第6話 円舞指南

 その宴は、暦の上では春だとはいえ、まだ冬の名残のような風の吹く、肌寒い時候に行なわれる。

 なんといっても、豊穣のための祈年祭であり、つまりは畑への種蒔きの時期に合わせて行なうことが原則だからだ。

 王宮の大広間で開かれる酒宴と舞踏会には、国内各地から招待された貴族とその子女、それに親交の深い隣国、雷竜国ドンナーシュラークからも貴族たちが招待される。今年もまた、隣国からは幾人かの貴族たちが呼ばれることになっているらしかった。

 集まる貴族らだけでも数百名、彼らの連れてくる従者や警護の者らを含めれば、恐らく数千名にはなろうかという大規模な宴であった。


 上級文官らも武官らも、今はそのための準備に忙しい。

 レオンら王宮付きの近衛隊も、当然、その警備に回ることになる。

 レオンの所属する近衛第三小隊は、小隊長である上級将校の弁によれば、今回、大広間周りの警備を担当することになっていた。もともとがアルベルティーナ王女付きの小隊なのだから、それもまあ当然といえば当然だった。

 しかし。


「……いや、それは――」


 小隊長の部屋に呼ばれて、その奇妙な命令を聞いた時、レオンはこれ以上ないほど困惑した顔をしていたに違いなかった。

 そんなレオンの顔を見て、恰幅のよい小隊長は少し苦笑したようだった。


「気持ちは分かるが、これもまあ近衛隊の仕事の一環だ。姫がどうしても、ほかに踊りたい相手がいないとおぼし召された場合のみ、我らの誰かがそのお相手を務めることにはなるわけだからな。貴様も一応、練習だけはしておけという話なわけだ――」


 つまり、そういうことなのだった。

 この忙しいのに、新参者のレオンだけが、なぜか大広間で行なわれる円舞ヴァルツァーの踊りをひととおり覚えておくようにとのお達しなのである。とは言え、自分だけというのはつまり、他の者は皆もう踊れるようになっているから、ということらしいのだったが。


「いえ、どの道、お相手が自分になることはありますまいし――」

「馬鹿もん! そう思ったら、わざわざこんな事を命ずるか」

 食い下がるレオンに対し、小隊長はむしろ、呆れたといわんばかりの顔だった。

「近頃、とみに姫殿下の覚えもめでたい貴様に声が掛からんと思う馬鹿がどこにいる! その場になって恥をかきたくなかったら、四の五の言わずに練習しておけ」


(いや、……まさか。)


 やっぱり変な顔をしたままのレオンのことはもうほっぽって、隊長はレオンの隣に立っていた、警護の相棒でもあるカールに「そいつの練習相手を務めてやれ」と命令していた。まるでそれが、さも当然かのような言い方だった。

「うは。や〜っぱ、俺っすか……」

 カールはカールで、ちりちりの赤毛頭を掻くようにして、あからさまに嫌そうな顔である。それも道理というものだった。

 なにが悲しくて、忙しい軍務の合間に男二人で円舞の練習などせねばならんのか。それについては、レオンもまったくの同意見である。

「しかもこの場合、俺がっつうことっすよねえ。うああ、最悪……」

 ちょっと片手で頭を抱えている相棒の隣で、レオンも完全に半眼である。それに関してはお互い様というものだ。


「ともかくだ。宴には、隣国のお貴族がたも大勢いらっしゃる。下手なものはお見せできぬぞ。万が一にも、貴様が姫殿下のおみ足やらドレスの裾でもお踏みしてみよ! わが国は、他国の貴族連中の笑いものよ。よって貴様は何を措いても、とっとと踊れるようになっておけ。いいな!」

 レオンはそこで、「これ以上は問答無用」とばかりに、カールともども隊長の部屋から放り出された。



◆◆◆



「いやもう、最初はどうなることかと思いましたけどね。こいつ、これでなかなか筋が良かったもんで。いやあ、お陰で助かりましたよ――」


 カールとレオンが、久しぶりにアルベルティーナの警護の当番になった日のこと。いかにも気さくな性格らしいカールが、訊きもしないのにそんなことを教えてくれて、アルベルティーナは目を丸くした。


