レイン対キリカ(3)

 レイン・シュドーとキリカ・シューダリアの戦いは、両者が顔を合わせた時点で既に決まっていた。相手を圧倒する凄まじい力をレインが持っていた事も勿論あったが、それ以上にキリカ自身がこの戦いを通して自分の命をレインの手で奪って欲しいと考え、その結末に導こうとしていた事も大きかった。

 だが、両者が目指すべき決着はまだついていなかった。渾身の力を込め、キリカの体を貫くはずだったレイン・シュドーの拳は彼女の腹に届く寸前で止まり、その命を奪わなかったのである。その事実が身に染みたのか、キリカは足の力を失ったかのようにへたり込み、不気味な空に囲まれた荒地の上に座りこんだ。幸いその目にはまだ生気が宿っており、彼女の心はまだ完全には折れていなかったものの、最早キリカにはレイン・シュドーに反撃する意志も、攻撃や防御に使うだけのオーラも残されていなかった。


「……何故だ……レイン……」


 そこまでして、自分やキリカを見捨て地位も名誉も全て奪った復讐をしたいのか――長い言葉は無くとも、キリカが口から発した音の意味をレインはしっかりと認識していた。キリカにとって屈辱的な、哀れんだ目つきのまま。

 

「キリカ……どうして私がここまで強くなれたか、分かる?」

「……何を今更……魔王と組んだ事ぐらい……知っている……」

「……それは違うわ。最初に言ったでしょ、キリカ?」


 確かに今は魔王と手を組み、世界を狙い続けている立場かもしれない。しかし、その心までは魔王に屈した訳ではない。彼女は『自分』と言う大きな存在と共に、立ちはだかる恐ろしく高い壁を崩そうと懸命に努力を続けているのである。最後に笑うのは魔王でも人間でもなく、このレイン・シュドーだけだ――彼女が自らの思いを伝え続けるうち、どういう訳かキリカの方も少しづつ力を取り戻し始めていた。呆然としていただけの顔に少しづつ表情が宿り、垂れ下がっていた腕にも力が戻ってきたのである。

 そして、レイン・シュドーの言葉に皮肉を言うだけの活力も。


「……その『自分』とやらも……魔王に与えられた存在なのだろう……?」


 今のキリカがレインの掌で踊らされているのと同様に、レインもまた魔王の掌で踊らされているだけなのではないか――核心を突くような言葉であったが、今のレインにはそれに反論できる強い心があった。例え魔王に与えられた力だろうが人間が思いついた方法だろうが、自分の目標のためならばどんな手でも使い、世界を平和に導いてみせる、それがレイン・シュドー自身と交わした約束なのだから――彼女は強い言葉で、キリカに反論することが出来た。


 

 長い時を経て、2人の立場は逆転した。あの日、キリカたちからの様々な言葉に反論することが出来ず、彼女達が去るのを止められなかった悪い意味での愚直な勇者はもういなかった。

 そしてついにキリカ・シューダリアは、自らの敗北を認めた。彼女達を見捨てた日の時点で、自分達の運命は決まっていたのだ、と。



「……全ての計算は狂っていた、か」

「少なくとも、根本は狂っていた。でも、それ以外はどうかしら?」

「何……?」


 先程、レインは自分が世界を平和に導くためならば愚かで哀れな人間が思いついた方法も奪い模倣してみせる、と言った。その『愚かで哀れな人間』の中に、キリカもしっかり混ざっている、とはっきり告げたのである。気に入らない事に対してはっきりと意見を告げる毅然とした態度、どんな場合でも自分が最高の利益を獲得するために取る様々な行動、そしてそんな心を押し留めながら大事なものを守ろうとする『勇者』の心――清濁様々な物事を、それまでの逃避行から学ぶことが出来た、と。勿論、その言葉はただ彼女を褒め称え慰めるだけではなく、痛烈な皮肉も交えていた。決してレインはキリカに同情した訳ではない、彼女を上からの視点で哀れんでいると言う事を示そうとしていたのである。

 だが、キリカはそれに対して一切反論する事無く、そのまま全て受け止めた。目の前のビキニ衣装の美女に馬鹿にされようと可哀想だといわれても、レイン・シュドーの今後に対して少しでも影響を与えることが出来た――言い換えれば一打報いることが出来たという事実を知る事が出来ただけでも、満足だったからである。



「……お前は、どこまでも『勇者』にふさわしい存在だよ」

「いいえ、私はもう『勇者』の名を捨てた。また皮肉を言うつもり?」


「信じるも信じないも勝手だ……だが、これだけは言っておきたい」



 この世界を救い、真の平和をもたらす事が可能なのは、『勇者』レイン・シュドーだけだ。


 そう告げた後、キリカはゆっくりと立ち上がり、そっと目を瞑った。両方の掌はそっと開かれ、自らに反撃の意志は一切無いことを示した。この行動が何を意味するのか、レインはすぐに認識した。あの時とは異なり、今はキリカ自身が完全に敗北したことを認めている。その上で彼女の存在を永遠にこの世界から消してしまえば、全てはレイン・シュドーの名の元の幸福へと変わる。

