峻別の王Ⅱ

「お前、本当に死んでみる気はないか?」

「は、はひ?」

 漏れ出た声がかろうじて言葉になった。情けない声に恥ずかしがる余裕もない。竜也もこれがいつものクラスメイトの戯言ざれごとなら心の中で怒りつつも乾いた愛想笑いで流すことも出来ただろう。

 ただ今回は相手が悪い。目の前で今まさに竜也に死をそそのかしたのは死を司る天界の閻魔王。簡単に聞き流せるような話ではない。

「あの、キスター様。さすがにそれは彼も混乱するのでは?」

 イグニスすらフォローに回るほど、竜也はうろたえているらしかった。どこか余裕の感じられる微笑は消え、竜也のプライドを気遣ってか直視しないように視線を泳がせている。キスターはまったく気にしない様子でそうか、と首をかしげた。

「じゃあイグニス、説明は任せた」

「はい、承ります」

 いつものことらしく、イグニスはさして驚くこともなく未だ呆然として微動だにしない竜也の肩を叩く。

「はっ!」

「大丈夫ですか?」

「いや、なんだろうな。電車に飛び込んだときは何も考えてなかったのに、ここに来てから妙に死ぬのが怖いんだ」

「それが、生きたいということなのでは?」

 イグニスの言葉に竜也はすぐに返事が出来なかった。

「それではキスター様の今の話ですが、言い換えるならこちら、天界にそのまま残ってはいかがか、ということです」

 竜也の答えを待たずにイグニスは話し始める。その言葉を半分聞き流しながら、竜也はまだ自分の中にある始めての恐怖を消化できないでいる。

「人間界の発展に伴って人間界に返りたがる者が増えているのです。もちろん霊体である我々からも新しい人格は誕生しますが、それでも残るものはわずかです。そこで人間界から来たあなたを死神にスカウトしようというわけです」

「俺が、死神に?」

 イグニスの言葉を繰り返してみる。実感は少しも湧かないが、どうしてかその言葉がとても魅力的に聞こえた。

「少し誤解しているかもしれませんが、我々が名乗っている死神というのは、人間界の伝承にある種族のことではありません。人の死を管理し天界での処遇を決める役職なのです。もちろん竜也にも試験さえ受かればなることはできますよ」

「で、その試験っていうのは?」

「おう、意外と乗り気じゃねぇか」

 竜也の反応にキスターがぐいと身を乗り出す。それだけで竜也よりも頭二つ分も高い山が動くわけで目の前に座る竜也は思わず身を仰け反らせた。

「基本的には筆記試験と実技試験に分けて行われます。今のあなたは裁きの間での審議中ですから本来参加はできませんが、今回我々の力で少しだけ別の方法を用意しました」

 にやりと笑って二人は視線を合わせる。竜也が小学生の時によく見た顔だった。

 竜也に何かちょっかいを出そうと企んでいる時の顔だ。この顔を見た後には何かが起きる。幼いながらに身を守る術として身に付けたものだった。

 簡単に乗ってしまっていいんだろうか。冷静な自分が問いかける。

 構わないさ。どうせ決定権は向こうにある。諦めたように竜也は頭の中で呟いた。

「で、その内容は?」

「タナシアの試験に付き合うこと、です」

「はぁ? 俺はあいつの保護者か何かか?」

「いえいえ、どちらかというと監視兼同行者といったところでしょうかね」

 企み顔の二人は竜也に気取られているのを知ってか知らずか、隠す様子もなく口角を吊り上げている。今更取繕とりつくろわれても困る竜也もそれを気にも留めずにイグニスの言葉を待った。

「実はもうすぐタナシアの昇級試験がありましてね。もう四回ほどすっぽかされているのですが。そろそろ真面目に受けてもらわないと私の立場も危うくなるものでして」

「はいはい、御託ごたくはいい」

 とってつけたようなイグニスの言い訳を右手で扇いだ。邪魔な言葉は話をうやむやにしてしまうだけだ。もう相手の要求は飲むと決めた。ならば竜也が知るべきことは自分の役割と相手の目的だけだ。

「あなたをタナシアの試験に同行してもらって、タナシアが合格すればあなたも合格、ということにしましょう。もちろんタナシアを手助けしてもらって構いません。彼女の合格はあなたの合格ですから」

「それだけか? そのくらいならお前がやった方があいつも逃げないんじゃないか?」

「あなたが適役だと判断したまでです。私は口出しできませんし」

「わかった。それでいい」

 未だに何かを隠していそうなイグニスの言葉をわかっていながら、竜也はそこで話を区切った。言い渋るなら時間の無駄だ。立場は向こうの方が上なんだから延々とはぐらかされるに決まっている。それならば今心の中にあるざわつきの正体を探していたほうが有益と言うものだ。

 竜也の快諾を受けた二人は相当拍子抜けしたらしく、きょとんとした顔で竜也を不思議そうに見つめていたが、用が済んだのか二人揃って立ち上がった。

「おいおい、タナシアの代わりに来たんじゃなかったのか?」

「もちろんですよ。せっかくこの狭苦しい庭から解放されたんですからちょっとお出掛けでも行きましょう」

 どうせなら女の子が、それこそタナシアやフィニーに案内してもらいたい。男三人で古城を歩くのはどうもいい気分がしない。そんな内心はともかく断れるわけもない竜也は二人に続いて立ち上がる。

「それ大丈夫なのかよ」

「俺がついてるんだから大丈夫だろ。何かあったらごまかしてやる」

「ルールには違反してるんだな……」

 頼りになるのかならないのかわからないキスターの自信のある一言に竜也は思わず溜息をつく。それなのに息を吐き終えた竜也の頬は緩んだように膨らんでいた。

 少しも変化していないはずの闇色の空がまた少し明るくなったように思う。タナシアの魔法が解けたせいだろうか、と先を歩き始めた二人に控えめについていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る