第13話

 非常呼集、それは非常に良く聞き慣れた言葉だ。例え休日であれ、訓練であれ全てが集合に優先される。その後、命令の下で任務にその身が置かれ、人員交代や任務達成、命令の変更や撤回がなければ常に従事し続けなければならない。

 ――被災地、その表現は正しいかもしれない。耐震強度のない建築物、それだけで地震に対する被害は勝手に増してしまう。カティアを引き連れて出た俺は絶句し、そして聞こえる近場の助けを求める声には必ず出来る事をした。

 倒れた家具や壁などの下敷きになっている人は助け出した、出血の酷い人物には暇を見て読んだ魔法の書から覚えた治癒の魔法で手当てを施した、そうやって時間をかけながら周囲をみて回るも一番悲しいのは巡回していたと思われる兵士が腰を抜かし、他の数名は武器やヘルメットを落として逃げたくらいに練度は低いようだ。

 結果、数時間後にようやくこの国の貴族が動いたようで、その時には近場で助けられる人は助け、ミラノの安定化が済んだところであった。

 その日は帰る事が難しいと言う事で外泊する事になったのだが、その場所が意外であった。


「なに、この家?」

「私たちの父が独り身だった頃に手に入れたお忍びの為の家です。

 当主となって暫くは民草の声を直に聞きたいからとたまにこちらで生活されていたみたいですよ」


 少しだけ立派な建物が街に溶け込んで違和感を覚えない程度に紛れ込んでいた。学園から離れ、街から幾らか外れた所だが申し訳程度の庭と二階建ての戸建てが其処に有る。先ほどの地震で窓が何枚か割れてはいるものの、大きな損害は無さそうだ。


「……ここ、大丈夫なの?」

「私たちが小さい頃も使ってましたし、老いたメイドや執事で住まいが近い人に管理を任せてるので。埃が積もっていたりとかはしませんよ」


 そう言ってアリアが鍵を取り出し、開錠して中へと入っていった。カティアが俺を見て、頷く事でそうするしかないだろうと言う意味を理解してもらう。彼女は一度だけ周囲を見回してからアリアを追うようにして建物へと入っていく、そして俺はと言うと俯いたままに元気のないミラノの手を引いていた。


「ほら、ミラノ。家だぞ」

「うん……」

「歩けるか? 疲れてないか?」

「だいじょうぶ……」

「よし――」


 ミラノの手を引く、そんなことを普段の状態でしていたら間違いなく怒られるだろう。しかし、そうはならなかった。ミラノが何時もの彼女に戻っていない、それだけで俺も幾らかやりにくさを覚えていた。

 成功を恐れる者は、自ら失敗する事を望んでいる――。その通りかもしれない、自分が不出来で有ることを証明する存在のようにミラノの事を認識していた、だから彼女が何かしら言って来ない今はフワフワしすぎていてとてもじゃないが気持ちが悪い。

 手を引いて建物に入り、そしてアリアに招かれるままに彼女たちの寝室まで辿り着いた。


「ヤクモさんは、料理は出来ますか?」

「一応出来るけど、材料と相談しないと難しいぞ?」

「大丈夫です、この家には父が手に入れたマジックアイテムが有るのです。

 その中に様々な材料が入ってますから」


 と、アリアに言われて向かった厨房にはどうみても”冷蔵庫”が有った。それをみた時の世界観とそぐわない見知った存在に何を言えば良いのか分からず、色々考えたが分からなかったので詮索する事無く中身を見た。

 中には沢山有る食材や材料、調味料の数々。まるでその中だけ時が止められていたかのように肉は赤身を保ち、野菜は萎びず瑞々しかった。カティアには食器などを出してもらい、何が出来るかなと考えに考えて、存在した香辛料を舐めたり匂いを嗅いだりしてカレー粉が作れると理解した。

 ではカレーを作るしかないだろうと米を探せば物凄く少量では有るが存在するのを見つけた。となれば後は調理器具だと頑張って探せば何とかなるもので、知っているものとは違うけれども形状が似ているからと流用する事にした。

 火で米を炊き、その傍らでカレーを作っていく。米はそういえばヨーロッパでは食される事が少ないと聞いたが、たぶん食事に上がる事すらほぼないんじゃないだろうか? もしこの地震騒動が終わったら、こっそりと栽培しても良いかもしれない。むしろ偉くなって領地の一つでも持てたなら米を量産しようと誓った。


「ねえ、鼻がおかしくなる!」

「仕方ないだろ、カレーってこんなもんだから」


 なおカティアには香りが不評だった模様。嗅覚が強いという特性を引き継いだままなんだろうが、犬だったらもっと酷い目にあっていたのだろうか? 猫の更に十倍は嗅覚があると聞くし、それでも人間の百万倍も匂いを嗅ぎ取れるなんて、場合によっては地獄でしかないだろう。

 そして一時間半もかけて出来上がった料理には自分なりに拘ったので、普通のカレーという範疇には収まれたと思う。ただ、使った事のない香辛料に対しては知識がなかったので怖くて使えなかった所位だろうが。

