04/24/14:40――オボロ・戦闘の支配領域

 控室へ行くコノミの背中を追うことはしなかった。

 お互いに弱味を見せあうような間柄ではないし、仮に逆の立場だったらオボロも同じような行動をとっただろう。ただし、それだけの余裕があるかどうかは、現実になってみないとわからない。加えて、そんな様子をひょいと覗き込み、大丈夫かと声をかけるような性格でもなかった。

 ただ、その背中を視線で追うにとどめる。何しろ先の戦闘は、彼女の戦場だったのだ。そこに加わっていないオボロが、したりげに何かを言うことなど、できはしない。経験していない者が、その戦場の如何を訊ねたところで、身に付くものなどなく、それは興味本位な野次馬根性と同様であることを、オボロはよく知っているのだ。

「やりすぎだろう、団長」

「ははは、思わず熱が入ってしまってなあ。助かったぞファル、――俺の命を救ってくれた。コノミの言葉じゃないが、酒は奢る」

「どういうことなんだ?」

「お前の一言で助かったのは、コノミだけじゃなく俺も……って話だよ。見ていても、いや、わからんか。あえて話すつもりはない、ないが、お前の一声がなかったらと思うと、さすがに腹の底が冷える」

 剣を地面に刺したマークは、背中を壁面に乗せて、大きく吐息を落とした。

 ――死ぬ覚悟だけはしておけ。

 五年前、マークの威圧の前に何もできず、結果として気絶したコノミを肩に乗せたあの男は、再戦のことを口にしたあと、そんな言葉を投げた。強くなるのかと問えば、否定がくる。勝てるのかと言えば、たぶんそれはないだろうと言う。だが、それでもなお、命を賭けることになると、確信を持ってコノミの父親は言っていたが、まさかこんなことになるとは。

「……騎士団には誘えない人種だなあ」

「だろうな。決して暗殺向きじゃないし、単独行動が得意ってわけでもない。あの手合いは、周囲を巻き込んで結果を出すタイプだ。団体行動には似合わない」

「ん……――よし、俺はちょっと休憩だ。カイドウも来たし、オボロも退屈している。どうしたファル、相手をしてやれ」

「そりゃ、俺としちゃ構わないが……オボロ、どうだ」

「は、胸をお借りします、ファル殿」

 コノミに関してはわからないことだらけだ、と思いながらもオボロは包みから槍を取り出す。あれから数日間、ずっと使い続けているオトガイから渡された槍だ。実際、使いこんで感想を聞かせろとも言われているし、随分と手には馴染んでいる。どこまでできるかはわからないが、それこそ胸を借りようと思って、ファルと対峙した。

 腰から引き抜いたロングソードは、やや長い。マークの持っていた剣と比較すれば随分と細く見えるが、レイピアよりは太いし、何よりも一般的なものよりも長い部分が気になった。

 槍ほど長くはなく、そして一般的な剣よりも長い。特注品かと思いながらも、構えた槍はやや低めの位置、そして握りは深く、槍の中ほどに限りなく近い位置。攻撃ではなく防御を意識した握り位置だ。

 距離は八メートルほど。長物にとっては、それほど遠くないが――始めの合図はなく、ふわりと舞うようにして、ファルはこちらに背中を見せた。否だ、そうではない。上半身を捻り、視線すら切って、躰を捻ったのだ。

 その――動作を。

 オボロは、知っていた。

「――っ」

 姿が一瞬消えて見えるかのような速度。オボロの視界には一直線に、放たれた弾丸のように接敵したファルが、眼前にてひねりを解き放つ〝突き〟をこちらへ向けるのが見えていた。

 それは、ミヤコと対峙した時と同じように、見えていたところで対応が難しいほどの速度。違う意味での驚きはあったが、しかし、知っていたことが有利に働いて対処ができる。しかし、予想通りならば、その対処は無意味であり、初手から既に対応を誤ったと、オボロは痛感することになった。

