第6話 火竜の檻(おり)
締め付けられるような頭の痛みを覚えて、クルトは次第に覚醒した。
「あ、いっててて……」
思わず零れた声はかすれていて、でも、それだけではなくて変な響きを帯びていた。
クルトはそろそろと目を開ける。
すると、さっと目の中に真っ赤な光が差し込んできたような気がして、思わずまた目をつぶってしまった。
「な……んだ、ここ……」
そろそろと、体を起こす。
どうやら自分は、冷たい床の上に転がったまま、気を失っていたようだ。
「うえ……」
気持ちが悪い。
胸がむかむかする。
頭が、がんがんする。
なんと言ったらいいのか分からないが、体じゅうを締め付けてくるような不快感が、腹の底からずくりずくりと這い上がってくるような感覚があった。
(そうだ。ニーナさん……)
ぐるぐる視界が回るようで、うまくものが考えられない。しかし、そんな頭をどうにか動かし、周囲を見回すと、すぐ側に倒れているその
(良かった……)
這うようにして、そちらに近づく。
驚くほど、体に力が入らないのだ。
「ニーナさん、ニーナさん……」
白銀色の鎧に包まれたその肩をそっと揺すってみた。
ただ、今は視界が真っ赤であるため、色の違いなどはほとんど分からなかった。
声を出しているつもりだったが、思った以上に掠れた声は、さらに、この不思議な
(どこだよ、ここ……)
ぼんやりと周囲を見回す。
その壁は、見た目だけはとても綺麗に見えた。
きらきらと、赤い夕焼けの色みたいに輝いていて、見たところとても硬そうな素材に思える。宝石と言ってもいいような美しさで、クルトはちょっと目を奪われた。
「う……」
と、ニーナがぴくりと動いて、その目をうっすらと開いた。
「ニーナさん! 気がついた? しっかりしてよ」
ニーナはすぐにクルトに気付いて、上体を起こした。二人で抱き合うようにしながら、そこに座り込む。
「クルトさん……? ここは……。わたくしたちは、いったい……?」
クルト同様、周囲を見回したニーナは、しかし、はっとして身を竦めた。
「これは――」
その顔が緊張に引き締まり、ニーナは慌てて、両手でクルトを抱きしめるようにした。すると、あのニーナのなんともいえないいい香りがした。
彼女に抱きしめられていると、不思議とこの頭痛や気持ち悪さが少しやわらぐような気がした。
いま二人は、壁も床も天井も、すべてその赤い不思議な鉱物でできた四角い箱の中にいる。箱の幅は五ヤルド(約五メートル)ほど、奥行きは八ヤルドほどだろうか。
表面は冷ややかにつるりとしていて、どこにも窓や入り口らしいものがない。
「クルトさん……ご気分は悪くないですか」
ニーナの声がやや震えているのに気付いて、クルトは首をかしげた。ニーナが何を恐れているのかが、まだ分からないでいたのだ。
「え? ……あ、うん……。なんか、頭いてえけど……あと、さっきからなんかムカムカする――」
「……!」
そう言った途端、ニーナの顔色がさらに悪くなったようだった。そして彼女は、すぐさま壁の方に向かって声を上げた。
「アレクシス! ミカエラ……! だれか、そこに居るのでしょう? アレクシス……!」
それは、まったき確信を持った声だった。
「返事をして下さい! アレクシス……!」
《ふん。意外と早いお目覚めだったな――》
(え……!?)
どこからともなく聞こえてきたその男の声に、クルトはびっくりしてきょろきょろ周囲を見回した。しかし、あるのは先ほど来同様の、ただ紅く光る壁だけである。
ニーナはその声に対して、明らかに嫌悪を滲ませながら言い放った。
「アレクシス。貴方の目的は、このわたくしだけでしょう。……この少年は、外へ出してあげてください」
男の声が、途端に嘲るような色を帯びた。
《ふざけるな。俺は何も巧んではおらんぞ。そのガキの方で好きこのんで、勝手に貴様について飛び込んできたんだろうが》
(え……? どういうこと……?)
