一章

裁きの檻Ⅰ

 開いた目に映った天蓋てんがいを見て、竜也は昨日の出来事が夢ではなかったと理解した。肉体を離れ精神のみの存在になったが、やはり人は眠らないと思考がパンクするものらしい。

 希望に沿った寝具を何でも用意すると言われて、竜也が希望したのは洋画とアニメでしか見たことのない天蓋付きのベッドだった。古城のようなこの空間にはなかなかおもむきが似合っている。

 もちろん竜也が普段こんなベッドで寝ていたというわけではない。まるで月も星もない夜空のような壁と天井に囲まれていては不安で眠れそうになかったからだ。

「やっぱり変わらなかったか」

 薄いカーテンをめくった先は変わらず薄暗く夜空色の壁面が竜也を見つめている。時間が経てば夜が明けるようにこの薄気味悪い空の色も変わってくれるかと思っていたが、そうはいってくれないらしい。

「どうだ、よく眠れたか?」

「そうだな、まぁまぁってところかな」

 どこかから帰ってきたらしいシェイドに声をかけられる。昨日のメイド服ではなく、今はジャージ姿。肉体がないということだからトレーニングなんて意味はなさそうだが、趣味として何か運動でもしているようだ。

 根っからの運動嫌いの竜也には意味もなく体を動かすなんて考えたくもない。出来ることなら今すぐここに机とパソコンを用意して日がな一日眺めていたいくらいだ。

「少しは体を動かしてみたらどうだ? 意外と頭がすっきりするぞ」

「閉じ込められててどうしろって言うんだよ」

 ワンルームマンションの一室くらいの広さがあるこの魔法陣の中ではあるが、すでに天蓋付きの大仰おおぎょうなベッドが置かれているし走り回るには狭すぎる。何か器材があるわけでもないし、簡単に体を動かすと言われても竜也には何も思い浮かばなかった。思い浮かんだところで竜也自身は体を動かす気などさらさらないのだが。

「まぁ、それもそうか」

 納得したようにシェイドは息を吐いた。どうやら竜也の運動嫌いを一瞬にして見抜いたらしかった。自分の一番好きな部分というのは相手が嫌いかどうか驚くほど簡単にわかるものだ。

「そういえばタナシアは?」

「相変わらずふてくされている。審判の対象がここに来たらいつもああだ」

「いつも、ってことは結構長いのか?」

「私はここでは一番の新参者だから詳しくは知らん。だが少なくとも私が来た三年前にはもうあの状態だったな」

 三年職務放棄って、と竜也は呆れて顔が歪んだ。いったいどんな職場ならそんな状態を放っておくのか。少なくとも日本ではありえない光景だろう。初対面からして態度が子供っぽかったが、性格も根本的なところまで子供のようだ。

 天使は天真爛漫てんしんらんまんなものとはいえ、実際に遭遇すると意外と呆れてしまうというか、何か残念なものを見た気持ちになる。

「ただ今回は少し機嫌がいい方だぞ。お前のおかげだろうな」

「俺の? どうして?」

「じめじめした陰湿な感じはないからな。私も久しぶりに人らしい人を見た」

 ここは暗い人間ばかり来て困る、とシェイドは首を振る。フィニーも言っていたが、ここに来る人間はほとんどが若くして病気や自殺によって命を落とした者が集まってくる場所。それぞれに何か心に闇が巣食っているような者ばかりだ。その中で竜也は天使の存在を求めて迷い込んだ異端者だ。

「とにかくここにタナシアを呼んだりできないのか? 俺はここから出られないんだろ?」

「結界はタナシアがかけたものだからな。私たちには取り外せない。まぁ、心配せずともそのうち顔を見せるさ」

 そのうちというのが期限に定められた一週間に間に合うのか。フィニーもシェイドもどこか確信めいた様子で話しているが、昨日のタナシアの態度を見る限り竜也にはどこか機嫌がいいと言うのかまったく理解ができない。

 立ち去ろうとしたシェイドが魔法陣から足を出す。

 その瞬間に小さく何かがぶつかる音がした。

「痛っ、私も少し乱れているな」

「どうしたんだ?」

 額を抑えたシェイドに問いかけるが、なんでもないと答える代わりに右手を振ってそのまま立ち去った。シェイドが通った場所には当然に何もぶつけるようなものはない。ただ昨日フィニーに教わったとおり竜也を閉じ込める魔法陣があるだけだ。

 立ち話で疲れた足を休めるためにベッドの端に腰を下ろす。シェイドはフィニーが昨日歩いていった方とは違う廊下に消えていった。死神を名乗った彼女たちにはこの薄暗い空間でもはっきりと先が見えているようだが、竜也にはほんの数メートル先からさっぱり奥が見えてこない。

「暇だな」

 いっそ惰眠だみんもさぼってみようかとも思う。どうせ自分にできることなどここにはない。

 学校なんて、勉強なんて、宿題なんて。

 いつもはそう感じていた日々の事柄も手元から零れ落ちていくと急に大切なものだったように思えてくる。

 竜也はベッドに身を預けるように体を倒した。フィニーが用意してくれたベッドは相当いいもののようで柔らかすぎて不安になるほどだ。

「おや、ふて寝ですか? 面白い人間がいると聞いてきたのですが」

 その声に竜也は寝かせたばかりの体を跳ね上げた。未だに聞いたことのない声。少し高いが男のもののようだ。丁寧な言葉遣いの割にはどこか自信ありげで優越感の色が混じっていて竜也はあまり好きになれなかった。

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