第3話 親睦の宴

 翌日、予定通りにその宴は催されることになった。場所は白亜の宮殿内部にある大広間である。

 そこは、非常に広い空間だった。いや、ただ広いばかりでなく、非常に美しいものでもあった。白いアーチ状の枠が幾重にも美麗な弧を描いて折り重なるように配置された高い天井は、まことに壮観だった。その天井を、部屋をとり巻く何本もの巨大な円柱が支えている。

 エーリッヒは終始ぽかっと口を開けて、アルベルティーナが放っておいたら、いつまででもその天井を見上げていそうな勢いだった。


 壁や部屋の隅、柱の各所には灯火や燭台が置かれ、花々や薄絹で飾られている。今回は、それぞれの王室のために独立して丸いテーブルタベレが用意され、豪奢な織物をかけられていた。

 それぞれの卓の中央には、さまざまな色と形で目を楽しませる美しい花々が生けられている。


 宴の主である国王は、彼の王妃とともに一応は上座にあたる部屋の最も奥のテーブルにつくらしかったが、彼我の高低差は特に設けられていなかった。それはさも、「皆がごく対等の立場で話をするのだ」と暗に伝えてきているようだった。

 テーブルは、ぐるりと丸く円を描くようにして置かれており、どの王家も上下の別のつかないようにと工夫されているようだ。いかにも、あの王らしいことだと思われた。


 比較的早めに宴の会場へ到着したアルベルティーナとエーリッヒは、ドンナーシュラーク宮の召し使いらに勧められるまま、それらのテーブルのひとつについた。

 それぞれの王家に対し、護衛のための武官らは人数を五名までと制限され、どの国の者も部屋の隅に待機する形になっている。今日はそこにレオンの姿はない。


(レオン……)


 アルベルティーナはそちらに目をやって昨日の事を思い出し、少し吐息をついた。

 彼は結局、この席への同行は頑として固辞したのだ。

 あの老人に語って聞かせたことが彼の出自のすべてであるというなら、そこまで頑なにこの席に来ることを拒む理由がよくわからないのだったが、ともかく、彼はひたすら頭を下げて「どうか、姫殿下。こればかりはご容赦ください」の一点張りだったのだ。

 いやそれどころか、彼は「できますことならこのまま、ひと足お先に自分だけでも帰国させていただくわけには参りませんでしょうか」とまで言い出して、アルベルティーナを慌てさせた。

 それも明らかに口ばかりのことでなく、放っておいたらそのまますぐにも、一人馬に飛び乗って、出立してしまいそうな勢いだった。


(どうして、そこまで……?)


 まあ、それについてはこちらの方が「どうかそんなことを言わないで」と、彼の袖をつかまんばかりにして食い下がり、どうにか引き止めたのだけれども。

 彼はしばらく厳しい顔で「どうか姫殿下、お許しを」と繰り返していたのだったが、遂にアルベルティーナがたまらなくなって、ほんの少し泣きそうな顔になったのを見ると、最後にはひどく困った顔のまま、やっと頷いてくれたのだった。

 アルベルティーナの思うに、彼はその父親から、理由はわからないながらも何かを言い含められて来ているのかもしれなかった。


(帰国したら、是非一度、よく話を聞いてみなくては……)


 この件については、父や母にも勿論報告せねばならないだろうし、あのアネルにもきちんと問いただす必要がありそうだった。



 やがて、三々五々、各王国の若君たちが会場に訪れ始めた。いずれもごく若い少年たちであって、クヴェルレーゲン同様、やはり第三、第四王子を送ってきたのだろうことはすぐに知れた。

 アルベルティーナたちの次にやって来たのは、土竜の国ザイスミッシュの王子だった。十四、五歳に見える、砂色の髪をしたごく生真面目そうな雰囲気の少年で、アルベルティーナたちを見ると、一瞬ぴたりと足を止めたが、すぐにあちらから軽く会釈をしてきた。見るからに育ちのよい、控えめな性格がうかがわれた。


 次に現れたのが、風竜の国フリュスターンの王子だった。

 彼も第三王子とのことで、癖の強い黒髪にやや稚気の強そうなこげ茶色の瞳の、いかにも元気の良さそうな少年だった。年や背格好も、ザイスミッシュの王子と似たりよったりだろう。

 彼はアルベルティーナを一瞥すると、目立ってはっとしたように見えたが、ついてきた武官に促され、慌てたようにこちらとザイスミッシュの王子に向かってぴょこんと元気よく一礼してきた。何故か少し、頬が赤らんでいるようだった。

