第二章 火焔の少年

第1話 雷竜王エドヴァルト

 雷竜の国ドンナーシュラークの王都へは、一行は特に大きな問題もなく到着した。

 親善使節としての一行は、すぐに王城の中に誂えられた貴賓用の豪奢な部屋へ通されて、まずは旅の疲れを労われた。この後、雷竜王と一度顔合わせをして、あらためてクヴェルレーゲン王家のために準備された、敷地内の離宮へ案内されるのだという。


 と、久しぶりに寝ころがることのできた柔らかい天蓋つきの寝台でエーリッヒが大喜びではしゃいでいたところへ、恰幅の良い王族らしき装いの男が凄い勢いで飛び込んできて、アルベルティーナはびっくりした。


「おお! 我が姪! そして甥っ子よ……!」

 開口一番、涙もはじけんばかりの喜びようで、男は寝台の上にいた弟をいきなり両腕で抱きしめた。

「うぎゃ……!」

 エーリッヒはひと声変な悲鳴をあげただけで、あとは男にぎゅうぎゅうに抱きしめられるまま、目を剥いている。

 と思ったら、今度は男は弟を寝台の上に放り出し、くるっとこちらを向いてばっと両手を広げ、猛然とこちらに迫ってきた。

「おお……! 話には聞いちょったけど、なんと、ほんま神々しいに綺麗な姫さんやないかいな! アルベルティーナ姫、ワシがあんたの伯父でっせ!」

 言いながらも、どんどん間合いを詰められて、今にも弟同様に抱きしめられてしまいそうだ。


 しかし、アルベルティーナは弟のようにはいかなかった。

 今にも抱きしめようとしてきた男の両腕から、武術の仕合いさながらにするりと身をかわし、十分の間合いを取った場所に素早くとび退すさって向き直る。

 やや腰を落とし、どこからかかってこられても大丈夫なようにと武術の構えをとりつつも、相手の瞳にひとつの害意もないことを即座に見て取って、アルベルティーナは一応は訊いてみた。


「……あの。確かにわたくし、クヴェルレーゲンのアルベルティーナですけれど。失礼ですが、貴方さまは」

「おう! こりゃまた、えらい失礼してもたわあ!」

 男はそこで初めてはっとしたように、豪快に破顔して頭を掻いた。


(……は?)


「せやなあ、なんしか会うん、初めてやもんなあ! ワシが一応この国の王サンやっとる、エドヴァルト伯父さんやで〜。気楽に『エドちゃん』て呼んでもろたらええし。以後、よろしゅうにな!」

 にこにこと悪びれる風もなく、そんなことを言っているが。

 いやまず、その言葉遣いは一体なんなのだろうか。


「まあまあ、長旅でめっちゃ疲れたんとちゃう? ほんま、ご苦労さんやったねえ。まあ、ちゃんちゃんに。せやかて、血ぃつながった伯父と甥、姪の仲やねんし。ここではもうほんま、気楽〜〜に過ごしてもろたらええけんねえ」

「…………」

 アルベルティーナはもう、呆気に取られて二の句が継げない。

 周囲を警護しているはずの武官らも、ちょっと毒気を抜かれて「目が点」の状態だ。

 その隅には、あのレオンもごく目立たない場所に立ち、じっとこちらを見ている様子だったけれども、明らかにその顔は殺気の籠もった半眼になっていた。


 と、扉の方からなにやら小柄な老人がちょこまかともう一人入ってきた。

「ああああ、まったく、陛下! いきなり押しかけてはなりませぬと、あれほど申し上げたではありませぬか……!」


 随分と色の黒い、そして皺だらけの顔をした老人だったが、文官の着る長衣を身に纏い、それなりの立場であることが窺い知れる。残り少ない白髪を綺麗になでつけ、小さな飾り帽をのせた頭が、なにやら可愛らしかった。

 その顔は、見るからに市井のどこにでもいる老人のような、気安く親しみやすいものに見えた。

 老人は、呆然としたような室内の様子や、アルベルティーナの怪訝な顔を見ると、さらに慌てたようだった。


「も、申しわけございませぬ、アルベルティーナ様、エーリッヒ様。こちら、我が雷竜の国の国王陛下、エドヴァルトさまにござりまして――」

「ああ、もうええってええって! 自己紹介なんぞ済んどるし。堅っ苦しい挨拶なんぞは抜きでいこ。いやもう、楽しみにしとったんやでえ? 可愛い妹の、また輪ぁかけて可愛い息子と娘が来てくれるっちゅうてなあ!」


 まだちょっと信じられない気持ちではあったが、ともかくこの目の前で満面の笑みを湛えて胸をそらし、大口を開けて笑っている中年男が、この国の王、エドヴァルトで間違いはないようだった。

 その隣で、小さな体躯をさらに縮めるようにして、老人が必死に言い訳をしている。


「も、申しわけござりませぬ。陛下におかれましては、各地の辺境に出向かれては商談やら会合などなさるたびに、その土地の言葉に染まってしまわれるという、あまりよろしくないへきがおありにござりまして……」


(ああ、……そういうこと。)


