08/04/14:00――サクヤ・料理人の務め

 未だにどの大陸においても、魚を食す文化というのは、浸透していない。

 保存食としては、おそらく低温で管理すれば問題ないだろうが、そもそも低温管理そのものが困難であり、であるのならば輸送には適さない。まあつまり、港近くの宿場くらいでしか振る舞われることはないし、そもそも寄港した船ならば、途中で釣りでもすれば手に入られ――言っては何だが、船乗りとしては逆に飽きた味になってしまう。

 そういう点において、サクヤ・白舟びゃくしゅうはもったいないと、そう思うのだ。

 まず、魚と一括りにするが、この海には多くの種類が存在する。その種類によって、適した料理方法があり、更に言えば使う調味料でもの凄く幅広い料理が作れてしまうのだ。もちろん口に合う、合わないはあるにせよ、そこには可能性がある。

 だがその大前提として、魚を知らなくてはならないし、魚に合わせた料理を見つけなくてはならない。

 そのため、サクヤは魚専用のレシピ帳を用意した。それほど得意ではないにせよ、魚の外見的特徴なども図面に起こし――ハクナにも教えてもらった――半ば図鑑のようなものを作っているのだ。今ではもう、結構な数である。

「というかな……フルール」

「な、なんだいサクヤ。ボクがなにかしたかい? ははは、今日は良い天気だ」

「八月にもなると暑いけど、大声でそれを言うと、涼しくなるからってサラサが海へ落とすから気を付けろ。そうじゃなくてだな……」

「う、うむ、ボクも実は、そこはかとなく、そう、気にしているというかな?」

「どう考えてもお前、釣りがド下手だろ。俺なんか釣れたの選んで、リリースもしてんのに、餌用の小魚しか釣れてないよな……」

「そ、そうとも! ちゃんと餌にする魚は釣れているんだ」

「俺の半分以下だけどな」

「ぬぐ……! いやいや、しかしなサクヤ、釣れないわけではないんだ。そうとも、ちゃんと釣れてはいる」

「で、その小魚を餌にして、全部食われてるだろ」

「く――食われているということは! 魚はいるということの証左だろう⁉」

「釣りが下手だっていう証左だな。魚はいるんだから。俺も釣れてる」

「まだだ……まだ、ボクは負けを認めないぞ!」

 ここ三日くらい同じ様子なのだが、まあ放っておけばいいだろう。

 視線を竿先から、更に遠くへと移せば、海の上で三人が鍛錬というか、訓練をしていた。毎日、昼過ぎの時間帯からやり、終了時間はさまざまだけれど、日課となっている。海という不安定な足場に立つことすら難しいサラサとギィールが、二人でチィマに挑んでいるが、素人目で見ても、チィマはかなり余裕そうだ。

 それでもここ数日で、サラサは海の上で動くぶんには、なんの問題もなくなった。といっても裏技というか、海を統べる者、海王竜リヴァイアサンの力を借りたらしいけれど。

 対してギィールは、衝撃用法の応用を試行錯誤しているらしいが、やはり海という波が発生する不安定さに対し、突発的な状況には対応が遅れるようだ。しかも、その〝遅れ〟さえ、チィマが作っているような戦闘をしているのだから、呆れもする。

 適時、罠を作ってそれに誘導するような作戦ではない。状況、状況にいちいち対応して結果的に罠になっていた、というのがサクヤの印象である。先読みではなく、なんだかチィマの視界に映っているものが、二人には見えていない――のか。

「フルールには、見えてんのか、あれ」

「ん? ああ、釣りをしている最中は、いかに魚を騙すか、本気の勝負をしているからな」

「本気でそれかよ……」

「釣果がまだ釣り合っていないだけだ! 見てろ、そのうちに大物を釣り上げてやる!」

「期待はしないでおいてやる。んで?」

「情報を集めて術式で仮想構築はしている。ボクにとっては情報そのものが重要であって、認識の差というのはあまり気にする必要がない」

「認識が必要ないのか?」

「いわゆる無意識で知覚している情報があるからね。たとえばボクは、今こうしてやっている三人を見ても、何がどうなっているのかを理解できていない。チィマが弄んでいるのはわかるけれどね。けれど二度、三度と同じ状況を見れば、ああここで一手使っているとか、そういう詳しい部分も見えてくるだろう? 今は、見えなくても構わない。情報は揃っている。それを仮想構築して、分析を始めるんだよ」

