峻別の王Ⅵ
「アンタはもう人間界に帰りたくないの?」
テーブルいっぱいのお菓子の山はまさに人間界のもの。懐かしいという感覚を感じないわけでもない。でもそれだって結局こうしてここでも手に入るし、戻ればタナシアはいない。
その二つを天秤にかけて、手に入るかわからないタナシアと必ず手に入るあの退屈だが平和な日常を比べている。答えはまだ出ていない。
「別に資格を取ったからといって死神になれってわけじゃないらしいが」
「それでも死神になったら」
「人間界に生まれ変わることはできない。それも聞いたよ」
まるで他人事のように答えた。
「元いた生活に未練はないの?」
「ない、とは言わない。ただ、ここも悪くないと思ってる。」
四十人が詰め込まれた狭い教室の中でさえ竜也は孤独だった。それが一人きりでこんな暗い場所に閉じ込められていた方が誰かとの繋がりを強く感じられるとは思ってもいなかった。
人との交わりに嫌気が差して飛び込んだら先で、人のような人でないものとこうしてテーブルを囲んでお菓子を食べることがこんなに楽しく思えるとは。
「お前はどう思う?」
「私に聞かないでよ。勝手にすれば」
タナシアは結局竜也の方を向かないまま空になった紙包みを折ったり捻ったりしながら、興味なさそうに答えている。もう竜也にとってそれは悪いことではなかった。人を信じられないと言っておきながらどこかで竜也を他の人間と一緒に出来ない。それが透けて見えるくらいにはタナシアが素直だとわかっている。
「でも実際問題、勝手にとはいきませんよ」
事の成り行きを見守っていたフィニーが口を開いた。手元にはタナシアの数倍の空の包み紙が置かれている。さすがに食べ過ぎだろうとは思ったが、口には出せなかった。
「なんでよ?」
「だってタナちゃんの監督役ということは本人が試験を受けてくれないと困りますから」
「別にコイツが勝手に一人で試験受けちゃえばいいでしょ? 私は受けないわよ」
「いや、タナシアを合格させれば俺も合格らしいぞ」
聞いた瞬間、タナシアは机に両手を叩きつけて立ち上がる。はぁー!? という驚愕と呆れと怒りが混じった甘い砂糖風味の声が裁きの間の中庭に
「竜也は人間だ。勝手に天界人でもない奴を試験に放り込むなんて不可能だ。あの二人はここまでならやれるというギリギリに手を出すことはよくわかっているだろう?」
シェイドが淡々と告げる。こちらは満足したのか既にお菓子を食べる手は止まっているが、やはり手元の空になった包みの数は簡単には数え切れない。死神とて乙女。人間のように太る心配もなければ心ゆくまで甘いものを食べてしまうものか。
「いい機会じゃありませんか。タナちゃんは受けさえすれば合格確実なんですから。それに特級に上がったところで今とさしてお仕事が変わるわけじゃありませんし」
「変わるわよ! 特級になったら人間界への出張が出来るようになっちゃうじゃない。それが嫌だから私は取りたくないの」
「今日その人間界に遊びに行ってたのはどこのどいつだよ……」
もう半分くらいになったお菓子の山を眺めながら、一日東京観光を楽しんだであろうタナシアに溜息をつく。この状況を見て誰がそんな言葉を信じるというのか。
「今日はフィニーに連れて行かれたから仕方なく行ったのよ。昨日の罰ゲームがどうたら、とか言われて」
「でもとっても楽しそうだったじゃないですか」
「そりゃ久しぶりだったし、悪くはなかったけど……仕事で行くのはまた別でしょ。人間と接触することだってあるんだし」
タナシアは頑として譲らない。認めない。まるで認めてしまったら自分が変わってしまうと恐れているようだった。イグニスからの提案を先送りにした竜也のように彼女もまた手の届くものを何でも掴むことを恐れている。
「ちなみに試験っていつなんだ?」
「明後日だ」
「すぐじゃねぇか」
よく考えてからでも、と慰めようとしたが、それは出来そうにない。
「最初は筆記試験ですからそんなに難しくないですよ。今日のお出かけもいい勉強になったでしょうし」
フィニーが後押しのように言うが、その先はタナシアにとって行くべき道かただの崖かは竜也にはまだ判別がつかない。
「もう、この話はおしまい! 私もう戻るから」
周りに味方はいないと悟ったタナシアが三人の勧めに反発するように立ち上がった。手にはまだ食べ足りないらしくお菓子をいくつか握っている。
「おい」
「うるさい! 私は絶対嫌だからね」
小さな体を振り回して走っていく。途中で零したお菓子の一つに気を取られて足がもつれるのが見えた。タナシアは階段の最後の段を盛大に踏み外し、顔から石畳に着地する。
涙目でこちらを睨みつけたが、場が場なだけに誰も口を開けない。
タナシアが走り去ったのを確認してから三人はそれぞれに息をつく。
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