07/18/16:00――シュリ・仏術の汎用

 この時期はまだ海の上とはいえ、十六時を過ぎても暑いくらいだと、私、シュリ・エレア・フォウジィールは思う。こうして毎日、日常のように海に出ている私が最大の敵としているのは、実は日光だったりもする。直射日光だけならまだしも、海には照り返しというものがあって、非常に日焼けしやすいのだ。そこらの対策を怠ると、酷い目に遭う。その点、この二人は対処しているのだろうけれど。

「そろそろ到着するかしら」

「――ん?」

 シャワーを終えてさっぱりした鷺花は、戻ってきてすぐに甲板で風を受けながら海を眺めていたのだが、そんなことを言い出した。というか、なんか聞いたことのある言葉だったので、私は。

「もしかして、あの燃えてる街?」

「あら、そう。アクア、当代のエイジェイって」

「どうでしょう。先代の記憶も曖昧ですし、おそらく逢ってはいないかと」

「そうよね。ふうん……」

「…………いや、そこで、逢ったんだ、っていう確認くらいね、してくれるとね、私も返事がしやすいんだけど」

「そんなわかりきってることを、わざわざ確認しなきゃ駄目かしら?」

 ぬう……。

「いいんだけどさあ。まあ、コウノからも、ちょっと聞いてるし、行くのは二度目。って言っても、私が望んで行ける場所じゃないのは、わかってるけどさ」

「あら、もう行けるわよ? 二度目だもの――望めば、だけれど」

 それがまた難しい。望みにも、度合いというものがある。観光気分では到着もしまい。

「ああ見えてきた」

 二度目のそれは、――どこか、悲しく見えた。

 どうしてだろうか。事情を知ったからか、それとも私の感受性に方向性でも定まったのか、かつてはそうでもなかったのだけれど、凄い、なんて言葉以外の感情が次次と胸の内に浮かんでは消える。

「船、近づけてちょうだい。防御はこっちでやるわ」

「あ、うん」

 いいのだけれど、それはそれとして、なんというか安心感みたいなものがあるのは、何故だろう。エイジェイみたいに、まだ顔を合わせて一日すら経過していないのに。あと逆らえない。怖いし。

 海に浮かんだ燃え続ける街の傍で、横づけをするようにして船を停める。甲板で仁王立ちしたサギは何を思っているのか――と、見れば。

「ったく……」

 呆れに似た吐息があって、それをアクアはにこにことしながら見ていて。

「――いつまで寝てんの、あんたは!」

「ちょっ」

 なんて大声だ。思わず耳を塞いでしまうほどだった――が、恐る恐ると両手を外しても、続く怒声はない。

「え、なに、なんなの?」

「ふふふ……」

「いやアクアが楽しそうなのはわかったけど。ちょっとサギ!」

「寝てる馬鹿を起こしに来たのよ」

 そう言ってから、五分ほどだったろうか。

「……うるさあい」

 あろうことか。

 その、燃え盛る街の中から、眠たそうに顔をぐねぐねとこすりながら、女性が呑気に姿を見せた。

 いや――おいおい、ちょっと待て。

 本当に燃えてるんだよ? 鎮魂の炎ですよ?

「なあによぅ……」

「何年寝てれば済むのよ、あんたは」

「んー? あー、ぎっちゃんだあ。なあに?」

「せっかく〝目覚まし〟を鳴らしたのに、あんたが起きないもんだから、セツも呆れて放置するし、なんで私がこんなことをしなくちゃならないのか、文句は山のようにあるのだけれど――もう千年以上は経過してんだから、起きろってんのよ」

 おい。

 そりゃ寝すぎとかいうレベルじゃないぞ。というか炎の中で寝るって、どんなベッドだ、それは。

「んん……今、どうなってんの?」

「自分で見て調べなさい。いい? 起きて、動きなさい。あんたは――五神、〝天神ケイオス〟マーデでしょうが」

「……おー。そだね、うん」

 ふわっ、と大きな欠伸が一つ。

「ん、わかったー。ちょっとふらっとしてみる……」

「はいはい。またね」

「うん、またねーぎっちゃん。お? おお? アクアじゃん、おひさー」

「ええ、お久しぶりです。私ともまた、お会いしましょう」

「あいおー」

 ひらひらと手を振った彼女は、マーデは、そのまま軽く跳躍するよう、とんっと足で地面を蹴ると、そのまま遥か上空にまで飛んだ。もう、姿も見えない。

 ……。

 ベルもそうだったけど、なんだこいつら。

 人間じゃねーだろ。

「まだ人間の範疇よ。つまり、人もまた、少なくとも私程度にはなれるの。それ自体は間違いがないわ。蓄積された時間に関してもクリアはされている」

「……うん? どゆこと?」

「それほど長生きをせずとも、いくつかの条件をクリアすれば、三十歳くらいで私程度にはなれるってことよ。人間という規範から外れた覚えはないし、そこらは気を遣ってるから」