 突きを、やや縦に構えた槍で逸らせば、切っ先が二つに分裂する。一秒という時間を要せずに、逸らした方の剣が消えて、同じ一突きが残った。これはオボロのような予測可能な〝瞳〟を持たずとも理解できる、把握できる、現実での事象だ。

 瞬発力を極限にまで高めた速度だ。しかも〝突き〟と呼ばれる動作のみを重点的に鍛えた速度であり、ミヤコのように縦横無尽に駆け回れるだけの速度ではない。

 腕を引いて、出す。突きとはそれだけにも見えるが、実際には全身運動だ。重心の動き、踏み込みの角度、腰の捻りから手首の跳ねまで、全ての力を使って繰り出される。大げさな話をすれば、一度突いた剣を、速度を乗せるために引きつつ、腰の捻りを加え、肩ごと後ろに向けてから、踏み込みの足の角度で突きだす先を決めてから、その足を支点にして体重と速度を乗せて放つ――それが、一突きだろう。

 しかもファルの場合は、ほぼ同じ姿勢に見える。ともすれば、ずっと同じ姿勢でいるのに、突きだけ、その剣だけが無数に増えているような錯覚に陥るほどだ。どうにか現実を捉え続けているオボロだが、大半の人間にとっては突きだけで作られた壁のように感じるかもしれない。

 切っ先を逸らし続けて五分ほど、速度を増した剣の切っ先はオボロが捉えられるだけで四つに見える。致命傷を一度も受けていないのは、虚実が入り混じっておらず、全て実であるためだ。簡単に言ってしまえば、速度に合わせて逸らし続ければ、傷を負うことはない。ないが、たぶんこのまま続けていても、オボロの〝瞳〟が先に音を上げるだろうことがわかる。躰が追い付かないというよりも、一つ一つを追っていてはかなり目の負担になるし、特別な瞳ではなくとも、たぶん結果は同じだ。

 ならば。

 二手、受け流すのではなくて回避を選択した。躰を上下左右に動かし、フェイントも織り交ぜて、その二手の間に掴み位置を変えて――オボロは。

「――!」

 迎え撃つことを、選択した。

 点の攻撃に対して、今までは線で防御していた。逸らしていた。だが、今のオボロは点に対して――点で、逸らす。突きと突きの応酬だ。それでも、二手の損失に加えて、最初から後手に回ってしまったオボロの方が不利――つまり、オボロは突きで、ファルの突きに合わせなくてはいけない。

 金属と金属がこすれ合う音が発生し続けた。このこすれが、切っ先の向かう先を僅かに逸らし、致命傷にならない。音が途切れた方が恐ろしい、常に奏で続けなくては均衡が保たない。同じ目の疲労ならば、オボロもまた、見せることを選択したのだ。

 初見ではおそらく、こんなことはできなかった。これが三度目の応酬だからこそ――オボロは、どうにか食らいつくことができている。

 得物は違えど、目指すところが似ている二人。けれど、積み重ねてきた時間の差が、歴然としたものが、間に横たわる。彼は騎士だ、そして己は軍人であって――今は、武術家を目指している。

 であれば、そこにある差とは、違いとは、一体なんなのだろうか。

 二度目の時は、レーグネンが見せてくれた。覚えている。同じ槍同士でありながらも、こんな対応さえ不可能なほどの槍の雨。オボロの目を以ってしても、それはただの壁としか映らなかった無数の穂先――それを。

「技ですらねェよ」

 レーグネンは一言で切り捨てた。

「こんなものは、槍と共に在れば誰だってできる。技と呼べるほど戦況を左右しねェし、突き詰めるほど大げさなものでもねェな」

 つまり。

「対応手段なんて腐るほどある。できねェてめェの未熟さを痛感しろ」

 レーグネンの言う手段とは、対応可能なものだ。オボロのように、たとえ手段が思い浮かんだとはいえ、それが実行不可能なものは、そもそも対応手段などとは言わないのだろう。既に追い詰められている状況下――いや。

