第6話

 勉強とは、それそのものが歴史の積み重ねだ。様々な人が長年を費やし、中には受け継いだり引き継いだり発掘したりもしながら発見されてきた事柄を教育という形で数多くの人に教えるのだ。

 当然、歴史とは強者や大多数が作り上げるものでもあるためにそれが一概に正しいかどうかなんて分からないし、日本で言うなら隣国たちは数字や事実ですら上書きするように喚きたてていた事実がある。


「人類の歴史は一度失われてるから、実際はどれくらいから続いてるとか、かつてどんな国や文明があったのかというのは全部が全部分かってるわけじゃないの」

「じゃあ、一度歴史が全て失われたって事か」

「ええ」


 ミラノが風呂から上がり、俺も落ち着きを取り戻してから今度は歴史の授業を受けることになった。歴史を知ると言うことはその国を知る事に繋がるし、使い魔とか魔法が宗教のように大事にされているという事は、変なことをすれば殺されても仕方がないということだ。

 宗教や歴史というのは軽視すれば争いになるし、それこそ戦争にだってなる。中には暴走する集団も居るが、それこそ看過できない要素ではある。


「今は大国が五つあるっていうことが分かれば、とりあえずは良いんじゃないかしらね」

「へえ?」

「私たちの居るヴィスコンティ、隣国に中小の国家が纏まってるユニオン共和国と神聖フランツ帝国というのがあるわ。そして魔界の王の居た場所に最も近い北部に位置するツアル皇国と、魔界の王から独立したと言われてるヘルマン国の五つね。

 ただ、最後のヘルマン国に関してはツアル皇国以外は国として認めてないの。神聖フランツ帝国が魔族は一切排除すべきだと主張していて、小競り合いがしょっちゅう起きてるわね。ただツアル皇国とヘルマン国は言ってしまえば、魔界の王亡き後も散発的に襲撃を繰り返すモンスターからの壁のような役割をしているから誰も強くはいえないというのが現状」

「神聖フランツって、なんか神官とかそういった人が関わってる感じなのかな?」

「ええ、そうよ。十二人の中に神官が居て、戦いの後に自然と出来上がった国なの。負傷者や傷病者を看病していた野営地が原点と言われてるわね。あそこは聖職者の中から国を導く人が選ばれるの。だからこの国ほど魔法使いが居るわけではないけれども、一番歴史と神を大事にしている国ね」

「へぇ……」


 つまり、カノッサの屈辱で有名となった国王のような状況が起きうるって事か。下手すると国という枠組みを超えても宗教的に認められなければ外交関係や地位ですら危ぶまれる可能性があるということか……。

 宗教の色が濃い時代は特に嫌な知識しかない。ただでさえサリンやら自爆テロやらで心象は良くないので、懸念事項として気に留めておいたほうが良いだろう。


「で、ツアル皇国はちょっと変わっている国でね? 今ではモンスターに支配されてる地域の一番奥に居た人が逃れてきて、十二人の内の一人がその中にいたの。

 その生き残りが何時かはその地を取り戻し、かつて自分らを逃してくれた英雄たちに報いるという方針でモンスターと戦い続けているわ。あそこだけ文化が変わってるのよね」

「へえ?」

「何だっけ、クンシュセイとか言ってたわね。やり方が違うらしいけど」


 ……クンシュセイって、君主制のことか? だとしたら貴族制と君主制で既に嫌な予感しかしないし、先ほどの宗教色の濃そうな国については神権政治かもしれない。もうね、一歩間違えれば乱世じゃん。魔王が死ねば共通の敵が居なくなるから人間同士で争うってか? 最大の敵は人間って言うのを地で行く事態になりかねない。


「ユニオン共和国は単独で見たら小さな国ばかりだけど、それを一つの国がまとめてるキョーワ性って奴だったかしらね」

「――なんでこんな場所に、日本とソ連とヨーロッパがあるんですかね」

「ニホ……、ソレ……?」

「いや、なんでもない」

「まあいいけど。ユニオン共和国は国土が貧弱だから、それぞれの強みを持ち寄って互いに支えあっている形ね。取り仕切ってるのがユニオン国で、そこからユニオン共和国って呼ばれてるわけ」

「うんうん」

「最後にここヴィスコンティね。ここはね、なんと十二人の内五人で興した国と言われてるわ。

 オリジンは学園を設立して、いつかまた同じような時が来た時に備えて国を選ばずに魔法が使えるものを多く受け入れようとした、そして残りの四人の内一人は国王に、残りの三人が仕える者として纏めていったというわけ」


