レイン、決別

「……んん……っ」


 その日、レイン・シュドーは普段通り、地下にある無機質な一室でゆっくりと目を覚ました。興奮のあまり寝相が悪かったのか、彼女の傍らにはベッドから転げ落ちた毛布が鎮座していた。それを拾い上げ、几帳面にたたんだ後、レインはビキニ衣装1枚だけに包まれた自身の胸にそっと手を当て、何かを念じるような表情をしながら、そっと寝室の扉を開けた。

 彼女の眼下に広がっていたのは、彼女がこれまで数限りなく空間を歪め、果て無く続く迷宮と化していた巨大な地下空間であった。世界の果ての下にこのような場所が広がっていた事を知ったあの日を、彼女はそっと思い出していた。そして、改めてこの場所の広さを感じ取った。



「いただきます……」


 規則正しく、いつも通りの時間に食べ始めた朝食も、今日に限っては普段よりも遥かに静かだった。どこまで続くかわからない長机や長椅子を前後左右に見つめながら頬張るパンやサラダの味は、普段よりもどこか濃い風味が出ていた。漆黒のオーラを用い、何もない空間から創造したこれらの食事に、自分自身の緊張や寂しさがほんの僅か入り混じっていたかもしれない、と思いつつ、そんな自分の心を洗い流すかのようにレインは多めに水を飲んだ。



 少し休んだのち、魔術の力で遥か上空――地下空間の上にどこまでも広がる世界の果ての荒野に意識を集中させたレインの心には、見慣れていたはずの灰色の空がどこまでも映っていた。今まであの漆黒の存在とともに、何度この景色を見つめ、何度世界を真の平和に導くことを決意したのだろうか。だが、それも今日で終わる。あの灰色の空も、無限の荒野も、もう一度世界で最も美しく凛々しく逞しい存在、レイン・シュドーで覆いつくしてみせる――彼女は1人、覚悟の表情を固めた。


