06/15/14:00――シュリ・いろいろ見透かされて
あまり、口数が多い人物ではなかった。それは寡黙というよりも、どこか疲れた老人のような雰囲気を身にまとっていて、逆に言えば有無を言わさないような態度でありながらも、けれど、会話を嫌っていないのがわかって。
私、シュリ・エレア・フォウジィールは無造作に甲板へ投げられた金貨の袋を対価に、この男を乗せて海に出ることにしたのだ。もちろん、コウノと名乗ったのを聞いて、縁もこれで最後の一人が繋がったんだから、次はもうないだろうと思ってのことでもある。
ただ、私は最初に、これまでにはなかったのだけれど、今回はもうイザミの血縁関係が明らかになったのもあって、どうでもいいと思っていたから訊ねなかったそれを、この男には聞いたのだ。
どうして、と。
実際にはそれが決定打。金貨の数だとか、コウノの性格だとか、態度だとか、そういうのは全部後付け。ただ一言、この男は言ったのだ。
海の上では一人なんだろう――と。
その通り。それを求めて私は海に出た。そして、二人になったところで、そこに変わりはないと思えているからこそ、諾としたのだ。その裏に何を考えているかまでは、まったくわからなかったけれど。
海に出てからのコウノは、甲板で寝転がっていた。厳密には、甲板のへりに設置されている椅子の上にごろんと寝ころび、頭の後ろで手を組み、目を閉じていた。本来は釣りをする時に座る場所、みたいな感じの椅子なのだが、海に出ても転がることは一切ない。どういう体幹をしているのかは知らないが、まるで船と一体化したような状況だった。
帆を張っても、あまり風はないので移動速度は上がらない。凪いでいるような状況だが、船は上下しているし、おそらく今晩には嵐がくるだろうことが匂いでわかる。匂いというのは比喩的な表現で、いわば経験に裏付けされたものだ。であれば、今のうちにのんびりしようかと、私は釣竿を出して前甲板で腰を下ろした。
すると。
「――なんだ、釣りか」
緩慢とした動作で上半身を起こしたコウノは、今度は手すりに背中を預けて、煙草を口にした。
「ああ、心配はするな。俺の
「心配はしてないけど」
「で、釣りか。手順は?」
「仕掛けはいくつか持ってるけど、基本は疑似餌で狙って、釣れた魚で大物の流れ。表層から深海へって具合かな」
「疑似餌でもそこそこ大物も掛かるだろ」
「大物を狙ってるわけじゃないから」
「じゃあ、話をしていても問題はないか。――お前、一度死んでるだろう」
「え?」
「誤魔化さなくても、肯定もしなくていい。〝生命〟の契約は面倒な手順が必要だが、それほど難しいものじゃない。相手が
「あー……」
「その可能性を示唆したのは俺だ。まだ海が開かれる前に、レヴィアと出逢った時にな」
駄目だ。何一つとして誤魔化しも反論も浮かばない。
「ただし、それを実行しているとは思わなかった。そんな
「初見で?」
「隠してないなら見てわかる。隠しているのなら察する。おかしなことじゃない」
いや、それができる時点で、なんというか、もう化け物のような気がするんだけど。
「だとして、だったら何故、俺を乗せた? 聞けば、気に入らない相手ならば――いや、それこそ、お前の利く鼻の選別にそぐわなければ、あっさりと拒絶するらしいじゃないか。事実、俺の〝匂い〟は随分とお前の鼻についたはずだが?」
「……まあ、それはそう。危険じゃなくて、危機感。それは私に対してじゃなく、なんていうか在り様。そう、飲み干した毒が抜け切れず、かといって抗体にもならないまま、躰の中に澱んだまま残っているような、言ってしまえば嫌な匂いが、した」
「それを、俺は自覚しているし、お前もまたそこに気付いた。だとして?」
そう、だからこそ、なのだ。
「自覚しているから、乗せたの。だってそれは、乗せない理由にはならなかったから」
「つまり――お前も、一人になるために海に出る馬鹿ってことか」
「馬鹿は余計。それと、まあ、あんまり言いたくはなかったんだけど……」
「ん?」
釣れた小魚を片手に、それを足元のバケツに落とした私は、背後を一瞥して。
「あんたが来たら、乗せてやれって――コノミに言われててさ」
「へえ……? あいつが、偉そうなことを言えるようになったか」