 なお、カティアとアリアが手を付けるのに時間はかかった模様。未知の食べ物に対しての警戒心が有ったらしい、味に関しては特に文句は言われなかった。


「これ、なに?」

「カレーだよ、ミラノ」

「おいしいの?」

「……俺の居た国では、子供に大人気だったよ」

「子供って、生意気……」


 若干持ち直したミラノだったが、元気は無さそうだった。それでも子ども扱いしてきた事を笑ってくれただけでも安心した、少しだけ泣きそうだ。

 そして食事を終えて、明日は学園に戻ろうという話しをした。理由として、災害による民心の低下と、治安の低下を俺があげたからだ。ミラノは消極的否定を示したが、納得させるのにそう苦労はしなかった。

 住居の崩壊、安寧の失落、明日への不安等から来る民の質低下。他人から奪ってでも生き延びる思考、非常事態という隙を狙った私服肥やしの行動、普段よりも減った物資の奪い合い。幼い者や老いたものが狙われ、徒党を組んだ悪党が無辜を蹂躙する――そんな可能性を訴えたのだ。

 そしてミラノの疲弊具合と明日は若干行動が予想出来ない事実を伝え、早めに休んでもらう事にした。


「アンタは、どうするの?」

「カティアを部屋で、俺は建物の出入り口付近で寝るよ。

 無いとは言えないけど、侵入に対して警戒はしておいた方が良いだろ?」

「そ、そうだけど――」

「もし怖いなら部屋でも良いけど、そのかわり侵入された時に後手に回るのは覚悟しておいてくれるかな」


 まあ、怖いなんて事は無いだろう。そう思っていたのはただの思い込みだったのか、ミラノはただ静かにコクリと頷く。むしろ怒られると思ったのだが、彼女は怒るどころか怖いという言葉を肯定してしまったのだ。


「ヤクモさん、お願いします」

「……了解」


 とまあ、不寝番覚悟での申し出だったがそれは取り下げられた。そして彼女らが入浴し、眠りにつくまでの間に俺は建物の構造を把握する事に努める。どこから侵入されやすく、どこからどれくらいの最大侵入力を保有し、どれぐらいの戦力が最大展開できて、どれくらい不利になるのかなどなど。

 申し訳ないと思いながらも、廊下に置かれている家具などがどれくらいバリケードとして作用するかも考慮し、どこから侵入されたら危険度はどれくらいで、どう行動すれば良いかも考えなければならない。


『済まぬ、武器は用意出来なんだ』

『じゃあ、適当に借りてっても良いですか?』

『あとで返しに来るのじゃぞ』


 結局、あの地震騒ぎで俺の武器は手に入らなかった。なので一時的に俺は一本の剣を拝借して来て、今は腰から提げてある。ゲヴォルグには確認を取らなかったけれども、少なくとも高価そうには見えない一品を持ってきたつもりだ。

 抜いてみたそれだが、地震の際に部品が飛んだのかそれとも元もとの構造なのか、剣に空洞が出来ていて刀で言う心金と棟金が無いような物だ。マクリとか甲伏というつくりに近いのかもしれないが、バットの中身が空洞で出来ているような不安感はあった。

 とは言え、高そうなものを借りるわけには行かないし、最悪壊れても安く済みそうなものを選んだと言っても過言ではない。支払いの目処が立たない出費はしたくないのだ。


「それにしても、お忍びの家ねえ……」


 メンテや清掃もさせているみたいだし、ミラノの家――というか、公爵家は裕福なのだろう。地震の影響は窓ガラスには出たが、それ以外はダメージが無い。家具も安そうで出来は良いし、わざと見た目から市民に似せて特注でもしたんじゃないだろうかと疑いたくなる。

 こんな所からでもミラノたちの家がどのようなものか憶測や推測は出来ると、警戒ついでに全ての部屋を見回って行った。そして最後に其処を見ようと決めていた、ミラノたちが今晩眠る寝室の隣部屋へと足を踏み入れて、俺は一番の疑問を抱く事になる。


「ん……? なんだろうな、この覆いは――」


 暖炉の傍に立てかけられた何かに布が被せられていて、それがなんなのか分からなくなっていた。もう夕日も沈みかけている、明かりは乏しく今を逃せば確認は難しくなりそうだ。

 そう思って覆いを外し、そこに存在するものを見て――


「……家族、か?」


 其処にあったのは、ミラノたち家族の絵だった。両親と思しき成人男性と女性、そしてミラノと思われる少女が一ケタ台の年齢で其処に写っていた。それだけなら、疑問は一つで済んだだろう。アリアが居ないのだ、このときはたまたま居なかったのだろうか、と。

 だが、そうじゃない。其処には現在の二人の傍には居ない人物というか、むしろ”何故其処にいるのか”と問いたくなる人物が居たのだから。


「俺……?」


 そう、俺だった。服装や居住まい、佇まいは違うとは言え酷似した少年がそこに居るのだ。きっとこの少年が成長したのなら俺そっくりになったかもしれない、そう思えるほどに似通っていたのだから。

 その少年は良い身なりをしていて、父親に腕を肩へと回されているのだが背丈の差で首に絡んで若干苦しそうにしていた。その手には剣がある、木で出来ているのだろうけれども絵に描かれる時まで大事に持っていたという事は、剣が好きだったのかもしれない。

 暫く見ていた俺だったが、集中しすぎた結果部屋の扉付近に現れた一つの影に気がつかず、驚いてナイフに手をかけながらそちらへと向いた。


「あは、見ちゃいましたか」

「アリア、か。見ちゃいましたって、どういう――」

「聞かなくとも、だいたい察しはつくんじゃないですか?