「そ、そうなの……?」


 カールの隣で多少憮然とした顔で歩いているレオンは、例によっていっさい彼女の顔を見ようとはしない。それが少し寂しくはあったけれども、まあ贅沢を言っても仕方がなかった。


「ま、そんな訳なので。当日は、近衛隊のどいつを指名していただいても大丈夫っすから! どうぞご安心なさってください」

 カールは少しそばかすの浮いた鼻の頭をひくひくさせて、さも得意げに胸を張った。

 一応、王族に対する言葉遣いについてはひと通り教育されているはずなのに、この青年は上官の見ていないところだと、アルベルティーナに対してこんなざっくばらんな調子で話すことが多いのだった。


「そうなの。それは楽しみね」

 アルベルティーナは内心の動揺を必死に隠しつつ、赤毛の青年に向かってにっこり笑って見せた。

 カールがそれを見てちょっと赤くなり、すこし早口になってまくし立てた。

「ほ、ほんとは俺、『そこらの女官とかに代役頼もうかな〜』とか思ったんすけどね。ほら、俺だと体がでっかすぎるもんで。俺が女役なのに、それだと色々まずいでしょ? けど、そしたらなんか速攻、上官から『それはやるな』ってきっつい命令が来ましてね。あれ、なんだったんすかねえ……?」


 「さっぱりわからん」という顔で、カールは顎に手をあてて首を傾げている。

 アルベルティーナは密かに背中に冷や汗をかいた。実はそれに関しては、色々と心当たりがあったのだ。


(お母様ったら……。)


 そうなのだ。

 レオンの踊りの技術について色々心配してしまったアルベルティーナに向かって、あの時「まあ任せておおきなさいな」と鷹揚に笑った母は、きっと彼の上官を通じて、彼にその練習をさせるに当たり、あれやこれやと指示をしたのに違いなかった。

 女官や召し使いといった女性たちを彼の踊りの練習に付き合わせることを禁じたのも、恐らくは母の差し金だろう。

 実のところ、アルベルティーナにしても、そうやって彼が「女性と交わるのにちょうどよい理由」など、わざわざ作ってほしくはないというのが本音だった。それをあの母は、わざわざ娘に訊くまでもなく、いち早く手を打っておいたということだろう。


(まったく、敵わないわ。お母様には……)


 困った笑みを浮かべながら、アルベルティーナはそっと斜め後ろにいるレオンのことを盗み見た。

 彼は、この一連のカールの不要な報告三昧を、もはや苦虫を噛み潰したような顔でずっと聞いていたらしかった。その目は完全に「余計なことを」と言っている。

「もういい。やめんか」

 そうしてしまいには、軽くカールの肩の辺りに拳骨など当てて黙らせた。

ってえなあ。いいじゃんか、ほんとのことなんだしよー」

 対するカールは半分にやにや笑いである。

 なんだか、一見してまったく性格の異なる二人なのだが、これで結構仲良くやっているようなのが、見ていて微笑ましかった。このところ、ほとんど彼に目も合わせてもらえないでいるアルベルティーナにしてみれば、ちょっと羨ましいぐらいである。


 そもそも「友達」と呼べる相手からして、アルベルティーナにはあまりいない。貴族の娘らで、同じように教師について勉強するような場合の「学友」と呼べる娘は数人いるけれども、彼女らだとてまさかこのカールのようには、ざっくばらんに王女に向かって話しかけてはくれないからだ。

 それに、女同士の友達と、こうした男同士の友達とは、やっぱり似て非なるもののような気がしてしかたがなかった。アルベルティーナの個人的な見解として、やっぱり羨ましいと思えるのは、こういう男同士の爽やかな友情のほうである。


(それにしても……)