聞こえるのは苦笑。それを受け入れて、認めて、だからこその表現だ。
「じゃ、イザミも乗せたのか」
ちょっと待て。
「あんたエスパー?」
「ESPに対する防御なら、お前は自然体でできてるから、よほどの強い力を感じない限り、頭の中を見抜かれることはないから安心しろ」
「ああ、そりゃ、どうも……」
「人と人との縁なんてのは、簡単に合うように見えて、その裏には複雑な事情が関連してる。俺だって全部を見抜けるなんて豪語はしないが、コノミに逢っただけなら縁が薄い。それで終わりだ。先に俺が逢っていたのなら、逆は簡単だったろうけどな。もちろん、カイドウの野郎が船乗りになっている事実も加味した上での判断だが」
そんなことはお前も知っているんだろうと、そういう態度。
見透かされているのとはやや違うが、違うからこそ、厄介な手合いであることに間違いはなくて。
「確かに、イザミが最初だったけどね。フジカと一緒に」
「お前にとっては、面倒だったろ」
「うん」
「だろうな。イザミはあれで、未だに挑みたがりだ。それはコノミも一緒だが、違うとすればそれは、確かめなくてはわからないと、そこを徹底していることだ。やらないなら確かめないと、そういう〝正しい〟判断をするコノミとは違う。そして、お前はそれを拒絶する」
「するけど。わかるの、それ」
「俺がわかるのは、徹底してお前はそういう面倒なことに、つまり戦闘に、興味を見出していないことだ。気持ちは、なんとなくわかるんだろう。何しろイザミは武術家だ、そして己を未熟だと認めている。だから研鑽し、結果を求めるために挑む。理解できる。できるが――自分にとっては二の次で、そんなのは面倒事に過ぎないと」
「なんていうか、癪なほどその通りなんだけど、どうしてわかるの?」
「抜かなくても見えることはある。お前はそういう手合いに知り合いはいねえか?」
「いる」
「それと同じだ。お前が戦闘を面倒だと思っている、その確信を抱くには充分なほど――お前は、鍛錬に余念がない。それは事実として、イザミでは届かないという意味でもある。あるいはコノミでも、仮に戦闘をしたのならば初手で気付くはずだ。――無理だ、相手にはならないと」
言葉通り。
相手にはならない。
私が――相手にしないから。
「だからこそだ。お前は、その面倒を手早く済ませるための〝準備〟に一切の妥協をしない。努力を重ねる。済ませるためにならば、なんでもしてやろうなんて、矛盾にも似た気持ちを抱いている。だから――面倒事だ。やりたくもないことを、望んでやらないし、相手の誘いにも乗らない。やるとしたら仕方なく――とっとと済ませよう、そこに尽きる。でだ、ここからは俺の経験上の物言いになるが」
つまり、今までのは単なる当人の分析結果でしかないと、あろうことか直截した上で。
「こういう手合いには逆の条件付けが発生する場合が多多ある。面倒だ、嫌だ――けれど、ああ、仮に〝こいつが相手ならば〟――全力でやってやろう、とな。それは契約であり、信頼の証だ。そして言い訳にもなる。そうだ、それ以外は全力でなどやってたまるものか――と、それを抱けば充分だ。人目に隠れて鍛錬し、技を磨き、躰を鍛え、けれどそれが発揮されない現実を、満足だと胸を張って受け入れられる」
と、そう言って。
「まあ俺の勝手な言い分だ。気分を悪くしたのなら殴ればいい。最初に言った通り、否定も肯定も求めてはいないからな。それほど間違っていないのだろうし、俺にとってはそれでいい。暇つぶしの会話になりゃ、余計にな」
「……どういう思考回路してんの、あんた」
「ん? いや、それほど難しくはねえよ、こんなの。言葉にすれば長くなるってだけの話で、前例がありゃそれに重ねれば済む。もちろん、重ねてから、引き合いにして、お前をちゃんと見なくちゃ意味はないが。この程度のことなら、五神だって平然とやる」
「そんなのと比べられても……いやまあ、エイジェイには逢ったけど、そういう感じもなかったし」
「エイジェイ? 今はあの小娘――になったのか?」
「前は知らないけど、私が逢ったのは女だったよ」
「よりにもよって、一番厄介なのと出逢ったものだ」
「――、そう?」