 其処に描かれている人物と、ヤクモさんがあまりにも似通っているという事に」

「あ、あぁ。けど、俺は――違うぞ。ちゃんと、別の場所に居た記憶だって有る。

 こんな……、ここに書かれている人とは、違うんだ」

「ええ、分かってます。姿形が幾ら似ていても、性格が違いますからね」


 アリアはそう言いながら、部屋の中に置かれたベッドへと歩み、腰掛けた。そしてポフリとその隣に手を置いてこちらを見る、其処に座れという事だろうか?

 示された通りに、けれども自分の羞恥心の分だけ距離を開けて座った。アリアは微笑み、それからゆっくりと語る。


「――その人は”クライン”と言って、私達の兄です。大分前に居なくなった、大切な家族でした」

「居なくなった、というのは」

「……姉さんの居場所が判明した時、対外的に大っぴらに出来ない状態に有りました。

 知己の間柄であるゲヴォルグさんに頼み、数名での救出になるはずだったんです。

 けれども、兄は優しくてどこまでも真っ直ぐな人でした。数週間もの間さらわれていた妹を一刻も早く助けようと、一足先に乗り込んでしまったんです。

 それで――」

「――分かった、それ以上は言わなくても良いよ」


 なんとなく、察しが着いた。ミラノは誘拐されて、どんな扱いを受け居たかは分からないけれども、弱っていたに違いない。幼い上に普段とは違う状況に置かれて磨耗している中、兄が助けに来てくれた。そして、やられてしまったのだろう。その現場を見ていたから、刃物や血、負傷に対して怯えたに違いない。きっと、物凄い傷を心に受けたまま、今まで生きてきたのだ。

 それを聞いて、幾らか納得がいった。たぶん、ミラノは俺を兄と被せていたのだろう、だから姿形の似ている俺を理不尽に扱えなかったのだ、兄の姿をしているのだから。


「――ちなみに、性格はそんなに違うのかな?」

「時々、大事な事を言っている時のヤクモさんと兄はだいぶ似てると思います。

 人に言う事を聞かせたいときは、譲歩するか与えなければ成功しない――でしたっけ?

 兄も昔似たようなことを言っていました。無理を言ってやらせようとしても反発されるとか、そう言う意味だったと思います。

 それに、今日地面が揺れた後でヤクモさんは人助けをしていたと聞いて、似てるんだなあとは思いました」

「そんなにか……」


 ええ、そんなにです。その言葉が静かに部屋へと響いて消えた。そして言い得ない何かが俺の中をグルグルと巡り、どうして良いか分からない中で搾り出せたのは長くない言葉だった。


「俺には、その兄さんの代わりはできない」

「――ですよね」

「たぶん、その兄さんと俺とを重ねてると、辛くなるだけだぞ。

 少しずつのズレが、あの人はこんなじゃなかったとか、あの人はもっと良かったって言う考えに繋がっていって、結局何もかもが気に入らなくなってしまうんだ。

 けど、結局似てるから忘れられなくなって、その人と会えば会うほどに過去を思い出すから……」


 それを身をもって体験したのは自分で、あれ以来仲直りできずに居る。それでも俺は仕方なく厨房裏で冷たい水で身体を洗い、遭遇する事は少なくない。それでも、俺は出せる言葉が無かった。だから、一週間経過した今でも、仲直りできずに居る。

 黙りこんでしまった俺に、アリアは「そろそろ寝ましょうか」と言って立ち上がった。俺も十分建物の構造を理解できたのでそろそろ寝室に向かうとする。ミラノとアクア、カティアは一緒に寝るだろう。俺はその中で椅子か床にでも居座る事になりそうだ。

 侵入者に対処しやすい位置は何処だろうかと考え、考えに考えた結果――


「……何故なんだ」


 俺は、ミラノとアリアに挟まれたキングサイズベッドで眠る事になった。理由は、ミラノとアリアの要望だからだ。多くは語らないが、そのときの俺はだいぶパニックしていたと思う。同衾というイメージで興奮し、自信の無さから逃げたくなり、恥ずかしさや喜び、自己嫌悪やら色々な感情がない交ぜになっているうちに気がつけば電気さえ消され、左右を挟まれた。左腕にはカティアがしがみ付いている、右腕にはミラノが居る、カティアの向こう側にアリアが居るという構図だった。

 もう逃げられない、カティアの睡眠は滅茶苦茶早かったので今更振り払う事もできない。もうどうにでもなれと思い切り目蓋を閉ざすが――どうしよう、ベッドの心地よさが久々すぎて意識が落ち込みやすい。