 このレオンがカールと、練習とはいえ円舞ヴァルツァーを踊っていただなんて。

 それは是非とも、こっそりと物陰から覗いてみたかった。

 二人とも、いったいどんな顔をして、互いの腰やら背中やらに腕を回し、男女の踊りを踊っていたことやら――。


(いえ、でも、レオンですもの――)


 それはきっと、恐ろしく大真面目な顔に決まっていた。

 一刻も早くこんな「拷問」から解放されようと思ったら、彼だってそれは大真面目に、集中してやるほかはなかっただろうし。

 恐らく眉間にいつものあの皺など入れて、剣術の仕合いもかくやというような糞真面目な顔をして、このカールと――。


「ぷ……」


 脳裏に明瞭にその状況を思い描いて、思わずアルベルティーナは吹きだした。

 そのままくすくす笑っていたら、レオンが心底嫌そうな目でこちらをちらっと見たようだった。


「……姫殿下。お足もとに、お気をつけを」


 低い声でぼそっと言われるが、アルベルティーナにももう分かっていた。それは、絶対に照れ隠しだ。

 そのなんとも知れない彼の不快げな顔を見ていたら、アルベルティーナはもう笑いを堪えることができなくなってしまった。


「ごっ、ごめんなさい……。ぷ、くくく……」


 もう堪らず、気がつけばアルベルティーナは、自分の身体を抱きしめるようにしてぷるぷる震え、口許をおさえて涙まで滲ませて笑っていた。

 カールは楽しそうな王女殿下を見てにこにこ笑い、その隣ではどうしようもなく不快げな顔になったレオンが黙々と、笑い続けるアルベルティーナの後をついて歩いていった。



◆◆◆



 そうこうしながら、三名は目的の部屋にたどり着いた。

 王家の使用する、豪奢なつくりの応接間である。

 実はアルベルティーナは、この「春の宴」に招待された隣国ドンナーシュラークの貴婦人が、王家の人々に挨拶に参っているとのことで、この部屋まで呼ばれたのである。


 扉の前に立っていた衛兵が一旦部屋に入って確認をとり、すぐさま「どうぞ」と中へ通された。

 しかしここで、何故かは知らないがカールだけは「その場で待て」と留め置かれた。それを不思議に思いながらも、アルベルティーナは言われるまま、レオンだけを伴って部屋に入った。


 広い応接間には、美麗な模様に彩られたソファや卓が置かれ、部屋全体がごく落ち着いた趣の調度でまとめられている。

 王家の皆が座る側のソファには、すでに国王ミロスラフと王妃ブリュンヒルデが座って待っていた。部屋の隅に、あのレオンの養父である医師、アネルの姿が見える。普段ならいるはずの、侍従や侍女といった側仕えの者たちは見えなかった。

 そうして、王と王妃に向かい合うようにして置かれた来客用のソファに、黒髪を結い上げた美しい貴婦人の姿を認めて、アルベルティーナははっとした。


(まさか――)


 それは、見覚えのある方だった。


「ティ……、ティルデ王妃さま……!?」


 そうだった。

 それはなんと、隣国の王エドヴァルトの正妃にして、レオンの実の叔母にあたる人、ティルデ王妃その人だった。相変わらずのほっそりとした美しい方で、今日は特に、その白いうなじに黒い零れ毛が落ちかかり、艶めいたご様子だった。

 彼女の側には、あの時もその近くに侍っていた、あの美しい顔立ちをした黒髪の侍女もいる。


 二人の女性はこちらを見るなり、ぱっと顔を輝かせたようだった。

 もちろん、アルベルティーナを見てのことではない。

 彼女ら二人が見つめているのは、自分の背後に立っている、レオンに他ならなかった。


「殿下……!」

 ティルデは今日は、濃い色目の紫色のドレス姿である。彼女はすぐさま立ち上がると、足早にレオンの目の前までやってきた。

「ああ、お会いしとうございましたわ、レオンハルト殿下――」

 彼女はレオンにそっくりの美しい翠の瞳に涙を光らせながら、もう彼の手を取っている。レオンはやや驚いたような瞳をしてはいたが、特に後ずさるなどの逃げる素振りは見せなかった。


