レイン、憤怒
レインたちが少しづつ、だが着実に力をつけ、反撃への準備を整えている一方で、彼女たちの住む範囲の外側――地上の人々は、堕落の限りを尽くしていた。商業は勿論、工業も輸送も、何もかも人間の姿を模した存在『ダミーレイン』が担当するようになり、場所によっては全ての仕事を彼女たちに任せると言う状態にまでなっていたのだ。
町を歩く人々が男女共々明るい笑顔に満ち、子供たちは学校にも行かずに遊びまわり、老若男女問わず各地の料亭や酒場で騒ぎ続けている傍らで、健康的な肌に1つに結った長い黒髪、そして純白のビキニ衣装という、かつての勇者レイン・シュドーと全く同じ姿形をした美女が働き続けていた。様々な重い荷物を軽々と背負ったり、道の清掃を行ったり、街路樹を整えたり、壊れた道路を直したり、あらゆる場所で彼女たちはたわわな胸を揺らしながら、文句一つ言わず無表情で動いていたのである。
どれも以前までは、この町の人々が精を出して行っていた仕事であった。しかしあの日、ダミーレインが圧倒的な力で『魔物』を蹴散らし人間たちに初めての勝利をもたらした時から、何もかも変わってしまった――。
(……本当に、全てがね……)
――密かに潜入していた『魔物』――いや、本物のレイン・シュドーは、静かに溜息をついた。
自らの操る漆黒のオーラと魔王の凄まじい力のお陰で、彼女がこの町に忍び込み、地上の様子を伺っていた事はダミーレインも含め誰も気づいていなかった。だからこそ、彼女は堕落したこの町の様相に思いっきり悪態をつくことが出来たのである。しかし、レインが呆れ果て心の底から憎んでいたのは、人間たちに代わって全ての仕事をこなしているダミーレインではなかった。自分と同じ姿形、そして今のところ自分を凌ぐ力を持っていると言う存在の力に魅了され、欲望に駆られるまま彼女を好き勝手にこき使う人間たちに、彼女は苛立ちを覚えていたのだ。
(……はぁ……)
そして、これが結局はこの世界に蠢く人間の本性であると言う事を、彼女は改めて実感した。ダミーレインに全てを任せて遊びほうけていたのは大人ばかりではない、子供たちまで毎日各地で遊び放題、学校に行っている様子など全く無かったのだ。大人へと成長する小さな芽である子供までこの状態になっているとは、流石のレインでも予想できなかった。勇者の活躍に憧れ、勇者になりたいと毎日頑張っていたはずの小さな者たちまでもが、欲望に浸りっぱなしの状態になってしまったのである。そして彼らに代わり、学校を埋め尽くしていたのは――。
「それでは、次の問題に行きます。よろしいですね?」
『『『『『はい、先生』』』』』
――先生や生徒がいつも行っていたであろう日常を、無表情のまま忠実に再現し続けるダミーレインたちであった。
(……みっともない……意味も全くない……)
ダミーたちが授業を受けても、ダミーたちに様々な物事を教わっても、何も変わらないしむしろ怠惰の道を突き進むだけである事を、今や大人は誰も子供たちに教えていなかった。そんな中でも一切の疑問を持たないまま、ただ人間たちのためを思ってこのような見苦しい事をし続けている自分と同じ姿形の存在を、本物のレインは心の底から哀れに思った。そして、一刻も早く『光のオーラ』を自在に利用する力を身につけ、彼女たちを救わなければならない、と決意を新たにしようとした、その時だった。突然各地のダミーレインが、一斉に動き出したのである。不気味なほど整然としながら彼女たちは次々に仕事を中断したり建物から抜け出したりしながら、道と言う道の両側に立ち始めたのだ。
それと同時に、各地の家々から人々がぞろぞろと現れ始めた。皆この町の中央にある広場を目指しているようだった。
一体何が起こるのかと人々に紛れて見物しようとしたレインであったが、その道中、非常に胸糞悪い事態を目にした。
「やーい♪」「あはははー♪」「見ろ見ろ、柔らかいぜー♪」
学校にも行かず、毎日遊んで暮らしていた数名の子供たちが、人々を警護するかのようにじっと立ち並んでいたダミーレインの体に触りまくっていたのである。破廉恥な欲望のまま、子供たち――レインから見るとクソガキども――は物言わぬままじっと立ち続けているダミーの腹に触ったり、尻や胸の柔らかさをたっぷり感じあっていたのだ。しかもその間、ダミーたちは一切動じないかのようにずっと悪ガキどもの悪戯に耐え続けていた。
人間を守る『勇者』を模したダミーレインは、人間の命令に逆らう事ができない――その現実を、レインはまざまざと見せ付けられた。
(……ふんっ!!)
本当は、その場であの悪ガキどもに成敗を加えたかったのだが、ここで自分も感情に任せて動いてしまうと、ダミーレインに気づかれてしまうかもしれない。そこでレインは、ダミーたちに気づかれないようにそっと漆黒のオーラを使い、道端に何の変哲も無いごく普通の小石を創り出した。
「「「……うわっ!!」」」
有頂天になっていた悪ガキどもを転ばせる事で、『レイン・シュドー』を汚した悪を懲らしめるためであった。涙を流しながら泣き続ける彼らを見る限り、単なる痛みに加えて調子に乗っていた自分たちが痛い目を見た事の悔しさも混ざっているようであった。そして、そんな彼らを保護するかのように次々と駆け寄るダミーレインの声も、普段よりも感情が篭っていない――強いて言うなら、恨みが混ざっているかのようなものであった。
当然の結果だ、と彼らの顛末を眺めていたレインであったが、未だに彼女は何故人々が広場に集まり、ダミーレインがずらりと道の両側に並んだのかと言う理由をまだ掴んでいなかった。誰かの会話を密かに盗み聞きするのが一番だ、と動き出したとき、突然広場の方角から歓声が聞こえてきた。
もしここで、この歓声が誰に向けて発せられているかを彼女が把握していれば、すぐさま偵察を止め、世界の果てにある本拠地へと帰っていたかもしれない。だが不幸な事に、レイン・シュドーは何も知らないまま、そちらの方に向かってしまったのである。その結果、彼女は先程の悪ガキとは比べ物にならないほどに醜く愚かで汚らしい光景を目に焼き付けてしまった。
人々の歓声を浴びていたのは、中央に現れた1人の男であった。今、彼は世界中の人々を救った存在として熱い尊敬を浴び、たくさんの恩を受ける者になっていた。そして、自らが救世主である事を強調するかのように、肩や腕を大胆に露出した衣装を身に纏う男の傍には、無数のダミーレインがまるで恋人のように寄り添っていた。この世界の平和を、自分だけの力で勝ち取ったものだ、と言わんばかりの様相であった。
だが、レインは知っていた。その豪勢な衣装も、美しい表情も、そして今の彼を支えている名声も、全ては『偽り』であった事を。
「やあ、町の皆!」
「トーリス様!」トーリス様こっち向いてくださいー!」キャー、トーリス様!!」かっこいいですわー!」
レイン・シュドーから全ての名声を奪った男、『トーリス・キルメン』の現状を、彼女はまざまざと目にした。
人々から歓声を浴び、それに爽やかな笑顔で返す、美しさや煌びやかさの中にこの世で最も醜く汚らわしい心を隠している男を、彼女は無表情で見つめ続けていた。しかし、その瞳の中には、途轍もない怒りの感情と共に、他人に頼らなければ生きていけない存在に対する憐みの思いが滲み出ていた……。
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