女勇者と魔物
魔物の軍師が消えてしばらく経った後、キリカは一人自分たちの部屋を出た。あれからトーリスはずっと紫色の雷に囲まれて沈黙したままであったが、もう彼女は彼の事を完全に無視していた。
「……どいつもこいつも、能無しばかりが揃って……!」
彼女らしくない言葉が漏れる程、キリカは苛立っていた。勇者とは思えないトーリスの態度もあるが、それと同時にあの軍師の顔をして自分たちの味方をしている魔物の存在が腹立たしいものだったのだ。
当然の事かもしれないが、キリカ・シューダリアがあの軍師の事を完全に信用する事は無かった。レイン・シュドーが蘇り、魔王の配下となっている今、確かに軍師の力を借りなければ対処出来ないのは理解していた。だが、あの軍師と名乗る魔物はただその肩書きを留めるだけで、どの策も全て失敗に終わっていた。正直、自分たちより立場は危ういだろう。にも関わらず、未だに余裕を持ち続けている。明らかに裏があるとしか思えない状況なのだが、もう一方の勇者であるトーリスに頼るなどと言う馬鹿げた事は出来なかった。
「……はぁ……」
元から勇者としてはあまりにも頼りなさ過ぎると感じていた彼が、ここまで落ちぶれる羽目になるとはキリカも予想していなかったのである。
無謀かもしれないが、この状況となっては自分たちが何とかしないと事態は最悪の方向になってしまう。そう考えた彼女は、少しづつ準備を進め始めた。あれほど嫌っていたはずのレインと同じ事を、自分もしてしまうのだろうか、と言う自虐めいたためいきをつきながら、彼女は廊下の床に大きな足音を立てた。その瞬間――。
「「呼びましたか、キリカ様」」
――彼女の元に2人の男が現れた。勇者の従者として、そしてキリカの弟子として、彼女と共に魔物と戦い続けている2人の魔術師である。
彼らの瞳に、一切の邪念は無かった。2人とも、かつて勇者キリカに命を救われた事がきっかけで弟子入りをしたと言う経歴故に、彼女の事を純粋に尊敬しているのだ。だからこそ、冷静沈着、利用価値が無いとすぐに切り捨てるキリカもまた彼らを大事にしていた。そして今、彼女が知る中でそれだけの価値を持つ者はもうこの2人しか存在しないのだ。
そしてキリカは、2人に旅支度をするように言った。
「『旅』の準備ですか?」
「ああ。いつでも出発できるように準備をしてくれ」
「分かりました。それにしても、どうして突然……?」
不思議がる弟子たちに対し、じきに分かるだろう、とキリカは告げた。あまり考えたくは無いが、もしこの準備が功を奏する時が訪れたなら、決してこの贅沢な暮らしや人々から尊敬を集める地位に戻る事は無い、と言う覚悟も同時に伝えながら。
勿論、彼女の事を尊敬する2人の男が彼女の言葉に逆らう訳は無かった。例え彼女が『勇者』とは無縁の別の何かに成り果てたとしても、決して見捨てる事はせず、最期の時まで一緒に付き従う、と言う覚悟を決めていたのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
そんな彼ら3人の様子を、遥か遠くで密かに『眺める』存在がいた。
『……ふふっ……カンドー的な師弟関係ですねぇ♪』
嘲りや呆れが混ざった溜息をつき、老婆軍師の姿から元のトカゲのような頭や尻尾を持つ姿へと戻った上級の魔物・ゴンノーが佇んでいたのは、勇者たちも知らない世界の果ての荒野だった。あの世界で一番大きな町から遠く離れたこの場所は、動物はおろか草木は1本も生えておらず、空は薄暗い灰色の雲が覆い、肌寒い風が吹き荒れ続けるだけだった。それが地平線の向こうまで延々と続くという、普通の人間なら気が狂ってもおかしくない場所――まさに魔物にとっては、うってつけの環境であった。
傍にあった大きな石を見た魔物は、骨のような尻尾を器用に動かしながら座り、一息つくことにした。
『やぁれやれ……あの方々はねぇ……』
先程までこのトカゲ頭の魔物は、世界で一番大きな町にある世界で一番大きな建物を訪れていた。かつての勇者、レイン・シュドーを配下に収め、世界征服を今度こそなし得ようとする魔王に対抗するべく、勇者たちや多くの人々と情報を交換し合うためである。ところが魔物を待っていたのは、人々による悲鳴に似た罵声と、怒りに満ちた表情であった。『軍師』として協力している筈なのに、どの魔物対策も失敗を続けていた事に対する憤りの心が爆発してしまったのだ。