 質が良いのか、や~らけ~! 包まれてる感じがする、そして徐々に温もりが寝床に広まっていって、ぬくぬくポカポカしてきて更に眠気が増していく。


「皆、毎日こんなので寝てるのか、いいな~……」

「あれ、ヤクモさんは普段何処で寝てるのですか?」

「床」

「――床ですか」

「う゛っ……」


 俺の床が寝床発言と右腕のしがみ付くようなミラノがあげたうめき声。どうやら俺がどのように眠っているのかについて、アリアには言っていなかったらしい。


「ベッドの隅っこで寝かせてもらってるとか、良くて一緒に眠ってると思ったんですが――」

「ば、馬鹿言わないで。使い魔でも、男なのよ? 一緒に眠れるわけ無いじゃない!」

「私はカティアちゃんと一緒に寝てますよ?」

「だって、女の子だし……」


 まあ、そうだろうなとしか思わなかった。俺だって今異性と同じベッドに居るだけでドキドキがヤバイ、緊張と興奮でヤバイ。確かに、三十代近くなったけれども性欲とやらは有る。そして――ミラノ、アリア、カティアはそれぞれに可愛い。

 ミラノは強気だけれども、突かれると弱いのでボロが出てあたふたする所が可愛い。アリアはその大人しく優しくしてくれる所や時折見せる動作に見える母性のような包容力が良い、カティアは流石に犯罪的なのだが淫靡的でそそられる所は有る。

 流石に手出ししたら怒られるだろうがグリムとかは無表情キャラみたいなので良いし、メイドのトウカは元気っ娘として良いと思った。エレオノーラはミナセの婚約者だが、あそこまでプライドの高い人が好意的になるところを想像するだけでも良い。

 ――だが、自分は結局臆病だから何も出来ない。せいぜい出来るのが、隠れて発散するくらいで、それもアルバートと仲良くなってから戦いに関して傾倒していった末に運動で発散しきってしまうようになった。

 友情……と言って良いのか分からないけれども、男同士の無邪気で悩みの少ない付き合いを楽しむ事でミラノ達女性が近くに居る事から来る劣情を覆い隠した、そして安定できた。意識しない、考えないというのは実に簡単だった。目の前の事に集中する事で忘れ、他の事を考えることで目の前の事柄から意識を逸らす。それだけだ。


「背中が痛まない何かがあれば、部屋でも寝心地は良いんだけどな」

「アンタ、普通に寝てるじゃない」

「受け入れてるんだよ。ミラノが面倒見てくれなきゃ何も分からないまま明日も分からない状態で生きるしかなかったし、その中で――カティアも食べさせてやらなきゃいけない。

 大きな恩があって、その中で寝床とか食事とか言うのは自侭でしかないだろ? カティアは良くして貰ってる、そして学ぶ事が多いし恩恵が大きい中で寝るところが床だの食事がどうのだなんて喚かないよ」

「――この子の為?」

「自分の為、かな。カティアの為だ! なんて言い張れるほど、俺は立派な人じゃないから」


 カティアの為だと言い切れるほどに自分は立派でも正しくもないし、自分のした事が押し付けではないと言い切れない上に正しく彼女と付き合えてるのか分からないのだから。

 俺の言葉を何処まで聞いてくれたのかは分からない。別に信じてもらおうとして出した言葉でもなく、聞いて信じてくれる人だけが信じてくれれば良い。


「そういえば姉さん、あの事――言っちゃった」

「え?」

「この人が似てるって事と、姉さんがどうして今日おかしくなったのかも、全部」

「――そう」


 アリアがミラノに、先ほどの会話によって俺が似ているという兄が居た事や、その兄がミラノを救おうとして亡き者になった事も全て言ったと伝えた。隠していた事だったのか、それとも恥ずべき過去だったのか……。けれども、それは俺も同じか。両親が亡くなったことは別に言えるが、そこに抱え込んだ依存とも後悔とも言えるものは決して誰かに言えたものじゃない。


 ――あんな、親に認められたくて狂おしくなっていただなんて。


「……まあ、アンタがお店で言っていた扱いが中途半端って言うのは、それよ。兄に似ていて、けれども別人で。ちゃんとしなさいって言ってるのに、私がアンタの扱い方で物凄い迷ってた」

「――そっか」

「アンタの言葉の多くは、兄が言っていた事と似た事が多くて、だからその思い出を壊せなかった。

 じゃないと、今の私まで無くなっちゃうしね……」


 死者に縛られていたのは、きっと彼女もなのだろう。だから兄のクラインと似通う言葉を吐けば吐くほど重なって見えて、それでも別人であるという事を言い聞かせれば言い聞かせるほどに相当な負荷がかかっただろう事は想像に難くない。


「今だけは、兄だと思わせて傍に居て。明日になったら、また元に戻るから」

「――分かったよ」


 先ほどまで、劣情だの性欲だのと考えていた自分が恥ずかしくなった。それきり静かになったミラノの呼吸が寝息となって静まるまで待ち、それから自分も思考の速度を徐々に落としていく。

 家の外の音を幾らか拾い、やはり住処を失ったり安定した生活から突き落とされた人々が今でも闇の中でうごめいているようだ。きっとここ数年の中で最も犯罪が多い日になるに違いない。

 その意識をゆっくりと久々の心地よい場所での眠りに沈めていく、そして夢を見ることが無い俺はそのまま無に溶けて消えた。浅い眠りで、何があっても即座に動けるようにと暗示するようにして。





          ――☆――


 翌朝、俺は普段のように早く起きて早速ピンチにあった。生理現象である股間の塔は仕方ないのだが、いつの間にか俺のお腹を枕にして寝ていたカティアの頭がゴロリと動いてバベルの塔を完全に倒しに来ている。

 動けない上に、もぞもぞと頭のすわりが悪いからか頻繁に寝ながら動いているのだ。そして徐々に、股間の塔を圧迫し曲がるには苦しい方角へと押しやられている。


(カティアさん、それ以上動かれると当方としましても多大な被害が出ますのでやめていただきたいのですがっていっても動けないし声を投げかけるしかないしかといって声で起こそうとすればミラノとアリアまで起こしちゃうかもしれないしどうしたらってやめてぇ!?)


