レイン、軽蔑
かつてレイン・シュドーが世界を救う『勇者』のリーダーであった頃、彼女は4人の仲間と共に魔王が待つであろう世界の果てを目指しつつ、各地の『町』や『村』を訪れては暴れる魔物を次々と倒し続けていた。広大な世界に点在すると言う人々が集まり様々な家や商店、集会場など様々な施設を建てて暮らす『町』や『村』の全てを知り尽くすものは少ないが、レインや勇者たちはその例外だった。その結果、彼女たちは世界中の人々から尊敬を受ける存在になったのである。
とは言え、たくさんの場所をめぐり続けたこともあり、レインにとって思い入れがある町や村はそう多くは無い。
その中で、記憶に残り続ける『町』が存在した。
(相変わらず賑やかね、魔物が迫ってるって言うのに……)
それも含めて、全く昔と変わらない光景だ、とレインは心の中で呟いた。
今、彼女はかつてと真逆の目的で、その『町』にやって来ていた。以前訪れた際には強さを象徴する大胆なビキニ衣装を身にまとっていたが、今回はその体を茶色のぼろきれで覆った貧しい旅人のような格好で、自身の正体が分からないようにしていた。何故なら、レインはこの町の最期を自ら導き、そして見届ける役割を担っていたからである。勇者の称号を自ら捨てた彼女は、今や魔王の最大の戦力として各地に潜伏し、そこの全てを思いのままに作り変える存在になっていたのだ。
この町も、今日をもって終わりを告げる。その事実を知るのは、当事者であるレイン・シュドーだけ。彼女の周りを歩く人たちは、かつてと全く変わらず、魔物が迫る状況下の中でも元気で明るい表情を崩さず、賑やかに町を彩っていた。
そして、正体を隠した彼女に対しても、多くの人々が恐れを抱かず積極的に話しかけてきた。
「おや、旅の人か?」
「おれっちのところで泊まりにいきなよー」
「いーや、あたしの店の方が料理上手いよ!こいつなんて下手で下手で……」
「うるせえ!」
憎しみなしに本音をぶつけ合い、しょうもない言い争いを繰り広げる各地の宿屋の人々を見つつ、もう少し考えさせて欲しいと述べてレインはその場を一旦去った。そして、午後の時間帯でも活気に溢れている大きな食堂へと足を踏み入れた。人々が一番重要としている食べ物を扱う店なら、この町の状況や住民の心がよく分かる事を、勇者だった頃の経験からレインは良く知っていたのだ。
だが、今回ここを訪れたのは、単に店員や客と楽しく語らうためではなかった。勇者ではなく『魔物』の立場から、この住民たちの心に探りを入れようとしていたのだ。
「すいません、この料理って今提供できますか?」
「あいよ、お客さん初めて来たのに中々目利きが良いねー」
食堂を営む店主から褒められたレインは、満面の笑みを見せて感謝の意を示した。だがその裏で、彼女の心には少しだけ迷い、そして疑問が生じていた。
世界の果てから転送される前、魔王はこの町のことを『非常に面倒で鬱陶しい場所』だと言った。無表情の仮面から一切の感情を露にする事がない魔王だが、この時の言葉には様々な苛立ちや不満の心がにじみ出ているように感じた。そして、魔王と同じ立場になったレインには、その意味が嫌と言うほどに分かった。あまりにも人々が明るく、元気に満ち溢れているせいで、世界を征服しつくして真の平和に導く、と言う理想が揺らぎそうになってしまうのだ。
「へいお待ち!」
「ありがとうございます」
山盛りの料理を持ってきた店主も、周りでご飯を食べたり様々に会話を繰り広げている人々も、皆魔物によって世界が脅かされているとは思えないほどに元気で明るく、そして活気に満ちていた。彼らの味方だった頃にはそれに対して何の疑問も持たず、他の仲間と共に絶大な協力を受けていた。狭い道に追い詰めた魔物の上から大量の皿や花瓶などの日用品を投げつけたり、樽やタンスなど様々な者を持ちよって障壁を作って魔物に対抗しようとしたり、彼らは怖気つく事無く恐ろしい脅威に立ち向かっていたのだ。