「陛下からお聞きしました。あなた様は、ご身分がはっきりとした今となっても、わたくしのもとへはいらして下さらないとのこと……」

「は……」

 ティルデの寂しげな声を聞いて、レオンが少し困った顔になったようだった。


「妃殿下の温かいお申し出は、無論、心より有難く思ってはいるのですが。このたびは、お心にうことができませず、まことに申しわけありません――」

 いつものようにきりりと頭を下げるレオンを、ティルデは慌てて遮るようにした。


「いいえ、いいえ! とんでもないことですわ。謝ったりなさらないでください。残念ですが、確かに皆さまのおっしゃるとおり、それは危険なことでしたものね。わたくしが愚かだったのです。もちろん、とても寂しいですけれど、致し方ありませんわね……」


 彼女が申しわけなさそうに俯くと、その背後に立っている菫の瞳を持つ侍女の少女も、少し塞ぎこむようにして目線を落とした。

 しかし、ふとアルベルティーナと視線が合うと、彼女は急にぎりっとこちらを射るような目で見返してきて、アルベルティーナは驚いた。


(え? なに……?)


 が、それは一瞬のことだった。

 やがて、レオンの手を両手で握ったまま、ティルデがにっこり微笑んで顔を上げると、少女もふいとこちらから視線をそらしたからだ。

「それで、わたくし、ちょっぴり陛下にわがままを申しあげてしまったのです」

 ティルデがうきうきとした口調で話を始めた。

「つまり、このたびのこちら、クヴェルレーゲンでの『春の宴』に、『侯爵夫人クラウディア』として参加させて頂けないかと、ね……? うふふ、いかがです? 驚かれたでしょう? レオンハルト殿下……」


 少し悪戯っぽく微笑むティルデは、すでに数名の王子や王女の母である人とは思えないほど、とても可憐な様子に見えた。この女性ひとにこんな可愛らしい様子でお願いされたら、そうでなくともこの王妃にぞっこんの、あのエドヴァルト王が断れないのも無理はないという気がした。

 つまり彼女は、今回、微行おしのびの形でこちらの国へ来られたということらしい。雷竜国から招待されているほかの貴族連中には、エドヴァルト王から厳しくその正体について口外しないようにとのお達しがきているのに違いなかった。

 そうまでしてもこの王妃は、兄であられる故ヴェルンハルト公にそっくりの、この甥の顔が見たくて仕方がなかったということなのだろう。


「久しぶりに、医術魔法官であったエリク……いいえ、今ではアネルと名乗っているのでしたね。彼とも会うことができ、ようございましたわ。今、少し昔話などもしていたところだったのです……」


 ティルデが優しい声でそう言って、部屋の隅に立っていたアネルに目をやると、彼は黙ってこちらに目礼をしてきた。見たところ、彼らの間ではすでに、久方ぶりの挨拶や、レオンの命を救った顛末についての話は終わっているらしかった。


「あの後、殿下がこちらの近衛隊に配属されたとお聞きしました。その軍服、とてもよくお似合いですわ。本当に凛々しくていらっしゃいます。まるで本当に、兄上がここにいらっしゃるよう……」


 レオンから少し離れて彼の姿を見直すようにしながら、ティルデは心から嬉しげに、目に涙を溜めてそう言うのだった。背後にいる侍女の少女も、それには大いに賛同する様子で、うっとりとした瞳をきらきらさせながら、大きく頭を上下させている。

 ただ、不思議なことにレオン本人は、なぜかその少女の方へは意識的に目を向けないようにしているように見えた。アルベルティーナにはなんとなくそれが不自然に思われたのだったけれども、その時はその理由など、知る由もないことだった。


「さあさあ、ティルデ様。あとはゆっくりとこちらでお話を」


 父ミロスラフは、風竜国フリュスターン王家の人々のそんな微笑ましい様子をしばらく眺めていたが、やがて皆をソファの方へと差し招き、そこで午後のお茶などを喫しながら、改めて歓談を始めたのだった。

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