第6章・1:レインが光を手に入れるまで(1)

キリカとダミー

 人間たちが、ついに魔物に勝利を収めた。

 魔物軍師ゴンノーと勇者トーリスが新たに用意した新たな戦力のおかげで、一度に3箇所の村や町を取り戻すことが出来た。

 魔物によって荒らされた町や村も、今後復旧が進む事になるだろう――。


「やはり、勝利したか……」


 ――そんな明るい速報は、世界中にあっという間に広まった。再び魔物の脅威に怯え続ける事になった人々に勇気をもたらすには十分すぎるものだった。

 だが、この内容を聞いても、笑顔を浮かべない者は少なからずいた。世界で一番大きな町から遠く離れたとある酒場の端で図々しく座る1人の女性や、その脇にいる2人の男性もその一部だった。

 

「キリカ様の言うとおりでしたね……」

が、圧倒的な勝利を収める、と言う……」


 2人の男が言う『キリカ』と言う名は、かつて魔物を倒し、無事生きて帰ってきた勇者の名前であった。様々な魔術を自在に操り、襲い掛かる魔物を吹っ飛ばしたり切り裂いたり、攻撃を見えない壁で防いだり、様々な形で勝利に貢献した『魔術の勇者』キリカ・シューダリアの事である。

 だが、その名を呼ばれた女性はキリカとは全く違う姿をしていた。失礼ながら体の横周りが広く、少し歩いただけで息切れしそうな体格、そして図々しそうな顔を見て、勇者だと思う人は誰一人としていないだろう。だが、それが今の彼女――キリカ・シューダリア本人にとっては都合が良かった。野太い声も含め、彼女は『勇者』であった頃のほとんどの情報を、自らの魔術を利用して隠蔽していたのだ。理由はたった1つ、今の彼女は『勇者』の名を捨てた、ただの女性だからである。


「勝利を喜べないとは、辛いものだな……」


 そう言いながら、魔術の力で小太りの女性に変装したキリカは、目の前にある水を一気に飲み干した。そのあまりの勢いの良さは、心の中にある後悔を打ち消さんとする彼女の葛藤の表れのようだった。

 あの時――まだ彼女が世界で一番大きい町でとして贅沢三昧をしていた時、彼女は勇者トーリスと共に軍師ゴンノーに連れられ、魔王や魔物を倒せるであろう唯一にして最強の戦力を目の当たりにした。だが、それはキリカにとってはあまりに忌まわしき姿と数であった。として君臨するため、最善の選択として行った1つの忌まわしき行為――勇者のリーダーであったレイン・シュドーを仲間と共に見放し、彼女たちを置いて町へと逃亡した過去――を思い出させるようなものだったのだ。

 彼女たちが見たのは、地下空間を無数に埋め尽くし、液体に満ちた球状の物体の中で蠢く、何千何万、いや下手すれば何億にも及ぶかもしれない、ビキニ衣装の美女、『レイン・シュドー』そのものだったのである。


 何故そのような姿をした存在を、戦力として利用するという発想に至ったのか。

 何故悪夢のような存在を、数限りなく作る必要があったのか。


 今すぐにこの計画を中止しろ、と言うキリカの訴えは、無駄に終わってしまった。こうやって魔物に対する凄まじい実績を残したとなれば、人々の支持は完全にあの戦力――レイン・シュドーの姿や力を模した人間に似た無数の生命体・ダミーレインに傾いてしまう事は明白だったのだ。


 そして、この町もまた例外ではなかった。


「おーい皆聞けー!!」


 勢い良く店の扉を開けて入ってきた男性は、店内にいる皆に嬉しそうな顔で告げた。ここの町長も、話し合いの末あの『最強の戦力』を番人として導入する事に決めた、と言うのである。伝説の女勇者、純白のビキニ衣装のみを身に纏ったレイン・シュドーとそっくりだ、という情報も含めて。

 たちまち店内は嬉しそうな声で満ちた。当然だろう、勇者たちでも敵わないほど強化された魔物を一方的に倒した最強の戦士たちが、自分たちの町へもやってくるのだから。それにこの町には、伝説の勇者レイン・シュドーを「神様」のように崇める意識が強い住民が多く暮らしていた。その証拠に、この酒場近辺の家々には、レインが着ていたものと同じデザインのビキニ衣装が、軒先などにぶら下っていたのである。