「ふうん? 戦闘そのものを記録だけしといて、あとでそれを見返す感じか?」

「その通りだ。ただし、記録するのは戦闘じゃなくて、個人そのものだよ。あの三人の技量、性格、そういった個人情報を集めておいて、三人を仮想構築して戦闘をさせる――という感じだね。なかなか面白いよ」

「つーことは、分析特化なのか?」

「ああいや、それは大前提だ。ボクの領分は未来予想にある」

「……分析した情報をもとに、可能性を作る?」

「はは、さすがに理解が早いな。可能性とは言っても、ボクが作るのは一個世界だ。小さいけれどね。簡単に言えば、現状の三人が〝殺し合い〟をする可能性を術式で作り、ボクは体験することができる」

「体験? 俯瞰じゃなく?」

「一個世界なんだよ、ボク自身の存在もそこに在る。ともすれば――それが〝現実〟ではないのかと、錯覚するくらいにね。もっとも、現実ではほんの数秒でも、一時間くらいは向こうで過ごせるからね。ボクのように長寿じゃないと難しいのかもしれない」

「なるほどな」

「……これを聞くべきかどうか、あえて先延ばしにしていたけれど、君も魔術師だろう、サクヤ」

「まあな。あいつらは知ってるけど、俺の魔術特性センスは〝環境サイクル〟だ。規模によるけど、特定の環境を生成できる。魚の保存なんか便利だぜ」

「継続させられるのか?」

「どっちかっつーと、特定の〝サイクル〟を作ってやる方が大変だ。スタートからフィニッシュまでを一連として作り、その紐を丸くなるよう結ぶ。そこに魔力を流せば、それをスターターにして、勢いよくぐるぐると回り始めるわけだ。ある程度はそれだけで動く」

「初動の魔力供給である程度決められるわけか。いうなれば循環する形態を作るんだね」

 油で汚れた作業着に、手袋をしたハクナが船室から顔を見せ、一瞥を投げたサクヤは、糸を引き上げながら。

「ま、ハクが今作ってたものと似たようなもんだ」

「あー疲れたー」

「キャラメルでも食ってろ」

 ポケットから取り出した紙包みを渡せば、それを口に入れてどっかり座ったハクナは、手袋を外した。

「どうだ?」

「前提で作ってるから、細かい細工だけ。設計図をシュリに渡しておいて正解だった」

「そうなのかい?」

「あの時点では改良要請。……提案? そんくらい」

「なんだかんだで、海の上も結構長いからな。サラサほどじゃねえけど。乗り心地がどうのってわけじゃないにせよ、要望くらいは出すさ」

「それはわかるが、一体何をしていたんだい?」

「生け簀があればと思ってな。ハク」

「あとは実際に使ってみて、手直しする感じ」

「そか。あとでやるから、今は休んどけ。ご苦労さん」

「ういー」

「なんだか、何もできないボクが役立たずに思えてきたんだが」

「その通り」

「今更疑問に思う価値すらない事実を提示したところで、なんの解決にもならねえよ」

「君たちもどういうわけかボクには厳しいな!」

「え、トカゲってそういう役回りじゃ……」

「ハクナ! それはサラサに感化され過ぎだ!」

「さすがに、そこまでじゃねえだろ。役立たずだけどな」

「――魚まで空気を読んでボクの餌だけを奪っていく始末、どうしてくれよう……⁉」

 糸を巻き上げた先には、小奇麗な針だけが残っていた。

「じゃ、先に見ておくか。強度は充分か?」

「うん。人が入っても大丈夫」

 そうかと、後甲板に移動して、足元の蓋を一つ取る。中は透明の仕切りになっており、足から中に入ると、腰ほどまでの高さで、足元は斜めになっている。やや狭いが入り込めば、すぐ四角形の空間になっていた。ちょうど、船室の真下の位置で、左右を見れば船倉であり、コンテナなどの荷物が置いてある。船倉内部の四分の一程度を使っているので、積載量はやや減るか。

 左右には細い筒が伸びており、口は塞いであるが外から海水を入れられる仕組みになっている。その数は四つ、つまり循環を意識したもの。目を細めてじっくり見れば、小さな網がついており、魚が逃げ出さないような仕組みにもなっている。

 水槽ではないのは、長期的な保存をあまり考えていないからだ。あくまでも数日――魚の種類を統一すれば、しばらくは問題なさそうだが、定期的に餌でも投下しなくてはならないだろう。