 この程度では、追い詰められないのが、武術家なのか。

 やっぱりそこが、わからない。わかっていない。在り様、志、一体何を求めるのが武術家なのだろうか。

 自分は未だに、元軍人のままだ。

 そんな弱音を〝焦るな〟の一言で蓋をする。当たり前だ、軍を抜けて何年も経っているわけではない。今までの人生を振り返れば、ついこの前に一人立ちしたようなものだ。そんなすぐに武術家の何たるかが、理解できるものか。仮にできたとしたら、それは間違いなく勘違いの部類である。

 だから、今できる精いっぱいを。

「――」

 鼓動が一つ、跳ねた。

 思考に気を取られていたわけではない。ただ、妙な静けさを感じて、躰が動いているのに音が耳へと入ってこない。視界が揺らぐ、いや、揺らいでいるのではなく、動きが遅い。二つ目の鼓動が鳴る、その音は聞こえるのに――。

 槍が空を突いていた。避けられている、何故? 今もなお、剣を捌いているはずなのに、音がなく、手ごたえがなく、二手目もまた空を突く。

 ――二手?

 それは、先ほどオボロが攻勢に転じた時に使った二手。

 二手分の時間を使って、ファルは突きを回避して、ひょいと、右手から左手に剣が持ち替えられる。

 残像? 気当たり? それとも――フェイントをかけられた?

 それとも、オボロの錯覚でしかなかったのか、そんなことを確かめるよりも早く。

 直感的に三手目を〝合わせ〟るために動いた。

 高速、あるいは神速の突き。左手に持ち替えただけで速度は倍加、いやそれ以上になり、ファルが二手を失っていなければ対応は難しかっただろう。

 金属音は、一度。

 突きは二つ。

 オボロは。

「――はっ、は」

 止めていた呼吸を再開させる。構えた槍の先端は踏み込んできたファルの喉元よりやや手前付近で停止しており、そして。

 遠く。

 地面に、ファルの折れた剣の先が、落ちた。

 もしも、折れていなければ、対応できなかった二つ目の突きで、オボロは貫かれていただろう。現にファルの柄から二センチほど出ているだけの剣は、オボロの胸元付近に停止していたから。