 不思議なことに、その挨拶が済んでも両王子とも、何故かちらちらと時おり視線をこちらへ寄越していることに、アルベルティーナは気付いていた。もちろん、気付いていることをあちらに気付かせはしなかったけれども。


(……なんなのかしら)


 クヴェルレーゲンでは、あまり女性をじろじろと見つめることは、相手に対する不敬だとして、品のよいこととはされていない。

 決して連れてきた護衛の武官たちを信じていないわけではなかったけれども、アルベルティーナは何となく、やっぱりここにあのレオンが来てくれていたら良かったのに、とぼんやりと考えていた。

 自分の目の届く範囲、視界の中に、彼のあの無口で精悍な顔があるとなぜか落ち着く。他の年上の武官らのほうが、武術の腕や経験も豊かだとはわかっていても、やっぱりアルベルティーナは、彼に身近にいてほしかった。


 やがて、国王エドヴァルトが彼の王妃を伴って現れた。すぐ後ろから、あの小柄な老人ヤーコブと、王妃の侍女らしい少女がついてきている。


(あ……!)


 王の隣に腰掛けた、つややかな黒髪を結い上げた美しいひとを見て、アルベルティーナは息を飲んだ。そして、一瞬にして多くの事を理解した。


(こ……これは)


 昨日のヤーコブ老人の言は、確かに間違いではなかった。

 その黒髪と、澄んだ水面みなもにうつった新緑のような瞳の色。いや、色目ばかりのことではなく、その面差しやお顔だちそのものが、誰が見たって、どうしたって、あの無口な少年士官の面影を彷彿とさせずにはおかなかった。


(まさか、ここまで……だなんて――)


 アルベルティーナは、背筋をなにか冷たいものが駆け抜けるのを覚えながら、不敬であることも失念して、その人をじっと穴の空くほど凝視してしまった。知らず、膝の上で重ねた手が細かく震えていた。

 アルベルティーナの不躾な視線に気付いたのか、王妃の側に立っているやっぱり黒髪をした美しい顔立ちの少女が、じろりとこちらを一瞬だけ睨んだようだった。アルベルティーナははっとして、慌てて視線をそらした。


「ねえねえ、姉上? あのかた、王妃さまでしょう? なんだかとっても、レオンに似ていらっしゃるね!」

 隣に座ったエーリッヒが、もうびっくりするぐらい、無邪気にすらっとそう言った。

 いっそ、それが羨ましいほどだった。冷水を浴びせられたようだとは、まさにこのことだと思った。

「え? ……そ、そうかしら。確かにおぐしと、お目の色はそっくりでいらっしゃるけれど……」

 アルベルティーナは思わず、内心とは裏腹の返事をしていた。

「え〜? よく見てよう、姉上。ほんとうに、ほんとうにそっくりだよ!」

 弟はきゃらきゃら笑って、まったく邪気のない様子である。

「しいっ。静かにするのよ、エーリッヒ。今は、大切なお席なのだから。それに、男の子がよそのご婦人をそんなにじっと見つめるものじゃなくてよ」

「え、だって、姉上……」

「まして、ご容姿のことをあれこれ言うなんて、とても不敬なことなのよ。お願いだから、どうか大人らしくしていらしてね」

 仕方なく、アルベルティーナは小さな声で弟をたしなめ、可愛らしい口を閉じさせた。

 そうこうするうちにも、国王エドヴァルトは他国の王子らと挨拶を交わしている。


「……おんや。まだ皆さん、お揃いではありもはんかの?」


 エドヴァルトがひと通り、挨拶を終えてからそう言った。

 それにしても、相変わらず地域のよく分からない方言まみれの言葉でしゃべる王である。他国の王子二人はすでに、その奇妙奇天烈な王の言葉とふるまいに、すっかり毒気を抜かれた様子だった。


「ふうむ。どないしはりましたんかねえ?」


 時刻としては通達されていた頃を少し過ぎているのではないかと思われたが、何故かまだ火竜の国の王子だけが現れていない。

 招待した側であり、この国の王でもある方がすでに着座されているところへこうまで遅参するというのは、いくらなんでも相手に対する非礼になるだろう。そのことも考えた上で、王のほうでもわざわざ少し遅れてここに来られたに違いないのに。