 前甲板側の口を見上げれば、ほぼ垂直だ。どちらからでも魚は投入できるが、引き上げるのはこちらから。両方をそうしなかったのは、内部の手入れなどを考慮してのことか。一応、設計図を見せてもらっていたため、予想はしていたが――。

「一定量以上に、海水が入らないような仕組みも、ちゃんとついてるわけか」

 船というのは、表に出ている部分と同じ大きさくらいは、海の中に沈んでいるものだ。特にこの船は荷物運搬を前提としているため、下部は広く大きい。水というのは、それなりに重量があるので、そういう意味でのサイズも考慮されている。さすがはハクナ、といったところか。

 足元や側面を叩くと、乾いたような硬い音が出る。

 一通り見回って、後ろから上へ出て、前へ戻れば、フルールは釣れない竿と格闘中だった。魚と格闘すらさせてもらえていない。

「どう?」

「あとでギィールの強度チェックな。あいつの方が正確だろ」

「んー」

「最初のうちは俺が環境作ってみる。それからは様子見と、試験だな」

「よくわからないんだが、生け簀? というのは?」

「ああ、まあそうか、わからんよな。釣った魚を生かしたまま保管しておく水槽みたいなもんだ。保存しておくって感じか」

「ほう……ちなみに、その思想に至った経緯を教えてくれ」

「魚料理ってのが一般的にならないのは、保存そのものが困難だって点だな。それと、こうやって船を出してても、下手くそなどっかのトカゲじゃないにせよ、釣れない日ってのもあるんだよ。場所によって釣れる魚が違えば、魚がいない場所もある」

「なんだか妙なことを挟まれたような気がするが、ボクの耳が遠くなったので聞こえなくなった――うおっ、いきなり蹴るんじゃないハクナ!」

「うるさいトカゲ。言い訳見苦しい」

「あとはなあ、どうやって陸地の〝中〟にまで、魚を届けるのかって部分だな。レシピの複写は暇な時にやってるし、通りがかった船に渡してるんだが、効果があるのかどうかもなあ……」

「そう聞くと、やや料理人からは過ぎたことをしているんだな?」

「どっかの役立たずのトカゲとは違ってか?」

「まったくそんなトカゲがいたら、ボクが叱ってやるとこ――だから蹴るんじゃないハクナ!」

「あのな、料理人ってのは、作って満足するんじゃなく、誰かに食べてもらわなきゃ駄目なんだよ。で、美味いってんなら、もっと他の連中にもと思うもんだ。地方独自の料理なら気を遣うけどな」

「……海が開かれても、未だにわからんことは多く、近寄らない者も少なくはない。ボクだとて、こうして旅に同行しなければ、まずは陸地をと、海を避けていただろう」

「ま、そこはどうであれ、魚は結構良いんだよな、調味料含みで。ただここに大きい問題があるわけだ」

「そもそも、保存を利かせられないものなのか?」

「いや、魚の種類とかにもよるだろうけど、基本的には凍らせちまえば、比較的長持ちする。鮮度は落ちるが、いわゆる雑菌の繁殖なんかを防げるわけだ。凍ったまま調理したっていいわけだからな」

「なるほどな、確かにそれは厄介だ。そもそも〝氷〟を生成する文化は、あまり浸透していない。ゆえに、氷そのものの商売も発展していないからね。せいぜいが冬場の氷を土に埋めて長持ちさせる、くらいなものか」

「その通り。氷の運搬すら困難だ。どうしたもんかと考えちゃいるが、解決策は俺一人じゃ出てこねえよ。とりあえず船乗り連中が楽しむくらいには、レシピを教えてやんなきゃな」

 サクヤは自分が釣った魚を、大きなバケツを覗き込んで確認する。しばらく放置しておいても問題はないが、肉だんごにでもしてやれば、鍛錬を終えた三人が食べるだろうと、まな板の用意を始めた。

「私の胸じゃないけど」

「あ? ハク、なんか言ったか?」

「ううん。まな板だなって」

「言うほどまな板ではないだろうに……」

「……? よくわからんが調理するからな」

 鍋やら火やら、一通り揃えてから料理を開始する。魚を下ろすのにも随分と慣れた。

「手早いものだね、本当に」

「まあ一度作った料理を、大したアレンジしないなら、時間をかけるもんじゃないだろ。日常的な食事ってのは、手を抜いてナンボだぜ。毎日作るわけだからな。あと、味付けも実は、毎回同じじゃない」

