07/20/10:00――カイドウ・実換記術と呼ぶ

 そろそろ、客足も戻ってきて良さそうなものだが、まだその兆候は見られそうにないなと、宿場の雰囲気を見て思った俺、カイドウ・リエールは港に戻ってきていた。

 自粛している、とでも言えばいいのだろうか。まあ船乗り連中は、臆病風に吹かれているというわけではなく、むしろ良い機会だから己を見つめなおす時間に充てているようだが、客となれば話は別だ。多少はいるが、それでも数は少ない。改めて海という危険性を目の当たりにしたのだから、当然かもしれないが。

 俺は俺で、客がいないのならばと、それなりにやることがある。それは海の上だけでなく、陸地でもだ。けれど、さすがにシュリに感化されたというわけではないが、やっぱり海の上に出たい気持ちはあるので、そっちが優先だ。

 ――そう、思っていたのだが。

 俺の船の前に、二人の女が待ち構えていた。いや、待ち構えていたというのは、言い過ぎか。

 片方は侍女姿で、こちらを見て微笑み。対してもう一人の女性は、僅かに眉を寄せるようにした悩み顔。少なくとも俺にとってなじみ深いのは、――眉を寄せるような顔だ。

 たまに、親父がそういう顔をする。探りを入れる時ではない。むしろ、探りを入れた時、何かに気づいた時、それをどう表現すべきか迷った時。

 つまりは、なるほど〝そういう〟手合いかと、察することもできる。

「俺の船の前で待ち合わせ――ってことはなさそうだ。お客さんか?」

「はい、その通りでございます。六番目の大陸まで運んでいただけませんか?」

「いいぜ、料金は一人銀貨三枚。それが〝多すぎる〟場合は、降りた先で返すよ。だから後払いでいい。俺に用か? それとも、俺の船に用事か」

「わかりますか」

「なんとなく。だから、それ以上も以下もない。どうぞ、乗ってくれ。足場を下ろすか?」

「いいえ、必要ありません。私はアクアと申します」

「俺はカイドウだ。そっちは?」

「ん? ああ、ごめん、サギよ。――で、どこへ向かうって?」

「鷺花様、六番目ですよ」

「ああそう」

 俺が先に船へ乗れば、すぐに二人も飛び乗った。身のこなしが一見してわからぬほど、熟練したそれを感じさせられる。俺は大した気にした様子もなく、ロープを回収してエンジンに火を入れ、港をあとにした。もちろん、見送りなんて誰もいない。

「――それで、二人はどうして俺のところに?」

「ああ、私じゃなくアクアの用事だったんだけどね」

「そうなのか?」

「はい。当代ギーギーの船をお持ちとのことでしたので、具合を調べようかと」

「ふうん? 事情は聞かないが、オトガイ関連か。俺としても正規の客って憚りなく言えるほどじゃねえけど、それはそれで納得だ――が、なんだろうな?」

「エレアから聞いたのよ。船を持ってるってこと」

「それと、旦那様だということも」

「……返事に困るな、そいつは。いや、まあ」

 予想はしていたが、俺は旦那だと公言したことはねえぞ、あの女。

「ってことは、俺が〝目〟を持ってることまでは、聞いていなかった。でもそれはいい。俺が所持していること自体に問題はない。でも、あー……あれか? 目を持っている俺と、こうして逢ったことに対する〝流れ〟みたいなものを、考えてんのか、サギは」

「あら、察しが良いわね」

「シュリだって、こんくらいはわかるだろ。わかるけどあいつの場合は、面倒だからってやらないだけだ。加えて、どっちかっつーと、俺は当事者だったんで、その流れってのを否応なく見せつけられたんだよ……皮肉じゃなく、文字通り、俺の目にな」

「ああ、観測員に選ばれた事情も知ってたってわけか……ふうん? コウノあたりの助言でも受けた?」

「……まあ、そうだけどな。知ってるのか」

「知り合い止まりだけどね」

 なるほどね、と俺は言葉を置いて、帆の拘束を増やす。港が見えなくなっても、凪ぎの時間であるし、何よりもこれは雨前の静けさだ。風に頼るよりも、エンジンを稼働させた方が効率的であり、嵐の可能性も考慮すれば、妥当な判断だ。急ぐ旅路でもなし、である。

