第3話





 駅を出ると、荘子が通う京立奈護屋高校までは徒歩で10分ほどだ。京内でも有数の進学校である。



 荘子は、立派な煉瓦造りの校門をくぐり、部活の朝練に勤しむ生徒達の間を抜け、真っ直ぐに教室に向かった。朝早く登校して、教室で読書をするのが荘子の日課だった。




 教室には、まだ誰もいない。自分の席に着くと、ポール・スミスの鞄から本を取り出し、ローマ字で埋め尽くされたページを開く。荘子はそのまま、文字の世界に沈んでいく。








「荘子」


 自分の名を呼ぶ声で、意識がもとの世界に引き戻される。いつの間にか、静かだった教室は生徒で溢れ、喧騒の中にあった。どうやら、読書に集中し過ぎたようだ。



「ごめん、どうしたの?」



 荘子は本をパタンと閉じる。

話しかけてきたのは、クラスでも仲の良い清里萌だった。前髪をきちっと横分けし、銀縁メガネをかけた賢そうな娘だ。事実、主席の荘子に次いで成績が良い。



「まだ千聖が来てないんだけど、知らない?」


「知らないな」



 高橋千聖ちせい


 これまた仲の良いクラスメートである。おっとりとした性格で、周りを和ませる癒し系だ。


 荘子は、胸のポケットからスマホを取り出して、着信が無いか確認する。



「連絡ない」


「どうしたんだろう」


 確かに、もうホームルームが始まる時間だ。この時間に教室にいないのは、少し気になる。



「まぁ、千聖はのんびりしているから……」



 そう言いかけて、荘子は教室の入り口に視線を移した。



「来た」



 その声で、萌も教室の入り口を見る。そこには、息を切らしてドアにもたれかかる千聖がいた。



「あ、ホントだ」



 千聖は、ふらふらしながら机と机の間を縫い、荘子と萌に近づいてきた。



「はぁはぁ……おはよ」



 そう言いながら荘子の机に両手をついた。



「おはよう」


「どうしたのよ」



 萌は手を組んだ姿勢で尋ねる。



「ちょっと待って」



 そう言うと、千聖は鞄の中から小さめのピンクの水筒を取り出し、一口飲んだ。



「はぁ……、緑茶落ち着く」


「で、どうしたのよ」


「それがさぁ、電車で人身事故があって」



 千聖は、手を振って近所のおばさんのような仕草をして言った。



「それで一駅手前で電車が止まっちゃったのよ」



 両手で大きな円を描いて大変さをアピールする千聖。だが荘子も萌も別段驚かない。




 人身事故――電車への飛び込みはよくある事なのだ。



「電車はすぐに動いたの?」


「全然! 待ってられなくて走って来ちゃったわよ」


「走って来たって……、一駅分?」



 そのタフさには荘子も見習いたいと思うところである。



「そうそう、それで飛び込んだ人は中年のサラリーマンらしいんだけど――」



 と言いかけたところで、



「さぁ、みんな席に着いてー!」



 担任の宮部先生が教室に入って来た。



「ちぇっ」と恨めしそうな顔をして千聖は自分の席に向かった。萌も、荘子に微笑みかけて自分の席に着いた。





 いつも通りの、いつもと同じ1日が始まる。








 ……はずだった。

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