先ほどから、ニーナは確信をもって相手を「アレクシス」と呼んでいる。
ということは、ここはあの火竜の王太子、アレクシスの根城だというのだろうか。
では、この周りを取り囲んでいる赤い鉱石は――
「この少年は、ただの人間の子供なのです。こんなところに長らくいれば、大変なことになってしまう。火竜の結晶がこれほどある場所に普通の人間がいるなんて、とんでもないことです……!」
(あ……そうか。)
なんとなく、「そうじゃないか」とは思っていたけれど。
どうやらやっぱり、この四角い部屋はすべて「火竜の結晶」によって造られているということらしい。
「竜の結晶」は魔力の宝庫。
それがこれほど大量に使われているとなれば、この中にいるだけでも、自分は相当の魔力を浴びてしまうことになる。
そういえば、以前、レオンがニーナの持っていた「水竜の結晶」を、決してクルト自身には使うなと警告してくれたことがある。あれは、魔術に
先ほどからクルトが感じているこの不快感や頭痛が、その証だろう。
強すぎる魔力は、普通の人間の生命力に直接影響を及ぼしてしまうのだ。
ニーナはぐったりしたクルトを抱きしめたまま、必死に言い募っている。
「どうか、お願いです。わたくしは構いません。でも、この子は外へ出してあげてください……!」
《 籠の鳥ごときが、俺に指図などするな》
即座に返ってきたその声は、冷たくも無情だった。
《出すも出さんも、俺の一存で決めること。貴様の口だしなど無用よ》
「…………」
ニーナが唇を噛み締める。
《無論、お前の心がけ次第のことではあるさ。……分かっていよう?》
「…………」
皮肉まみれのその声音に、ニーナはぎゅっと眦を決して沈黙した。
(ニーナ、さん……)
そっと目をあげて見れば、ニーナの顔はさらに蒼白になっている。
クルトの嫌な予感は頂点に達した。
いやだ。
聞きたくない。
次にあの王太子が彼女に何を言うかなんて、聞かなくても分かっていると思った。
クルトはのろのろと腕を上げて、自分の耳を塞ごうとした。
だが、それは間に合わなかった。
《俺のものになれ。水竜の姫》
王太子の声は、思っていた以上に冷厳で、かつ、とても淡々としていた。
しかし、だからこそ底冷えのするほどに恐ろしかった。
《ああ。……だが、それだけではつまらんな――》
その声に、明らかな嗜虐の色がまぶされる。
《
(なっ……)
クルトは耳を疑った。
この王太子は、この美しい人を、そこまで貶めようというのか。
(なに言ってんだよ、こいつはっ……!)
本来なら、大声で悪態の限りをつき、罵詈雑言を浴びせかけてやるところだったのに。
だが、今は体がどうにもいう事をきかず、ろくに声も出せなかった。
《俺を、その気にさせてみせろ。とは言え、俺もそんじょそこらの痴態では、動じない自信があるがな。せいぜい頑張れ》
さすがのニーナも体を硬直させるようにして、目を見開き、呆然としているようだ。
その沈黙が、すでに答えを返してしまったと理解されたのか、王太子はすぐ、面倒くさそうに言い放った。
《まあいいさ。時間ならたっぷりある。とはいえ、その餓鬼が死ぬまでの間のことだがな。……しばらくそこで、誰が貴様の
「ま、まって……!」
はっとしてニーナが叫んだが、それも虚しいことだった。
声の相手の気配はそこでふつりと途絶えてしまった。
「ニーナ、さん……」
ほんの少しの時間に過ぎなかったのに、クルトは次第に目も見えづらくなってきているような気がした。頭痛も吐き気も、どんどんひどくなって来ている。
思わず、心細くなって彼女のマントを掴んでしまったら、それがぼろりと崩れたのに気付いて、クルトははっとした。
手を開くと、彼女のつけていた濃紺のマントがぼろぼろになってちぎれたものが、手の中にあるのが分かった。それは腐った麻袋のように
「ニーナさん、これ……」
愕然として目を上げると、美貌の人のひどく辛そうに歪んだ顔が見えた。
「クルトさん……。ごめんなさい……」
ニーナはただそう言って、唇を噛み締めたまま、ぎゅっとクルトを抱きしめた。
◆◆◆
遠くで、潮騒の音がする。
いや、これはそんな平和的な音ではない。むしろ、荒ぶる波頭が岩に叩きつけられる、激しい
空気はごく冷えたもので、そこに潮の香りが混ざりこんでいる。
ごつごつとした岩壁に囲まれた巨大な洞窟の中央部に、赤い宝石でできた大きな箱が据え付けられていた。
その前に、白い軍装に紅のマントを流した火竜の国の王太子が、やや不快げな顔で腕組みをし、傲然と立っている。そのすぐ脇に、文官姿の美貌の青年が所在なさげな様子で控えていた。
少し離れた岩壁の近くには、楽しげな笑みを貼り付けた顔で、この場の一連の顛末をじっと見ていた黒髪の女がいた。
その黒髪をさらりとかきあげるようにして、女が色めいた声を掛ける。
「では、アレクシス様。確かにお約束は果たしましたわ。ひとつ、貸しということでよろしくてよね?」
燃え立つような色の髪をした王太子は、ちらりと目の端だけで女を見てから、面倒くさげにひとつ頷いた。
「ああ。いずれ、貴様の目論見にも手を貸してやる。……約束しよう」
女はにんまりと笑って、大きな赤い箱を見やった。
「……あの坊や、このまま放っておかれるのですか?」
さも、どうでもよさげな口ぶりだった。
アレクシスは口の中で軽く舌打ちをしただけで、すぐにそれには答えなかった。
隣に立つ青年が、心配げな目で箱を見ている。
「死なない程度に生かしておかれたほうが、女が言う事を聞きやすいのでは? ……まあ、『生かさず殺さず』というところが妥当でしょうけれど――」
「わかっている。消えろ」
さもうるさそうに、王太子が片手を振った。
女は「はいはい」とでもいいたげに肩をすくめると、さっと片手を振り、あっという間に体の周囲に黒い霧を沸き立たせて、次の瞬間には消えていた。
「殿下……」
背後から言いかけた美貌の青年の声を、王太子は素早く片手で遮った。
「癪だが、あの女の言も一理ある。餓鬼だけは、『死なん程度』で、出してやれ――」
言い捨てて、マントをばさりと翻し、アレクシスはその場を立ち去った。
巨大な箱とともにそこに取り残された青年は、悲しげな困った顔で、己が
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