「っと。それで、アクアは船を見たいんだっけか? 自沈させるような真似をしなけりゃ、好きに出歩いていいぜ。そういう〝弁え〟はきっちりあるみたいだしな」

「ありがとうございます、カイドウ様」

「皮肉に対して、ありがとうはねえだろ……ま、何かあったら言ってくれ。俺だって、造船師任せってのは、あんまり気持ちの良いもんじゃねえからな」

「はい。では船倉へ行ってきます」

 下手を打った時の〝見返り〟を知っている人間は、そもそも下手を打たないとは、よく言ったものだ。これもある種の、信頼になるのだろうが、俺の場合はシュリと違って、それほど愛着があるわけじゃない。だからといって、決して、ないなどとは言わないが。

「しばらくすると雨だぜ」

「知ってる。雨は嫌いじゃないから構わない」

「あっそ。で? サギは何を悩んでんだ?」

「ああ、そうね……なんというか、あんたが〝混じって〟るから、こう、どうしたものかとね。勝手に見られるのは嫌でしょう?」

「そりゃそうだろ。見えてしまうものまで目隠しをしろ、なんてことは言わねえけどな。ははは、そりゃ俺に対する皮肉だ。上手いな。これでも、そこそこ制御できるようにはなったんだ――が、サギは魔術師か?」

「そうよ」

「とびっきりの?」

「どうかしら」

「自称するもんじゃねえのは、わかってるつもりだけどな」

「カイドウはどうなのよ」

「俺は船乗りさ」

「けれど魔術が使えるし、武術もかじってる」

「どっちも、いや、どれもこれも中途半端にな。だから、船乗りなんだよ。武術家だとも、魔術師だとも、口が裂けたって言えやしねえ――ああ、それでか? その上で俺の目があるから、混じってんのか?」

「まあ……それだけなら、簡単よね」

「ふうん、そんなもんか」

「得物は、刀?」

「おう――隠してねえし、あんたはどうやら、面倒な生き方をしてるみたいだから、知っていても知らなくても言っちまうが、魔術は父であるリンドウ・リエールに教わって、武術はミヤコ・楠木の手ほどきを受けてる。つっても、さっき言った通り中途半端だ」

