08/24/15:20――エンデ・ただ続けていた事実

 続くことは、本来、何もおかしなことではない。地続きがあるように、海によって隔たりができようとも、人が生きて行くのと同様に、道は常に続いている。人は常に、死ぬまで生き続けるなんてことは、当たり前だ。

 だから、世界にはそもそも〝停止〟が許されていない。

 遅延はある。そして、停滞することもあって――けれど、遅延した先にあるのは、加速という事象だ。遅くなって、滞って、速くなる。この三種を使って場を整えるのが〝策士〟と呼ばれる人間の本質だ。それは戦場の流儀とは違った、もっと大きな――そう、世界に触れる行為に近い。

 だから、そもそも、遅延を〝維持〟することはできない。できたとしてもそれは、より加速を強くする結果になりかねないものだ。となれば、空気を入れ続けた風船のように、いつかは破裂して、加速へ向かう。

 停滞を〝継続〟することも、不可能だ。遅延と加速が入り混じり、向かう先と戻る方向をごちゃ混ぜにしたような状況は、混沌としたその場は、ふとした切っ掛けに訪れるものではあるけれど、意図して作ろうとしたところで、必ずそれは、遅延か加速へと舵を切る。いわば分岐路に一度立ち止まり、どっちにしようかと悩むようなもので、そもそもが局地的なものだ。

 何よりも――変化もしない、進化もしない、加速も遅延もしない〝停滞〟を続けてしまう状況を、世界という強固なルールは、見逃したりはしない。それは完全なる違和で、不自然で、そう、人ならば〝ありえない〟という表現を使うだろう。


 生き続ける――ということだ。


 人は、そうでなくてはならない。

 死に続けることも、ない。


 理由はわからないが、その上で、彼らは〝終わり続ける〟ことを、選択した。生き続けるのではない、言うなればそれを、もっと後ろ向きに考えた、似たような状況。けれど、それは似ているだけで、似て非なるものだ。ここの空気を感じれば、それは否応なく痛感させられる。

 今は、その違和が気持ち悪い。決して馴染むことができないのだと、エンデが持つ〝信念〟がそれを拒絶したのならば、異物としか感じられない。

 そうだ。

 馴染むべきものではない。それが人ならば、なおさらだ。

 けれど、否定をするのは行き過ぎになる。拒絶はエンデが持つものであって、否定は相手へと向かってしまう。そこは控えるべきだ。

 だが、どうすればいい。

 終わり続けるものを、終わらせることなんて、想像すらできないけれど、それは――。

「――きっとそれは、惰性なんだろうと、僕は一つの結論を抱いた」

 頭の上から注がれた声に顔を上げれば、逆光がまぶしくて目を細める。更に言えば目の前にいる男は、全身を白色で染める衣服で。

 その視線は、屋敷を背にして、外を眺めている。

「必要だったのか――と問われた時、今の僕はそれを説くことができない。それは記憶の風化ではなく、かつての状況そのものに対し、余計な真似をしたと後悔を抱いているわけでもないけれど、しかし、少なくとも不必要だとは思わなかったと、そんな誤魔化ししか出てこないんだ。何故ならばそれは、ただの感傷だから」

「君は……君が、エルムレス・エリュシオンか」

「そういう君は?」

「僕はエンデ、あるいはヌル」

「なるほど、良い名だね」

 ハジマリの場ヌルに、オワリの所エンデ

 奇しくも――それはノザメエリアと、この場所のような、表裏一体であり、同一とも思える、二つ。

 けれど。

 現実としてこの場所は、違う。

「そう、停滞を継続するために、僕は終わりを持続させる選択をした。作り上げること自体の難易度が、比較的低かったからの選択だ。けれど――長い時間は、人を倦ませる。いくら時間から追放された僕たちとはいえ、そこからは逃げられない。いつかくるだろう終わりを待ち望みながら、それでも自ら命を絶つことを己に禁じた僕たちは、ただの日常に埋没する」

