魔物軍師の報告

 人間たちに絶望し、魔王と手を組んで世界を狙うかつての勇者レイン・シュドーは、日々その勢力を広げ続けていた。白く輝くビキニ衣装だけを身に纏い健康的で大きな胸を揺らしながら、毎日のようにあらゆる場所から増え続け、世界のあちこちを次々に自分たちのものにしていったのである。

 そして、彼女たちは人間の抵抗を一切ものともしなかった。魔王による再度の侵略に必死に抗おうとする人間を嘲笑うかのように、人々が住む『町』や『村』を占領し、人間たちが二度と入れない領域へと変え続けていたのだ。


 最早、魔王とレインの征服活動を止める者は存在しなかった――あの時までは。



「何だと?」

「じゅ、『準備』が出来ただって!?」

 

 世界で一番大きな『町』にある、世界で一番大きな城。そこにある部屋の中で、2人の勇者が驚きの声を上げた。彼らがその声を浴びせたのは、目の前で不敵に微笑む1人の老婆――いや、正確には人間の老婆の姿を真似た1体の魔物であった。非常に長い時間を要してしまったが、ようやく以前から彼らにだけ伝えていた反撃の準備が整った、と彼らに伝えに来たのだ。


『随分遅くなりましたがねぇ……いやはや、申し訳ないです』

「全くだよ、本当に……」

「私はただの出まかせかと疑っていたが、どうやら真実のようだな」

『ええ、勿論ですともキリカ殿』


 世界を襲う魔王と互角に戦える準備を行っている――魔物軍師ゴンノーからこの言葉が出てからその準備とやらが完成するまで、本当に長い時間がかかってしまった。その間に人間たちは何度も何度も魔物の前に敗れ去り、多くの人々が彼らの勢力に取り込まれて姿を消してしまった。勿論人間たちの命ばかりではなく、彼らが住んでいた建物や財産など多くのものが、魔王たちに奪われてしまったのだ。

 その結果、日々世界中の人々は荒んでいった。お前たちが不甲斐ないからだ、恥を知れ、と無能な勇者たちをなじり、怒りをぶつけ続けていた各地の『町』や『村』の代表者たちも少しづつその姿を見せなくなり、代わりにその場所を包み込んだのは、近くに居る別の代表者同士の怒り混じりの喧騒だった。何故お前たちの場所は無事なのか、魔王と契約でもしているのか、など根拠も何も無い噂をぶつけ、やり場の無い怒りや悲しみを発散しようとしていたのだ。ただ当然相手も同じことを考えており、ここ最近の会議は「会議」の様相を見せず、ただ世界の代表者が集まっては揉めてばかりいる異様な場所になってしまっていた。


 そして、この混乱にさらに追い討ちをかける出来事が起きた。


 世界の人々を2つに分断しかねない大きな流れ――巨大な『壁』を作って魔物たちから身を守り自分たちだけ内部で平穏な日々を過ごそうとする人々と、自らの命を犠牲に魔王を倒したとされる女勇者レイン・シュドーを信仰し彼女に魔物を退治してもらおうと願い続ける人々、それぞれが住む『町』が、一夜にして魔王によって奪われてしまったのである。それは未だに無事な各地の人々に、新たな争いの火種を生み出すのには十分な事件であった。


 つい先程まで、2人の勇者――トーリス・キルメンとキリカ・シューダリア――と魔物軍師ゴンノーは、その事件が残した爪痕をまざまざと見せ付けられていた。レインを信仰している『町』の代表が、壁を作ろうとしていた『村』の代表に罵声を浴びせたのがきっかけとなり、会議場で殴る蹴るの大喧嘩が起きてしまったのだ。

 しかも、各地の代表者と言う偉い立場の人たちによるその情けない姿を止めようとする者は僅かしかおらず、大半の人々は完全に無視したり、むしろ彼らに加勢していたのである。


 そして2人の勇者と1人の軍師は、凄惨な状況に呆れ果て、止める事もせずに会議場を後にしてしまった。どうせ自分たちが止めようとしても、信頼が地に堕ちようとしている今の状況では誰も聞く耳は持たないだろう、と考えたからである。既にトーリスにもキリカにも、かつてのように『全て』の人々を守ろうとする勇者の心は残されていなかった。それどころか、このまま滅ぼされてしまえばよい、と言う感情すら湧き上がるほどだったのである。