しかし、勇者だった時には非常に頼もしかったそれらの心は、立場が変わった今となっては非常に恐ろしく、底が見えないものであった。もしかしたら、自分たちでは敵う事が出来ない心が眠っているのではないか、と言う敗北感に満ちた事すら考えてしまったのである。
このままではいけない、とレインは行動を起こした。さり気ない言葉を放ちながら、近くでご飯を食べている住民の会話に加わったのである。幸いぼろきれから覗かせる美貌も相まってレイン――住民たちからは『旅人の女性』に見えている――はすぐに打ち解ける事が出来た。
「そうか、遠い所からわざわざやって来たのかー」
「はい……この町の人たちはみんな明るくて頼もしいです」
「へへー、だろー?」
「やっぱり他の場所は『ダメダメ』なんだろー?」
会話が盛り上がる中で1人の住民が放ったその言葉に、レインは引っ掛かりを覚えた。
試しに、彼女はこの町に来た嘘の経歴を述べてみる事にした。自分が住んでいた町は魔物に襲われ一夜で消え去った、それまで町の人たちはみな魔物を恐れて何も出来なかった、自分だけ立ち上がろうとしたが無駄だった、そして生き残ったのは自分だけだった、と。自分自身を魔物に立ち向かった異端者と偽り、この『町』の住民が他の住民とは明らかに違う、と言う事実を突きつけてみたのである。
「……そーか、お前苦労したんだな……」
「大丈夫だ、この町にいる限り、旅人ちゃんは絶対心配ないぜ」
様々な労いの言葉が流れる中、1人の住民がある言葉を発した。
『他の町』なんかと比べて、ここはとっても安心安全、最高の場所である、と。
しめた、とレインは心の中で思った。明るく元気で賑やかな町の住民が持つ真の心を暴くきっかけが掴めたからだ。
「確かに、この町は他と比べて平和ですね」
「だろー?他の連中なら諦めてるところだが、俺たちはそうはいかないぜ」
「全くだよ。あたしらは他の連中みたいに軟弱じゃないからね。魔物が襲ってきてもすぐに倒しちゃうよ」
「そうだそうだ、あんたの町の連中も勇気が足りなかったんだ!」
彼女の思惑に踊らされるかのように、人々は次々に他の町や村を蔑むような発言をし始めた。魔物がやって来ても決して諦めず、勇気を持ち続けているこの『町』の人々はとても立派である、と自分たちをしっかりと褒め称えながら。
それならどうして、他の場所を助けたりはしないのか、とレインが尋ねると、彼らはそのような事をやっても無駄だろう、と返した。余所は余所、自分は自分、それぞれの役割に干渉しすぎてはいけない、と様々な理屈を加えながら。
より一層賑やかになる会話を眺めながら、レインはこの町の住民の状況を理解し始めていた。
確かに、ここの人たちの中にはどんな凶暴な魔物が襲ってきても諦めず、自分たちの町や仲間を守ろうとする勇気があった。『勇者』であった自分たちがやって来た時にも、その傾向は良い方向に発揮されていた。だが、その裏で彼らは被害を受け続けながらも一切太刀打ち出来ない他の町や村を密かに蔑み、逆に太刀打ちできる力を持つ自分たちを偉い存在だと鼓舞し続けていた。そしてその理由を、ただ単に「勇気が足りなかったから」「元気を失っていたから」と言う精神論だけに押し付けていたのである。土地柄や魔物の傾向など、それらの状況は一切彼らは省みていなかった。
ここの町の人たちの元気も勇気も、全て他の人々を踏み台にして生まれた偽りのもの。だから彼らは他の町や村に自分たちの元気も勇気も一切伝えないのだ。レインは心の中でそう結論付けた。
そして最後に、彼女は町の住民にもう1つ質問をした。
今、勇者たちが懸命に魔物を退治しようとしているらしいが、彼らについてどう思うか、と。
「……あー、聞いたぜ。何でも連戦連敗なんだってな」