 なるほどなるほどとメモ帳に書き殴るが、そこに書かれているのは重要なワードとその意味、そして私見だ。情報の重要度や認識の仕方なんて人それぞれだし、ミラノが重要だと大事だといっている事柄は自分にとっては警戒すべき事柄でしかない。

 宗教、国家、団体――人が集まると言うことは思想や教義が似通った人で纏まっているということだ。それで衝突する事もありうるということだ。


「ちなみに、魔界の王との戦いが終結してからどれくらい?」

「八百年くらいと言われてるわね」


 くっそ緩い歴史認識に呆れるしかないし、それだけ時間が経過していれば団結もクソも無くなって来るだろう。むしろ全ての国が事実や歴史を捻じ曲げてる可能性も視野に入れなけりゃならないし、下手したら国を渡り歩く可能性も考えなきゃいけないが……

 ほんの少し、じゃあ目の前の彼女を見捨てる事に抵抗は無いのかを考えて、幾らか後ろめたさはあった。扱いは立場上酷いが、今のところ休日と言う時間を削ってまで教育という名の情報を無償で与えてくれている。その妹も、俺の使い魔として現れたカティアの面倒を見てくれていた。

 まあ、その時が来なければ分からない。まだ一日しか一緒に居ないのだから、これから関係が悪化する事もあれば良好になる事だってあるだろう。今悩む事じゃない、何も分からないのに勝手に悩んでも気苦労が絶えない。


「そういや、色々な国の魔法が使える人が来てるって言うのは」

「そのままの意味よ。ただ、魔法を使える人がどう呼ばれていてどういう地位の人かというのは国ごとに違うの」

「へえ?」

「私たちの国では貴族、神聖フランツ帝国では聖職者、ツアル皇国ではモノノフ、ユニオン共和国ではその国の階級で呼ばれてるわね」

「例えば?」

「ルテナンとか、ツアル皇国の人たちからはショーイドノとか色々かしらね」


 あ、モロに軍部が国を担ってるパターンですわ。軍事政権とか呼ばれるパターンで、パワーバランスによって国が動いていくパターンだコレ。階級がそのまま政治的な力を示す事になり、将軍が事実上の国のトップということに違いない。


「……色々な国の人が居て、付き合いとか大変じゃない?」

「そうでもないわね。ユニオン共和国の人はなんか挑発的だし、ツアル皇国の人は頭固いし、神聖フランツ帝国の人は話を聞かないしで大変だけど、ソレを除けば普通の人たちよ?」


 やっぱりヘルマン国の人は魔界の王から独立した、いわばモンスターだし裏切り者という認識だからか学園には居ないのかもしれない。けれども、なんというか……国の特色の出た人たちなんだろうなと思わないでもない。

 多分ユニオン共和国の人は強さで上下を見て見下してくるだろうし、ツアル皇国の人は決まりごとには五月蝿いだろうし、神聖フランツ帝国の人は善行とか信仰に五月蝿いだろうし、ヴィスコンティは階級の上下に五月蝿そうだ。

 静かに大きく息を吐き出すと、眉間を揉んだ。そして歴史に関しては徐々に教えるといったミラノに感謝しながらメモ帳を見直す。とりあえず今の話の中で重要そうな事柄と逸れに対する私見を書き込んでいるのを確認し、まあいいだろうと頷いた。


「何よこれ、字?」

「あの、これが字じゃなかったら俺は一体何を書き込んで何を勝手に満足そうに頷いたんでしょうかね……。

 字ですよ、ちゃんと読めますよ!」

「自分のことは何も思い出せないけど、習慣とかは身に染みてるのかしらね。

 けど、ちゃんと私たちの使っている字も覚える事」

「可及的速やかに覚える事を誓います」


 そう言って午前中の授業は終わりを告げた。昼にはまた同じように地べた座り込みでさもしいご飯を表向き食べながら、裏では温かいご飯を分けてもらう。ミラノと自分にご飯を持ってきたのが先日のトウカというメイドさんで、ウィンクをされたのでちょっと微笑んだら脛をミラノに蹴られた。


「へらへらしない」


 へらへらなどしていなかった筈なのだが、それでも文句を言わずに「はい」とだけ答えて無難な道を選んだ。彼女なりに思うところはあるのだろうし、立場の差はどうあがいても覆らないし理解されない主張に時間を割くのも面倒だった。

 脛を蹴られた時に痛がるついでに料理に触れたと称して厨房裏でご飯を食べて満足すると、戻ったときにはミラノがタシタシと床を踏んで半眼でこちらを見ていた。腕まで組んでいる。