 彼らを含めた世界の人々の疲弊は。限界にまで達していた。そんな中でゴンノーが告げた『準備』とやらに、トーリスもキリカも起死回生を託そうとしていた。連戦連敗である彼らにとって、今やこの怪しげな魔物が最後の頼みの綱だったのである――特に、自分の贅沢な地位や勇者の名誉などの現状維持に務めたいトーリスにとっては。


 すぐに見せて欲しい、と慌てる彼を抑え、ゴンノーは2人の勇者にお願いをした。しばらくの間、この部屋に誰も入ってこないようにして欲しい、と。人々からの信頼は失いかけても過去の実績から高い地位にある2人にとって、それは容易い願い事であった。

 近くに居た兵士や部下に立ち入り禁止の指令を出した後、ゴンノーは2人の勇者と共に部屋の中央に立った。そして手を高く上げ、手から黒いもやのようなものを放った。何が起こっているのかわからずトーリスが唖然とし、逆に状況を理解しキリカが冷静に頷いた瞬間、彼らの周りの景色は一変した。


「……え、え、え!??」


 驚くトーリスを強引に近くに引き寄せ、キリカは思い出せ、と強い口調で言った。何度も自分がこのように『瞬間移動』をさせていたのを忘れたのか、と。



「……あ、ああ!!じゃあ僕たちは……!」

『ええ、あの部屋から遠く離れた、にいらしたんですよ』



 嬉しそうに語るゴンノーや2人の勇者の周りに広がっていたのは、地平線が周りに見えるほどに延々と広がる灰色の荒野と、それを上空から包み込む分厚い雲であった。先程まで彼らが居た巨大な城の内部とは全く異なり、動物はおろか生き物が居る気配すら一切せず、ただ冷たい風が吹き荒むだけの不気味な空間だった。


 ずっと昔、レイン・シュドーたちと共に魔王を倒すために活動していたとき、魔王が潜むという『世界の果て』にたどり着く一歩手前でトーリスやキリカは彼女を見捨てて『町』へと戻ってしまった。そのため、『世界の果て』と呼ばれる場所に足を踏み入れたのは彼らにとって今回が始めてであった。それまで得た知識や人々の世界の常識が奪われそうな空間にただ驚くばかりのトーリスの一方、キリカは果てしなく広がる荒地をじっと見つめ、そして静かに目を瞑った。確かに人間が足を踏み入れるには恐ろし過ぎる空間である事には間違いないが、同時に彼女の心にはそれらに対する畏怖に近い思いが芽生え始めたのだ。


 だが、今はそのような感情に浸っている場合ではないことも、キリカはしっかり承知していた。


「……確か、魔王が潜むというのも『世界の果て』だと聞いたが?」

『いえ、ご覧の通り、ここから先はどこまでも荒野が無限に広がる訳でして……』

「魔王に会う可能性は限りなく低い、と言う訳か……」


 叡智を駆使して簡単に納得してくれた事を喜ぶ仕草を見せたゴンノーは、もう一度別の場所へ瞬間移動を行う、と2人に告げた。魔王に対抗するための準備を行っていたのは荒んだ地上ではなく、その地面の遥か下なのだ。

 トーリスとキリカを伴った魔物軍師は、もう1度手を高く上げた。すると彼らの体は、白と黒がぶち模様となって入り乱れる異様な球体に包まれ、やがて凄まじい速さで地下に向けて潜り始めた。


 荒野の地下に沈み続けた球体は、ある深さに近づくにつれその動きを止め始めた。そして目的地にたどり着き、静かに停止した球体は、まるで卵の殻にひびが入るように少しづつ割れていき、最終的には3人の姿を完全に露にした。それは同時に、3人の視界に、魔物軍師ゴンノーが密かに進めていた『準備』の全容が映る事でもあった。


「「……」」

 

 トーリスもキリカも、自分たちの眼に映った光景を最初は受け入れることが出来なかった。確かにこの魔物は魔王の次に凄まじい力を持つ上級の存在と聞いたが、ここまで大掛かりな、そして規模の大きなことをやってのけるなど想像できなかったからである。

 だが、これは幻覚でも壁画でもなく、紛れもない現実だった。彼らが立ちすくむ細長い通路の周りには、液体が充満している楕円形の半透明上の物体が人間の背丈ほどの巨体を見せつけ、何千何万、いや何億も地下に広がる空間を埋め尽くしていたのだ。そして、物体の中の液体には全て同じような物体が静かに浮かんでいた。いや、物体ではなくそれは明らかに『生物』そのものだった。


 静かに眠り続ける途轍もない数の物体に唖然とする2人へ向けて、ゴンノーは語った。

 これが、魔王に対する現時点で最高、そして最強の『戦力』である、と……。

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