「ミヤコはねー、子供の頃、見てあげたわ」

「へえ? ――ま、そういうこともあるか」

「疑わないの?」

「知ったことじゃねえってのが、たぶん事実だろ。深入りしないための処世術だとでも思ってくれりゃ、俺も楽だ」

「あんたも変にズレてるわねえ……」

「船乗りなんてこんなもんだし、一応は客商売だからな」

 それに。

「どうも、あんたたちは〝怖い〟んだよ。たとえるなら――ああ、この前に遭遇したベルみてえな。コウノさんは何倍も〝深く〟した色合いっつーか……」

「よく見てるじゃない」

「〝ケン〟を鍛えろとは、昔から言われてるよ……」

 それこそ、嫌になるくらいに叩き込まれた。

「得物は?」

「見たいのか? べつに隠しちゃいねえし、いいんだけど、こいつはイザミさんが大昔に使ってたとかいう代物で、オトガイの商品だが、かなり昔のものらしいぜ」

 俺はいつものように、左手を握る動作で刀を呼び寄せる。呼び寄せるというよりも、ただ、俺が〝握っている〟という感覚を起点にして、術式を使うだけのことだ。

 だが――どういうわけか、刀を見せる前に、額に手を当てたサギは俯くようにしてから、痛みを堪えるような表情で、腰を下ろしながらこっちを見上げてきた。

「あん? なんだよ?」

「質問よ」

「おう……」

 大丈夫か、この人。

「それ――今使った術式を、初めて使った時のことを覚えてる?」

「ん? ……ああ、覚えてる」

「教えて」

「いいけど、刀は?」

「それはあと」

「まあいいが……ありゃ、下積み前だから、まだ十四か十五の頃だったか。海が開けてたような覚えはあるが、ともかく俺は独学で、船について、海についての知識を得ようと、図書館に通ってた。その頃は魔術も武術もいったん置いてって感じで、文字通り、刀も家に置いてきたわけだ。ところがどっこい、ちょっとトラブルがあって――こう、なんだ、こんな時に刀でもありゃあと、そう思って握ったら、こうして手元にあったわけだ。あとで実家に戻って見りゃ、やっぱりなくなってる。空間転移ステップの一種かとも思って、しばらく考えてたが、今のところ刀くらいしかできねえ――と」

 だいたいそんな感じだ。

「実際に研究する必要はないと、放置していたのは、俺の〝甘え〟だけどな」

「卒がないって言われたことは?」

「は? ねえよ。どんくさいのは承知してるが……」

「ああそう。妄想癖もなさそうだし――となると」

「なんだ? 本格的に頭が痛そうだな」

「本当にね。それ、あんたの父親に見せた? つまりは、現行のジェイに」

「親父? ああ、意味深に笑ってやがった。それ見て、あ、こりゃ根が深いと思って放置してたわけ」

「……そう。ちょっと待ちなさい、確か魔術書が……」

「ん、ああ、待ってくれ」

 それはちょいと――なんというか。

「さっき言った通り、俺は魔術師じゃないし、武術家じゃない。単なる船乗りだ。逆を言えば、俺はたぶん魔術師にはなれないし、ならない。仮にサギが俺に何かを見せようとしていて、それが影響するってんなら――残念ながらそいつを、俺は断らなくちゃいけなくなる」

「――」

「気を悪くしたんなら……」

「ああそうじゃない、本質に気づいただけ。そうね、まずは話をした方が良さそう」

「本質?」

「あり方の問題よ。たとえば、私は魔術師なの」

「おう、見た感じ、そうだろうな。あんた以上の〝魔術師〟ってのは、たぶん、いねえんだろう」

「その通り。その自負もあるし、それはとても残念なことだけれど――でも、そうね。楠木の居合いを見たことは?」

「それなりに」

「楠木の至る先は?」

「速度。その手に掴むのが〝志閃シセン〟だろ」

「よろしい。ミヤコにしても、イザミにしても、そこにはまでは至ってる。そこから先もあるでしょうけれど、まずは大前提よね。だからこそ、楠木でもある」

「まあ、そうなんだろうな」

「たとえば、私がイザミと対峙したとして、居合いにおいては敵わない。何故なら、私は武術家じゃないから」

「……? つまり、なんだ、わかるんだが……逆に言えば、武術家なら問題ないって聞こえるんだけどな」

「それは置いておきなさい。私は一通りの武術を扱える。今のカイドウ程度なら、軽くあしらえるくらいに。数値にしてしまえば簡単で、私の魔術師としての存在を十とするのならば、武術と呼ばれる〝技術〟は、七か八くらいで留めてるわけ」

「それが事実だとして、いや嘘だとは思ってないけど、理解が難しいって意味合いだけどな、これは。ともかくだ、その七か八ってのは、十にしてしまえば競合し、あるいは十一になっちまえば、サギは武術家になっちまう――ってことだよな?」