 対応できたのは一度目だけ。その威力にはねられた槍を押さえつけるので精一杯で、二つ目には何も、できなかった。

 倍加したのは速度だけではない、威力もだ。

 だから。

「――ああ、やっぱり訓練用の剣じゃ耐えられんかったか」

 オトガイの製品の勝ち、である。オボロの勝ちでは、決して、ない。

 ファルが一歩退くと、全身から汗が噴き出した。呼吸を整えることを最優先にしつつ、槍を己の肩に立てかけるようにして、すぐに一礼した。

「ありがとうございます、ファル殿」

「いやあ、俺の方こそ、良いモンを見せてもらったぜ」

 お世辞でもそう言ってもらえるのならば、ありがたいと思って受け入れる。見れば、マークが折れた剣の先を広い、ファルへと投げた。

「お前の突きに耐えられる剣は、そうそうねえなあ」

「だから予備を部下に持たせて、現場には出てるんだろ。しっかし、若いのによく俺の突きに対応できたもんだ」

「ファル殿、質問してもよろしかったでしょうか」

 なんだよと言うファルは、右手の袖で額の汗を拭っている。オボロも呼吸が落ち着いたので、それでもと深呼吸をしてから肩の力を抜き、言葉を続けた。

「普段――いえ、本来は盾を?」

「おう。役割はそれぞれだが、我が国の騎士団は基本的に護ることを第一とする。団長みたいな規格外はともかくとして、盾持ちは多いからな」

「よく言うねえ、副団長? 小盾装備で、そいつを一度も使わない野郎が」

「団長相手にゃ使わないと、間合いには踏み込めねえよ……」

「ふん」

「もう一つ、よろしいでしょうか」

「なんだ?」

 言うべきかどうかは、迷った。迷ったが、けれど――聞いておきたい気持ちがあった。それにたぶん、質問というよりも、これは確認に近くて。

「ファルイデラ・ケーニッヒ殿。貴殿は、イリカ・メドラート殿とお知り合いではありませんか?」

「――」

 表情は厳しくなる。だがその気配は、驚きで。

「……知り合いだ。古い、知っている名前だよ。どうしてお前が、それを知っている。そして何故、その名を口にした」

「は、自分はメドラート殿の元部下であります、サー。そして似たような突きを、見せていただきました」

「――、……あいつは」

 シャヴァ王国にいるのかと、大きくため息を落としたファルは、相好を崩した。

「昔馴染み、いや、幼馴染だよ、イリカとは。十五くらいまでは、お互いに訓練をして競い合った。……今でもあいつは、レイピアを使っているのか?」

「はい」

「そうか。もし、あいつと再会するようなことがあったら、言っておいてくれ。ファルイデラ・ケーニッヒが、いつか必ず、お前に挑むと」

「諒解しました。いつか逢うことがあれば、伝えます」

「頼んだ。懐かしい因縁を思い出したよ、ありがとな。団長、あとは任せた。反省会だ俺は」

「――ありがとうございました、ファル殿」

 おうと、折れた剣を片手にして、コノミとは違う控室へ向かうファルを、直立したまま見送ったオボロは、大きく深呼吸をしてから、躰をほぐす。左手をちらりと見てから、観覧席で手を振るカイドウを見た。

「お疲れさん。すげえな、俺には真似できねえよ」

「過ぎた評価であります、カイドウ殿。自分は――〝遊ばれ〟ました」

「あのな、仮にもウェパード王国の騎士団、その副団長の〝遊び〟に、付き合えたんだから、俺から見りゃ充分だっつーの」

「なんだ小僧、お前もやるか?」

「団長、冗談はよしてくれ。俺はこいつやコノミみてえに、そこまでの度胸はねえんだよ」

「やっておいて損はないぞ? お前だって、左の腰に佩いてるのは、ガラクタじゃないんだろうに」

「これ一本で食って行こうとは思ってねえ」

「おいおい小僧、中途半端で行こうってか?」

「悪いか? 俺はたぶん、ずっと半端なままだぜ、団長」

「いや」

 悪くはねえなと、面白そうにマークは笑う。オボロにとっては、そんな生き方は実に珍しいと思い、可能なのだろうかと熟考したものだが。

「さて、オボロ」

「は、なんでしょう団長殿」

「ミヤコさんからは、とりあえず手合せをしろ。可能ならばファルの突きを見せてやってくれと、そう頼まれていた。つまりだ、お前が目指す武術家としての何かがあるわけじゃなく、元軍人であるオボロを見ろと、そういうわけだ」

「そうでしたか……」

「正直に言おう、侮っていた。コノミを相手にしたのは余興みたいなもので、俺の理由だったが――アレは別だ。やや〝違って〟いる。そして元軍人である以上、それがシャヴァ王国軍所属であったとはいえ、うちの副団長と遊べるとは、最初から思っていなかった。できても、せいぜい三手、避けるか防ぐか……いやまさか、ファルが左手を使うなんて、思っちゃいなかったな」

「あの人、左利きだったっけ?」

「いや、右利きだ。だから左は〝加減〟が利かないから、使わない。そういうスイッチを作っていると、俺は見てる。だいたいな、俺もそうだが、ファルだってお前らの倍は生きているんだぞ。それだけの経験を重ねてるのに、あっさり負けるようじゃ騎士団になんかいられん」

