第59話
奈護屋でも有数の繁華街である羅刹区錦。
壁のように並ぶ高いビルに沿って、鮮やかなネオンの文字が輝き、プロジェクションマッピングが道路やビル、そこらじゅうを照らして非日常を演出している。
スーツを着たお兄さんや、鮮やかな色のドレスを身に纏った綺麗なお姉さんが行き交うギラギラしたオトナの街だが、昼間の現在は閑散としている。どの店も閉まっており、光のかけらも落ちていない。
「現場百遍とは、主に刑事が使う言葉です。正式には刑事と敵対する我々が使う言葉ではありませんよ」
「もう、細かいコト気にすんなってぇ」
「いえ、言葉は正しく使うべきです」
荘子達スカムズは、カラオケに行こうとして間違って錦に迷い込んでしまった女子高生を演じていた。
ちょうど、易弥が転落したとされるビルの真下を通りかかったが、荘子達は立ち止まらず、そのまま現場を通過する。
「ここの9階から落下したようです。事件当時、易弥は泥酔していたとされ、検死でも大量のアルコールが検出された」
荘子は、父のPCから拝借した資料の内容を思い出し、説明する。
「一緒に飲んでた人はいるべか?」
「1人で、9階の店舗に入っているクラブで飲んでいたとされています」
「こんなところに1人で飲みにくるなんて随分ませた大学生だにゃあ」
荘子は一瞬、9階の非常階段に視線を移した。手すりの高さが、胸の辺りまである。あそこから落下するには、大きく身をのり出さなくてはならない。
荘子達は現場のビルの角を曲がると、すぐそばにあったカラオケ店に入った。時間を指定し、ソフトドリンクの飲み放題を頼み、案内された203号室に入る。
部屋に入るとすぐ、マキナと志庵がマイクを手に取り、デンモクの奪い合いを始めた。
「マキナが最初に取ったんだ」
「なに言ってるにゃ、みぃのが先に歌うにゃ。マキナは変な叫ぶやつばっか歌うから嫌にゃ」
「あれはデスボイスっていって立派な歌唱法だ!」
言い争う2人を尻目に、なづきは鞄からポータブルゲーム機を出すと、デンモクのアプリを起動させ、曲を選択し、予約した。
部屋のスピーカーからは、4つ打ちのリズムとカオスな電子音の旋律が流れ始める。
「な、なづき、このやろぉ〜」
「ふっ、甘いぞ。常に作戦に備えておくのがプロだ」
なづきは立ったまま、身体を左右に揺らしリズムを取り、早口でラップともシャウトともつかない謎の歌を歌い始めた。
相変わらず、志庵はなづきからマイクを奪い取ろうと必死になっている。
マキナは諦めて、荘子の向かい側のソファーにどっと腰掛けた。
「荘子は歌わねぇんか?」
荘子はじっとポータブルPCの画面に視線を落としている。
「易弥さんを殺害した犯罪者を始末したら、歌います」
「ホント真面目だなぁ」
マキナは、ガラスのコップに注がれているメロンソーダを一口、ストローで啜って飲んだ。
「ネットで探しても出てこねぇなら、足を使って調べてみるか!」
「足を使う……、ですか。なんか、それも刑事みたいですよ」
そう言って荘子は微笑んだ。
「これが、足を使うという事なんですか?」
荘子は、茶髪ロングで緩くパーマのかかったウィッグを頭に被り、人生初であるギャルメイクをその小さい顔に施し、これまた普段全く着ないような露出の多い服装をして、プリンセス大通りと書かれたネオンが輝く大きなアーチの下に立っていた。
「見まごう事なきギャル! やっぱ素材が良いと何でも似合うんだなぁ」
そう言うマキナは、耳の辺りからクロワッサンを下げているような、通称名古屋巻きと言われるヘアースタイルを完璧にきめて、こちらもバッチリギャルメイクをして元の顔が分からないようになっている。
「志庵となづきは来なくて良かったんですか?」
「あぁ、あの2人はお留守番だ! クラブに潜入するって言ったら、なづきがワンレンボディコンのバブリーな格好をし始めたから志庵と一緒に置いてきた!」