 そのまま、ゴリッという疑問が脳裏一杯に広がって暫く俺の意識は浮上しなかった。激痛から逃れる為に現実逃避し、その逃避した先まで追いかけてきた痛みに思考をボコボコにされて考える事も動く事もままならない。

 十分近くかけて現実に戻り、俺は左右と腹部の半包囲網から抜け出して顔を洗い朝食の準備でもする事にした。


「――……、」


 それでも暫くは股間の違和感が拭えずに、少しばかり内股になるのは許して欲しい。女性には味わえないと言われている激痛は、時に刃物で刺された痛みよりも後に引く。

 朝食はどうしようかと悩んでいたら、冷蔵庫のようなその内部にはパンも保管してあり、ではトーストでも作っておこうかと考えた。朝からお茶もどうなんだろうかと思ったが、昨日の件も有るし、日常を想起させる物に一つでも、一度でも多く触れさせる事で立ち直らせようと思い手間をかけることにする。

 しかし、トーストを作ろうにもトースターなど無い。ではどうするか? 火を魔法で出して調整しながら網にでも乗っけて火で焼くしかない。数枚焦がして駄目にし、その傍らでトーストに拘るあまり沸騰させきってしまったお湯を何度か捨てて手間取っているとアリアが先に起き抜けて来た。


「おはようございます、にい――ヤクモさん」

「おはよう、アリア」


 頭はまだ働いてないのか、兄と間違えられかけた。それでも気付かないふりをし、自然に返事をした。俺は負担やストレスの多い環境には幾らか耐性が有る、けれども彼女らのストレス耐性がどれくらいなのか分からない上に今日これからどうなるのか分からないのだから、気分や気持ちだけでも良い状態になってもらわないと困るのだ。


「あんま手間のかかったのは出せないけど、卵は有った方が良いかな?」

「そうですね、お願いしても良いですか? それとバターも使っちゃいましょう」

「ん、了解」


 脳裏でバターは高価なんじゃないだろうかと思ったが、使っても良いというのなら使ってしまう事にしよう。次来るのはいつだか分からない上に、アリアが許可を出したのだから関係の無い話だ。

 トースト、スクランブルエッグ、そしてバターにお茶。朝から豪勢な事だ、それでも普段の食堂で食べているものに比べればおそまつ過ぎて仕方が無い。

 残飯を嘆いてるとは言え、朝早くからあの厨房で魔法使いたちの食事を常に作っているあのおっさんは凄いんだよなと思った。レンジャー支援で富士に行った時も朝早くからベッドを抜け出して食事を作るのはきつかった。――それ以上に、レンジャー教官がレンジャー学生を起こすのに大音量の音楽を流したり空砲を撃つのもきつかったが。

 そうやって朝食の準備が終わりかけた頃にミラノがやって来て、そのミラノの服を掴みながらまだおねむなカティアがくっついている。それを見て俺は何も言えずにアリアを見た。


「……もしかして、カティアって朝弱い?」

「そうですね。いつも部屋に向かうまでに暫くはフニュフニャしてます、この時はとても素直で可愛いんですよ?」

「なんか……ゴメンね? 使い魔が面倒かけてるみたいで」

「いえ、可愛いからいいんです。むしろ、有難うございます」


 ミラノがカティアを連れてきて、彼女を一席に座らせる。寝ぼけ眼を擦りながらも頭が机にまで垂れていきそうだ。きっとそのまま机に突っ伏したなら二度寝に入ってしまうのだろう。そしてミラノも席について、それを確認した俺と目があった。


「おはよう。朝食まで自主的に作るなんて、感心ね」

「食事を作ってくれる人も食堂も無いし、俺が作るしかないと思って」

「……味は大丈夫なの?」

「人の口に合うものでは有るよ」


 ミラノとカティアにも食事を出し、自分も離れて下座に座る。そして手を合わせていただきますとクセでやり、それから簡単ながらも食事を済ませた。後片付けまで済ませ、腕時計基準で午前の十時頃に学園に向かうという事になった。

 少なくとも、各国から特別階級の人々が集う場所なので最も警護が硬いだろうと言う考えだ。重要視されていれば、それだけ救援や物資の到着も高いだろう、少なくとも――言い方は悪いが――市民よりは早く日常に戻れると思う。





  ――その考えは、甘すぎだったたと思い知らされたのは屋敷を出て直ぐだった――


 屋敷を出て直ぐ、しっかりと覚醒したカティアが異常を察知したのだ。


「ヤクモ」

「ん、なんだい?」

「……遠くで戦いが起きてるみたい。沢山の金属の音と、人の声と、聞いたことの無い声が聞こえる」

「治安が悪化して、貧富の差で暴動でも起きたのかな……」

「ううん、人の声と――そうじゃない声が聞こえるわ」

「そうじゃない声? どういう――」


 人間の声、そうじゃない声、争う音。なんだか嫌な予感がする、そう思いながら剣を抜きやすいようにし、ナイフと銃の存在を再確認する。何が起きるか分からない、最悪の事態を想定して行動するしかないだろう。