「コノミは?」

「あれだってそうだ。同じだろう。小僧は見てなかったが、一手を赦した覚えはあっても、それ以上はない。違うかオボロ」

「は、自分が見ている限りでは、そうでした。もっとも、コノミ殿ほどの動きを、今の自分ができると思いあがってはおりません、サー」

「違うな」

 韜晦しているつもりはなく、その事実を認めていたオボロは否定されるとは思っておらず、一瞬の間が空いてから、問いを返した。

「違うので、ありますか?」

「これは訓練だ。そして、ここが戦場ならばオボロ、お前は初手から違う動きをしていただろう。ファルにも同様のことが言えるかもしれないが、しかし、我我は戦場経験が少ない。それは絶対的な事実であり、おそらく、お前の方が経験だけは多いだろう」

 そうだろうか。

「……確かに自分は、訓練であることを、忘れてはいません。ここは戦場ではない、それもまた事実です。しかし、それならば、コノミ殿も同じ条件なのではありませんか?」

「そう、違うのはそこだ、オボロ。条件じゃない、状況の話だ。いいか、こうした戦闘において、つまり乱戦ではなく対一戦闘において必要なのは、技術よりもまず、己の領域を保つことだ」

「領域でありますか? 間合い――とは、違うのでしょうか」

「違う、領域だ。構えろオボロ」

「はっ」

 槍を構える。

 ――戦場ならば?

 こんな呑気に、構えることを意識した記憶が、ほとんどなかった。

 そんなことを考えていると、マークが大剣を抜く。そして、どっしりと、力強く構えた瞬間、先ほど横で見ていた時とは比べものにならないほどの威圧感がオボロを襲う。一瞬にして飲み込まれ、呼吸が停止し、奥歯を噛みしめて腹筋に力を入れれば、どうにか地に足がついていて、身構えている自分が意識できるようになった。

 こんな中を、コノミは戦闘していたのだ。それだけでも、大きな差がそこにあると、思えてしまう。

 ゆっくりとマークの構えが解かれ、剣の切っ先が地面に向いて落ち、一息を落とすような間を置いてからようやく、その威圧感が消え、強引に停止させられていた呼吸が再開する。オボロは構えが解けず、ぼたぼたと額から落ちる汗を拭うこともできない。

「これが俺の〝領域〟だ。知覚範囲、攻撃範囲、そう言い換えるとやや語弊はあるが、俺が得意としている場でもある。ここに相手を引きずり込み、戦闘が開始された時、優位性はどちらにあるかなど、考えるまでもない」

 その通りだ。威圧に負け、領域に呑み込まれたオボロは、身動き一つすることですら、困難な状況だった。

 だが、そうだとして。

「コノミの選択は、こうだ。俺の領域そのものを消すことはできない、自分の領域で押し返すことも困難だ――であれば」

 どうするのか、いや、どうしたのか。

「――ここを戦場にしてしまえばいいと、コノミは領域を作った。俺を含めて、自分を含めて、訓練場の内部を〝戦場〟の空気に変えたんだ。最初は受け流していた。受け止めることは難しい、特にガキにはな。ファルくらいなら、まあ受け止めるんだが――それは置いておこう」

「しかし、どのようにしてここを戦場に?」

「やり方は多くある。そして、多くは成功しない。コノミが取った方法はな、オボロ、拳銃と投擲専用スローイングナイフだ」

「団長殿が防いだ三発と、避けたナイフでありますか?」

「そうだ。あいつは自分のナイフを先に見せながらも、使わなかった。何故か? いくら両手に一本ずつ持っていても、俺の領域の中で、威圧を受け流しながらやっても、結果は見えているからだ。相手の得意領域の中で、明らかに自分が劣っていると自覚したのならば、それは何になる?」

「……自殺行為であります」

「そうだ。だからコノミは、ナイフを見せながらも、拳銃を使った。防ぐことは不可能じゃなかったのは見ての通りだ。それすら予想していたかもしれない。投擲専用ナイフもそうだ――が、意表を衝かれたのは事実だ。俺は回避を選択した。しかし、ここで一つの疑問が生じたんじゃないか?」