 そして、純白のビキニ衣装の美女が、そのたわわな胸を揺らしながらこの場から消え去った後、地下空間には静寂の時間が流れ始めた。

 本来の持ち主も含め一切の命が存在しない静かな時間が、初めて訪れた。


~~~~~~~~~~~


 そんな無人の空間に後ろ髪をひかれつつも、レインはそれを拭うように顔を左右に振り、最初の目的地へと向かった。


 オーラの力を使って自分の体を浮かび上がらせ、高速で飛ぶ彼女の視界には、一切の命が存在しない世界が広がっていた。昨日まで世界を埋め尽くしていた無数の存在も、それらを延々と生み出し続けていた海も山も川も空も、まるで最初から無かったかのように消え失せ、辺りにはただ茶色や白色の大地がどこまでも連なるのみであった。改めて自分が征服する事ができた世界の広大さを実感することが出来たレインであったが、同時に誰もいないこの世界が放つ底知れぬ不気味さ、寂しさも心の底から感じる事となった。もし今日、自分が生き残る事ができなければすべての世界は永遠にこの静寂に包まれてしまうかもしれない。このような形での結末など望まない、レイン・シュドーという存在が無ければ、決して平和なんて訪れない――彼女は何度も、何度も心の中で念じ続けた。


 やがて、誰もいない空間を進んだ彼女の目に、周りに広がる大地とは明らかに異質な物体――やたら豪勢に作りこまれた石造りの建造物を見つけ、その近くにそっと舞い降りた。人間という愚かで虚しい存在が残した遺物、もしくは『異物』を悉く排除し、自分の中に取り込む過程の中で、どうしてもこの物体だけは最後まで取っておくつもりでいた。巨大な石の中で眠り続けているであろう存在に最後の思いを語るために。



 そして、その日は訪れた。



「……久しぶりね、ライラ……」


 

 ライラ・ハリーナ。レイン・シュドーが何も知らぬ『勇者』であった頃、彼女に最後まで付き添い続けた健気だが勇敢な勇者。

 そして、人間の残虐さの前に呑み込まれ、このばかでかい石造りの墓に手厚く葬られた、哀れな少女。


 人間たちのほとんどは彼女の尊い犠牲を忘れ、生き残った偽りの者たちを褒めたたえるようになり、この見せ掛けだけの豪勢な墓には誰も立ち寄らなくなった。レインが過去の世界と『勇者』という異名から決別する思いを固めたのは、ある意味ではライラのお陰でもあったのかもしれない。

 そんな彼女の肉塊や骨が今も眠り続けているであろう場所に彼女はそっと跪き、どこまでも自分を信じてくれた存在に感謝を述べた。今までずっとその言葉が言えなかったことへの謝罪も含めて。


「……本当にごめん。もし貴方を怒らせたり、寂しがらせたりしていたら、それは全部私のせい……」


 ライラの命を奪いつくした人間たちを全て彼女が憧れていたであろう存在へと変える――その目的がほぼ果たされるまで、レインはライラに頼らない決意を固めていた。もしかしたらそのような形での『復讐』をライラは望んでいなかったかもしれないが、それでもレインは自分の欲望や衝動を抑えることなく放散し、そして世界を一面純白のビキニ衣装の美女で覆いつくしてしまったのだ。結局は、どれだけライラのためという大義名分を作ろうとも、それは愚かなものたちが行っていた言い訳に過ぎない。もしそれに関して憤りを示していたとしたら、これから始まる戦いで私を敗北に導いても構わない――レインは自虐交じりの笑みを見せながら、墓に向けて語り続けた。こうやって静かに思いを語り続けるという行為自体も自己満足そのものだ、と独り言を付け加えながら。



「……どこかで見守ってくれると嬉しいかな……なんて、そんな事、今の私には分からないけどね……」


 

 人間という存在の枠をすでに超えていた自分自身と異なり、ライラ・ハリーナは命の鼓動が尽きればもう二度と蘇らない、ただの人間として生涯を閉じてしまった。確かに今のレインの力なら際限なくライラを蘇らせる事も出来るかもしれないが、そのような事をする気は一切起きなかった。自分の掲げた目標を達成するためには、たとえ最後の仲間であっても一切の容赦をしてはならない、と言う覚悟を決めていたのである。それが例え、ばかでかい墓石の下でつぶされ続けていたとしても。


 そして、しばらくじっと巨大な建造物を眺め、そしてその豪勢さに対する怒りをその目に込めた後、レインは立ち上がった。



「……さて……これで貴方とはお別れよ」



 最早今の自分は、ライラ・ハリーナが憧れ続けていたであろう『勇者』ではない。そのような存在についていくべきではないし、何よりそのような行為をレイン自身は一切望んでいない。ここで全てを終わらせ、ライラという名の楽しさと辛さを交えた過去から決別しなければならない――大きく息を吸い込みながら墓石に向けたレインの掌には、かつてライラたちが倒すべき相手であった存在が使うのオーラがどす黒い輝きを見せ始めていた。

 これで、レイン・シュドーと言う存在の味方はこの世界から完全に姿を消し、自分以外に残るのは世界を真の平和に導く過程における最後にして最大の壁のみになる。だが、レインはそのことを悔やむつもりもなければ立ち止まる選択肢も考えていなかった。これが、彼女の選んだ道。何をしようが何を使おうが、全て自分の思いのまま。そして失敗もまた自分の選択肢の1つ、何もかもが自分の責任になる――純白のビキニ衣装に包まれた胸の中に秘めていた覚悟は、その膨らみに負けないほど大きかったのかもしれない。


 そして、最大限に大きくなった漆黒のオーラを放った瞬間――。




「……さようなら、ライラ・ハリーナ」



 ――彼女は、そっと優しげな笑みを見せた。


 勇者がこの世界に確かに存在した痕跡が、人間という愚かな存在がこの世界を覆いつくしていた過去と共に粉砕し、何の意味も所以も持たない無数の石粒に変貌したのを見届けた彼女は、そのまま笑顔を安らかなものから決意に満ちたものへと変え、改めて真の目的地へと一瞬で飛び立った。

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