勇者たちですらうんざりする光景に、ゴンノーも苛立たない訳が無かった。そこまで文句があるのなら何故自分たちで何とかしないのか、と皮肉の1つも言ってやりたかった。だが、結果が出せない以上、そのような事を言える立場でない事は嫌でも承知していた。勇者たちが自分しか頼りに出来ない状況にあるのと同時に、魔物自身もまた勇者たちのコネや名誉を守らなければ、今の立場を維持できなかったのである。
だが、そのような状況でも、勇者は完全にゴンノー――人間たちは『軍師』と呼ぶこの存在を信用しきってはいなかった。情けなさを爆発させ続ける朽ち果てた勇者トーリスは放置しておいても、未だに冷静さを失わない勇者キリカは、日を追うごとに魔物に対する疑念を募らせていたのである。
これ以上彼女を怒らせてしまっては、自分の立場が危うくなってしまう。
キリカの怒りの表情を思い出しながら、魔物は立ち上がった。そして跪き、静かに手を地面にかざした瞬間、魔物の体は黒と白が混ざった異様な模様が覆う球体に包まれた。やがて球体は地面の中にめり込み始め、そのまま姿を消していった。
後に残ったのは灰色の空と、無限に続く世界の果ての荒野だけであった。
『……』
それからしばらく時間が経ち、荒野の地下に沈み続けた白黒模様の球体は少しづつ動きを止めていった。そして、卵の殻が破れるかのように、内部からトカゲ頭の魔物が再び姿を現した。
その視界に広がっていたのは、あまりにも異様な光景だった。地平線の果てまで続く荒野のように、向こうまで無限に伸び続ける長い通路も勿論だが、それ以上に異常だったのは、その横に佇む物体であった。無色の液体や、その中で浮かぶ不定形の物体が内包されている楕円形の半透明な何かが、通路の左右を埋め尽くしていたのだ。それもただ並んでいるだけではない、天井が見えないほどうず高く積まれ、地面が見えないほど延々と下へと連なっていたのである。
何万、何億、いや何兆。一体どれほどの数の物体がこの場所にあるのか、数える事すら億劫になりそうなほどの規模であった。
それらを眺めた魔物は、トカゲの頭蓋骨を思わせる顔を歪ませながら笑顔を見せた。
半透明の何かの中で浮かぶ物体の大きさは、この魔物よりも一回り小さかった。ただ単に浮かぶだけではなく、まるで自分の意志を持つように、液体の中をゆっくりと蠢き続けていた。それはまるで、魚や蛙などの動物の卵の中で、成長を続ける胚が動き続けているようであった。
『……まあ、急かされた以上は早くしなければなりませんかねぇ』
そう言いながら、魔物は通路を歩き出した。その左右には、あの半透明の容器が限りなくどこまでも連なっていた。
このトカゲ頭は、ずっとこの荒野の地下で本当に準備を続けていた。魔王が率いる軍勢の現在の主力であり、どんな形であれ人間を裏切る事となったかつての勇者、レイン・シュドーを打ち破るであろう最強の戦力を、完成させようとしていたのである。
本当はもう少し時間を置いてじっくりと完成させるつもりであったが、予想以上に魔王の動きが早かった事と勇者キリカから急かされたという事情から、時間をかけてじっくり待つ事は難しくなってしまった。
『まあ、良いでしょう。魔王に勝つためには、時間などありませんからねぇぇ……ふふふぅぅ……♪♪』
そうでしょう、と言う魔物の声が響いた瞬間、半透明の何かの中で浮かんでいた物体が一斉に動き出した。まるで魔物の声に賛同するかのように、その体を縦に揺らし始めたのである。
どうやら、彼らは最高の存在になりそうだ。そう考えながら、トカゲ頭の魔物は静かに通路を歩き続けた。
破滅へと向かい続けている世界の中で、それに抗おうと動き出す者たちが現れ始めていた。
だが、その心は皆バラバラであった。かつての『勇者』のように、一致団結して魔王を倒し、世界を救おうとする者は現れないままであった。
この世界を救う真の『勇者』は、一体どこにいるのだろうか……。
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