「そういうことよ。――で、そういうことなわけ」

 は? なんでそこで俺を睨む。

「あの子……ベルからは何か言われた?」

「いや、大したことは。なんつーか苦笑しながら背中をばんばん叩かれて、てめーも難儀だな、とは言われたけど」

「じゃあ本質には気づいていなかったわけか……いや、気づいていて、見るのを止めたか。どちらにせよ、それも間違いじゃあない」

「いや、なんのことだ」

「つまりね――奇跡的というよりもむしろ、だから本質的に、あんたの〝混ざり〟具合ってのは、均等なのよ」

「へえ……魔術と、武術が?」

「呪術、というと語弊はあるけれど、つまるところあの馬鹿の〝目〟もそう」

「三つか、そりゃバランスも良いな」

「突出してないのよ。いや、目が一時突出していたけど、今は混ざりあって抑えてある。それは必然、どれも突出できないのと同様に――」

「――どれかが突出すれば、それに合わせるために他も鍛えるしかねえと、そうなるのか」

「そういうこと」

「ありがたい話だ。なんとなく方向性が見えてきた。さすがに、あんな惨めは二度と晒したくはねえからな……」

「飲み込みが早いわねえ」

「言ってくれるなよ、落ち込みたくなる。これでも思考は遅かったし、時間をかけなきゃ結論に至れもしなかった。船の上で過ごすうちに、だんだんと馴染んできたってところだぜ、こんなの」

「それはたぶん、比較対象が違うのよ。少なくとも相手の言葉を、きちんと理解して頷くことはできてるもの。そこから余計なものまで読み取ってはないわ」

「その、余計なのってのが、俺にとっちゃ欲しかったものだけどなあ……あ、いや、これは昔の話だけどな」

「ん。ところで――そうね、たとえばなのだけれど」

「おう」

「極限ぎりぎりの状況下、それこそ命のやり取りに似た戦闘をしたことは?」

「ある。つーか、シュリとやりあった。針と糸、加えて小太刀二刀。まあ厄介だったな」

「あんたは居合いと魔術ね」

「そりゃ、もちろん、それしかねえし」

「そういうところも〝上手い〟のよね。居合いそのものが武術の領域だけれど、それをきちんと術式として扱うこともできる――まあ、私にもできるけれど」

「だろうな。ほんで?」

「ああ、たとえ話ね。その極限の状況の中、もしも――〝もしもこれが当たらなかったら〟と考えたことは?」

「ん……」

 それは、希望でしかない。ないが、しかし。

「心当たりが、あるには、あるな……ちょっと違うけど」

「どんなの?」

「当たるか否か、致命傷っつーか、封殺される〝先〟が見えちまう。もしもこいつが当たれば俺は、戦況を覆すのに多くの犠牲を払うことになると、わかる攻撃があった。当たるかどうかわからない。当たったら、たぶん終わる。見極めは前に、つまり現実になるかどうかまで待つ時間が惜しい上に、対策もない。だから――」

 そうだ。対策する時間もなく、その攻撃が繰り出された瞬間に、迷いを抱くのを嫌った俺は、確かに。

「――当たるはずがないと、俺は強く思った。無視するのとも違うが、なんつーか、その一手を、あー……まあ、当たらないから良いと、割り切った感じに近いかもしれねえけど」

「事実、それは当たらなかった」

「そうだけどな。結果論だろ」

「何度あった?」

「二度か、三度くらい……だと思うけど」

「その術式を――〝実換記術サイクロメディア〟と呼ぶ」

「へ?」

「己の意図した〝現実〟を、術式によって作り出す術式よ。聞いた覚えは?」

「どっかで……親父か、あるいは親父の書庫か……」

「ま、〝ジェイ〟が求める術式の一つだからね」

 ――だからか、あの意味深な笑みは。

「つまり、刀を握っている〝現実〟を俺が呼び寄せてるってわけか?」

「初歩の部類だけれど、そうよ。また、たとえ話だけれど、カイドウが傷を負ったとする。そこに、傷を負っていない〝現実〟を強く意識して術式を行使した時、錬度もあるけれど、術式としては成功する。けれど、怪我をしたのが私だった場合は、その限りじゃない。どうして?」

「…………俺の場合は、精神論だ。ああ、つまり、認識の度合いってことか? サギの怪我はサギのものだ。それをあるいは、改変――でいいのかどうかわからんが、ともかく、なくそうと思っても、サギが痛みを抱えていれば、痛みの方が現実だ。俺がいくら術式で、違う現実を呼び寄せようにも、サギ自身がそれを否定する……か?」