「日常――この、終わり続けるものへ、適合を?」

「適合は最初からしていた。僕たちは、そもそも、最初から終わり続けていたんだから」

 因果追放者プリズナー

 出口がわからず彷徨う者。

「けれどまさか、こんなに続くとは、思っていなかったよ」

「壊そうとは……思わなかったのか?」

「壊すには契機が必要だ。人が〝挑む〟ことすら忘れ、好奇心を抱かないような世界なら、そのまま退廃的に続いていたところで、この浮遊大陸となにが違う。ここへ来て、仕組みに気付いて、本質を突かない者しかいないのならば――続けるしかない。人はこんな事実に気付かないのだから、真理に至ることすら不可能だ。そう、その可能性がないのならば、僕たちは安心して〝次〟をしていくことができない」

 次がなくて。

 今はただ、継続しているだけ。

「だから」

 そうして、エルムは視線を合わせ、笑う。

「――僕は、君のような〝人〟を、ずっと待ち続けていたんだよ」

「……」

「そう、それはただのエゴかもしれない。君に一言、もう終わらせようと、そう言ってくれることを免罪符にしたかったのかもしれない。けれど事実として、君は気付いた。この終わり続ける大陸が、どれほど異質で、どれほど――滑稽なのか、それを知ってもらえた。それは君だけの真理であり、次はないのかもしれない。そこまでの責任は持つ必要もないし、僕も持たない。いいんだ、一人だけでも、君がここへ来た事実が、僕の中にあるのならば、ただそれだけで、――満足できる」

 深呼吸を、一つ。立ち上がろうとしたエンデは、しかし、足に力が入らなかったので、あぐらのようにして座りなおすと、己の呼吸を意識しながら、彼を見上げた。

「俺はここへ来れば、きっと終わってしまうんだろうと、そんな予感を抱いていた。その終わりとは、僕自身が、それ以上を見いだせなくなって、君が今言ったように――満足し、続けられなくなることだと、そう思っていたけれど、実際にはそうでもなくて、そんな違和がずっと引っ掛かっていた」

「そう、その感性は間違っていない。そして〝人〟ならば――何も特別なものを持たない人間ならば、必然的なものとも言える。けれど、たとえばコウノ・朝霧のように、イザミ・楠木のように、何かしらの〝特別〟を抱えている者にとっては、そう、フィルタが一枚噛んでしまうから、気付けない」

「それは、魔術師でない者ならば?」

「いいや、それは違うよ。魔術師であっても、それは人ならば、理解できる。もちろん、その身でここまでたどり着かなくてはならないけれど。しかし、コウノは三番目を持ち、イザミはその腰にリウラクタの刀を佩いた。それは僕との縁だ、僕に限りなく近しい縁。となれば必然的に、どうであれ、僕の元へ来なくてはならなかった、そんな縁合わせが行われてしまう。つまり、それが〝特別〟に該当する」

「俺は、そうではなかった――か」

「そして、君が〝識鬼者コンダクト〟に限りなく近いのも、一因だよ。気付くことはできても、それを口にできるとは限らないのが、人の世だ」

 アクアと、エルムが侍女を呼ぶ。

「喜ぼう。だから、準備を始めてくれ。僕たちはようやく、続くことを終わらせて、次へ向かうことができるのだから」

「はい若様、大変に喜ばしいことかと」

 侍女は、僅かにうれし涙のようなものを浮かべて頭を下げると、屋敷へと戻って行く。

「君にとっては、随分と身勝手に思えるかもしれないけれど、本当に嬉しいんだよ、僕は」

「俺は、よくわからないよ。俺は望んでここにきて、当たり前のように気付いて、それをただ言っただけだ。……嬉しいとも、楽しいとも思えないのは、ちょっと残念だよ。落胆しているのかもしれない」

「すまないね」

「いいさ、鍵としての役目はあったと、多少は前向きに――……ああ、そうだ。今となってはこれが必要かどうかわからないけれど、君に渡すものがあるんだ、エルム」

「僕に?」

「誰からかは、よくわからない。きっと君の方が知っていて、俺から聞きたいくらいだよ。これだけど」

 ポケットから、ダイヤモンドを取り出せば、それを受け取ったエルムが驚きに硬直したあと、実に嫌そうな顔をして、それから。

「――彼は、なにか言っていたか」

「話しはいろいろと……ああ、もしかしてあれかな、盛大に腹を抱えながら笑い転げていたけれどね、比喩ではなく」

 沈痛な面持ちで額に手を当てたエルムは、何かを言おうとして、けれど口を噤み、重いため息を落として、どういうわけか、傍に腰を下ろしてしまった。視線は合わせないが、頬杖をついている。