なづきは、荘子に負けず劣らずの昔気質なお堅い性格をしている。それ故なのか、夜の街と聞いたらバブリーな昭和なイメージを思い浮かべたらしい。
なづきは、たまに天然なところを見せる。
「それじゃ、行くべ!」
マキナは拳を握った手を天に掲げて、これから夜の街に繰り出す若い娘を演じて(実際はそれよりももっと若い年齢なのだが)錦に向かった。
スキンヘッドの怖いお兄さんの視線をかわし、鮮やかな色彩のドレスを着たお姉さんの横をすり抜け、易弥が転落した雑居ビルにたどり着いた。狭いエレベーターに乗り、9階と書かれたガタついている丸いボタンを押す。エレベーターは少し頼りなさげに上昇し、9階に荘子とマキナを運んだ。
9階に着き、エレベーターの扉が開く。
すると、1人の男性が立っていた。大学生くらいの若い男性だ。カーキ色のコートを着て、コートのポケットに手を突っ込んでいる。
男性は何かを考え込むように俯いたまま、荘子達とすれ違い、エレベーターの中に入って行った。荘子達はそのまま通路を進み、クラブ『巨神兵』の黒い扉の前に立った。
「覚悟はいいべ?」
「大丈夫です」
荘子は、居酒屋はもちろん、クラブなどという大人の世界に足を踏み入れた事はなかった。
しかし、殺人現場という、一般市民から見れば異世界レベルの非日常を多数経験している為、それほど緊張するという事はなかった。黒い扉に取り付けられた金メッキの取っ手を掴み、ゆっくりと扉を開ける。
扉を開くと、激しいビートにのって鋭いラップ・ミュージックが鼓膜を振動させる。入り口のすぐそこは黒い壁になっており、1人、若いボーイが立っていた。
「いらっしゃませ」
清潔感のある若いボーイは笑顔で荘子達を迎え入れ、店内に案内してくれた。
パープルの怪しいライトで照らされた薄暗い店内は、思っていたよりも広く、ホールには丸テーブルがいくつか並び、奥にはL字型のカウンターがある。土曜の夜という事もあり、店内はわりと混んでいる。
荘子とマキナはカウンターに案内された。
「ごゆっくり」
ボーイはそう言って微笑み、また入り口の方に歩いて行った。
「ご注文はいかがいたしますか?」
カウンターの中にいたバーテンが話しかけてきた。同時に、荘子達の目の前にデジタルのメニュー表が表紙された。
バーテンも、20代後半くらいの若い男性だった。一見した感じ、この店のスタッフの感じはよかった。よく教育されているのかもしれない。しかし、油断は出来ない。易弥は、転落する前にこの店に居た。易弥の死亡には、この店が関わっていないとも言い切れない。
「じゃあ、ワタシはトム・コリンズ」
マキナは少しいつもと違う調子で言った。
『未成年なのにお酒飲むんですか?』
荘子は厳しい視線でマキナを問い詰める。
『大丈夫だって、身分証も偽造したの持ってるし』
『そういう問題ではなくて……』
『お酒も飲めないようじゃ、暗殺者はやっていけねぇぞ』
マキナはニヤリと笑って言った。荘子は少しムスッとして言った。
「わたしはカティーサークをオンザロックで」
『ウ、ウイスキー!? ロック!?』
「かしこまりました」
注文を聞いたバーテンは、すぐにカクテルの調合に取り掛かった。
『大丈夫か、ウイスキーなんか飲んで』
『洋酒はあまり飲まないのですが、よく父の晩酌に付き合って日本酒を飲んでいるのでアルコールには慣れています』
『け、刑事部長殿……』
バーテンがカクテルを作る所作は、芸術的とも言える。鮮やかな手さばきに、不思議と魅入ってしまう。
『いつも、こうやって調査をしていたんですか?』
『あぁ、そうだよ。通り魔とかだったら分かりやすいんだけど、こうやって犯罪者を探し出す場合は、間違いは許されない。だから、徹底的に調べた後、犯人がそいつだという決定的で確定的な証拠を見つけてから、殺す』
「トム・コリンズと、カティーサークのオンザロックです」
バーテンはお酒と、小皿に盛られたナッツを出してくれた。