 帰りが遅かったからとお怒りのようだが、ちゃんとそこらへんは対処してある。裏で一度本当に服を汚し、洗ってるのでうっすらとシミが残っている。匂いや油を落としたかったからと言うと、すんなりと受け入れてもらえた。

 今日は昨日みたいに絡まれなかったな~とか考えながらミラノと共に帰路についていると、その途中で転がっている人を見かけた。ミラノの服装は洋服という感じだが、その人物は服装の毛色が違う感じだった。


「なんか、人が倒れてるんだけど……」

「――大丈夫、見慣れた人だから。ねえ、ヒューガ。寝てるの、それとも気絶してるの?」


 ヒューガと呼ばれたその青年は呼ばれて「うあっ?」と声を漏らし、そのまま寝転がったままに頭だけで周囲を見てこちらを見つけ、そのままよいしょの声と共に起き上がった。しかし、自分はその好青年そうな風貌に苦手意識を持った。こういう手合いは大体男女問わずに話が出来、ソレで居て顔が広いと相場が決まっている。


「やあ、ミラノ。どうしたんだい?」

「どうしたんだい、じゃないわよ。またお昼寝してたの?」

「まあ、そんな所かな。武に磨きをかけようと、何が出来るのか考えていたら疲れから眠くなってね」

「そのまま寝てしまったと」

「そんな所」

「何時も一緒の相棒はどうしたのよ」

「ああ、ミナセなら……」


 あそこに居るとでも言いたかったのか。首の動作と指差した方角を見ていると一人の、青年というには些か頼り無さそうな人物が建物から飛び出してきた。


「いやっ、だからっ! 僕は知らなくて――」

「そんなのっ、私(わたくし)が信じられると思いますかっ!」

「ひぃぃいやっぁああっ!!!!?」


 ……おっかしいな。魔法の威力ってアホみたいに強かった筈なのに、ソレを容赦なくぶっ放す女の人とモロに喰らったりしながら逃げ惑う頼り無さそうな青年が居た。炎が彼を煽り、ソレを転がるようにして避けたところに火球で追撃が入る。

 少し吹き飛ばされ、焦げながらも彼は「ヒューガ! ヒューガ、助けっ……!!!」等と喚きながら逃げ去っていった。その後を一人の少女が追いかけていった、痴情の縺れという奴だろうか? くそっ、見せ付けやがって……。

 

「ところで、そっちの男の人が噂の使い魔って人?」

「一応ね」

「俺はツアル皇国から来たヒュウガ・タケル」

「自分は、ヤクモって……言います。よろしくお願いします、ヒュウガさん」


 苦手意識からか敬語を使ってしまい、敬語を使った自分が彼に対して苦手意識を抱いたが故にそうなったのだと理解すると自然と正面きって目線を呉れてやることも出来ない。本当の格下のように縮こまっていると、彼はヘラッと笑みを浮かべた。


「ヤクモ? はは、俺たちの来た国の人みたいな名前なんだな~。

 なんかさ、自分の国を出てみたら誰もかも長い名前が多いし、ヒューガじゃなくてヒュウガって呼ばれただけでも嬉しいよ」

「えっと、その……。有難う、ございます」

「畏まらなくても良いんだけどな……」


 勝手に萎縮し、緊張している俺にミラノが「何で怯えてるのよ」とか言ってくる。だって、イケメンだぞ? もうね、ツラが良いというだけで勝者側に足を突っ込んでいるし、それでなお性格も良い事が多いので更に勝者側へと寄っていく。自信多い足取りからは成長と学習を得られ、それが成人してからは就職でも有利に働くに決まっている。

 仏頂面をさらしてからようやく安堵出来、ヒューガ……いや、ヒュウガを見た。そして「記憶がないから常識などないと思いますが、よろしくお願いします」と下から言った。


「――変わってるね」

「よく言われます」

「けど、本当に俺は大した事ないよ。魔法だってまだ上手く使えないし、自分の国の教えに沿って何かしら武芸を修めたいとは思ってるけど何が向いてるかもまだ分かってないし」

「別に急がなくても良いんじゃないかしら。貴方の国では率先して戦いに行くことが多いのだし、魔法が優れてなくても武芸で優れたら良いんじゃないかしら」

「そうかも知れないね」


 そう答え、ヒュウガは立ち上がって草や土を払った。

 しかし、魔法が上手く使えないというのがどの程度なのかは分からないが、ミラノが別段馬鹿にしたりしないし、それどころかフォローやアドバイスをしてるのを見て若干意外だなと思った。それとも単純に異国の人だから優しいのか、或いは立場的に俺は厳しくされているだけなのか――