 カティアにはミラノとアリアの後ろに付いて貰い音による全方位警戒を頼み、自分は正面と横へ直ぐに対応できるように立った。背後から来たら右や左から回り込むので、下手に動かないで欲しいと、それだけをお願いして。

 そして暫く学園の方面へ、街の中心部に近づいていくと異常さが更に際立ってきた。それは死体が存在する事、しかも市民や装備をした兵士などと無差別だ。ミラノとアリアは硬直し、カティアは苦い表情を作り、俺は感情を動かす事無く死体へと近づいた。

 焼けた死体、切り裂かれた死体、首筋を噛まれた死体。どれも普通じゃない。死後どれくらい経過しているかは硬直具合でしか分からないが、そう古くは無さそうだ。


「アンタ、平気なの?」

「死体は、まあ、死因は違ったけど見たり触れたりした事は有るから。

 ――けど、歯型が人じゃないな。動物にでも襲われたのか……?」

「ヤクモ、誰か来る!」


 カティアの言葉、即座に銃とナイフで構えて警戒する。カティアの指し示す方角、そちらから敵なのか味方なのか、それとも中立なのかすら分からない存在が来るのだ。敵なら倒すだけ、味方なら事情を聞けば良い、中立なら話による。

 そうやって緊張を高めた先で現れたのは、傷だらけの兵士だった。


「まだ、こんな所に――げほっ」

「――手当てをしてやる、深呼吸をして気持ちを落ち着けてくれ」

「手当て……」


 銃だけをしまい、治癒魔法を使って兵士を治療した。ミラノとアリアは何か言いたげだったが、それを手で静止して兵士へと尋ねる。手当てはするが、もし敵なら排除しなければならない。下手に近寄られても面倒では会った。


「何が起きてるのか、説明できるか?」

「……襲撃だ。モンスターが大量に街に雪崩れ込んで来て、広場で戦いになってる」

「襲撃はいつから?」

「夜明けと共にだ。先日の地揺れで誰もが疲弊し、夕方には領主が救援を始めたんだが――多くの人がまだ眠っている隙を突かれた……」

「しかし、戦いの地とはだいぶ離れてるんじゃないのか? 何故ここに」

「俺は迂回して、側面を叩く予定の部隊だった。しかし、見たことの無い化け物に襲われて全滅した。もし治して貰えなければ、俺も死んでた――。

 それよりも、そこに居るのは学園の生徒じゃないのか? 早くもどらないと、あそこなら今のところ安全だ」

「――との事だ。ミラノ、アリア、方針をくれ」


 聞けるだけ状況を把握できる材料を入手し、俺はミラノとアリアのほうを見た。カティアは警戒しながら、問いを投げかけた俺をチラリと見てから再び目線と耳で周囲を警戒し始めた。

 戦いは遠く、ようやく俺の耳でも聞こえるくらいに戦いの音が聞こえるようになった。その規模は分からないが、分からないが故に危険度は高いと見積もったほうが良い。偵察に出ればミラノとアリアはカティアに委ねるしかなくなる、けれどもそのミラノとアリアが安全で居られる保障が無い限り自殺行為だった。

 アリアは混乱しながらミラノを見る、ミラノは暫く兵士を見つめていたが、重い口を開くと尋ねる。


「学園は、どうしてるの?」

「――戻らぬ学生を探すという目的と共に、教師の大半は戦いに参加しに向かっているそうだ。

 学生は防衛に力を注いでいる」

「なら、一旦学園に向かいましょう。ヤクモ、道を切り開きなさい」

「了解」

「なら、ついてくると良い。一度後方拠点を通過して、其処から学園に向かう」


 兵士は俺たちを引き連れて道を先導してくれる。そして途中で武器を落としたのか無くしたのか、心許無いと”仲間だったであろう”死体から装備を取って警戒しつつ進む。俺もその彼の少し後ろを、そして曲がり角などでは並んで歩いた。


「……くそ、生きてる間に襲撃されるなんて思いもしなかった」

「人生は予想外の連続だ。兵士になったのに、戦いになることを想定してなかったのか」

「俺は農家の三男で、農地を継げないから兵士になっただけで。こんな事……」


 止むを得ない事情という奴か、継承権という者はやはりどの時代も問題を生み出す。成人してからも家や財産などを引き継げない場合、使い潰されるしかないのだろう。だから兵士となったが、戦いを想定していないのは流石に平和ボケしすぎだろう。


「城壁が破られるなんて、誰が想像するんだ?」

「――門を突破されたわけじゃなく?」

「あぁ、昨日の地揺れで崩れたという噂は聞いたが、攻撃だっただなんて――」

「ちょっと待って。誰も分からなかったの?」

「モンスターがその時居たという報告は聞いてないんだ。だから手薄で、突破されたらしい」


 ミラノの問いと兵士の答え。と言うことは、モンスターには出来る事じゃない、という認識で良いのだろうか。それとも、それが出来る種類のモンスターが視認範囲に居なかったかだ。

