女勇者、変身

 人知の及ばない、霧に包まれた荒野の中に潜むと言う『魔王』。その手先となって暴虐の限りを尽くしていたと言う『魔物』が地上から消え去って、だいぶ年月が過ぎ去った。

 復興の進む町並みからはかつての恐るべき爪跡は消え去り、人々の記憶からも過去の脅威が少しづつ忘れ去られ始めていた。しかし、それでも人々は自分たちの救世主である「勇者」たちへの感謝の念を忘れていなかった。


「さ、どうぞ飲んでくださいな♪」

「これも勇者様のために作ったものですよー!」


 ここは、とある大きな町にある宴会場。普段は少々乱暴な客を含め、活気あふれる町の住民が利用している場所だが、今日は例外、この町を司る役員や町長、多くの町を束ねる上流階級の者たちによって貸し切られ、ちょっとした優雅な空間へと変わっていた。そして、その中心にいたのが――。


「いやぁ、ありがとうございます」


 ――金色の髪をたなびかせ、笑顔を見せながら感謝の念を表す、この宴の主役である1人の男であった。

 彼こそが、魔物から世界を救ったと言う勇者――長い戦いから『生き残った』3人の英雄の1人であった。他の面々と同様、無敵の短剣を操る彼もまた、その功績が永遠に語り継がれる存在になっていたのである。次々に用意される食べ物に舌鼓を打ちながら、彼はたくさんの褒め言葉に返事をしていた。


「それにしても、本当に世の中は平和になりましたね」

「貴方がた勇者には、我々も本当に感謝しております」


「いやいや、僕たちの力だけじゃありませんよ」


 皆が応援したり支援をしてくれたおかげです、と男は爽やかな笑顔を見せた。誰もその表情からは、一切の悪意も闇も感じていなかった。

 そして、1人の中年の貴族が、彼にあの面々の事をつい口走ってしまった。


「それにしても……残りのお二方は、本当に……」


 その言葉が出た途端、すぐに彼はその言葉を訂正し、勇者に謝った。レイン・シュドーとライラ・ハリーナ――魔物との戦いで命を落としたとされる2人の事を思い出させるような発言を述べてしまったからである。だが、しんみりとした顔になりながらも、勇者の男は静かに返事をした。


「いえ、大丈夫です。

 『彼女たちの犠牲』は、僕たちにとっても大きな痛手でしたが……」


 彼らの尊い犠牲によって、この世界に平和が訪れた、と彼は述べた。彼らのお陰で、この世界にずっと続く幸福な日々が訪れた、こうやって宴を開けるのも、自分だけの力ではない、とも。