「さて、と。それじゃあ俺はミナセを助けに行くとするかな。あんなだけど、俺の親友だし」

「魔法が使えるようにとか、勇ましくとか無理な事は言わないから女性関係の諍いだけは解決して欲しいわね」

「はは、伝えておくよ。それじゃ、ミラノもヤクモも、また」


 去っていったヒュウガを見送ると、なんというか不思議な感覚に陥った。こう、フランクというか、自分もまるで同じクラスの学生になったかのような感じが。ゲームの貸し借りや漫画の貸し借りをするような間柄のように錯覚してしまうほどに、何もなかった。


「――不思議な人だな」

「ツアル皇国の人はあんな感じの人が多い気がするわね。あまり地位とか階級とかを感じさせないし、馬鹿にされるか親しまれるかの二択ね」

「なんで?」

「魔法という優れた力を持っているのに我が弱いとか、頼りないとか言われてるわね。けれども、変に飾ったりしないから好かれたりはするわ」

「なるほど」

「あと、基本的に魔法使いというよりも武芸者って人が多いのも国柄って奴かしらね。人を率いて自らも突っ込むって言う感じで、かつて彼らの祖先はそれで魔界の王の侵攻を数年単位で遅らせたと聞いてるわね」


 ……捨て奸かな? それとも勝てない事を理解してなお徹底抗戦を選んだのだろうか。あるいは、かつて退いてきたその一部の人たちを逃がす為に殿となって死んでいったのかもしれない。勝手に妄想は膨らむが、時間と失われた歴史というのが想像を妄想に押し留めたままにしてしまうのでそれ以上は考えないでおいた。


「ヒューガもどうして勉学も魔法も戦いも苦手な彼に付き添うのかしらねぇ……」

「さっき逃げてたミナセって人のことか?」

「ええ、そう。ヒューガも魔法は出来ないけど勉強はできるし、戦いも拙いけど才能はあるのよ。

 けどミナセはねぇ……。魔法は呪文を間違えて教室を吹き飛ばすし、勉強は苦手で課題も満足にこなせない、戦いも組み手でヒューガとやってる時は良いんだけど臆病だし自信が無いし腰が引けてるから全くダメ」

「酷い辛口評価で……」


 少しだけミナセという先ほどの人物に同情をしたが、それでも女性関係の騒ぎがあるというのは幾らか羨ましかった。そしてミラノに酷評されているにも拘らず親しい友人が居るというのも羨ましい。

 ――そして、同窓会の時を思い出した。皆がスーツで集まった中、自分だけがスーツ姿じゃない肩身の狭さ。それでもまだ、最初の頃はかつて仲の良かった仲間と酒を飲んで、バカ言い合ってるだけでも十分に楽しかった。

 けど……。


「……大丈夫?」

「え?」

「さっきから様子が変だけど、何かあったの?」

「いや、別に。ただ――立場ってのがあるから、どう接していいか分からなかったんだ」


 何時もの半分嘘、半分本当の言葉。自分が悪いのに、それを別の理由に括りつけて悪くなかった事にする。けれども自分がどうしてそう言う言葉を吐き出したのか理解しているからこそ罪悪感が苦々しくこみ上げてくる。


「まあ、変な事をして私たちの地位を貶めるような事をしなければ特に問題ないけど。

 あとは自分の立場を自覚して、行動一つ一つに気をつけること。

 挑発しない、何か言われたら素直に言うとおりにすること、調子に乗らない事」

「それくらいなら、なんとか」

「別に誰かと仲良くなったりするなとは言わないから、ある程度は好きにしたら良いわ。ただ、優先順位は私だから、それは忘れない事」


 まあ、そうだろうな。けれども他の魔法使いと関わっていいと許可が出たのは大きい。会話が出来ると言うことは、沢山の思想や思考を聞けるということに繋がる。国のこともそれぞれの人に聞けばより分かるだろうし、分かっているというだけでも武器になる。


「……臆病だったり精悍だったり、良く分からないわね」


 そうミラノに評されながら、多分それで100%正解だと自分でも思った。



 ――☆――


 休日を全部使い潰すのは嫌がったのか、昼食後はミラノ自身も本を読んで勉強に入った。俺も字の読み書きが出来た方が良いだろうと、メモ帳と睨めっこしながらアリアに渡された簡単な本を”解読”していた。

 スペイン語、英語のように似通った外国語程度なら理解があるけれども、全く知らない文字の造詣をまず判読出来るようにならないといけないので、面倒だと思いながらも少しずつ単語を覚えるしかなかった。