 あいつらとは違って、と付け加える。なんだろう、ちょっと嫌そうな顔だ。

「行きましょ」

「ああ、うん、りょーかい」

 軽くエンジンを動かしてやれば、自然に街からは離れていく。そもそも発見が難しい場所なのだ、傍に居ること自体が例外というか、離れることが自然なのだろう。

「近く同窓会になりそうね……」

「ええ、そうでしょうとも。その時は私が接待しますよ」

「アクアの接待なんて、あいつらにはもったいないっての。ガーネとシディも縁を合わせておいた方がいい?」

「ええ、そうしましょう。――でしたら船頭様」

「へ、なに?」

「私の妹であるところのガーネット、およびオブシティアンとお逢いすることになりましたら、どうか船に乗せてやってくださいませ」

「ああ、うん……そりゃ、乗りたいって言えば、たぶん」

「それで構いません。ご迷惑をおかけしたらどうぞ、私まで」

「そのくらいの縁はできる、か。っていうか、あの二人の場合、アクアと私の気配に敏感というか」

「ふふ、二人とも、逢いたいのですよ、鷺花様」

「そうなんだけど……」

「――なんか、アクアってサギのかーちゃんみたい」

「あら、嬉しいことを言ってくれますね、船頭様。ありがとうございます」

「嬉しいことなんだ……」

「幼い頃を知られてるってのも、複雑なものなのよ」

 そんなものかと、街が見えなくなるまで移動して、エンジンを――。

「……」

 そして、私は気づいた。

「ん。ようやく? 遅いわねえ」

「はい?」

「アクアがシャワーを浴びてる頃からずっと、ついてきてるわよ。僅かな敵意と一緒に」

「ぬう……」

「どうするの?」

「できれば、やり過ごす。相手が妖魔でも、面倒だし」

「あらそう」

 なら口出しはしないと、そう言ってくれるのでありがたい。妖魔に尾行されるようなのは初めての経験だが、相手の意図がわからない以上、私としては基本的に放置。あとで参事になる可能性も考慮は、するけれども。

「私が勝手に手出しはするけれどね」

「おいこら待て。何するつもりだ」

「散るように促すだけよ。仏術ふつじゅつと呼ばれるものの中には、印だけでなく、言葉を介すものもあるってことを、教えてあげるわ」

「へ?」

 サギの足元に初動紋様。そうして、彼女は背筋を伸ばし、やや上空へと声を上げた。

 いや――声を、立てた。

高天原たかあまはらに神留まり坐す、皇が親神漏岐神漏美むつかむろぎかむろみの命以て八百万神等を、神集へに集へ給ひ」

 声高に。

 音色が空気を揺らすたびに、周囲の空間が波打つようにして安定しなくなる。ずるりと、物質構造そのものがズレてしまい、世界が二重、三重へと重なり合って――いいや、重なっていた世界が分離するかのよう、干渉を始めた。