 そうだ。

「はい。一瞬の意表ではありましたが、逡巡のような〝迷い〟を自分は感じました。そして同時に、どうしてコノミ殿はその隙に踏み込まないのかと、疑問に思ったのであります」

「そう、油断だ。油断とは揺らぎだ、それは領域にも伝播する。何故踏み込まなかったのか? 俺の対応を見たかったこともあるが、おそらくは違う。――おっと、勘違いするな。これらは戦闘中に考えていたことじゃない、後付けだ」

 全てではないがと、マークは小さく苦笑する。

「領域が揺らいだ俺は、それを戻す動きをする。それは自然な流れだ。そして、それは改めることでもある。――この時点で、俺は最初の状況とは違う選択をしていた。いや、状況が違うからこそ、合わせてしまったと言うべきか。どちらにせよ、結果として俺は、次の一撃をコノミに止められている。何故か? 剛じゃない、おそらくは柔が七割の絶妙な力加減だろう。最初の状況ならばそれはなかった」

「気を改めてしまったから?」

「そう――コノミの領域に、引っ張られた。不意打ちあり、銃撃あり、そして接近戦闘もする、一見すれば何でもありの〝戦場〟に」

 そうして、マークはため息をついてから、大剣を鞘へと戻した。その頃にはようやく、オボロも槍を肩に軽く乗せるような自然体に戻れるくらいには、緊張が緩んでいる。

「オボロ、戦場で最も必要なことは何だと問われたら、どう答える?」

「は、それは――」

 命令第一、それは前提条件。そもそも命令がなくては戦場には行かない。

「――生き残ること、であります、サー」

「そうだ。戦場とは、そういうものだ。相手を殺してでも、背を向けて逃走してでも、生き残ることが第一。見ていただろう、あれが、その結果だ。思い出せオボロ――あれが、戦場だったとして、失敗したのはどちらだ」

 もしも、戦場だったら――?

「それは……油断、そして迷いを抱いた方の、負けであります、団長殿」

「その通りだ。いいかオボロ、技術に飛びつくな。それは必要なことだが、意識し過ぎれば溺れる。元軍人であるお前には真新しく感じるかもしれないがな。難しいかもしれん、だが領域を作れ。きっとそれを、ミヤコさんは見せたかったんだろうと、そう思う。確かではないがな」

「はい。……その、領域と呼ばれるものは、ミヤコ殿にもあるのでしょうか」

「あるが、見たことはないか」

「一度、初見の時に手合せをしましたが……今にして思えば、そういう雰囲気はなかったかと」

「なるほどなあ。ミヤコさんとは、一度だけやったことがある。それと……こいつは余談にもなるが、コノミの父親には、領域を向けたこともあったか。それ以上はなかったが」

「へえ――興味があるな。俺にも聞かせろよ、団長」

「おい、真に受けるなよ? 俺にとっちゃ恥じでもある。ミヤコさんと対峙した時は、初手で斬られた」

「――? 斬られたというのは、どういう意味でしょうか」

「そのままの意味だ。俺の威圧、領域そのものを、居合い一つで霧散させちまった。次はない、何故なら次をしようと思ったタイミングで既に、ミヤコさんは俺の背中側にいたからだ。聞こえたのは鍔鳴りの音。斬られた形跡はなくとも、それが終わりであることは明快だ。――落ち込むよりも前に笑ったが」

 そう、笑うしかなかったのだ。それほどまでに、どうしようもなかった。

「リンドウさんは? 俺、あの人の戦闘とか、まったく知らないんだけど」

「俺だって知らん。威圧を前にして、何の変化もなかった。野郎の領域が極端に狭いのか、あるいは――」

 あるいはと、マークは言う。そうであって欲しくないと、顔に刻みながら。

「――領域が関係ない、そのどちらかだろう」


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