 そしてティータイムには簡易セットで紅茶を嗜んだ後、ミラノはそのままベッド上での勉強からの流れで眠りに入ってしまった。うつ伏せで本をわきに眠っているその姿は可愛いなと思うが、一応生物学的には人間の雄なわけでして、ちと無用心すぎやしませんかねとか思ってしまう。

 それでも地べたで本を読む作業に没頭していたら、小さくノックがされた。


「戻ったよ~。って、寝てる?」

「さっき寝たところかな」

「あぁ、そうなんですか。じゃあ、邪魔したら悪いですね」

「え、なになに?」


 そしてアリアが静かに去ろうとしてるところでカティアが入ってくる。そしてベッドの上でうつ伏せになって眠っているミラノを見て、そこから離れた地べたに座ってメモ帳と本とペンで独学しているしている自分とを見て理解を示した。

 アリアは「私は部屋に戻りますね」と言って去り、カティアは一度キョトキョトとどうしようか悩んでいた。けれども直ぐに自分のそばまで来るとペタリと座り込み、アリアはそれを見て「またね」と言った。

 

「――何してるのよ」

「お勉強。字が読めないとこれから困るし、仕方が無くって感じかな」

「それなら私が読んであげるわよ」

「それじゃカティアが居ない時に俺が困るしなあ……」


 そう言いながらも本に目を通していたが、カティアがそばで覗き込んでいるので一旦リフレッシュをかねて中断する事にした。


「俺の事はどこまで分かってる?」

「一応、簡単な人物紹介程度なら神様のところで受けてきたわ。

 昔軍人だったんでしょう?」

「軍人ってか、自衛隊なんだけどな」

「どこが違うのよ」

「それを説明するには第二次世界大戦にまで遡って、敗戦国がどうなったかまで説明しなきゃいけないから省く。

 それに、俺はオチコボレだから軍人とはとても言えない」

「なんで?」

「――……、」


 何でと聞き返されて、一瞬だけ血が上るのを感じた。踏み込まれたくない場所に踏み込まれた、それに対する防衛反応だ。けれども頭を振って息を吐くと、「あ~……」と声にならない音を漏らし考える。


「その話はナシにしよう。俺が向こうでどんな姿してたかを覚えていたら、頼むから聞かないで欲しい」

「あっちに比べればやせてるし、逞しそうね」

「そこらへんは全盛期の肉体を用意してくれたらしいし、助かってるよ。

 これから、どうなるのか、どうするのかも分からない訳だし」

「そういえば、これからどうするのかしら? 使い魔になってるみたいだけれど」

「とりあえずは魔法も、戦闘も、この世界の事も、全てを知らなさ過ぎる。俺たちに必要なのは情報と、何が出来るのかということだ。幸い今日の訓練で、ランク三の魔法までは全部行使できる事を確認できた」

「あら、凄いじゃない。と言うことは、私は楽できそうね」

「別に、戦わせようとか思ってないから安心して欲しいかな」


 その言葉に、カティアが何か言いかけて押し黙った。そして何か言いたげに見つめてきたが、何を言いたいのか分からないし聞き出したいとも思わなかったので見なかった事にした。


「だから、俺たちの過去に関しては語らないようにしよう。俺は使い魔としてミラノに付き従う事が多いだろうから、授業とかにも出る事になりそうだ。

 逆にカティアは本などを通して学べる事を吸収していってくれ。魔法に関して深く理解して、その魔法で出来る事を増やしていって欲しい」

「貴方は、魔法をあまり使い込まないということかしら」

「使い慣れるまで、とっさに使用できるようになるまでは身に付いた技術を使うことになるだろうしなあ。俺はまず魔法の習熟からだな……」


 俺がそう言うと、今度は何かを閃いたようだ。カティアの頭部にピコンと猫耳が出た、感情的になると出るのかもしれない。


「じゃあ、貴方が前衛で私が後衛ね」

「戦いにならない事を望むよ、本当に」


 平和というものがどういうものかを理解しているのは兵士だけであるという名言に漏れず、自分も戦いというものとは無縁でありたいと願っている。それでも……、戦わなければならない時があるというのも理解している、だからこそ平和を願う。

 本当にいけないのは、戦う事そのものを否定してしまう事だ。だから平和を願いながらも、平和を勝ち取る為に戦う力を付けるしかない。じゃ無ければ失うことのほうが多いから。