「知り合いかい?」

「古い、とても古い知り合いだ。気に食わないほどにね……まったく」

「教えて欲しいものだ。彼からも、君に聞けと言われたからね」

「構わないよ。君が出逢えたこと自体が、既に奇跡的だけれど、まあなんというか、僕もここまで続けてきた甲斐があったというか、笑いのネタになったのならば、喜ぶべきなんだろうけれど」

「どういう存在なんだい? あれはそもそも、人ではなかったようだけれど」

「魔法師だ」

 端的にそう言ってから、けれど。

「――と言っても、今の君にはわからないだろう。かつては、それなりに大勢いたのだけれど、今はいないし、いてもらっては困る。今でこそ安定している世界も、かつては非常に不安定でね」

「大陸崩壊時のことかな?」

「いや、それ以前のことだよ。そもそも、大陸崩壊は、いわばリセットだ。一度壊して、作り上げて今の形になった。もちろん、その際に手を加えて、大陸を七つに別けたり、この浮遊大陸を作るよう仕向けたのは僕だけれど、僕だけの手柄というわけでもない」

「そんな、本題の合間に挟まれた雑談じみたことで、大きすぎる真実を明かさないで欲しかったね……」

「準備は手伝ってもらえたけれど、結局のところ最後の仕上げは、魔術師である僕しかできなかったからね。魔法師は、そのリセットの際にいなくなった。けれどそれ以前はいたんだよ。世界が不安定だったからこそ――世界は、法則を安定させるために、人に法則を預けた」

「預ける?」

「担わせるとも言えるけれど、似たようなものだ。つまり既存の法則そのものを、人にも担わせることで、強くしたんだよ。それが魔法師だ。例外なく、法則を担ったものは、法式として〝そのもの〟を扱うことができた」

「……逆に考えればそれは、世界という器に存在する法則に、人が取り込まれたと、そういう発想で間違いはないのかな」

「その通り」

「であれば、世界が元通りになったのならば、異物である人はそこから排除される」

「そして普通の〝人〟になる――さすがに、セツの仕込みなだけはあるか。いや失礼、君を否定したわけじゃないよ」

「いいんだ。今となっては、俺にこの名をつけたセツの心情も、多少はわかる」

「なるほどね。ともかく、魔法師とはそういう存在だった。けれど始まりの二人は違う」

「ハジマリ?」

「そう、始まりの二人、あるいは原初の二人――つまり」

 つまり、それは。

「〝破壊〟と〝創造〟だよ」

「それは――法則というよりも、むしろ」

「そう、概念に限りなく近いものだ。あるいは世界そのものかもしれない。君は、どこで出逢った?」

「喫茶店……だったと、思う。そういう看板が掲げられていた」

「かつては、そこに二人はいた。〈破綻の破壊ブレイクダウン・ブレイク〉と〈一夜の紅灯エンド・ジェネシス〉――そう謳われた者。そして、今の時代を創るために、破壊を行った当人たち。君が出逢ったのはおそらく、少年の方だろう。名も持ってはいるが、これを明かすことはしないけれど、破壊を担う者だ」

 それが、どうして?