「その通り。ちょっと考えるだけで、わかるじゃない」

「今はな。しかし、そうだとすりゃ……いや」

 難儀なのも頷けるが、今の俺はただ、伸びしろがあったことを受け止めた方が楽か。

「これから、どうするつもりだったの?」

「鍛錬の系統か? 暇が続くようなら、親父かイザミさんでも捕まえて、いろいろと試してやろうとは思ってたな。ありがたいことに、サギが成長できることは証明してくれたんで、闇雲に走り回ることはせずに済みそうだが」

「目があるなら、有利でしょう?」

「有利? そいつは、目に頼り切る現実を前にして忸怩を噛みしめる俺に対しての皮肉か?」

「そうはなってないでしょうに」

「なりたくはないと願う己になろうとする、そんな生き方は望んでない。結局、中途半端でありながら、そういう面倒なことを考える俺だから、そんなふうに混ざって見えるんだろうよ」

「……私と〝やろう〟とは思わないわけ?」

「言っただろ、あんたは怖いって。それより、刀は見ないのか?」

「――じゃあ、見せてもらおうかしら」

 ふわり、と立ち上がる所作と共に刀が、サギの左手に握られる――俺のじゃない、今しがた、自分の影から取り出したものだ。つーか。

「そういうのは御免だ」

 呆れた吐息と共に、俺はすでに間合いの〝中〟にまで踏み込んでいる。このくらいのこと、おそらくサギは回避できただろうが、後ろは海だ。否、それでも、できただろう。居合いは完成できたはず。けれどその場合は、下がりながらの居合いになる。

 さて、どうするか。

 それでも、やるか。否か。

「ふうん?」

 サギは、やらないことを選んだ。左手に刀を持ち、右手が動かないでいる。

「よくわかったわね?」

「そういう〝流れ〟は、イザミさんやミヤコさんが、さんざんやったし――どっちかっつーと、シュリがその類だ。まったく俺は女運がねえ。それでも、機先を封じることは難しい。何しろ、そういう連中は俺よりよっぽど、上手だからだ。苦肉の策だよ」

 俺は苦笑する。

「つまり、俺はこうして態度を示して、選択を相手に考えさせることにした。それでもやるかどうか――ってな。ま、残念ながらこれで〝迷う〟ような相手じゃない。サギもな」

「けれど、本気かどうかはわかる?」

「そういうことだ。それでもやるなら、応じるしかねえ。けど、どっちでも構わないのなら、今のサギみてえに、落ち着く時間ができる。シュリほどじゃねえが――……昔から頼ってばっかだった俺は、そういうの、あんまり好まないんだよ」