「……そういや、今更だけど別に遠くに離れても大丈夫なんだな」

「だって、貴方は私に対して規制をかけてないじゃない。――んと、与えられた知識だと……主人の方で制約をかけたり外したりは自由らしいわね。

 例えば、害意を持ったら激痛が走るとか、言う事を無理やりきかせるとか、居場所を知り思考を読むとか」

「ふ、ふ~ん……」


 言う事を無理やりきかせると聞いて、一瞬だけ脳内に成人向けの映像が浮かんでしまった。直ぐに頭を振って妄想を打ち消すと、その様子を見ていたカティアが小悪魔のような笑みを浮かべた。


「あら、もしかしていやらしい事でも考えたのかしら?」

「わ、悪かったな。考えたさ、考えちゃったよ! けど、そんな事はしないから。というか、したくない」

「強がっちゃって」

「強がりかもしれない。けど……」


 一度は国の為に、国民の為に、誰かの為に、仲間の為にと頑張ったからこそ……。頑張った自分と、その組織と、自分を信じた上官や部下を裏切りたくなかった。

 ――なんて言えたなら、どれだけ格好いいだろうか。結局、臆病でそんな事もできない自分を綺麗な言葉で立派に着飾っているだけだった。

 言葉を続ける事ができないまま飲み込み、息を吐いて誤魔化す。そうする事しか出来なかった。


「――特に制約とか設けないよ。ただ、助けて欲しい時に助けてくれればいいから」

「あら、それだけで良いのかしら?」

「今のところ、何かを頼めるくらい分かってる事の方が少なすぎる。だから魔法重視で色々勉強して欲しいかな。

 あ、あと。出来ればで良いから、他の人とかとも仲良くなっていってくれると助かる」

「仲良く……、どういうことかしら?」

「今の状態だと、言ってしまえばヴィスコンティっていうこの国の色が濃い情報しか手に入らない。その上色々と学べる相手は一人でも多いほうがいいに決まってる。

 もしかしたら国ごとに魔法の特徴が違う可能性もあるし、話からアイディアも沸くかもしれない」

「ふ~ん、なるほどね」


 等と、これからの方針を打ち出してみる。行動方針の明示は何をするにしても大事だ、少なくとも迷ったりはしない。そして――真に残念な事に――カティアと自分とでは自分が一応上位という事になる。なら、自分の行動がミラノの責任になるように、カティアの行動は自分が責を負うとはっきりさせなければならない。

 責任の所在がはっきりする、それだけで行動しやすくなる。上は上なりに責任があり、下はしたなりに責任がある。それを自覚できれば、認識できれば行動の仕方も選べる。

 そうやって自分なりに手探りでどうにかしようと考えていると、背後から人か近寄ってきたのに気がついた。草を踏む音、土が沈む音、潰されていたものが開放される音等々。足音に類するそれらで誰かが近づいてきたのに気がついた。


「あ、ご、ごめっ――」

「あ、えっと。ミナセさん、ですかね?」


 昼時に女の子に追い回されていた人物だった。年齢は分からないけど、ヒュウガという人物よりは幾つか幼く見える。それは童顔だからか、それとも線が細いからかは分からない。ただ頼り無さそうだというのはミラノの言っていた人物評価のとおりだ。


「誰?」

「昼に出会ったヒュウガって言う人の友達、かな? ――自分はミラノの使い魔をしているヤクモって言います、こっちは自分の使い魔のカティアです」

「紹介に預かったカティアと申します。不肖ながらヒトとして日が浅く、分からない事が多々ありますが、どうかご容赦頂きたく……」


 そう言ってカティアはスカートをつまみ、恭しく礼をした。それはどこから得た知識なのかは分からないけれども、少なくとも礼儀を尽くしてるらしい事は俺でも分かる。そして自分が礼儀を尽くしていない事を思い出して頭を下げた。


「わっ!? いっ、いいよそんなにしなくても!

 って、今ちゃんとヒュウガって発音してたけど、君がそうなんだ」

「? 自分のことを聞いたと」

「そそ。僕らの国の人みたいな名前で、ヒュウガの事をちゃんと呼んでくれたって話してた」

「そんなに珍しいと」

「ヒュウガってね、何時も”ヒューガ”って呼ばれるから。

 あ、そうだ。自己紹介がまだだった……。僕はミナセ・リョウって言うんだ。皆からはリョーって呼ばれるんだけど」

「リョウですか」

「そうそう、その発音! リョー、リョーって呼ばれるから落ち着かなくてさ……。

 この学園にも気がついたら放り込まれて足し、魔法も使えないし……」

「いや、ちょ……」


 まさか勝手にへこんで、勝手に泣かれそうになるとは思わなかった。少しだけ背筋をはったような態度も崩れてしまい、慌てる。こういうときどうしたら良いのか分からない、迷子の子供じゃないのだから飴をあげて人気の話題で誤魔化すなんて事もできない。