「ありがとう」
荘子とマキナは、同じような動作でグラスを傾け、酒を一口、喉に流し込んだ。
『とても、タロウさん(店内では易弥の事をこう呼ぶ事にした)が1人で来るようなお店とは思えませんね』
『あぁ、きっとなにかあったんだ』
「ねぇ、君たち」
突然、荘子とマキナの隣りの席に男が2人現れた。両方とも若い、いかにもなチャラ男だ。
「一緒に飲まない?」
きた——こいつがこのクラブの常連なら、何か知ってるかもしれない。
「いいよ」
そう言ってマキナは微笑んだ。4人はホールにあるテーブル席に移動した。
「どこから来たの?」
チャラ男のどうでもいい問いに、適当に答える。そして、自然な流れで易弥の話題を持ち出す。
「このお店にはよく来るの?」
「来る来る、まぁ俺の店みたいなもんだから、ハハハ」
「そうなんだ、でも死亡事故があったんでしょ、怖くない?」
「あぁ——」
一瞬、チャラ男達の表情が曇ったのを見逃さなかった。何か、知っている。
「あれはただの事故だって、この店には関係ない! さ、飲も飲も!」
「そうだね」
それ以降、チャラ男達は事件に関係ありそうな事は話さなかった。次のお店に行こうというしつこい誘いを断り、荘子とマキナは店を出た。
「ありがとうございましたー!」
店を出ると、冷気が吹き付け、一気に酔いが冷める感じがした。
通路を歩き、エレベーターの前まで行くと、エレベーターから3人組の男性が降りて来た。
易弥と同じ歳くらいの、大学生だろうか。左右の男性はストリート系の服装で、真ん中の男性だけは上質なブランドもののスーツを着ていた。育ちが良さそうな雰囲気がした。
3人は毎日が日曜日というような表情で騒ぎながら店に入っていった。
「タダカ様、お持ちしておりました」
「おう、ごくろう! ぎゃはははは」
彼らも常連なのだろうか、慣れた足取りで店に入って行った。
荘子達はエレベーターに乗らず、その手前にある階段の踊り場に行き、パイプ状の手摺から階下を見下ろした。
ここから、易弥は落下したのだ。
荘子は踊り場の様子を見回した。天井に、監視カメラが備え付けられていた。
「荘子、下見て」
マキナの声で下を見おろすと、ビルの向かい側から、こちらを見上げる男がいた。
最初エレベーターですれ違った、カーキ色のコートを来た男性だった。
「あの男性……」
「ここに来る時にもいたな」
男性は、荘子達と目が合うとすぐに視線を逸らし、ビルから離れていった。
「何か知ってるな、アイツ。拉致ろう」
「拉致る? 拉致るってどういうことですか?」
「ちょっとお話しを聞くだけだべ」
そう言うと、マキナはサマンサ・タバサのバッグからスマホを取り出し、電話をかけた。
「志庵、話しを聞きたいヤツがいっから、車出してくれ」
『あいよ』と志庵の声が返事をする。
「なづきに、バブリーな格好で来るなって伝えてくれ」
『黙れ』
なづきの声で、通話は切れた。
荘子達はビルを出て、カーキ色のコートを来た男性のあとをつけた。
男性の後ろについて歩いていると、いつの間にか志庵が運転するフォルクスワーゲン・タイプ2がゆっくりと荘子達の後について来ていた。
『あの男、完全な素人だべな。尾行に全く気づいていない』
人通りのない暗い路地に差し掛かった所で、マキナが車のステアリングを握っている志庵に手で合図した。
『荘子、いくぞ』
『はい』
マキナはそっと男性の背後に近づき、手刀で男性の首を打った。
瞬間的に男性が意識を失い倒れ込むところを、荘子が支えた。
そして、すかさず車が横につき、ドアが開くと、なづきが降り、3人で男性を抱えて車の中に放り込んだ。車は素早く走り去った。
人知れず都会をさまよう野良猫ですら、その様子を目撃することはなかった。
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