「それはどうかしら」

「〝不動の行〟も勘弁してくれよ……」

「嫌なの?」

「嫌だ。――なんつーか、直感みたいなものだけどな、サギとやると〝一足飛び〟になっちまいそうで、怖い」

「そう」

 苦笑を滲ませ、左手をぱっと開くと、刀は落ちて、影の中に吸い込まれるようにして消えた。それを見た俺は、小さく肩を竦めてから、左手の刀を突きだす。

「ほら」

「ん。ところで、カイドウは仏術に関した知識はある?」

「ああ、詳しくは知らないが、符式に対して汎用性を持たせる程度って意味合いなら、多少は知ってる。お袋が猫族だからな」

「へえ……猫族は未だに使ってるのね。集落へ行ったことは?」

「各地に点在してるらしいが、お袋の故郷には、里帰りって名目で一緒に行ったよ。俺がこうして船で海に出てからな」

「誰が統括してた?」

「俺が行った時はクーンだったな。ファビオ・クーン」

「その子の印象は?」

「まあ、教育者なんだろうな。なんつーか、最初の印象が〝目線を合わせる〟だったんで、ちょっと驚いた。見定めるって感じもあったけどな」

「あんたは、あの子と違って――エレアとは違って、陸地も歩くのね」

「そりゃそうだろ。陸地を踏みしめねえと、海のありがたみもよくわからなくなる」

「でしょうね。また変わるけれど、船の性能に助けられたことは?」

「最初のうちは、結構あったな」

「――それは船に限ったことじゃあないってことを、もう少し理解した方がいいわよ」

 そんなことを言いながら、刀を返された。それを受け取るが、しかし。

「どういうことだ?」

「今は?」

「ん? 船のことか? そりゃ……不満もあるし、いろいろと変えたいとは思ってるけど」

「魔術にせよ、武術にせよ、同じこと。混ざりあってるあんたは――だからこそ、得物にもそれを求めるべきね」

「あ、ああ、刀のことか……」

「そう。つまり――そんな〝おもちゃ〟を使っているようじゃ、上達もしないってこと」

 おもちゃ、ときたか。

「……船に置き換えて、先に話をされちゃ、納得するしかないんだろうけど……」

「カイドウ、答えなさい。あんたは楠木?」

「違う。断じてだ。改めて言うが、俺は武術家ですらない――ただの、船乗りだ」

「現状、目を〝抑え込んでいる〟自覚はあるのね?」

「サギの言葉を信用するなら、抑え込まなきゃ混ぜられなかったってことだろ。俺の実力不足だ」

「つまり」

 また――影の中に手を入れて、取り出す。

 膝に乗せたのは一冊の本と、刀。

「目そのものを物品とするのならば――これで、そこそこつり合いが取れるようになる。あとは、カイドウの錬度次第」

「……」

 俺は、船乗りだ。それは変わらないが……。

 現状維持は認められない。

「いろいろとすっ飛ばせば、だ。俺としては受け取りたい――が」

「現実的には、すっ飛ばせない?」

「そうだな。対価やら何やらの問題は後回しだ。――サギ、一体俺に何を望んでる?」

「私と意図が気になると」

「そこが一番だな」

「二番目は?」

「その〝二人〟の意志」

「……そう。特にこれといって望むものはないのだけれどね……いずれにせよ、いらなくなった時点で私のところか、知り合いのところに〝戻る〟だろうし」

「へえ――ん、おう、戻ったかアクア。どうだ?」

「まだまだ、ですね。先代ギーギーにはまったく及ばないかと」

「ははは! 伝えといてやるよ。こんなでも、まあ俺が騙し騙し乗ってるっつーのもあるんだけどな。ツラを見せれば、使い方がどうのといつも文句を言われるぜ」

「技術屋ではなく、客商売ですから」

「そんなもんか……」

「あら、鷺花様。そちらを?」

「ん、まあ、どうやって受け取らそうか考えてるところ」

「利害は一致してんだけどな」

「ふふ、カイドウ様は面白い方ですね。随分と慎重なご様子です」

「臆病なんだよ。何が嫌って――そいつをたとえ俺が受け取ったとして、相応の〝結果〟が出せるかどうかってのが不安だ」

「なるほど。それでは鷺花様、まずは物品のご説明など、いかがでしょう」

「ああ、そうね。まずはこの刀、銘は〝村時雨むらしぐれ〟よ」

「――俺は楠木じゃねえ」

「知ってるのね?」

「ミヤコさんが担ってた刀の名だ、耳にしたことくらいはあるさ。ただ、イザミさんが一人前になった時、元の持ち主に返したと、そう聞いてる」

「その通り。だから私の手元にある。けれど村時雨は、かつて楠木と共にしただけで、楠木だから一緒にいたのも最初だけ……この子はきちんと、ミヤコという一人と、短い時間を共にした。だからこそ、カイドウ、あんたの手に渡ることを認めている」

「どうしてだ?」

「次は、もう、いいと言っている。つまり――楠木ならば、自分は必要ないと。楠木と呼ばれる武術家は、ミヤコの手にあり、イザミという姿を見納めた。ある意味で、自分の役目はそこで終えたと。けれど、刀は使われるもの。担われるもの。そして、村時雨は居合い刀である自負を持つ」