 少しずつ進んでいくのだが、戦いの音が近づくに連れて移動は遅くなっていく。当然だ、モンスターが幾らか溢れていて見つかれば厄介だろうと迂回し、そして去るのを待ったりしていたからだ。残念ながら数が少なかったとしても攻撃をすれば音でばれる、じゃあ静かに排除しようにもそれが当てはまる状況がそうそう無い。


「……こっちもダメだ、数が多すぎる」

「魔法で吹き飛ばしてあげるけど」

「いや、音を聞きつけて大量に来られたら敵わないから止めたほうが良い。

 ――魔法使いは詠唱に間が有ると教育で聞いた、その隙を埋めるための人員も力も足りないんだ」

「交互に魔法を放つ、というのも難しそうですね。

 威力を優先させると隙が大きいですし、だからと言って速度を優先させると威力が足りなくて支えきれない可能性が有る、と」

「あぁ、申し訳ないけどその通りだ。そこの魔法が使える青年と二人でどう頑張っても狭い路地じゃないと押さえ切れない」


 兵士の言う事を聞いて、俺は勿論ながらミラノやアリアもそれぞれに如何すれば良いのかを考えていく。それでも立ち止まるわけにも行かず、移動や停止を繰り返しながら行動し続けた。そして戦いの地に近づくと死体だけじゃなく建物の破損も目立ち始めた。きっとイナゴのように進路に存在する数多くはモンスターに破壊されてきたのだろう、物と者、どちらも平等に。


「ここを抜ければ後詰に到着する。だが――」

「……モンスターが邪魔してる、と」

「けど、数は少ないみたいね」


 パッと見で四匹と言った所だろうか。イヌ科の素早そうな四足が一体、あとは二足だが胸当てや武器を使う知能種だろう。豚ならオークだろう、緑ならゴブリンって所だろうか? それでもモンスターとしてのランクは低いのか防具はほぼ無いに等しい。


「だが、参ったな。後詰近くにまで潜り込まれてるとなると、放って置くと後が怖い」

「なら、排除するしかないだろうな……」

「後衛が三人、前衛二人でか? 悪いがあのウルフは”狩り”が得意だ、抑えなければ三人の娘さんがやられることになる。かといって抑え込むには一人が最低張り付かなければならない、もう一人が三匹を相手するのは無謀と言えるだろう」

「――いや、二人でいい」


 俺の発言に兵士は明らかに呆けた表情を見せた。馬鹿なのかと、死にたいのかと驚いている様子だった。だが俺はそこを説得するのに必要な情報を全て開示し、その上でミラノとアリア、カティアには隠れたままで居てもらうようにした。

 ため息か、それとも覚悟を決めるための大きな吐息かは分からない。兵士は「死んだら怨むぞ」と言って直ぐにこれからの行動に備えた、俺も同じように準備を整えると二人で建物の影から出る。ウルフが匂いでこちらの存在を既に察知していた、アレ以上ごたごたしていたら騒がれていただろう。

 ウルフが影から出てきた俺と兵士の二人を見て唸り声を上げ、他の三匹もこちらを視認して対峙してくる。心拍数が跳ね上がるのを感じた。

 ――狩りが得意といったウルフだが、パッと見てどちらが弱者なのかははっきりしているだろう。俺は一切の防具を身に着けていない市民のような身なり、一方兵士は有る程度の防具と武装を備えていた。つまり、弱者は俺なのだ。

 ウルフが走り出し、その進路が俺だと分かった時点で俺の手に握られた拳銃は安全装置を外した。そして――驚きだが――俺に真っ直ぐ飛び掛るのかと思えば、傍の壁を数歩走って”頭上”から飛び掛ってきたのだ。

 二つの前足と開かれた口。爪と牙は当たれば刺さるなり切るなりして痛いだろう、その前に首筋にか見つかれれば死ぬのは俺だ。軍用犬ですら恐ろしいというのに、二m近く有るそいつには体躯からして押し倒されればおしまいだ。


「ふぐっ!?」


 俺は飛び掛ってきたそいつに衝突され、勢いに抗し切れずに地面に倒れこんだ。柔道で百Kg級の相手が押さえ込みをしてきたかのような圧迫感が身体に圧し掛かって来る、そこから抜け出そうともがき、兵士の「だぁっ、クソぉ!?」という悲鳴が聞こえた。

 俺が押し倒されて”無力化”されたことで、残った兵士に三匹で襲い掛かったのだろう。そこまでは理解できるし、相手も想定の範囲内だったのだろう。


――ただ、奴らの想像と違うのはウルフを押しのけて俺が起き上がってきたことだろうが――


 飛び掛られる寸前に撃ち抜いたウルフを押しのけ、拳銃で即座に起き上がりながら撃つが、当たらない。それでも”発砲音”というのに慣れていないのか、兵士に襲い掛かっていた三匹が少しばかり硬直したのをみてそのまま立ち上がり、拳銃片手に突撃した。

 下位のモンスターとは言え、戦いを主として生きていたのかもしれない。未知の事柄を排除し、動き出した俺と言う”敵”に対して攻撃を開始する。一匹は兵士を、後の二匹でこちらに向かってくる、その中で厄介なのはオークだ。ゴブリンは小さくすばしっこいが強くはない、対するオークは皮下脂肪という”防御”が攻撃に対する抵抗を見せるそうだ。剣で斬っても脂肪の置くには届かず、並大抵の兵士だと槍で貫こうにも脂肪で止められてしまうとか。