「神議りに議り給ひて、わが皇御孫命すめみまのみことは――」

 全身が総毛立つ。これはなんの冗談だ? 仏術? 言の葉に乗せて、呪力を放出しているなんてレベルはとっくに超えていやがる。

 けれど、そこまで。

 たったそれだけの言葉で終わり。とん、と右足で甲板を軽く叩けば、一気に世界は元の色を取り戻す。

「序文のあたりで逃げるとは、こりゃまた妖魔も根性がない……」

「あらあら」

 終わり? ――違う。

 船の周囲だけ、一切の波が立たないほどの静けさ。

 いや――これは。

 そうだ。

 たったあれだけの言葉で、周囲の世界そのものを〝鎮めた〟のだ。

「大祓詞も、なかなか〝効く〟ねえ……まともに使ったのは初めてだけど。広範囲の調伏なら、意外と……うん?」

 そうして、紋様を消さぬがままに、手印を組む。

「――なんだ、思いのほか使えるじゃない」

 僅かな耳鳴りがする。気圧差? いや、これは――。

「っ――!」

 轟音、白色に染まる視界、それが落雷であることは、以前の〝災害〟で嫌というほど知った。

 サギが、呼んだのか。それとも〝作った〟のか。

「なるほど? 道真もいけるってわけ……アクアー、これ一通り試せる場所、あったっけ?」

「そうですねえ……海以外となると、竜の住処などいかがでしょう」

「あそこかあ。顔見せはしてなかったけど、まあ……いいか」

 よくはないだろうと、私は足元の初動紋様が消えたのを確認して、頷く。まあいい、泣くのはきっとキリエだ。

「うっわ……これ、いつまで残留してんの?」

 静かな海は――けれどでも、人工的に作られた〝凪ぎ〟であることは、経過を見ていたし、おそらく見ていなかったとしても、警戒を胸に秘めて納得はできただろう。

「私の呪力だと……一年くらい?」

「おおうい……」

 大丈夫なのかそれ。文字通り呪いになってるぞ。

「ほら、ぼうっとしない。風読み、進路、舵取り、ヨーソロ」

「あいよっ! ――って、そうじゃなくてさ……」

「あんたもそろそろ、陸地にある図書館くらい足を運びなさい。ウェパードと四番目のノザメエリアなら、近いでしょうし、数があるから」

「……むう」

 わかってはいる。それが必要なんだってことも。だけど頷けはしないのが、船乗りだ。

「あんたの言うセンセイってのに、しばらくしたら逢って挑みなさい。約束できる?」

「――、っていうか、私がそのつもりだってのを、読んだんじゃなくて?」

「その通り。で?」

「……わかった。約束する」

「よろしい」

 そう言いながら、サギは腰を下ろした。かと思えば、影の中に手を突っ込んで、釣り竿を引き抜いてアクアに投げ渡す。

「え、そん中が荷物袋なの?」

「そういう術式よ」

「釣りは久しぶりです、腕が鳴りますね」

「あー、疑似餌の類は揃ってるから、必要なら言ってね」

「ありがとうございます、船頭様」

「さてと。――誰かいる?」

「え?」

「あんたに聞いたんじゃないわよ」

 なんだそれ。

 それっきり、ふんふんと鼻歌交じりに数分後、どういうわけか、よろしいと頷いて、また影の中に手を突っ込んだ。よくよく見ると不気味だ。肘から先が完全に埋没している。

 引き抜く。その手には一冊の本。

「アクアー、いいわよね?」

「あら……ええ、構いません。懐かしい本ですが、それもまた、その子が選ぶことでしょうから」

「ん。――この本は、あんたに預ける。その子は、あんたに飽きたらどっかに行くけれど、それ自体は心配せずとも結構。いいわね?」

「飽きられないための努力と、認めてどっかに行ってもらうだけの技量を身につけろ――っていうこと?」

「そう言ってる」

 言ってない……。

「わかった」

「よろし」

 手渡される本の装丁は革張りで、やや厚みを感じる。航海日誌を書いているし、本を読むことも必要だったので、不得手ではないが――それなりに、久しぶりだ。こと、他人の航海日誌などではなく、単純に、本を読むのは、特に。

「……ん、あとでね」

 表紙を軽く撫でた私は、それを膝の上に置いて、腰を下ろした。

「読まないの?」

「没頭して〝客〟をおろそかにする方が、私にとっては嫌だからね」

「ふうん? まあいいけれど。じゃあ私は、半分眠りながら、次の目的でも探そうかしらねえ……」

 などと言ったサギは、ごろんと寝転がって、両手を頭の後ろに回すと、そのまま目を閉じた。

 ――しかし、どうか。

 その、次の目的とやらが、私に関係しませんようにと、祈ったのは内緒だ。

「疫病神扱いするんじゃないわよ」

「……」

 気づかれてた。でも、疫病神だろ、あんた。

 余談である。

 サギとアクアを一番目の大陸アインに下ろしてから、私は宿場で定期的な古い航海日誌を預けると、その足ですぐ海に出て、本を手にとった。ありがとうと感謝もなければ、また逢おうの約束もせずの別れだったが、どういうわけか、次があるってことを確信させられるので、やっぱり、どうか一秒でも先の未来になりますようにと、祈りたい気持ちである。というか祈った。祈る相手はいないけど。

 しかし――手に取ったとはいえ、まだ開かない。

 この本には意志がある。それはサギの行動からも明確であるし、直感的にそういうものだと私は理解できた。だからまずは、対話をすべきだと思ったのだ。しかし――本は言葉を話せない。

 だったらどうすればいい?

 仕組み自体は簡単だ。呪術式の本領が妖魔の領域に至るように、私はまず、この本の領域に至らなくてはならない。そうすればおそらく、対話は可能で――たぶん。

 ああ、そして、気づくのだ。その行為自体をやろうと思った時に、私は。

 あのサギは、きっとそういう生き方をしているのだと、気づく。相手の土俵に立ち、相手の領域に至り、その上で言葉を放つ。そんなことを繰り返してきたのだ、そりゃ顔色くらい簡単に読まれる。

 そうして、私の〝態度〟に気づけば――本が懐を開いて、誘いの道を作ってくれる。ありがたい話だし、敵意のない証左でもあった。

 私は知る。

 彼は無数の知識、しかも〝基礎〟に傾倒した知識を詰め込んだ本であること。読み手によって、望むものを、見せるための本。それこそ、教師のように、学べと知識を提示する。

 そして――彼は教えてくれた。

 嬉しそうに。

 自分が基礎を教え、育てた人が、どんな者だったのかを。

 正直に言えば、自慢話だったので苦笑するしかなかったが――そこに私が並ぶとなれば、あまり呑気にもしていられない。

 だから読もうと、私はようやく、本を開く。

 一歩、前へ進むために。


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