「今俺が言ったような一連のやり取りなんぞ、しなかっただろ。それが一つの証左だ」
「そうだけど……」
そうだろうか。むしろ、私にとっては、よっぽどコウノの方が厄介だけれど。
「そうして見れば、程度は違えど、向きは違えど、お前とエイジェイは似ているんだろう。たとえば――そう、現に俺がお前を見てわかったことが、果たしてあの小娘にわかったのかという問いに対し、俺は、どちらとも言えないと答えるしかない。それがほかの四人ならば、絶対と断言して、そりゃ見えたはずだと、当たり前のように頷くだろう」
だから、エイジェイは弱いと、そう断じるには至らない。それは私にだってわかる。
「少なくとも当代ベルは、断言するだろう。――であればこそ、エイジェイとは決して、やらないと。何故ならばそれは、知っていようがいまいが、エイジェイにとっては関係ないからだ。お前にとって、面倒だからどうでもいいと、そういう態度と似ている。もしも、戦闘をしていたのならば見抜いたかもしれない。そうだ、技術力と経験の差なんだろう。見ただけじゃわからない、挑んでみなくては見えない。だが、――それがどうしたと、ああいう手合いはあっさりと盤面を覆す」
足場が船の上しかないのに、あっさりと転覆を狙うように。
「何しろエイジェイが持つのは、ただの炎だ。火を点けるために必要な芯を抱くことが第一条件、そこに炎が宿っただけで、エイジェイになる。言ってしまえば、ただ、それだけのことなんだ。理由がない。あってもなくても構わない。その志にとって〝敵〟になってしまえば、敵として対面すれば、それがどれほどの強者であろうとも、弱者であろうとも、自分より強かろうが劣っていようが関係なしに――エイジェイは、ただ、前へ踏む。終わらせようとか、片付けようとか、あるいは逃げようとか、落としどころがどこだとか」
そういうのは一切、関係なく。
私が面倒だからとっとと済ますように――〝
「死んでも志を通す――その意志こそが、エイジェイだ。ま、厄介なのはそれだけじゃ、ないけどな」
「それも、エイジェイを〝見た〟時の見解?」
「そりゃ俺だって、見たこともねえ相手なら、もうちょっと曖昧なことを言うさ。しかし、エイジェイが海に出たなら行く先は一つ。否応なく引き寄せられるのは――空から落ちた、炎の都。初代エイジェイの炎だ。ちなみに、あの小娘はどうした?」
「んー、離れた位置からじっと見てて、自分の代で消したいと、そう強く思ってたみたいだけど」
「ああ」
なるほどと、その光景を予想していたかのように、納得の声が落ちて。
「――じゃあ今代でも無理だな」
そう、さも当然のように続けるものだから、思わず振り向いてしまった。
「え……?」
「お互いに一人ならば、独り言だ。お前は知ることはできても、教えることはできねえ類だし、今は制限があるわけじゃない――そして、俺もまた、ただのコウノだからな」
ただのコウノ? なんだそれは。
「ああいや、俺にとっての荷物、あるいは呪いってやつを、継承したんだよ。気にするな。朝霧ってヤツは、俺じゃないんだよ」
などと、よくわからないことを言うものだから、もう釣りどころでもなくて、私は竿を立ててから、向かい合うようにして座りなおした。
「あの炎に包まれた都を見て、どう思った」
「すげーって。だってなんか、火に包まれてるのに、街が燃えてなかったし」
「芯がなければ火は点かない。燃料がなければ燃え続けない。エイジェイにとって火とは信念だ。燃料は志そのものでもある。だが原点が見えないヤツにとって、あの炎を消すことは不可能だ」
「――、どうして、燃え続けているのかってところ?」
「そうだ。どう見る」
「どうって……あれ、初代って人が身を捧げた場所じゃないの?」
「初代の炎、か。違うね、そうじゃない。厳密にはその通りだが――あれは、鎮魂のための炎だ。初代五神、全員があの場所で眠ってる。わかるか? あそこにあるのは、エイジェイの志によって造られた炎だが――その意志は、信念は、五人全員のものが含まれている。だから街は燃えない。燃えているのは連中の信念だ。それを弔うための、初代の炎。看取った証であり、最後に身を投じた者の意志。ようやく逢えると、そんな感傷を抱きながら、自らの火に燃え尽くされた男の――、劣等感、なんだろうな」