 小太りの女性に化けたキリカとそれに従う2人の男たちは、しばし喜びの宴を眺めた後、この町を後にする決意を固めた。


「あんがとよ、ほれ、金だ」

「へいへい、どうぞお元気で♪」


 正直、キリカはこの変装の方が居心地が良いと思うこともあった。『勇者』として冷静沈着でい続けなければならない日々とは異なり、今のように堂々と不機嫌な気持ちをぶつける事が出来るからである。だが、それでも彼女はあくまでこの姿は仮のものである事を自覚していた。


「キリカ様……」

「大丈夫ですか?」

「すまない、やはりこの体は動きづらい……」


 だが、今後は長期に渡り、この体を含めた多くの変装を行わなければならない事を、キリカは覚悟していた。

 

 もう、この世界に勇者は二度と現れない。

 この世界に残っているのは、私利私欲に満ちた強きものたちばかりである――勿論、彼女自身も含めて。

 だからこそ、もう『勇者』である必要は無い、と彼女は感じ、一番信頼する2人の部下を引き連れ、密かに世界で一番大きな町から姿を消したのである。


「きっとキリカ様の気持ちを理解される方はおられます」

「例え世界中が紛い物のレインで覆われようとも、私たちだけは味方です」

「……ありがとう」


 町を抜けた草原で変装を解き、元のすらりとした長髪の美女に戻ったキリカに、2人の部下は力強く自らの思いを告げた。そんな彼らに言葉短く感謝の気持ちを伝えたキリカだが、内心はそれ以上の思いがあった。全ての地位や名誉を捨て、自分の魔術や誰にも伝えていない過去だけを心に留め続ける彼女にとって、過去に助けられた恩から自分たちの事を尊敬し続ける2人の部下以外に、頼るものはもうどこにも残されていなかったのだ。


 そして、夕陽が静かに山の向こうに沈もうとする中、彼女たちはどこへたどり着くかも分からぬ放浪を続ける事となった。

 いつかどこかで、自分たちと同じ考えを持つ者と出会える事を信じながら。


 だが、彼女たちは知らなかった。

 『ダミーレイン』や魔物軍師ゴンノー、そして世界中の全てに対して疑念を持ち始めていた女性が――。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「……はぁ……」


 ――キリカ達が去った、世界で最も大きな町で、同じ夕陽を眺めていた事を。


 世界各地の代表者が集まる会議場と繋がった自室で溜息をつく彼女の傍には、多数の書類が乱雑に置かれていた。それらは全て、各地の代表者からあの『ダミーレイン』を自分たちの町や村にも配備したい、と言う申請書であった。あの凄まじい力を目の当たりにしてから、よってたかって各地の代表者があのビキニ衣装の美女軍団を配備しようと動き出したのだ。自分たちが何も手出しできなかった存在を呆気なく一網打尽にした事に対する尊敬の念も大きかったかもしれない。


 だが、それでも彼女はどうしても信用できなかった。自らが抱いた疑問がいくら解消されても、あのダミーたちに底知れぬ不安を感じていたのである。

 しかし、彼女の立場上、それを公にする事は不可能だった。ただ皆の意見を聞き、様々な助言をして彼らが望む最善の道を歩ませるしかなかったのである。そして現状で考えられる最善の道は、「『ダミーレイン』をより増やし、魔物に備えるか魔物が住む場所を攻撃する」と言う事しかないのだ。


「……キリカよ……お前も同じ考えなのか……」


 既にこの場所にいない勇者の名前を、彼女は静かに呟いた。


 そして、夕食の準備が出来たという知らせを受けた彼女はそっと立ち上がり、全ての考えを心の奥底にしまい込んだ。

 今はそうするしか道は無い。本名で呼んでくれる相手が誰もいなくても、ただ自分自身の仕事を淡々とこなすしか、彼女が生きる道は存在しないのだ。

 彼女こそが、世界の代表者たちを纏め上げ、世界の頂点に立つ『女性議長』その人なのだから……。

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