 どうする? どうしたらいい? そんな事を考え、悩み、うろたえた結果出てきたのが「お、俺も記憶無くて、友人とか……居ないので……」等と、情けないにも程がある言葉だった。

 けれどもその言葉は彼には有功だったようだ。落ち込み、泣きかけていたその表情が明るくなった。


「じゃ、じゃあ。僕と友達になってくれる!?」

「へ、あ、は――」

「タケルくらいしか――あ、タケルって言うのはヒュウガの事なんだけど、タケルしか仲のいい友達が居なくてさ……。その、仲良くしてくれると良いなあって」

「自分でよければ……」

「あっ、有難う! もう三年も居るんだけど、全然友達が出来なくて、心細くて!」

「鼻水! 鼻水たれて――というか、何で裏からこっそり来てたんですか!?」

「なんか、政略結婚って言うのかな。結婚する相手が居てさ、その子が僕を追い回して来るんだよ。

 それで逃げ通してようやく帰ってこれて」


 ――許婚が居るという、トンでも爆弾きましたー! あれ、おかしいよね。コレだったら記憶を引き継いだままに赤ん坊からやり直して、両親という庇護を受けながら成長していったほうが良かったかもしれない。それでいて両親がそれなりに地位の高い人を願い出ていたなら、俺にも将来の結婚相手とか居たかも知れない。くそっ、見誤った!!!


「僕が魔法使えないから訓練しようとしてくれるのは分かるんだけど、物凄くきつくて。

 戦いになった時も物怖じしないようにって色々するんだけど、一方的にボコボコにされたり……」

「……それは、厳しいですね」

「うん。さっきまで勉強漬けにされてて、今逃げてきたところ」

「えっと、自分の記憶違いなら勉強も苦手なのに、逃げたんですか」

「もう嫌だよ……、昨日も夕食の後でみっちりやらされて、たまには自由になりたいっ!」


 まあ、三年も居たという事はミラノと同学年ということだろう。そして三年間、ずっと訓練や勉強という名目で自由時間を失ってきたのだろう。もし自分も学生時代に”無理やり”やらされた事で忙殺されていたなら、逃げたくなる事が一つや二つ、三つや四つもあるだろう。


「一つ聞きたいんですけど、ここに来るのって義務なんですかね」

「義務、なのかなあ? 僕はあまり考えた事は無いけど、魔法が使える人は来て当たり前って人が多いんじゃないかな。あ、それと敬語は無くて良いよ。タケルも僕も、人に威張れるほど何かが出来るわけじゃないし」

「じゃあ、口調だけは失礼して――」


 けれども、やはりこの学園も半ば義務的な所はあるらしい。この学園での評価が、親元や国元に帰ったときに生かされるのだろう。評価が悪ければ幾らでも足は引っ張れる、そう考えてしまえば泥臭い政治争いを想像してまた嫌になった。


「――俺も、仲良くできる友人は欲しかったんだ」

「宜しくっ!」

「リョー! リョー! 何処に行きましたの~!!!」

「っ!?」


 女性の声と同時に、握手をしていたはずのその呼ばれた人物はサッサッと素早く、音を殺しながら男性寮の方へと逃げていった。もはや逃げ癖というか、逃げる事に関して技術が磨かれていると見ても過言じゃ無さそうだ。

 その姿が寮の中へと消えるとほぼ同時に、逃げた人物を追っていた女性が現れる。昼に攻撃をしていた人だ、ミラノが平凡な貴族だとしたら、こちらは貴族の中でも上位っ! みたいに思える。その髪ゆえに。


「其処の御二方、こちらに逃げてきた人を見ませんでしたかしら」

「あの、逃げて、とはどういうことでしょうか」

「――理由はどうでも良いのです。見たか、見てないのかだけ答えなさい」

「申し訳ありません、寮の角を曲がって消えていった人物なら見かけましたが、それ以降は気にもかけなかったので分かりませんね」


 ――少なくとも、友好的であったあのミナセという男を売るのは宜しくない。かといってあからさまな嘘を言ってしまえば後々角が立つ、故に虚実いり混ぜて追求のし難い答え方をした。

 それを聞いてその女性は「そう、協力感謝します」と言ってさっさと行ってしまった。多分彼女からしてみたら名乗るほどの相手でもないのだろう、それかミナセやヒュウガという人物が敷居を感じさせないが故に錯覚しかけていたのか。


