分と時間をかけてしまったようだけど」


 再び、彼女はヴィクトールに目を向けた。そこにあるのは困った表情のままだった。


「あいつの誤算はたださえマサヨシ君に次ぐエレディミーコアサイズを持つメディックさんを食らい許容量限界だったのに、さらにダンジョンマスターという大きな存在を喰らった事が原因で起きた事。

 許容量オーバーによって、溢れた存在は新しい悪魔となった。奴の気付かぬままに。

 それが悪魔であるメディックさん。私です」






 どんな時も諦めるな。

 それが相棒の信念で。

 そして、いつか私の信念になっていた。


 左右から飛来する槍をエアステップを使って真上に飛んでかわし、さらにエアステップを使って、槍を投げた一匹に接近する。


「たぁぁ!!」


 蹴りは胴に直撃したが、両手に槍をもった私と同サイズくらいのハチは吹き飛び失速したが、すぐに体勢を立て直した。

 威力が足りない。風の魔石のブーストなしでは壁や地面に直接押し付けるぐらいじゃないと有効打にはならない!



 魔法陣から転送された先は、ヘイトワスプの巣の近くだった。

 他に誰もいなかった。


 状況確認をしている余裕はなかった。

 ヘイトワスプ系統は極めて好戦的な魔物で、最後の一匹になろうと戦闘をやめない。

 厄介なのは投擲してくる槍。あれは魔力で生成され、魔力が尽きるまで延々と作られる。

 おまけにやたらタフなのを考えると上位種である可能性が高い。



 相手の魔力切れを狙うのは無理。

 視界を埋め尽くすようなヘイトワスプに対して引けば勢いに飲まれるのは目に見えている。

 だけど、私の魔力も限界に近い。風の魔石もすでに尽きた。

 地面に降りる訳にはいかない。空中戦だからこそ、なんとか生き延びれてる。地面に降りれば、奴らは安全な位置から逃げ切れないほどの槍を投げ放つだろう。しかし、このままエアステップを使い続ければ魔力が切れる。


 そうなれば、嫌でも地面に降りる事になる。


 どんな時も諦めるな。

 それが私の信念だ。

 でも、それでも思ってしまう。



 ヴィクトール!! どこにいるの!?

 いつものように私を守って!!!






「つまりは分体って事か」

「そうとって貰ってかまわないわ。基本的な人格はメディックさんだけど、あいつも少し混じってるし、記憶もそう」

「味方……なんだよな?」

「貴方達のというと御幣があるわね。私はただマサヨシ君とエリカの力になりたいだけ」

「結局味方という事だろ?」

「……貴方はまもなく死ぬわ」

「だろうな」


 ヴィクトールは記憶の最後を思い返す。

 あの無数の槍に串刺しにされ、さらに落下の勢いで地面に叩きつけられた。

 正直、なぜ即死しなかったのか、謎に思えるほどだ。


 のんびりとここでメディックさんと会話が出来るのは、あくまでメディックさんが直接ヴィクトールの魂に接触することで、刹那の間に意思のやりとりが出来るからだ。


「私がここに居たのは、万が一マサヨシ君がここに転送されたら助ける為よ。あいつの記憶からギミックの一部無効化が可能だったから。もっともそれには私の消滅という代価を払う必要があったけど。

 ……貴方がマサヨシ君じゃなかったから見捨てたの」

「気にするな。どの道、空中移動スキルを持たない俺にはどうしようもなかった」


 そして、ヴィクトールはまるで自分が悪いかのように言うメディックさんに、マサヨシの影を見た。


あいつマサヨシが親友って言うだけあるな。似てるよ、あんた」


 その言葉に、しかしメディックさんは肩を落とす。


「出来ればもう少し進展した関係でありたかったのですが。どうも、女性だと気付いてくれなくて。おまけに気付いたらスーちゃんがいました」


 その様子にヴィクトールはリズの事を想う。

 もう守ってやれない。その事だけは悔いが残る。


「これからどうしますか?」


 メディックさんの質問には答えなかった。

 もうじき死ぬ人間にこれからどうするもないもんだ。


「もし私と取引をするならば、貴方は守りたい人の力になれます」


 ヴィクトールは思わず目を見開いた。


「助かるって事か!?」


 だが、メディックさんは首を横に振る。


「いえ、貴方を助ける事は無理です。人としては」


 ここでなんとなくメディックさんのいわんとしている事を察した。

 マサヨシとエリカが持つスキルの中には悪魔が転じたものがあるという。


「相手は選べるのか?」

「可能です。というより、私に出来るのは貴方を見えざるシステムの機能スキル変換コンバートするだけです。後は勝手に貴方の望む相手の一部となるでしょう。ただし、相手が生きていればの話になりますが」