 アルベルティーナはちょっと半眼になって、理解した。

 だからこういう、どこの地方の言葉だかよく分からないような、色んな方言が混合した話し方になっているのか、この男。

 癖のある明るい褐色の髪は適当になでつけてあちこちぴょんぴょん跳ねているし、見るからにあまり見てくれやら服装やらには拘らない性質たちらしい。

 しかし、故国で噂に聞いていた以上に、人との間に垣根を立てない人柄であるようだ。


 父、ミロスラフに言わせれば、「そういう男こそ、実は真実、恐ろしいものだよ」ということになるようだったが。

 事実、この男はこんな調子で、もとは敵対していた家だった貴族の中にでさえどんどん飛び込み、酒を酌み交わし胸襟を開いて話をするうち、いつのまにかその相手と竹馬の友もかくやというような関係を築いてしまうのだという。

 父曰く、「『人たらし』と言うのなら、彼こそそういう御仁だよ」とのことだ。

 父のそんな言葉を脳裏に描いて、アルベルティーナは軽くしわぶきをして居住まいを正した。そうして改めて王家の姫として相応しい、たおやかな礼でもって相手に応える。


「これは、たいへん失礼を致しました、エドヴァルト伯父様。クヴェルレーゲンが王、ミロスラフの娘、アルベルティーナと申します。こちらは、第三王子、エーリッヒ。弟でございます」

「おお……! 美しい……!」


 エドヴァルトが目をきらきら輝かせて、改めて両腕をばっと開いて近寄ろうとして、アルベルティーナは思わずふたたび身構えたのだったが。

 次の瞬間には、ごくさりげなく、二人の間にレオンが半身を入れていた。


「申しわけありませんが、エドヴァルト陛下。姫殿下もお疲れですので。……どうか、ご勘弁を」

 軽く片手をあげて二人の間を遮るようにしている素振りは、明らかに彼女を守るような様子だった。

 レオンは、一応ここまで黙って見てはいたものの、「遂に我慢の限界にきた」とでも言わんばかりの瞳をしていた。気のせいかもしれないが、その声もいつもよりは不機嫌そうに、少し低いものになっている。


(レオン……)


 アルベルティーナの胸の奥に、ぽっと温かな光が灯ったような気がした。

 ここまで長い旅の間、自分に向かってほとんど口も利こうとしなかった少年が、ここへきてこんな行動をしてくれようとは。

 こと、その瞬間だけはアルベルティーナの瞳も、目の前の伯父にも負けず劣らず、小さな仔犬のようにきらきらしていたかも知れなかった。

 なんだかこれまで、彼にはひどく気を使わせたり、嫌われたりしているのではないかと思わなくもなかったけれども、それはどうやらこちらの勝手な杞憂に過ぎなかったようだ。


「そ、そそ、そうにござりますとも、陛下! アルベルティーナ様はもう、小さな幼い姫君ではございませんのですから……! かようにご立派な貴婦人に対してそのようなご無礼、絶対になりませんぞっ……!」

 脇に立っていた老人も、慌ててそう口添えをしてくれた。

「まこと、申し訳もなきことでございました。では、皆々さま、どうぞごゆるりとお過ごしくださりませ。少し落ち着かれましたところで、改めて離宮のほうへご案内させまする。さあ陛下、参りますぞ……」


 老人は、王の側近でヤーコブという名なのだと自ら名乗った。

 そして、「え〜? 嘘や〜ん、まだええや〜ん!」と顔じゅうで大いに不平を鳴らしている己が主君の襟首をつかまんばかりに、小さな体で主を引きずるようにして、早々に部屋から出て行ったのだった。

 あのご老人、どうやら毎日あんな調子で、あのちょっと元気すぎる主君に振り回されているらしい。


 部屋の中は、アルベルティーナたちと兵士ら数名が残って、嵐の後の静けさよろしく、しばらくしんとした。

 やがて。


「……ぷ」


 誰からともなく、くすくすと小さな笑いが湧き起こって、それはあっという間に部屋じゅうに伝播した。

「あは、あははは……」

 アルベルティーナもエーリッヒも、周囲のほかの女官らや武官らも、ちょっと涙を滲ませて、腹を抱えて笑ってしまった。エーリッヒなどはもう寝台のうえでころころ転がり、足をばたつかせ、おなかを抱えて笑っている。


 そして。

 ふと、自分の傍らを見やって、アルベルティーナは息を飲んだ。

 さすがに周囲の皆のような大笑いはしていなかったが、楽しげなかれらの様子を見ながら、レオンも柔らかな表情をしていたからだ。


 レオンが、笑っている……!


 それも、なんだかとても穏やかで優しそうな表情で。

 それは、彼女が今まで見たこともないような、明るく温かな笑みだった。

 しかし、あんまりびっくりして思わずじっと凝視してしまったのがいけなかった。

 彼は彼女の視線に気付いた途端、そのとても素敵な表情を、いつもの精悍でやや無表情にみえる顔の下にあっという間に隠してしまったのだ。それはまるで、さきほどの表情かおなどなかったとでも言わんばかりだった。


 その時、それに気付いたのは、その場でアルベルティーナただひとりだった。

 それ以降、彼女が彼のそんな表情かおを見たことはない。

 ……もう、ずっと。


 その後、緊張の連続となったあの「親睦の宴」の顛末のためもあって、他のみなも、とてもそんな気分にならなかったことも大きかった。


 その騒ぎの大本ともいうべきあの少年が王都にやってきたのは、そこからさらに三日後のことである。


 火竜の国、ニーダーブレンネンの第三王子、アレクシス。

 二人の運命をその後大きく狂わせることになる男。

 彼との邂逅は、もう目前に迫っていたのだった。

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