もしも。
もしも、コウノの言うことが正しかったとしたのならば、それは。
不可能だ。
たぶん、これから、どれほどの時間が経過しようとも、〝
「ああ、そもそも〝信念〟が違う。志も違う。そこが見えれば、消そうなどとは思えない。消したいとも願えない。消すことで対等になれると勘違いしている以上、至ることもできない。だから、いわゆる自然鎮火を待つのが、次善の選択とも言えよう。ただ」
「ん?」
「皮肉だが……エイジェイが〝次〟に繋ぐことを忘れた時には、あの場所もなくなるだろうと、そうは思う」
「……まあ、目標になってるんだから、良いとは思うけどね」
「安心しろ、俺は引き寄せたりしない。行きたいなら、行くと言うさ。今はそんな気にもならないが」
「うん。エイジェイには悪いけど、――どうでもいいよね」
「だろうな。知っていて損はないが、だからどうしたと、割り切れば済む話だ。だからこれは雑談だ、真剣に聞いたって、得るものはほとんどない」
「釣りをしながらじゃ、聞き流せないんだもの」
「ま、それもそうかもな……」
「あんたは、どうなの?」
「俺? 俺は――どうだろうな。一つの完成を抱き、完成したからこそ進み、その先に完成を棄てた成れの果て……と言っても、通じないだろうが、そういうものだ。正直に言えば、俺については何もない。エイジェイのように信念を抱いているわけでもなければ、イザミのように未熟を抱えているわけでもなく、コノミのようにいつか超えると思っていなくて――お前のように、何かが好きなわけでもない」
では、どうして?
ああ――その答えは私にもわかる。
「ただ、俺は目標にされている。イザミは横並び、コノミは超える。だから俺は在る、それだけだ。イザミが並べば、俺は認めるだろう。コノミが超えたら、俺は満足するだろう。そして、目標だったという確固たる事実を胸に秘めたまま、老人になって死ぬ、ただの人だ。そこらにいる化け物とは趣が違う」
「いや、ただの人っていうには、だいぶ問題があるけどね」
本当に私みたいな、ただの人にとっては大問題だ。
「小太刀二刀を教えたのはレーグネンか」
「あー、そんな名前だったのかどうか、今更ながら確かじゃないけど、たぶん、私がセンセイと呼んでる人とは、なんとなく、同一人物だろうなってことはわかるから、頷いておくけど。教わったのはどっちかっていうと、糸と針の使い方であって、小太刀に関しては実戦の中で使えるようにされたというか……」
「だろうな。自然発生した独自の、つまり我流という域からは逸脱したそれは、教授という観念を得た先にあるものだ。現時点において、俺が知る限り、野郎くらいしか心当たりはない。――雨の名を持つ男しか、な」
「あー、雨の時のひゃっほう具合は手に負えなかったなあ……」
あの頃はまだ、私自身が逃げられる段階でもなかったし。
「まったく、野郎も見る目がない。いずれにせよ、そんなものは足掛かりにしかならんだろうに」
煙草が紙吹雪のようになって消えたかと思えば、ゆっくりと立ち上がったコウノが、小さく苦笑する。
「安心しろ、俺はお前とやらない。挑む相手にはならねえし、試す相手でもないからな」
「あんがと」
「で、嵐だろう? どうするんだ」
「わかるんだ」
「海は二度目だが、陸地だって大差はない。ただし、規模や対策は陸地の比ではないだろう。どうする?」
「一人ならともかく、あんたがいるから錨泊。黙ってふらふらとやり過ごすよ」
「いずれにせよ無理をする理由もなし、か」
「そゆこと。まだ時間はあるけどね」
「どうする?」
「締め切って中にいるだけ。船倉ならそこそこのスペースあるし、この前、シャワーつけたし。結構快適だとは思うけど」
「俺は船乗りじゃない。船長の判断には従うさ。時間があるなら、釣竿を貸してくれ。新鮮な魚ってのも、悪くない」
「じゃ、お願い」
しかし、なんだろうか。
釣竿を片手に座り、背中を向けるコウノは、なんていうか。
――これ以上、似合わないものはないと、そう断言したくなるような風格なのだが、さて、何故だろう。
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