 ゴブリンが剣で切りかかってくる、だがその剣の長さと背丈では攻撃力が低い。それを補うのが、跳躍して剣を振り下ろす事だそうで、俺に向かって飛び掛りながら剣を振りかぶってくる。その時になって、博打じみた咄嗟の行動で自分の肉体が想像よりも強いのだと理解する事になった。

 飛び掛ってきたゴブリンに何も持たぬ左手でその身体を本気での裏拳を叩き込むと踏ん張る足場が無い相手はそのまま進路を逸れて俺の脇から背後へと鈍い音を立てながら転がっていった。

 苦しげに悶絶するゲェゲェという声を聞いてはいるが、それを確認する事無く連携するようにやってきたオークに向かって突撃する。奴は斧を扱う、その破壊力は当然マトモにあたれば痛いじゃすまない、体が半分ぐらい切り裂かれても驚かない。だが、欠点は動作が遅いということだ。その武器の重さゆえに、素早い攻撃が出来ないのだ。

 なので、俺はそのまま自分よりも幾らか高い相手に向けて接近してからの顔面への銃撃という暴挙を行った。皮下脂肪が凄くて攻撃が通らない? 生命力が高い? そんなものは知らない、銃弾という最高の物理攻撃には生身の肉体で、しかも頭部という重要なものがつめられている箇所への攻撃が通らないわけが無かった。

 一発目の銃撃で大きくよろめいたその体へと体当たりし、倒れこんだその身体を踏みつけて頭へと更に二発目、三発目と打ち込む。そしてそのままぐるりと反転し、先ほど殴り飛ばしたゴブリンへと銃を持ち替えナイフを抜きながら駆け寄り、ナイフを振り下ろす。

 そのナイフは素直に刺さる事無く、ゴブリンの両手が俺の手を掴んで抗ってくる。抗わなければ死ぬ、それを理解して何とかしようとしているのだろう。それでも俺も片手ではなく両手で体重を加えながらナイフを押し込んでいくと、その刃先がプツリと首に食い込んでいった。それでも、こいつは抗った、生き延びようとした。それに対して俺も、生き延びる為に押し込んだ。


『人殺しの訓練をしている奴らの助けなんか要らない!』


 そんな叫びが耳の奥で聞こえて、思考の空白が生まれる。そして気がつけばその刃は深く深くのどを貫いていて、俺の手を掴んでいたその手は既に脱力しきり、ぺタシと床に落ちた。


「はぁ、はぁ。食らえ、この糞野郎が! 糞野郎が……」


 そして、兵士の方も残りの一匹相手に勝利したようだ。胴体を剣で刺しぬかれ、腹部を押さえながらヨロヨロと背を向けたそいつの背中を斜めに切り下ろしていた。それで倒れこんだ小さな体は二度と動かず、殲滅が完了した事を脳の機械的な部分が告げる。


「や、やられたかと思ったぞ!」

「飛び掛ってくる時、回避が出来なくなるって言ったじゃないか」

「それでも、あんな大きなウルフを――。いや、今はそんな事はどうでも良い。

 行こう、これ以上の厄介ごとはゴメンだ」

「確かに。――ミラノ、アリア、カティア。出てきても大丈夫だ!」


 ナイフの血脂を服で拭う、今更血で汚れたところでなんだと言うのだ。既にウルフが飛び掛ってきた時に後の先で銃を撃った時に血に塗れているのだ、それにオークの頭を撃った時と、ゴブリンの首にナイフを押し込んだときにも汚れている。

 ミラノは血や刃物、負傷を恐れた。しかし、俺は既に血や刃物、負傷には慣れていた。だから、結局の所”出来る事をやれ”という、かつての中隊長の言葉で脳を支配して動いただけに過ぎない。

 三人が影から出てきて、兵士と俺が無事であるのを安堵するのとは別の感情で四匹のモンスターを見やる。


「ヤクモ、怪我は?」

「敵の血だけ、あとは地面に倒れたくらいで異常なしだ」

「――戦い慣れしてるのね。見てたけど、怖いくらい凄かった」


 俺の心配をするカティア。そして後から吐き出されたミラノの言葉が、賞賛ではないものに聞こえて、ナイフを収めた右手をおでこの前にやり、そこにあるはずの”戦斗帽のツバ”が存在しないのをスカスカと宙をつまんでいた指に気付いて下ろす。


「なら、行こう。ここで死ぬつもりが無いのなら、進むしかない。

 これは、戦闘だ。これが、戦闘なんだ」


 左手に握っていた拳銃からマガジンを抜き、その残弾を確認して新しいマガジンと交換する。そして安全装置をかけたが、直ぐに何をしているんだと気付いて安全装置を解除して周囲を確認した。

 兵士は息を整えると同じように周囲を確認し「こっちだ」と置いてけぼりの三人を招く。命を奪い、奪われる事に対して考える事無く行動する俺たちに対して、後からついてくる三人の存在が俺には世界が違って見えた。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないけれども、ミラノの言葉とその眼差しが居心地を悪くしていた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る