「え、そなの」

「お前らじゃ気付かないくらいだけどな」

「……そうか、飽きじゃないかな、それは」

「そうだ。同じ味ってのは飽きるんだよ。美味い不味いって部分なら、美味い方がいい。けど、ちょっと味が違うなと思うくらいの変化が必要だ。で、それを言い訳に、俺は手を抜いて楽をしてるってわけ。主に鍛錬後のサラサと、仕事後のハクの空腹具合が原因でな」

「いつも感謝してる」

「はいはい。魚の肉だんごかー、匂い消しにショウガでも入れて煮込めば、熱いけど気軽に食べられるだろ。練り物は手がかかるしな」

「ちなみに君のレシピ、ボクでも読めるかな? 可能ならばぜひとも読ませてほしいものだけれど?」

「ほかの船乗りに渡すやつなら読めるから、あとで渡してやる。まとめたのは大将にやっちまったし、俺のレシピ帳はほとんどメモに近いから、解読できねえよ。ただトカゲの舌は大雑把だからなあ、料理を覚えてもなあ……」

「なんだと⁉ そうなのか!」

「安心しろ、ちょっとずつ味覚を変えてやるから。チィマもそうだけど、いちいち合わせるのも面倒だからなー、ある程度は俺の腕に寄せないと」

「そんなものか……ん? そういえば、その包丁なんだが」

「こいつか?」

「やや厚いようだね」

「油が強いものはこの包丁を使ってる。布で拭いながらな。研ぎは専門じゃないが、まあある程度は自分でやらねえと、どうしようもない。どこで買ったんだったか……オトガイとかの代物じゃねえな」

「……ちょっと待ってくれ。いやそうだな、刺身包丁……というのを聞いたことがあるけれど、君は知っているかい」

「――専門か?」

「そうだ。……そう、ああなんだったかな、聞いたのかもしれない。印象だけで言ってしまうが、細長いものと、太くて短いものだ。確か――細いものは、最後というか」

「幅が広く、厚くて重い包丁と、逆に幅が細くて長い包丁か?」

「その通りだ。なんで二種類もあるのかとは思ったが、答えはくれなかったからね、ボクとしても今まですっかり忘れていたけれど……サギシロが言っていたんだったかなあ」

「確かに、そいつは欲しいところだな。魚を下ろす時には、尖った包丁が必要なんだ。三枚におろす時には、厚く短い包丁の方が上手くできる。逆に、刺身にする場合なんかは細く長い包丁の方が良いんだ。ま、今使ってる包丁はどっちにも使える、どっちつかずだな」

 しかしと、叩いた魚肉を丸めながら。

「多少は包丁も種類を持ってた方が楽か……量産品でいいから、ほかの船乗りに買わせりゃ、魚料理も浸透するかもしれねえし」

「アルノにでも頼んでこればよかったかもしれないね」

「いや、武器と一緒にはできねえんだよ。ノザメエリアに良い鍛治師がいるんだけど、お前は知らないだろうなあ」

「は? いや、まったく初耳なんだが」

「あそこ海から近いだろ。魚料理が結構発展してんのな。で、まあ包丁屋みたいなのがあるんだよ。これじゃなく、普段俺が使ってる包丁はそこで作ってもらった。マイカさん、知ってるだろ」

「ああ、細工屋のマイカか。いろんな装飾を手掛けているのは知っていたが、鍛冶をしてたのか、あの女は」

「本人は仕事じゃなく趣味だとは言ってたけどなー、だからこそ入れ込み具合が半端なかったぜ。まずは俺の腕を見せろって、調理場を凝視しやがって、作った料理も食ってからが会話開始だ。厄介な女だ」

「んー」

「あ? ほかの女の話をしたくらいで妬くなハク。団子をそっちの鍋に入れてろ」

「あいおー」

「……確かに手早いね」

 しょうがを切って鍋に入れる時には、まな板もすでに洗い終えている。食べない部分は海へ入れ、ほかの魚の食料だ。

「時間かけたってしょうがねえっての。お前の釣りと一緒だ」

「待て待て、一緒にするな! ボクは時間をかけてじっくりと大物を狙っているだけだ!」

 今度はハクナの蹴りを回避した。三度目の正直である。

「あんまり大物を釣ってもなあ……」

「うん困ったね」

「……そうなのかい?」

「あれ150くらいあったろ」

「私より大きかった」

「俺とギィール、カイドウさんまで総出で引っ張って、船の制御をサラサとシュリさんに任せてなあ……転覆まではいかないにせよ、結構怖かったんだぜ、あれ。一番困ったのは料理だけどな。大きすぎて減らねえの」