 その問いの答えは、明快だ。

「――僕が、いや、この浮遊大陸の〝終わり〟に、破壊が生じるのならばそれは、彼にとって縁のあるものだったんだろう」

「それもまた、逆に考えれば、ここには一個世界が存在していたようにも思えるね」

「光栄なことだよ、まったく、最後の最後でこんな忸怩たる想いを抱くなんて、想像すらしていなかった。逢えるのならば、今すぐにでも向かって行って殴りたいところだ」

「……それがもし可能だとしても、顔を見せたら、また大笑いしそうな相手だったよ」

「それがまた厄介だ。まったく……道理で、最後なのに連中が来ないわけだよ。君の来訪ばかりに気をとられて、気が回らなかった僕の落ち度か」

「連中?」

「鷺花や、セツのことだよ。まあ、ほかにもいろいろと――でも」

「終わりか」

「そう、終わりだ。君はどうなんだろう」

「俺? ……そうだね、一つの区切りにはなったかな。それでもまだ、続けて行くよ。できるんだろう?」

「もちろんだ。この大陸にいるのは、せいぜい四百人くらいなものだけれど、全員無事に下へ送るよ。君も含めてね。僕も、ここで無理心中なんてことはしない。見届けて、そして、新しく始めるさ」

「楽しみはあるのかい?」

「――ああ、心配はいらないよ。一通りの大陸を巡って、知り合いに逢ってからは、知らない人に逢えるし、あるいは残滓に触れることもある」

「いらない心配だったね」

「構わないよ」

 そう言って、片手でもてあそんでいたダイアモンドを、エルムは軽く握るようにして、砕いた。

「望んでいたことだ、後戻りなんてものはない」

「どうなるんだい」

「ああ、浮遊大陸は崩れて、すべて海に落ちるよ。ただし、一つだけ……見てきただろう? あの炎に抱かれた街だけは、海の上に残すつもりだ」

「誰かが消すために?」

「そう、僕が消すわけにはいかないからね。あれは五神――……いや、炎神レッドファイアが消すべきだ」

「俺もそう思ったけれど、可能かどうかは問題だね。じゃあもう、下では、大陸を見上げることはなくなるわけか」

「ほかには、どのような変化を想定している?」

「海が開ける。となれば、行き来が難しかった七則の属性もまた、それぞれの大陸に影響を与えるんじゃないかな。加えて、浮遊大陸が得ていた属性分が還元されるはずだし――はは、たったこれだけの情報で、俺が旅を続ける理由には充分すぎる」

「……そうだ、世界は七つ、属性も七つ。ここがなくなっても、均衡は保たれる」

「保たれない可能性は?」

「あるけれど、そこまでは――言い方は悪いけれど、僕の知ったことではない」

「ま、それもそうだね。だとすれば俺は、傲慢にも代表として、今までご苦労様と、そう言うべきなのかな?」

「ははは、ありがとう」

 僅かな振動を感じたため、一息ついてから立ち上がれば、どうにか脚に力も戻っていて、問題なさそうだった。見ればエルムも、立っている。

 並んでみれば、背丈もそう変わらない。ただしその貫録だけは、差がありすぎていた。

「あれから、三八○三年……といったところかな」

 エンデならば、気が狂うほどの時間であり、そして、想像を絶する年数でもある。

「僕くらいは把握しておいても良いだろう。……長い旅だったと、そう思える日がそのうちに来る」

 どこか、嬉しそうに、エルムは微笑みながら外を見ていたが、軽く瞳を伏せて区切りをつけてから、振り向いた。

 いつの間にか、そこには三人の侍女がいる。青色、赤色、黒色を持つ侍女が。

「付き合ってくれてありがとう。君たちも、ここから新しい道を進んで欲しい。それが最後の、僕からの願いだ」

「はい、若様」

「うん。思い出して泣くのは、全てが終わってからにしよう。どうかな?」

「滞りなく――ふふ、失礼」

 笑う気持ちはわかる。何しろ、ここはずっと、今日まで、滞っていたのだから。

「残っているのは私どもだけです」

「じゃあ、僕は妻と一緒に、最後まで見送るよ。エンデ、君も一緒に下へ送ろう」

「それは助かるけれど、一体どこに?」

「もちろん、それは始まりの場所へ。かつて、終わりの際に、最後まで抵抗した場へ」

 予備動作もなく、術陣が無数に展開する。エンデにはそれが何なのかはわからない――ただ。

 ただ、最後に。

「ありがとう、エンデ」

「いや……俺は、俺がしたいことを、しただけだ」

 差し出されたその手を、エンデは。

「さようなら、エルムレス・エリュシオン。きっと次はないだろうけれど」

 ――強く、握り返した。


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