「騙してよかったのかしら」

「別に騙しては無いさ。人は誤解もすれば錯覚もするし、思い込みもあれば見逃しもあるってだけで」

「ああ、追求できない言い逃れって事」

「――とりあえずさっきのミナセって言うのと、ヒュウガって言う人物は安心して会話が出来そうだから、暇があったら色々と話をしてみてくれ。そのついでで交友関係から手を広げていってくれれば」

「私が男の人を担当するって事かしら?」

「いや、同性を相手にした方がやりや――。やめろ、異性相手の会話が苦手なんだろうな~って顔をするんじゃない!」


 ひとしきり騒ぎ、それから俺はカティアと分かれてミラノの部屋で独学に励む。カティアはアリアの下で勉強するようだ、彼女は字が読めたりとかある程度俺よりも進歩しているのでその方が良いだろう。

 夕方が近くなってミラノが起き出し、アリアたちと合流して食堂へ向かう。するとミナセとヒュウガが手を上げて挨拶してくる、その近くにはミナセを探していた女性と、更にもう一人の女性が居る。手を軽く上げて反応だけを示して別の場所で地べたで食事を取り、そのまま風呂に向かっていった女性陣を見送って厨房裏でお湯を分けてもらう。

 お湯で体を擦れるというだけでも衛生面での効果はある。水で体を洗って幸せかと言われれば、気温や場所的にそれは無い。温かいご飯で腹を満たし、温かいお湯で体を綺麗にし、温かい寝床で安らぎに包まれながら眠る――。今のところ二つは満たしているので、残り一つの問題である睡眠を解決できれば長期間の生活も問題なくなるだろう。


「ツアル皇国の連中は良い意味で変わってる奴が多くてな。

 偉ぶったりしない、むしろそのあり方は俺たちにちけぇかもなあ。

 ただ、変わり者も多いという意味でもあるんだがなぁ」

「へえ」

「やあや、どうも~ん! どうだい、今日も元気でお疲れ様かな~?」

「テメエは黙ってろ、トウカ!」


 おやっさんの言うとおり、ツアル皇国の人は色々な意味で変わってるのかもしれない。トウカもなんか日本語で書ける名前っぽいし、もしかしたらツアル皇国の人なのかもしれない。

 彼女は拳骨を喰らってハラヒレホロと目を回していたが、直ぐに立ち直って頭を振る。彼女はメイドというには生命力に溢れすぎている気がしないでもないし、むしろ何で特別階級の人物が多いここで生きていられたのか不思議である。


「おやっさん、あんまボコスカ殴ると脳がイカれる……」

「ああ? そうか。ったくよ、幾ら言っても礼儀作法はあんま覚えねえし、本当にバカで困るぜ」

「ひっどいな~。傷つくよ?」

「数秒でケロッとする奴が傷つくかよ」

「まあねぇん」


 少しずつだが、立場を考えずに付き合える人が増えてきた。カティアは少なくとも挑発的なのか小悪魔的かは分からないけれども、それでも一応いう事は聞いてくれる。ヒュウガとミナセはフレンドリーだ、厨房のおやっさんとトウカは立場的に同じく特別階級ではない。

 そういえば親しげに話が出来たのは何時振りだろうか? ずっと昔、ニートになる前なら幾らでも想像できたのに、ニートになって家に引きこもり出してからは誰かと面向かって話をした記憶が無い。

 ――少しだけ、寂しくない。そんな事を考えながらそれぞれにやる事をこなし、明かりのおちる時間を迎えて再び床で眠りにつく。日本のように一つの言語の中に漢字や平仮名、カタカナみたいに派生文字が無くて助かる。単語を理解できれば後は繋げていけば読み上げる事ができるし、読み上げる事ができればそのまま意味が理解できる。

 ここ二日でなんとか、最低レベルで何とかなるかも知れないという取っ掛かりだけは作れた。食事や非特権階級の知り合いが出来たということ、特権階級だけれどもフレンドリーな知り合い二人、それと自分の主人とその妹だ。

 ――現地の知り合いというのは心強い。グリーンベレーのやり方とは違うが、現地の人と仲良くなって共に戦えるのなら心強い事はない。まず味方を増やすこと、味方を仲間にしていく為に交友を深めていく事、そして魔法を理解し、戦いを理解し、自分の手札を増やしていくこと。

 そうしたなら、多分生き方というのも見えてくるかもしれない。そんな事を考えながら、寒い地べたで丸まりながら眠りに落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る