「あれには飽きた……」

「俺も料理に飽きたよ。まあ、糸の強度もあるから、あんだけの獲物はそうそうないだろ。生け簀だって、餌にする小魚を入れておくって考えでもいいわけだし」

「それはいいな! 任せてくれ!」

「小魚しか釣れない女?」

「任せなくていいぞ!」

 一体この女は、どういう扱いをしたら満足するのか、未だによくわからん。さて少し野菜も入れて煮込んでやろうかと作業をしていると、ギィールが先に戻ってきた。

「お疲れさん。これ飲んどけ、さっぱりするぜ」

「あ、はい、ありがとう、ございます、……はあ」

 息も絶え絶え、といった様子だが、受け取ったボトルを何度も口にして、飲み干すと、盛大な吐息を足元に落とす。肺活量があるため、それだけで呼吸は戻った。

「っと、どうせ休憩してすぐ戻るんだろ?」

「ええ」

「その前に――っと、ちょっと中入ってくれ」

「はい?」

 表甲板の口を開けて、中を示すと、それ以上問うこともなくギィールは中へ落ちた。この程度の落下ならなんの問題もないらしい。

「サクヤさん、これは?」

「でけえ水槽だと思ってくれ。海水を入れた時の強度を知りたいんだ、確認できるか?」

「ああ、そういうことでしたか、諒解です。推定にはなりますが、確認してみましょう」

「――あ。ギィール、ちょっと術式使う。全体に広く衝撃伝えてみて」

「はい」

 軽く覗き込めば、ギィールが周囲に拡散する衝撃を軽く放つと、水槽の表面に色がついた。ハクナはその色合いで強度を確認しているようで、任せておこうとサクヤは料理に戻る。

「変な感じだなあ」

「ん? ボクの釣り竿が先ほどから反応がないことなら、きっと気のせいだよ」

「それは現実だ、しっかり糸の先にある針だけの事実は見つめておけ。さっきも言ってたが、まあ海なんて怖いもんだろ。最初のうちは俺だってそう感じる部分はあったんだが――ここ最近はなあ……」

「なにが言いたいんだい?」

「船の上が一番落ち着いてるって、どーよ。そりゃ一番目にいた時の俺は、あんまり動いてなかったし、のんびり過ごしてはいたが――ま、気を遣うこともあったし考えることもあった」

「それは〝次〟という明確なものなんだろうね」

「まあな。けど、今はそうでもない。せいぜい今日の夕食を考えるくらいなもので、落ち着いてる……〝停滞〟してるとでも言えばいいのかね、こいつは。海の上でそれが得られてるって現実は、なんかこう、変な感じだ。悪くはねえけどな」

 悪くはないけどと、言いながら立ち上がる。

「風が変わったから、雨かもな」

「そうかい?」

「このくらいのこと、気付けるようになれよ、フルール。最近じゃカイドウさんもシュリさんも、こっちには何も言わないからな。サラサが寝てる間は自分で確認だ。甘えるなよクソトカゲ」

「君も一言多くなってきたね……」

「遠慮がなくなったって喜べよ。――おう、悪いなギィール」

「いえ、休憩ついで、ですから。……雨がきますね」

 下から出てきたギィールも、僅かに鼻を動かすようにして言う。

「そっちは続けるんだろ?」

「ええ。いざとなったら戻ります」

「おう、遊んでろ。さあって、避難の準備を始めるか――あ、そういやフルール、お前知ってるか? 荒れた海だと大物がかかりやすいって話があってな、それなりに信憑性が高いんだが……」

「なんだと?」

「そうだなあ、もし釣れなかった時のことを思うと、俺は不憫でたまらんから、やっぱり理由を話すのは止めておこう。聞かなかったことにしてくれ」

「くっ……! ま、待てサクヤ! ボクがどうすべきかの決断を――おい!」

 嘘ではないが、確実性もない話だと、サクヤは鍋を手にして船室へ移動する。海に落ちても竜化すれば、死ぬこともないだろうと、そんな気楽な考えでフルールは放置しておく。

 まあだが、しかし。

 やっぱり、どこかのんびりとした海の上での生活は、たまにはいいかもしれない。

 ――海を恋しくなるようなサラサほどではないにせよ、だ。


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