 そして、レインは少し小さな声で、キリカに最後の別れの挨拶を告げた。返ってくる言葉は無かったものの、目を瞑ったままのキリカはそっと口元に笑みを浮かべ、頷きで反応を返した。その顔は、今までの苦労が解き放たれたかのように安らかだった。



 やがて、キリカは自らの体が少しづつ暖かくなっていくように感じた。愚かで哀れな存在であったキリカ・シューダリアと言う物体が、静かに清められ、そして新たな姿へと変質していくような心地を感じた。これでようやく長かった苦しみは終わり、レイン・シュドーと共に本当の平和な世界を築くことが出来る――。



「……」



――そう心の中で思った、次の瞬間だった。



「……?」




 体を包み込んでいた暖かい心地が、突然消失したのだ。

 その唐突さは、明らかにレインが望んでいた結果ではない事を示していた。何が起きたのかを確かめるべく開いたキリカの瞳に、信じられない光景が映っていた。


 そこにいたのは、確かにレイン・シュドーだった。しかしその体、特に腹にあたる部分は、先程までキリカが戦っていた時のものとは全く異なる様相を示していた。魔物との戦いでも、自分自身との戦いでも、何一つ傷を負う事無く戦い続けた健康的な素肌から、どす黒いオーラのようなものが溢れ出していたのである。そして、そのオーラを噴出させていた原因は、彼女の体を貫通していた一本の剣だった。


「……あ……あ……」


 何が起きたのか理解できなかったのは、レイン・シュドーも同様だった。一体自らの体に何が起こったのか、心の中で処理する事が困難な状態であるのを示すかのように、彼女の顔は唖然としたまま、虚空を見上げ続けていたのである。そして、純白のビキニ衣装で彩られていたはずの彼女の体は、少しづつ漆黒を超えたどす黒さを放つオーラに変換されていった。

 彼女の名を叫び、必死にその体にしがみ付こうとしたキリカであったが、時は既に遅かった。世界に真の平和をもたらすはずの存在、レイン・シュドーは、無数のとなり、この異空間から姿を消してしまったのである。そして、彼女の代わりにキリカの目の前に現れたのは――。




『ふふふぅ……お久しぶりですねぇ、キリカ殿♪』




 ――彼女が最も会いたくなかった存在、不気味なトカゲの頭蓋骨に骨の集まりのような手足と尻尾、そして体を黒い布で包み込んだ、上級の魔物にして人間達の軍師、ゴンノーであった。

 軋むような音を立てながらにやけるこの存在が、レイン・シュドーにどのような影響を与えたのか、考えなくともキリカは既に認識していた。自分達がこの不気味な異空間で戦う事をも、目の前に現れた異物は全て認識していたのだ。そして、この存在ならば、正々堂々とした対決にどこまでも濁った水を刺すような行為も全く厭わない、と言う事も。次第にキリカの体が様々な不の感情で震えだし、目から涙が溢れ始めたのも、それが理由であった。

 そして、彼女は大声で叫んだ。

 


「……な……なにを……何をした!何故ここに来た、ゴンノー!!」


 

 悔しさと怒りを滲ませる彼女の悲痛な叫びを嘲笑うかのように、ゴンノーは軽々と告げた。自分は単にキリカ・シューダリアに用があってきただけ、先程まで目の前にいたレイン・シュドーはその要件には必要なかったので消し去ったのだ、と。その言葉がよりキリカを憤らせたのは言うまでも無いだろう。

 だが、怒りに身を任せた彼女が無謀にも飛びかかろうとした直前、それを止めるかのようにゴンノーは骨のような右手の指を鳴らした。次の瞬間、再びこの異空間に純白のビキニ衣装と健康的な肌、そして豊かな胸を持つ美女が姿を現した。だが、何十、何百、何千と次々に現れ続ける存在は、全員とも目に一切の感情を有しておらず、ただ荒れた大地の上に立ち続けるのみであった。その光景だけでも、キリカにとってはまさに悪夢であり屈辱的なものだった。

 だが、周りを埋め尽くすレインの偽者、ダミーレインに対して、キリカが行動を移す事は出来なかった。



「な、何をする……!?」

『『キリカ・シューダリア。貴方は完全に包囲されました。抵抗は無意味です』』



 突如彼女の両隣に現れた新たなダミーレインによって、両腕も両足も封じられてしまったからである。

 感情が篭っていない淡々とした声が左右の耳から容赦なく入り続け、キリカの体は悪寒に襲われた。しかもそれに上乗せするかのように、彼女の耳にゴンノーの汚らしい声まで届き始めた。