 場を上手く仕切り、暗いムードから脱却させた『勇者』の言葉で、再び会場は男を称える場所へと変わっていった。


~~~~~~~~~~


 それと同じ頃――。


「……ライラ……」


 ――町から遠く離れた農村で、星も見えないほど暗い空に包まれながら一人の女性が絶望に包まれながら、眠りに就こうとしていた。


 かつて、この村で一番の肝っ玉母さんと呼ばれ、『光のオーラ』を用いて様々な奇跡を起こしてきたと言う勝気で頼もしかった彼女の面影は、やせ細り、一切の幸せが無くなった今となっては一切感じられる事は出来なかった。平和に満ちた町や村からたった一人取り残されたように、彼女の心から幸福と言う感情は消え去っていたのである。彼女の一番大事な宝物――一人娘のライラ・ハリーナが、二度と帰ってこないという現実を知ってから、ずっと。


 恐ろしい魔物に襲われ、ずたずたに引き裂かれたという物言わぬ肉の塊となって、娘は彼女の元へと戻ってきた。優しい心を持ち、浄化の勇者として魔物に立ち向かった彼女の尊い犠牲を称えるために大きく豪勢な墓も建てられたが、今やそこに訪れるのは、ライラの母だけであった。平和な日々が続く中で、『尊い犠牲』はもはや人々にとって必要ない存在に成り果てたのかもしれない。

 

 そして、今日も彼女は、月明かりに見える巨大で豪華な墓を見ながら、静かに涙を流していた。もしあの時、自分がライラを必死に止めていれば、ライラにしっかりと忠告をしておけば、このような悲劇は起こらなかったのかもしれない、と。

 いくら後悔しても、何もかもが遅すぎる。その現実が、さらに彼女を絶望の淵に沈め続けたのである。


 そして、彼女は今日もたった1人、ライラのベッドの傍で眠りに就いた――。


「……」


 ――いや、『今日』に限っては、彼女は1人ぼっちではなかった。

 夜も更け、幸せで空しい夢の世界にいたライラの母は、部屋の中に静かに現れた人影に全く気づいていなかったのである。



「……『お母さん』……」


 部屋の中に現れたのは、1人の女性であった。黒いポニーテール、大きく膨らんだ胸、魅惑の腰つきに健康的な肌、そして純白のビキニ衣装に身を包んだ彼女こそ、ライラ・ハリーナと共に魔物を退治し、魔王征伐のために動いてくれた勇者、『レイン・シュドー』であった。

 

 レインは、じっとライラの母の顔を見た。幸せそうに笑いながら眠り続ける彼女だが、その顔はやせこけ、目からは静かに涙が流れていた。きっと、自分が見ているのが夢であると言う事を認識し、現実の辛さを嫌と言うほど体験しているのかもしれない。


 悲しげに眠るライラの母の表情を見て、レインもまた辛さを隠せなかった。この地上で、一番ライラ、そして自分を大事に思ってくれた人が、絶望の中に閉じ込められている。彼女にとっても、それは耐えきれないかもしれない事だった。

 何としても、彼女を絶望から救ってあげなければならない。レインは、静かに決意を固めた。



「……よし……」


 すると、彼女の掌の上に、一粒の小さな丸い錠剤のようなものが姿を現した。暗い部屋の中でも、月に照らされたその白い輝きははっきりと分かるほどであった。この使用方法については、既に『魔王』――現在のレインの協力者から、しっかりと伝授されていた。これをライラの母の口の中に入れれば、全てが上手くいく、と言うのである。

 あまりも簡単すぎる方法に、レインは一抹の不安を覚えていた。いくら魔王が自分に協力してくれているにしても、本当にこれで大丈夫なのか、何か良からぬ事がおきたりしないだろうか、と。だが、ここでやらなければ、一生後悔してしまう事になるし、そもそもこの状況で後戻りなど不可能だ。


 やがて、決心したかのようにレインは立ち上がり、眠りに就くライラの母の口をそっと開かせた。完全に深く暗い闇の中に囚われているのか、やつれた女性の眼は一切開く事は無かった。呼吸が無ければ、まるで死んでいるようにも見えてしまうほどである。

 もうこれ以上、彼女を絶望の中に沈めさせたくない。暗く寂しい日々も、これで終わるはずだ。そう信じながら、レインは右手の指で錠剤をつまみ、ライラの母の口の中にそっと入れた。



 それからしばらく、はっきりとした変化は訪れなかった。ライラの母は眠り続け、外からは月の光が覗き続けるだけであった。


「……?」


 本当に先程の方法で大丈夫だったのか、再びレインが不安にかられたその時、異変はいきなり起き始めた。ライラの母の体が、突如として光に包まれたのである。


「え、え、え!?」


 あまりの眩さに目を閉じてしまったレインは、中で何が起きているのかを認識するまでに時間がかかってしまった。少しづつ目が慣れて行く中で、光の塊に変貌したライラの母の体が、妙な動きをしながら変化を遂げ始めた事を知ったのである。捩れるような、捻られるような、もしくは歪むような――言葉で表す事が非常に難しい形に、ライラの母は変貌し続けたのである。

 一体何がどうなっているのか、唖然とするレインの前で、次第に光は収まり始めた。そして再び、1人の『女性』がベッドの上で静かに眠る光景が戻ってきた。



 だが、そこにいたのは、浄化の勇者『ライラ・ハリーナ』の母親ではなかった。


「……え……?」


 黒髪のポニーテール、むっちりとして健康的な褐色の肌、大きな胸、そしてそれらを大胆に包み込む朱色のビキニ――それはまさしく「レイン・シュドー」そのものだったのである。


 そして、眼を見開き、目の前にいる存在に驚くレインの前で――。


「……あ、あれ?」


 ――新たな『レイン・シュドー』が、長い眠りから覚めた……。 

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