「だったら、問題ない。あいつリズは生きてるからな」


 ずっと言って来たのだ。

 諦めるな。

 あの奴隷狩り達に陵辱され、何度も自殺しようとした彼女に。


 幸せを諦めるな。生きている限り絶対に諦めるな、と。

 生きてさえいれば、俺が守ってやる、と。



「だったら、さっさと事を進めよう。取引と言ったな。俺にどうしろと?」

「一つはマサヨシ君への助力。一つはマサヨシ君への助言。ただ、後者については貴方の所有者となった方がマサヨシ君に会った時点で自動的にメッセージが渡されるようにしておきますので気になさる必要はありません」

「まぁ、問題ないが……」

「何か?」

「マサヨシに直接会わないつもりか? 自分の口で言えばいいだろう」


 メディックさんは握手を求めるように右手を差し出した。

 反射的にヴィクトールは応じようとして右手をメディックさんの手に合わせようとする。だが、ヴィクトールの手が触れた瞬間、メディックさんの手が手首から崩れ地面に落ちた。


「あ……」

「ご覧の通り、もう長くないんです。元々余り物として生まれた存在ですので。それに私は悪魔のメディックさん。マサヨシ君の言うところのメディックさんではないんですよ」


 メディックさんはマサヨシじゃないからヴィクトールを見捨てたと言った。

 本当か?

 自分でも瀕死とはいえ生きているのが謎と思える状態。それは――。


 ヴィクトールは疑問を口にしない事にした。答えてくれない気がしたからだ。


「取引に応じる。頼む」


 メディックさんは頷いて両手を上げた。手首から先のない右手、指先からひび割れていく左手。

 しかし、そのような事を気にかけないように彼女は叫んだ。



「アルラウネよ! イグドラシルよ! 契約の条件は今満たされた。この身を代価として、全ての契約の履行を求める!!」


 天から光がヴィクトールに降りてくる。

 いつの間にか森は消え去っていた。

 目の前のメディックさんは壊れていく。

 左腕が肩から落ちた。膝から下が爛れて腐っていき、ほおの肉は溶けて、髪が頭皮ごとずれ、目が沈んでいく。


 ヴィクトールは目を閉じた。それがせめてもの女性に対する礼儀だと思ったから。




 そして、二人は消える。

 方や、消滅。

 方や、新たなる在り方となって。






 ≪管理者神明のアカウント凍結を解除≫

 ≪代行者天照のアカウント凍結を解除≫

 ≪代行者天照がシステムの通常モード運用を開始しました≫

 ≪管理者神明が丸井正義支援ツールを実行しました≫

 ≪カイサルの職業が魔装戦士から魔法具師に変更されました≫

 ≪ハリッサの職業がスカウトからシャドウダンサーに変更されました≫

 ≪ニコライの職業が治癒魔術師からメディックに変更されました≫

 ≪ヴィクトールのリソースの変換を実行します≫

 ≪変換に成功しました。ヴィクトールはリズのスキルに変換されました≫

 ≪リズの職業がエリアルストライカーに変更されました≫

 ≪クロエの職業が治癒魔術師から竜魔術師に変更されました≫

 ≪ニーナの職業変更は、ニーナによって強制終了されました≫

 ≪ニーナよりメッセージ「勝手に職業変えないでくださいね」≫

 ≪職業変更に使用されなかったリソースは、所有にスキルカスタムパックとして保存されました≫

 ≪ユリアの職業が狩人から美食家に変更されました≫

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 ≪管理者神明より秘匿されたアカウントにメッセージ「防戦はここまで。覚悟するがいい、逆賊の悪魔。かつての同胞よ」≫



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