「えー?そりゃ駄目だね。勇者の癖に」
「やっぱり俺たちがいないといくら勇者でも駄目なんだよー♪」
「そうそう、あの時だってあたしたちが助けたから勇者は勝てたんだから!」
笑顔で彼らと別れ、勘定を済ませて店を飛び出したレインの心には、ふつふつと怒りの感情がにじみ出ていた。
トーリスとキリカと言う現在の『勇者』を貶すのは仕方ないにしても、この町の住民は、心の奥底でレインを含む他の勇者も舐めてかかっていたのだ。
レインの心から、完全に迷いは消え去った。
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『どうだ、迷いは消えたか?』
食堂を去り、賑やかな人々から背を向けて町外れにやって来たレイン・シュドーの心に、遠く離れた場所から魔王が語り掛けてきた。出発する前に彼女がこの『町』を征服するべきか否か戸惑っていた事を、魔王はしっかりと認識していたのだ。
だが、今のレインにはそのような無駄な心は一切無かった。ここも他と同じように、醜い人間たちが蠢き続ける平和から遠くはなれた場所である、とレインは判断していたからである。しかも、魔物を恐れて何もせず、勇者に何もかも任せてばかりの『町』や『村』よりも酷い、自分たちが魔物や勇者よりも強く元気や勇気がある存在だとおごり高ぶっている存在が大量に生きている、彼女にとっては苛立ち以外の何事も感じない状況になっていたのだ。
もし何も知らないまま『勇者』で居続けたなら、彼らの表面上の明るさに隠れた裏の顔など知る由もなかっただろう。だからこそ、彼女は町の人たちが見せるような満面の笑みを作りながら、心の中で魔王に自分の意思を告げた。
「この町、やっぱり駄目ね。あんなに酷い場所だなんて、思わなかった」
『言った通りだろう』
そしてレインは魔王に、普段通りに手ほどきを終えてから世界の果ての本拠地へと戻る、と告げた。行きは魔王によって目的地まで転送された彼女だが、上達した魔術の力を使えばこの場所からいつでも元の場所に帰る事が出来るのである。
魔王の返事は先程と同じように鼻で笑うようなものだったが、そこには一切の蔑みも嘲りの心も感じられなかった。無表情の仮面に包まれ一切感情が見えないからこそであったが、だからこそレインはどこか安心していた。様々などす黒く醜悪な思惑を心の中に秘めて暮らす人間よりも、様々な思惑を抱えているはずだがそれを一切出さずにただ無表情で接する魔王や、体の内外共に一切隠さず仲良く過ごしていけるレイン・シュドー自身の方が、遥かに理想的かつ平和的だと感じたからである。
魔王の声が消えた後、レインはそっと掌を町の地面に当て、そこに精神を集中させた。その直後、掌の中から漆黒の闇に包まれたオーラが、まるで濁流のように地面の中に流れ込んだ。
すぐには効果は出ないが、太陽が沈み、そして次の朝を告げる頃には、この町の様子はがらりと変わっているだろう。明るく元気で我がままで醜悪な人々は完全にこの世界から消失し、他の『自分』を思いやり、別の場所の『自分』も大事に思う、理想的な存在がこの場所を包み込んでいるはずである。
その様子を楽しみにしながら、レイン・シュドーは『町』の最期の様子を見届け、本拠地へと帰っていった。
そして、次の日から『町』は――。
「うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」うふふ♪」レイン♪」…
――以前よりもさらに活気と元気に満ち、別の存在を思いやる優しさや世界を真剣に考える真面目さを持ち、そして純白のビキニ衣装が何千何万、いや何億と永遠に満ち溢れ続ける理想郷になったのであった……。
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