「……」

 だから俺に? それだけじゃ、納得はできない。

「……あんたは、エレアと違って表情が読みにくいわねえ」

「おい、あいつと一緒にすんな。つーか、あいつは本人に自覚はないみたいだが、読みやすいだけだって」

 その上で、癖も強いともなれば、察しの良いサギなんかにしてみれば、すぐに読み取れるだろう。俺は付き合いがそれなりに長いので、まあ……なんだ、読めるというか。

「こっちの本は――ん?」

 膝の上の本が、風に呼ばれたかのように表紙を開き、ぺらぺらとめくられた。内容までは読めず、字があることはわかったが、俺は僅かに目を反らすようにして唇の端を歪める。

「あら――なあに、あんた圧縮言語レリップが読めるの?」

「せいぜい三割ってところだけどな」

 親父には基礎として教わってはいるが、そこまでだ。なんとなくわかるが、把握はできない。その程度である。

 だが――その本が〝示した〟意志くらいは、読めた。

「いいから受け取れって言われてもなあ……」

「気は進まない? そんなに落胆されるのが嫌?」

「いつだって最初に落胆するのは俺自身だ。今までにただの一度ですら、俺は何かを得たような実感なんて、ねえさ」

「評価してくれる人はいたでしょ?」

「よくがんばりましたってか? 冗談じゃねえ――俺自身が納得していないことへの評価に、嬉しさを覚えるほど馬鹿じゃねえさ。頭を押さえつけられりゃ、振り払いたくもなる」

「面倒な子ねえ。部下でも持てば、また違うんだろうけど」

「仕方ねえだろ」

「劣等感はそう簡単に消えないってことね」

「せめて、対等であることを認めるのが難しいって言ってくれよ」

「同じことよ。……そうねえ、これを受け取って一息ついたら、あんたにとっての足枷に挑みなさい」

「はあ?」

「確認よ。負けようが、勝とうが、見えてくるものがある。そうね、思い浮かぶ中で、一番〝平凡〟だと思う相手になさい。相手には失礼だけれど、その程度の認識の方が良い。上手く殺せても問題だから」

「なんだそりゃ。殺す気はねえよ」

「馬鹿、そうじゃないわよ。上の相手じゃ〝手加減〟ができない。たとえば、コノミとかね。けれど下の相手なら、それもないってことよ」

「そもそも、俺にとっちゃ下の相手ってのは、いねえんだけどな……」

「それでも近しい子になさい、と言ってるの」

「受け取ったらの話だろ」

「選択権があると思っているの?」

 お前なあ、それ笑顔で言うところかよ……。

 さて、余談である。

 三日後の昼には目的地に到着したのだが、その間は適当な魔術談義で暇を潰した。といっても、俺はサギほど知識を持っていなかったので、ご教授願ったと言えば良いのだろうけれど、しかし、なんか変な方向で褒められたような気もする。

 俺の悪いところというのは、結局のところ、そうやって褒められたところで、素直に受け取れない部分にあるのだろう。理想が高すぎるのか、それとも俺が低すぎるのかと問えば、大抵は前者を答え、少数は後者を言い、そしてサギに言わせれば。

「理想なんてないくせに、よく言う」

 ――だ、そうで。

 まあ事実、その通りなんだから肩を竦めることしかできなかったのだが、なんというか、そこまで見抜かれると会話が楽でありがたい。妙に気持ちよくなって変なことまで口を滑らしそうにもなるが、そこはそれ、自制したところで、見抜かれる。それがまた面白い。

 逆に言えば、おそらくシュリが苦手とするタイプだろう。

 さておき、結局のところ俺は、刀と本を受け取ってしまった。

 否応なく。

 選択権なく。

 ――俺の意志で。

 本は、ざまあみろと笑っていたけれど、こいつ性格悪いなと思っただけで、決めたのは俺だから問題ない。ただ、付き合い方は、これから考えなくてはならないだろう。

 これでまた成長できる、なんて思わない。それもいつものこと。成長してから、こいつらのお陰だったと感謝をするのが、俺の生き方だ。

 さて、海に出よう。

 今日は快晴、次の客を求める前に、己の欲求を果たそうじゃないか。


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