 他国の王子たちも同様に考えているのか、少し怪訝な顔になってお互いの顔を見合わせたりしていた。


 そこから、またしばしの時間を要した。

 火竜の王子が現れたのは、約束の刻限よりも優に半刻は過ぎてからのことだった。

「火竜の国、ニーダーブレンネンの第三王子殿下、お見えになりました」

 先に大扉を開けて入ってきたドンナーシュラーク宮の召し使いが声を掛けるや否や、その男を後ろから突き飛ばすようにして、紅のマントを翻した少年が大股に入室してきた。

 年の頃は、あのレオンより少し上ぐらいだろうか。背格好のほうは、すらりと長身、かつ鍛えられた体躯をしていて、よく似たような感じではある。

 しかし、その発する雰囲気はまるで違っていた。


 燃えさかる炎のような、短めの赤い髪。強い光をはなつ赤褐色の双眸。

 よく日焼けした肌と、マントの脇から覗ける軍装風の白い礼装を纏った体躯や身のこなしを見れば、武術にも相当秀でた少年であることは一見して明白だ。

 意外にも端正な顔立ちなのだが、その表情はいかにも不遜な様子で、遅参したことなど毛ほども詫びる気はなさそうである。口端は勘気の強さを物語るようににやりと跳ね上がり、やや大きめの犬歯がそこから覗いていた。

 彼が背後に従える武官らも、いずれ筋骨たくましい偉丈夫ばかりである。


「アレクシスだ。招きに応じて参じたぞ。まあよろしく頼む」


 名乗りも飽くまで不遜である。

 他国の王子らはともかく、その少年から見て、ここドンナーシュラークの王エドヴァルトははるかに目上の存在であるだろうに。この人を人とも思わぬような態度は、一体どういうことなのか。

 呆然としている一同を一度じろりと睥睨へいげいし、少年は大股に、空いたテーブルの席へとどかりと座った。すぐに、ひょいと足を組む。


「さっさと始めろ。面倒ごとはとっとと終わらせて帰りたい」


 言葉どおり、さも面倒くさげにあらぬかたを見やってそう言い放つ。

 アルベルティーナは眉を顰めた。

 ここが我が国の王宮であるならば、面前に立ちはだかってひと言もの申さずには置かないところだったけれども、生憎とここは伯父の王宮。他国の城だ。

 当の国王たる伯父、エドヴァルトはと言えば、むしろ面白そうな目をしてじっとその不遜な少年の様子を観察している様子だった。


「やれやれ、ようやっと、綺羅星のごとき各国の殿下がたがお揃いのようやねえ。ほな、改めて始めさせてもらいまひょか〜?」


 言いながら、ひょいと目の前の酒盃を上げ、立ち上がる。そこにあるのは、満面の笑みのみだ。


「ワシが一応、ここで王サンしとります、エドヴァルトっちゅうおっちゃんやでえ。あ〜、めんどくさかったら『エドちゃん』でええし。今後とも、五大竜王国の宗主サンがたとは末永すえなごうお付き合いいただきたい思うとります〜。帰ったらみんな、お父ちゃんにそう言うといてな? ここ、めっちゃ大事やし。たのんますわ、ホンマ!」


 言って目の前でなぜか手刀を立て、王子がたに向かって軽く頭を下げている。

 そして、あはははは、と豪快かつ明るい笑声がそれに続いた。


(伯父様ったら……。)


 アルベルティーナは、思わず緊張していた身体の力がへなへなと抜けていくのを覚えた。両隣に座っている他国の王子らも同様なのだろう。なんとも知れない表情で、ちょっと椅子からずり落ちそうになっている。

 それはもう、「気合いとはなんぞや」と言わんばかりの、肩の力の抜けきった挨拶だった。彼の隣に座る王妃ティルデはごく済ました顔をしているので、こういうことにはもう慣れっこであるらしい。

 それにしても、王妃もその侍女も、この不遜きわまりない王子の態度にさして驚く様子がなかったところを見ると、どうやらこの伯父、火竜国の王子の為人ひととなりについて、すでに事前になにがしかの情報を得ていたようである。


「ほな、アレクシス殿下はもう自己紹介しやったんで。次の王子さんがた、順にお願いしてもよろしおま?」

「…………」


 場の空気は、いまや完全にとぼけた伯父の色に戻っていた。アルベルティーナはそれを、ちょっと頭を抱えつつ、半眼になって眺めていた。

 さすがと言えば、さすがなのだが。しかし、どうにも手放しで褒めようという気持ちにならないのは何故なのだろう。


 そんな波乱含みのはじまりだったが、ともかくも、「親善の宴」はこうしてようやく始まったのだった。

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