 


「いやぁ、そう怯えないで下さい、ねぇ。そこにいる2人のダミー、見覚えある気がしませんかぁ?」

「み、見覚え……ま……ま……さか……」

 

 つい先程、本物のレイン・シュドーは、どこまで追い詰められようともキリカが2人の弟子を懸命に守ろうとしていた事を褒め称えてくれた。そこにどのような計算が混ざっていようと、守りたいものを抱えながら逃避行を続けた事は自身も見習いたいと告げたのである。だが、そんな彼女からの励ましは一瞬にして打ち砕かれた。あの時キリカが別れの挨拶を告げた2人の大事な弟子達が、彼女が最も嫌う存在へと成り果ててしまった事を、ゴンノーは楽しそうに告げたのである。。


 2人のダミーレインは周りを取り囲む数千人のダミーと全く同じ姿形をしており、本当に2人の弟子がこの存在になってしまったのか、と疑う事はできなくも無かった。だが、一度心の中で抱いた希望が次々に打ち砕かれていく状況のキリカには、そのような余裕は残されていなかった。ただ目の前にいる恐ろしい存在に怯え、苦しみ、その中で無意味な抵抗を必死に続ける他に何も出来なかったのである。

 とは言え、もしここで疑っていたとしても、結局2人の弟子はダミーレインとされてゴンノーの忠実な部下となった事実を突きつけられるのみだったのだが。



「離せ!離せ離せはなせえええええ!!!」


 ありったけの声を振り絞りながら、キリカは懸命に手足を動かそうとした。とにかく目の前の絶望から逃げ出そうと必死であった。だが、もうこの異空間には彼女に味方をしてくれる者は誰一人存在しなかった。

 そして、キリカの傍にそっと近づいたゴンノーは、トカゲの頭蓋骨のような頭をゆっくりと元勇者に近寄らせながら言った。



「さぁて……そろそろ要件を済ませますかぁ……」

「ぐ、ぐぅ……くぅぅっ……!!」


「そう悲しそうな顔をしないで下さいよぉ。貴方が知りたいとっておきの情報を教えたくて来たのに、ねぇ♪」

「……!!」

「そうそう、その顔ですよぉキリカ殿。いやぁそのですねぇ……」


 何故自分が人間に味方をしたのか、そのを全て明かすため――ゴンノーの巨大な口から出たのは、キリカも予想だにしない言葉だった。

 魔王を見限り、人間達に味方をしつつ贅沢三昧し続ける事が魔物軍師ゴンノーの目的であったと彼女はずっと考えており、またゴンノー本人からもそれを仄めかすような言葉が何度も出ていた。その上で、キリカは最終的に骨抜きになった人間達を自らが支配するのがゴンノーの最終目的であろう、と考えていた。だが、その本人の態度はまるで彼女の考えが実に甘いと言わんばかりの舐めたようなものであった。きっと予想も出来ず、腰を抜かすことになるだろう、とまるで何かを心待ちにするかのような楽しそうな口調だったのだ。


 

 それなら一々勿体ぶらずに早くそのとやらを教えろ、と言わんばかりに、キリカは言葉にならない声で吼えた。どんな手段でも良いから早くこの場から逃げ出したい、自分の存在を消して欲しい、と懸命に訴えた。その様子を見たゴンノーは、まるで駄々をこねる子供に呆れる親のように溜息をついた後、白い右手をそっとキリカの頭の上に近づけた。自らの言葉で語るより、直接心の中に蓄積された記憶を見せたほうが手っ取り早いと言う判断である事を、両者ともに認識していた。

 その時、キリカは覚悟を決めたつもりだった。大事な部下もレインも失った以上、何をされても最早勝手だ、と腹をくくったはずだった。しかし――。


「……そうか……そう言う……そう言う……事……はは……」


 ――ゴンノーから『真実』を伝えられていくうち、彼女の表情は笑顔に変わった。嬉しさも喜びも一切無い、自分の理解も想像も全く及ばなかった事象を心で処理しきれない事を示す微笑みだった。

 そして、彼女の心は完全に『真実』によって打ち砕かれた。ゴンノーが伝えた様々な情報は、キリカを笑うこと以外何も出来ない存在へと作り替えてしまったのである。



「はははは……はははははは……!!」




 キリカ・シューダリア――かつて人間達から魔術の勇者と崇められ、日々世界の平和、そして自らの富と名誉のために戦ってきた勇者。その長い戦いの日々は、彼女の想像を遥かに超えた絶望の中で終わりを告げた。




「あはははははははははははははは!!!あーははははははははは!!はははははははははははははは!!あはは…………………………」



 そして、そのは、一瞬で消え去った。

 後に残ったのは、戦いにを収めたトカゲ頭の魔物と、レイン・シュドーが創り出した異空間を埋め尽くす、大量の彼女の偽者だけであった……。

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