レイン、順調

「ほう、『偵察』を途中で中断したか……」


 顔を真っ赤にしながら笑顔を見せ続けるダミーレインを幾人も侍らせ、訪れた町の人々から喝采を浴び続けていた、最も憎むべき相手である勇者トーリス・キルメンの様子を見た後、地下空間へと引き返してしまったレイン・シュドーに対して魔王がぶつけたのは、普段どおり嫌みったらしい言葉であった。彼女にとって非常に心苦しく、そして目が腐りそうなほどに腹が立つ光景を見せつけられたのが原因である、と言う事を既に知っているかのような口調でもあった。


「仕方ないでしょ……あんなの見せ付けられたら……」

「「「背筋がぞっとしちゃうもん……」」」


 記憶を共有し合い、偵察から戻ってきた自分と区別が出来ない存在となった他のレインたちもまた、堕落の一途を辿る世界に対して猛烈な嫌悪感を覚えていた。トーリス・キルメンが散々調子に乗り、ダミーレイン達が世界中でこき使われていると言う状態になってもなお、多くの人間たちは全く違和感無しにそれを受け入れ続けていると言う事が、彼女たちにとっては理解しがたいものだったのかもしれない。

 このままトーリスが現在どのような暮らしをしているのかを偵察する事も出来たかもしれないが、レインたちにあの光景の続きを見るだけの勇気は無かった。行かずとも彼がどのような日々を過ごしているのか、あの光景だけで完全に把握できる、と言う考えもあったからである。そして意外にも、あの魔王も彼女たちの考えに賛同した。レインたちの精神を危める存在であり続けてはいるものの、戦力としては最早誰も考えていない、と述べながら。


「あのゴンノーもそうであろうな。奴はトーリスを完全に傀儡にしている」

「「まあ、そうよね……あの堕落ぶりを見ちゃうと……」」

「「「「それしか考えられないわよ……」」」」


 まるで腐った食べ物を食べた後のような重く暗い表情を見せていた彼女たちであったが、次第にその顔は決意へと変わっていった。これまで何度も人間たちの様子を観察してきたが、ここまで際限なく堕落しきるとは毎回ながら予想していなかった。こうなれば一刻も早く鍛錬を完了させ、あの欲望に満ちた者たちからダミーレインを救わなければならない、と。


 と、その時であった。突然彼女たちがいる空間に、別のレイン・シュドーが次々に現れ始めた。長く続く通路の向こうからまるで溢れるかのように次々とやって来たのである。何億人もの彼女たちの正体が、『光のオーラ』を完全に利用するための鍛錬を終えた自分たちである事をレインたちはすぐに察した。あっという間にレインでいっぱいになった空間で大量の自分たちの肉体に包まれながら、元のレイン・シュドーは先程までの億劫な気持ちを少しづつ薄れさせていった。


「「「あぁん、レイン♪」」」

「「「「もうレイン、また上手く行かなかったのね♪」」」」

「「「「「「ごめんごめん♪」」」」」」


 互いに自分たちを励まし合ったり感触を確かめあったりする中で、レインたちは互いの記憶を共有し合い、鍛錬の中での苦戦や偵察時の創造を絶する光景をそれぞれの心に焼き付けあった。流石に共有した瞬間は全てのレインが不快感を露にしていたのだが、今回の鍛錬の結果がその心を打ち消した。以前よりも、レイン・シュドーが『増える』数が少なくなってきていたのである。


 光のオーラそのものに対する耐性を全く持ち合わせておらず、日々猛烈な痛みに耐えなければならなかった頃に比べ、格段に習得するペースは早くなっていた。自分の数を増やさないよう抑えつける、と言う普段行っている行動と逆の事を行わなければならないと言う辛さはあるものの、レインたちは確実にその状態に慣れていったのである。外部からの妨害により自分のペースが狂わされること無く、自らの『理性』のままに自分の数を増やすことができると言う、彼女たちにとって理想とも言える目標が、はっきりと見え始めたのも理由であろう。



 確かに今回も結果的には失敗であったが、有意義な失敗であったのは間違いない、とレインは全員揃って感じていた。

 そして同時に、あの不快な感情を覚えさせてくれた憎き勇者トーリス・キルメンに対しての憤りの心も、より強くなっていた。


「「「「魔王、これからもっと鍛錬の頻度を増やしてくれない?」」」」

「「「闘技場の数を増やしたりとか……」」」


 敵の姿をはっきり見たことで焦っているのか、と魔王に図星を突かれたレインたちであったが、そこにはしっかりとした信念もあった。毎日山のように増え続けている自分たちの『数』をさらに有効活用するのには、同時に何十何百、いや何千と同じ事を行うのが的確だ、と。鍛錬の記憶を共有する際に感じる疲れも凄まじいものになるかもしれないが、それも世界を平和にするための疲れと思えば何ともない、とレインは声を揃えながら勇ましく進言を行った。


「……ふん、貴様らが耐えられるのなら、好きなだけやってやろう」


 毎回返す言葉は挑発めいたものや皮肉たっぷりの内容であったが、魔王はいつもレインの言葉を無視せずに一字一句漏らさず聞き入れ、的確な指導を行っていた。彼女の命を奪いかねないほどの厳しい鍛錬も、一瞬無駄ではないかと思ってしまうような内容も、どれもレイン・シュドーの力を高めるのにふさわしいものであった。そして今回もまた魔王はレインの考えを受け入れ、より鍛錬を行う場所を増やす事に決めていた。

 自分を倒すと意気込む存在を何故鍛え続けるような事をするのか、何故自ら前線に行く事がないのか、何故自らの考えをはっきり述べることがないのか――魔王の日々の行動に対して、レインに疑問が無かったとは言えない。だが、魔王からの好意とも取れる反応は素直に喜びながら受け取るのが吉だ、と彼女たちは判断した。もっと鍛錬を行いたいといったのならば、今から早速この場にいる全員で『光のオーラ』をたっぷり受け止めるが良い、と言う魔王の言葉に対しても、レインは嬉しさを隠さず頷いたのであった。



「「「よし、思いっきり頑張るわよ!」」」

「おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」おー!」…



 堕落の一途を辿り続ける人類、彼らの影で暗躍し続けるゴンノー、世界を埋め尽くし続けるダミーレイン。

 力の全てを明かさないままでい続ける魔王、そして日々強くなり続けるレイン・シュドー。



 様々な思いが交錯し続ける世界の情勢が大きく変わり始めるまで、そう時間はかからなかった……。

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